オカマがいます
セミがギャンギャンと鳴いている。
梅雨も明けて、もうすっかり世界は夏真っ盛りである。
乗り慣れない路線バスを降りたわたしは、さっそく卑弥呼のヒールのついたグラディエーターサンダルで来てしまったことを後悔していた。
「けっこう歩くっぽいなぁ……」
斜面にモコモコと生い茂る木々の緑の向こうに見えている、ヒョコッと白い四角いお豆腐みたいな建物が、今日の目的地である病院。最寄りのバス停はここしかない。こんなことならスニーカーで来ればよかった。
別に、街にデートに出かけるわけでもなし、ただ病院にお見舞いに行くだけの話なんだから、普通はファッションとか、そんなに気合い入れるようなものでもないんだろうけど。
でもなんか、なるべく大人の女っぽい雰囲気でキメて行きたい感じがあったんだよ。
市岡はアッコの顔面パンチで顔の骨が何か所か折れていて、警察が駆けつけてそのままソッコーで救急車に積まれて行ってしまった。
事情を聞かれたわたしは、アッコの話だけは省いて、起こった出来事をただ正直に話したので、結果的に元カレが窓から部屋に侵入してきた上に勝手に自分で自分を殴って意識を失いましたっていう荒唐無稽な話になってしまって、警察のおじさんも最初はちょっと訝しんでいたのだけれど、やっぱりそういうのは調べれば分かるみたいで、どうやら本当の本当に自分で自分を殴ったらしいということになったっぽい。
ひとまずは入院して、ケガの治療をして、回復を待ってから逮捕、っていう段取りになるらしい。市岡は、今はまだ入院中。
そんな感じで、当然わたしのほうはなんのお咎めもナシ。
ついでに最初に床に倒された時と、顔に平手をされた時に痣とかができていたから、それもキッチリ診断書を取っておいた。刑事告訴も民事訴訟もガッチリやって毟れるだけケツの毛まで毟ってやるからな、と決意を新たにしたところ。
長期戦になりそうだけど、負けてやる気も折れてあげる気もさらさらないので、徹底的に追いつめてやる。
緩やかな登り坂の、並木道を歩く。
陽射しは暑いけれど、木陰を吹き抜ける風は気持ちよくて、履き慣れていないサンダルのカカトがちょっと痛いけれど、総合的には、それほど気分は悪くない。
しかし、病院にお見舞いに行くのなんて初めてのことなので、お見舞いの品になにを持っていけばいいのかわりと悩んだ。
好きなもの、って言っても、お酒ぐらいしか知らないんだけれど、さすがにお酒はまだ飲めないだろうし。
回復したとはいえ、まだそれなりにケガ人ではあるようなので、食べ物とかもなにか制限があるかもしれないし。果物やお菓子もどうなのか。
電話でおおまかな事情は聞いたけれど、具体的に今どういう状態なのかまでは知らないから、ちょっと判断が難しい。
まあ、全般的に、かわいいものと綺麗なものはだいたい好きなはずだから、お花ならきっと、どれだけあったとしても喜んでくれるだろうと思って、奮発してカゴいっぱいのお花を持っていくことにした。
そんなわけで、今日の私は白のガウチョのワンピースに麦わら帽子に、ちょっとヒールのついたグラディエーターサンダルと、お花をモリモリに詰め込んだカゴという出で立ちで、なかなかフェミニンでファンシーな装い。
突然知らない番号から電話が掛かってきて、知らない男の人に「アキラの弟です」 と言われた時には、全く意味が分からなくて混乱したけれど。
向こうも向こうで、意識を失っていた間の記憶は、夢の中の出来事みたいな感じで曖昧だったみたいで。半信半疑のまま、それでも弟さんが調べてみたら、わたしに行きついたということみたいで。
「わあ、本当に実在してたんですね。こんなことって、あるもんなんだなぁ」
なんて、電話口の向こうで弟さんが言っていて。
わたしのほうは、また性懲りもなくビャービャー大泣きに泣いてしまって、弟さんをだいぶ困らせてしまった。
近頃、本当に涙腺がゆるくていけない。
でも、弟さんのほうも兄貴に似て、性根の優しいナイスガイだったので、わたしが泣き止むまで黙って電話を繋いでいてくれてりして。
ちゃんとしている人間はちゃんと見ているものだから、自分がちゃんとしてさえすれば、ちゃんと分かってくれるものなんだなって、なんとなく、アッコのそんな言葉を思い出したりしたりした。
病院の受付で、名前を告げて病室の場所を聞く。
一般病棟の三階。弟さんの話では、もう容態は安定していて命の心配はないけれど、完治まではまだまだ長いリハビリ期間が必要らしい。
夜中に原付で走っているところを、信号無視の軽自動車にはねられて、長らく意識不明の重体だったのだそうだ。
ピンクのタンクトップ一丁に短パンにサンダルで、半ヘルを首に引っ掛けてコンビニまでの道をプラプラ走っているところを横からドカンとやられて、そのまま頭を打って、一時は本当に危ない状態だったとか。
今度からは、ちゃんとフルフェイスのヘルメットを被らせますよ、って弟さんは笑っていたけれど、そういう話なのかなって感じがちょっとしないでもない。
せっかくだから、エレベーターは使わずに階段で三階まで昇る。
サンダルの底がキュッキュと、気持ちの良い音を立てる。
病院の独特の、このリノリウムとか消毒液とかの、そういう匂いはわりと嫌いじゃない。
つまり、要するに、行ってしまったのではなく、帰っていったということだったのだ。
病室の番号を示すプレートの数字を読みながら、廊下を奥に進んで行く。
はやい話が、幽霊ではなく、生霊というか、臨死体験の幽体離脱てきなやつだったというわけなのだ。
だから、リサの時みたいに光の粒子になって天に昇っていかずに、ただ薄くなって消えてしまった、というわけだったのだ。
「あった、ここだ」
受付で教えてもらった病室の扉の前に立って、わたしは一度、大きく深呼吸をする。
せっかくの久々のご対面なのだから、知らない間にびっくりするくらい、いい女になっているところ見せてやりたいなって、そんなことを考えている。
ハリボテの意地だって、張り続けていればそのうち本当の品格になるんだってところを、見せつけてやりたいな、なんて思っている。
背筋を伸ばして、顎を引いて、なるべく真っ直ぐに見えるように。
準備はオーケイ?
うん、準備はオーケイ。
扉を開ける。
病室の奥、窓際のベッドの上に、その人の姿を見つける。
人としての姿は初めて見る、その人の顔を見る。
背筋を伸ばして、顎を引いて、ゆっくりと、歩み寄る。
わたしは笑顔で、久しぶりじゃん元気してた? って言ってやろうって思っている。
それなのにさ。
開口一番、そいつはこう言うわけよ。
「あらぁ~、どうしたのそんな象に踏まれたみたいなしょぼくれた顔しちゃって」
うれし泣きだよ、馬鹿。
部屋にオカマの霊がいます 大澤めぐみ @kinky12x08
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