第四章 地下に潜る

若人の憂ひ



 トン、テン、シャンと音がする。

 囃す声と笑う声。

 ここは花街。夢の街。

 並ぶ斜塔の奥を抜け、地下へと続く階段の、途中で現る華の街。


「これは一体どうすりゃいいんだ……」


 煌びやかな街の裏側で、中年の小男が頭を抱えていた。











 朝、目を覚めると脇腹が痛んだ。消毒液の匂いが鼻をかすめ、包帯のざらりとした感触を感じる。

 ロウは身体を起こした。


(神力が戻ったな)


 木洩れ日が病室を照らしている。


 隣の寝台に人影はない。昨日の時点である程度回復していたシャンは、早朝から身体を動かしに出かけたのだろう。


 ロウは強張った身体をゆっくりと動かした。どこがどれほど痛むのか、丁寧に確かめていく。

 右手、左手、右肩、左肩。ついで背中、脇腹、腹部、胸部。

 特に肩甲骨の辺りを入念に解す。時折走る鈍い痛みがまだ本調子ではないことを告げる。でも今は、無視するしかない。

 上半身が済むと寝台から降り、同じように下半身も動かしていく。

 強張った身体が解れると、どんどんと神力が身体中へ巡っていく。


 一通り解し終ると、ロウは深く息を吐いた。


 頭の中に浮かぶのは、昨日の将軍の姿。

 完敗だと、ロウは思った。

 術師の実力も、交渉の腕前も、何もかも。


(────くそっ)


 窓の向こうを見る。昨日将軍が指をさして帰っていった窓。


(俺は何をやってる?)


 コトコの存在を隠し通したいと思ったのはロウだ。国や学院に邪魔されるより先に、自分自身の力で彼女の不思議を解き明かしたかった。彼女が住んでいたというもう一つの世界。蒼の世界。青天の先。全ての〝気〟を清め、巡らす場所。そんな場所があるなら、行ってみたい。証明してみたい。概念上の存在として仮定されていたものが本当に実在するのだと、自らの手で証明したい。


 ロウは深く息を吐いて、窓から視線を外した。


 神力は戻った。身体もまあ動く。次にやるべきことは何なのか、考えなくてはならない。


 脳裏にあの顔が浮かぶ。

 ロウとシャンを打ちのめし、圧倒的な力を誇りつつも唐突に消えたあの男の顔。


(あいつは誰だ?あいつはなぜ俺のことを知ってる?俺も知らない俺のことをなぜ)


 自分のことを知りたい。

 あまりに歪な自分自身の、歪な理由を解き明かしたい。

 なぜ記憶がない?なぜ両親がいない?なぜアドリア家に引き取られ、なぜアドリア家はそれを受け入れているのか。陸軍大将を輩出するようなこの国の名家が、どこの馬の骨ともわからぬ不審者を、あっさり受け入れることがあるのだろうか。

 袋小路に迷いこむような、疑念、疑念、疑念、疑念。

 コトコに会う前からロウの周りには疑いしかない。そこに彼女が現れた。唐突に、あまりに唐突に、ロウの前に現れた。あまりに不自然な、転移術式を使って。


(何かある。あいつと俺の間には、何かが)


 あの時シャンに問い詰められて答えられなかった何かが、二人の間に必ずある。


(そして多分、その先にあの男がいる──)

「なんだ、ロウ。起きてたのか」


 突然降ってきた声に、ロウは顔を挙げた。


「どした?顔怖いぞ?」


 戻って来たシャンが、入り口で怪訝そうに首をひねる。


「シャンか。別にいつも通りだろ」

「そうだな。起きられるなら上に来いってさ。飯が出るみたいだ」


 そう言われ、ロウはシャンと共に病室を出た。

 灰色の廊下を抜け、階段を上る。

 4階まで行くとちょっとした食堂のようなものがあった。









「お、来たな。起きられるようでよかった」


 二人が入り口につくと中から声がかかった。見ればすでに数名の軍人がいる。

「昨日の、」


 聴取の時にいた者がそこにいた。

 手前に立つ女性が手をあげる。その奥に男が四人。一人が席に座り、他の三人は思い思いに立っていたり、机に寄りかかっていたりしている。


「サリナ・ソンよ。将軍から話は聞いてるわ。入隊おめでとう」

「ユシュロだ」

「ググ」

「ナタカ・トリート、簡単なので悪いが朝飯だぞ」

「俺ももう一度言っておくか。フガロ・ベルトリア、ここにいる全員マテラ班所属だ。よろしくな」


 一番奥に立つフガロがそう言って軽く手を振る。


「+A出身、シャン・アドリア。配属はクレハ班、エフェクトは剣型、よろしくお願いします!」

「おう!お前の名前はさっきの訓練で聞いたわ!」


 ユシュロと名乗った色黒の男が二カッと笑う。シャンも嬉しそうにその男を見た。


「ははっ、そうでしたね!訓練に混ぜて頂いてありがとうございます!」


 二人が肩をたたき合うのを横目に、ロウが一歩踏み出した。


「神術科、ロウ・キギリです。あの、将軍からはどのようなお話を?」

「ああ、飯を食いながらでいいか?そこまで難しい話じゃない」

「わかりました。ありがとうございます」

「さ、席に着いてくれ」


 フガロに促され、シャンとロウは席に着いた。

 他の者たちも適当に席に着く。


 簡素な木製の机には、簡単な食事が並んでいた。

 野菜が入ったスープにサンディア。


「うまそう!中身はなんですか?」


 匂いを嗅いだシャンが歓声をあげる。


「陸軍名物、乾燥豆のピリ辛炒めだ。食い飽きないうちはなかなかウマいぞ」


 ナカタがにやっと笑って説明をした。確かに食欲を刺激する良い匂いがする。

 全員が席に着いたのを確認してフガロが声をかける。


「さあ食べよう!時間がもったいない」


 シャンはもう一度「うまそう!」と言って、思い切りサンディに齧り付いた。


「あなたはこっちね」


 ロウも同じように手を伸ばそうとすると、サリナから大き目のお椀を渡された。中を見れば他のものよりも野菜がたくさん入ったスープ。

 怪訝に思って顔を挙げると、机にあったサンディを持っていくサリナと目があう。


「病み上がりでいきなりは食べられないでしょう?まだあるから、それをお腹いっぱい食べなさい」

「……わかりました」


 シャンが「うまい!」と言いながらサンディに齧り付いているのを横目に、ロウはスープの野菜をつついた。

 スープに罪は、多分ない。


「これは二人に。忘れないうちに渡しておく」


 そう言うと、フガロは二枚の紙を二人の目の前に置いた。

 出された紙には見慣れない線が書きなぐられている。どう見ても適当に書かれたそれを眺め、ロウはフガロを見返した。


「これは、地図……ですか?」


 シャンがロウの手元を覗きこむ。


「言いたいことはわかるぞ。でもそれは地図だ。一枚は花街、もう一枚は地下街。ま、どっちも入れ替わりが激しい場所だからどれだけ役に立つか分からないがな」

「地下街に、花街っすか?」

「そう。君らには地下に潜伏し、学院に侵入した男の足取りを追ってもらう。花街は先に地下に降りた男との待ち合わせ場所だ。向うはここと何もかも違うからな、心していけよ」


 言いながらフガロが懐をまさぐる。


「それからこれだ」


 コト、と音を立てて、何から硬いものが机上に置かれた。


「な……!それ、リジナルじゃないですか!!」


 シャンが声をあげた。


「何だそれ」


 見慣れないものにロウが顔をしかめる。


「+Aが訓練しているエフェクトの本物だよ!あっちは練習用の簡易版!こっちは、隊員にだけ渡される正式な奴だ!」

「そう。これは君ら二人のオリジナル・エフェクトだ。日中はこれの訓練、そして日が暮れたら、二人には花街に行ってもらう」


 シャンが声にならない歓声を上げた。


 ロウはオリジナルを手に持った。

 硬く、冷たい金属の感覚。黒々とした色合いがひどく冷たく感じた。


「ククとナカタがそれぞれの稽古相手になる。オリジナルの調整はユシュロが、俺とサリナは中にいるが、何かあったらすぐに声をかけてもらって構わない。訓練場の場所はわかるな?」

「はい。ここの裏手ですよね?」

「そうだ。食べ終わったらすぐに始めた方が良いぞ。なかなか慣れないからな」

「──あの、」

「なんだい?ロウ・キギリ」


 フガロはきょとんとした顔でロウを見た。

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