思惑-1
派手な音を立てて書類が崩れ落ちた。
「どけ、俺が行く」
「いやいやいやいや、ここでボスが出ていっちゃまずいでしょって!」
「うちのボスは双尾のお二人だ」
「いやいやそうですけど!そりゃそうですけど、対外的なもん仕切ってるのは全部ハチさんじゃないですか!双尾のお方なんて滅多に会えるもんじゃないんですから、うちらにとっちゃアンタがボスなんです!」
チーシャが半ば叫びながらハチの目の前に立つ。やせぎすの身体をめいっぱい広げてハチの進路を阻む。
「そんなアンタが!そんなおっかない顔で現場に乗り込んでいったらどうなると思います!?大混乱ですよ!大混乱!いや、もっといい表現あったな。ノギ!何だっけ!?」
ソファに座り込んだノギが素早く答える。
「阿鼻叫喚」
「それ!阿鼻叫喚!お願いですからハチさん、一回鏡で自分の顔見てきてください!怒気だだ漏れ!神気出過ぎ!このまま現場乗りこんだらショック死する奴が出ます!」
ハチは黙り込んだ。
その頭の中では、この優秀な若者をどうすれば一発で消せるか考えている。
「ハチさんしっかりして下さい!アンタが選んでアンタが任せた奴らだ。自分たちの失態がどれほどのものかちゃんと理解してる。そんな奴らに、わざわざダメ押しをしに行くんですかい?それ意味あります!?それよりもまず先に、アンタにしか出来ない仕事をすべきじゃないんですか!?」
「……ほう?」
ハチの眼が、チーシャを捉えた。およそ人のものとはかけ離れた獣の眼。
「言ってみろ。これ以上俺の機嫌を損ねたら、お前の首ごと噛みきるかもしれないが」
「花街に、行くんです」
「…………花街?」
「ええ、そうです。ハチさん、アンタは今すぐ花街にいくべきだ」
チーシャは唾を飲み込んだ。灰色の耳がヒクヒク動く。
ハチは今、怒っている。それも物凄く。多分、チーシャが先輩から聞きおよんだ十二年前の内乱時の時と同じぐらいに。
その時はなんだかんだあって、街の一区画が潰れた。らしい。
ハチは最高にクールで頭の切れる頼れるボスだが、怒りの爆発力がヤバイ。それだけが欠点だと先輩は言っていた。
「ハチさん、確かにまだ、最深部のごみ溜めを誰が荒らしたかわからねえ。誰がどんな意図をもって封印を解いたのか。だけど俺が犯人ならこう思う。次はどこだ、って」
「…………封印の場所が漏れてると」
「ハチさん自分で言ってたじゃないですか。アレの場所は血の杯を交わした者にしか教えていないって。そんな奴らから漏れるとは思えない。犯人は最初っから見当がついていたんじゃないですか?」
ハチはもう一度チーシャを見た。
チーシャがゴクリと喉を鳴らす。
ふいにノギが立ち上がり、そっとハチの袖を引いた。
「安心して。ごみ溜めの方はチーシャが調べる。双尾の二人は私が見てる。ハチは花街へ行って、いますぐ街主と話をつけるべき」
「ノギ、」
「ハチの悪い所は、人に仕事が振れないところ」
「…………」
沈黙が、執務室を支配した。
側近二人がじっとハチを見つめる。
ハチは一瞬だけ視線を泳がせ、大きく息を吐いた。後頭部を掻きながら二人を見据える。
「わかった。俺は花街に行き、二番目の封印をどうするか、街主と話をつけることにしよう」
*
「話って何だったんだ?」
オリジナル・エフェクトの稽古をみっちり受け、シャンとロウの二人は花街に出かける準備をしていた。
「将軍の動きを聞きだそうと思ったんだが不審がられた」
「はは!そりゃそうだろ!」
シャンが楽しそうにオリジナルをいじっている。
「あの将軍の思惑がわからないと、あいつがどこにいるかわからねえ。いつまでも一人っきりにさせとく訳に行かないだろ」
フガロから支給された服や荷物を確かめながら、ロウはそう言った。
ロウには馴染みのない小型の神力式固定銃火器。それにいくつかの小道具。神術師としての欲しかった呪物も、無理を言って用意してもらった。何があるか分からない。どこまで準備をすべきかもよくわからないが、少なくともロウはあの男を見つけるつもりでいた。
(──次は負けねえ。コトコのことも、俺のことも、洗いざらい話してもらおう)
顔を上げると、怪訝そうに自分を見つめるシャンと目があった。
「………何だよ、どうかしたか?」
「いや、なんか………」
「あ?」
「なんか、言い方が……いや何でもない。まさか、ロウに限ってありえねえよな。お前フリ方えげつないし」
「意味わかんねえこと言ってねーで手を動かせ、手を」
日が暮れる前に花街へ入りたい。
フガロ曰く、そこから地下街へ潜り込めるらしい。
目的は一つ。“鴉の宿木”を捕らえるため。
「なあロウ、俺はもうあきらめた方がいいと思うんだよな」
シャンが荷物を背負い、立ち上がる。
「コトコのこと」
「…………は?」
「ロウだって本当は気づいてるんだろ?コトコが今どこにいるか」
「は?気づいてたらこんなとこで呑気に将軍の使いっぱしりなんかしてねえよ。あの人がのうのうとしてるから、多分安全なんだろうなと思ってるだけで」
「え、本気でわかってないのか」
呆れたようにそう言うと、シャンはまっすぐ指をさした。
その指は部屋の窓を示している。
「窓の向こう。何が見える」
真っ白な日よけの布がパタパタと揺れる。
言っている意味がわからなくてロウは顔をしかめた。
窓の向こうには上宮が見える。連なる斜塔と、そこで働く人々の姿。石造りの議事堂。それらを包む大樹の木洩れ日。
それと、───
「天宮…………」
遙かなる大樹に抱かれるようにそびえ立つ、この国の中心。皇のおわす場所。
ロウはゾッとして自分の腕を掴んだ。それに気づいてシャンは息を飲む。
「まさか…………何言ってんだよ。まさか、現皇が絡んでるって?」
「だってそれ以外考えられないだろ?」
「どうして!?」
今度こそ躊躇うように、窺うように、シャンはロウを見つめた。
その両目に、見慣れた碧眼に、歪んだ自分の顔が写りこんでいる。
「ロウ、何に怯えてるんだ?」
ハッとした。心臓が、身体の奥で身震いをする。
《ダメ、だよ?》《ダメ、なの》
《息を吐いて》《息を吸って》《ふふふ》《ははは》
《おやすみなさい》《***・**・**》
青天の霹靂 ハジメ @hajime07
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