部屋にオカマの霊がいない
最近なんだか友達連中の態度がおかしいなぁと思っていたら、市岡が裏でないことないことを言いふらしていて、わたしの評判を落としているらしい。
なんか知らないけど市岡がサエコと寝たのはサエコが誘惑したからだし、市岡はそれが原因でわたしに殴る蹴るのひどい暴行を受けた上に強請られているみたいなストーリーになっているんだって。
どんだけド派手に盛るんだよ。普通に引くわ。
りっちゃんみたいに空気を読まずに自分が気になったことはガンガン直接聞いてくる強いタイプの子が相手なら、こっちにもちゃんと釈明の機会はあるし、なにしろ嘘をついているのは向こうで本当のことを言っているのはこっちなんだから、両方の話を聞いて比較すればだいたいどちらが本当のことを言っているのかは簡単に推測できようものだけど、大半のあまり強く関心のない人たちは 「ふーん、へー、あの子そういうことするんだー、いがーい」 みたいなノリで、特に真実を求めるでもなく、ただ黙ってなんとなく距離を取るようになるだけだからややこしい。
しかも、中には口だけは軽いのも混じっていて、市岡のついた雑な嘘を 「わたしも聞いた話なんだけどさー」 と、真偽不明のまま積極的に広めていたりするのでますますややこしい。
噂はただの噂なだけに、抵抗したり反発したりするのも難しくて、腹は立つけど振り上げた拳をどこにぶつければいいのかが分からなくて更に腹が立ってくる。
すべてを怒りに変換して、そのエネルギーで立ちはだかる者どもを悉く打ち倒して進んできたタイプのわたしとしては、戦うべき敵に形がなく、見えないというのは、厳しい。
アッコは 「放っておくのが一番よ」 と言っている。
「なにをどうやっても無視されるから、それが反応であるならば、たとえネガティブな反応であろうと無視よりはマシ、みたいな価値判断になってしまっているのかもしれないわね……」
つまり、怒って言い返したりしても、無視されるよりはそっちのほうがまだ望ましい結果だから、じゃあこの方針でいこうみたいな感じになって、もっとエスカレートしていく可能性があるかもしれないって、そういう話みたい。
「嘘の鵜呑みにして噂を広めたりするような無責任な連中と疎遠になるのは、潜在的な危険因子を身近から排除できたとでも思って、ポジティブに捉えるしかないわね」
ちゃんとしている人間はちゃんと見ているものだから、アンタがちゃんとしてさえすれば、ちゃんと分かってくれるものよ。と、アッコは抑えた口調で言う。
少なくとも、アッコはちゃんと見てくれているし、分かってくれている。
あと、サエコも。
気が付けば、結局サエコぐらいしか友達と呼べそうな信頼できる人が居ない。
少なくとも、生きている人間では。
元はと言えば、今回の件だってサエコのせいみたいな感じなんだけど、なんだかんだ言って、やっぱサエコは腐れ縁なんだよなぁ。
でも、たったひとりとはいえ、ゼロじゃないから。それだけで、わたしは折れずに胸を張って立っていられる。
それだけを心の支えにして、わたしは今日も鏡の前で自分の顔をバチバチ叩いて 「品格品格」 と、魔法の呪文のように唱えている。
ハリボテの意地だって、張り続けていればそのうち本当の品格になることもあるかもしれない。
近頃、アッコにあまり元気がない。
前までは、毎晩わたしが帰るころにはダイニングテーブルの向こう側に既にスタンバっていて、わたしが酔って寝落ちるまで付き合ってくれていたものだったけれど、ここのところは、全く出てこない夜も多い。
たまに出てきたと思っても、以前ほどの勢いがなくて、あんまりびっくりマークが飛び交っていない感じ。
わたしがちょっと目を離した隙に、スッと消えてしまっていたりする。
もう、滅多に金縛りにもあわない。
わたしはセリアで買ってきた100円の花瓶とお猪口と小皿で、見様見真似で神棚っぽいものをダイニングテーブルに作って、毎朝毎夕、お米とお塩とお水をお供えして拝んでみたりする。
なむなむなむ……。えーっと、商売繁盛。恋愛成就。
適当に拝んでいるだけでも、アッコいわく、いちおう効果はあるっぽくて、霊力がチャージされて、ちょっと元気になるような感じはするらしい。
「たぶん、こういうのは様式じゃなくて、気持ちの問題なのよね。アンタがアタシを想ってくれているという、そのことがアタシを少し元気にするのよ」
でも、こんなのがいつまでも続くわけがないんだって、そんなことはわたしも分かっている。
泣いても笑っても、アッコはそもそも霊なのだ。
とっくの昔に死んでいるのだ。
こうやって、いつまでも現世に留まってウダウダとちょっとトウの立った女の愚痴を聞いているよりも、ちゃんと成仏して生まれ変わって、新しい人生を始めたほうが良いに決まっている。
リサは最期に 「またオカマに生まれてきたい」 と言って、笑って成仏していった。なんの悔いもないみたいな、清々しい顔をして。
ハリボテの意地だって、最期まで張り続けていれば、本当の品格になる。
そういえば、サエコの話でなにか引っかかったことがあったはずなんだよなぁ。と、ふと思い出してわたしは言ってみる。
今夜は久しぶりにダイニングテーブルの向こう側にアッコが居て、わたしはひょっとしてこっちのほうが効果高かったりしないかなと思って買ってきた純米大吟醸酒を、ひのきの升にひたひたにしてお供えしている。
わたしは日本酒苦手だから、相変わらずのエビスビール。
「引っかかったこと……?」
アッコはやっぱり、随分と存在感が薄くなっていて、それに呼吸が深くて長い。なにか、寝息みたいな感じのリズム。
うん? 呼吸? 幽霊なのに呼吸っていうのも、なんだか変な感じがするけれど。
でも、そういう感じで、アッコの胸がゆっくりと上下している。
「うん、サエコって昔からお酒に関してはザルでさ。いくら飲んでもなにも変化がないというか、素面の時から酩酊状態と大して変わらないって感じでもあるんだけど。市岡とはナニがどうなったんだか記憶にないって言ってて」
サエコは馬鹿だけど素直で正直だから、その点について、自分を少しでも良く見せるためにしらばっくれる、なんてことは、たぶんしない。だから、メイビー本当に記憶がないんだと思うんだけど。
アッコは深い呼吸の合間合間に、吐き出すようにして言葉を話す。
「ひょっとすると、その市岡っていうの……思っていたよりもヤバいヤツかもしれないわね……」
「ヤバいって、どういうこと?」
「アタシは話を聞いているだけだから……具体的にどうとかは分からないわ……これは、単にオカマの勘ってやつ……」
なんにせよ、もうなるべく関わり合いにならないのが一番よ。
最悪の場合は、ある程度の人間関係も諦めて丸ごと切ったほうが安全かもしれない。
それが、アッコの結論。
もう何年も、涙を流してビャービャー泣くなんてこと、したことなかったのに、辛くても悲しくても泣かない強い女でやってきたつもりだったのに、アッコのせいで何かのタガが外れたのか、この頃のわたしはよく泣いている。
アオハライドで泣くしORANGEで泣くし、なんだったらアイアムヒーローでも泣くし、本当になにかを観たり読んだりしては節操なく泣いている。
これって情緒不安定? って、ちょっと自分でも思うのだけど、実感としては肩肘張って泣かずに強い女をやっていた頃よりも、ずっとメンタルは安定している感じがしている。
日曜日も朝7時には起きて、サンゲツの遮光カーテンを開けて、掃除と洗濯をする。
ダイニングテーブルにお供えしているお米とお塩とお水を、器を綺麗に洗って乾かして、取り替える。
ベランダの窓と台所側の窓を両方開けて、部屋の風通しをよくする。
梅雨入り前の、外はちょっと暑いけど、風通しの良い日陰は過ごしやすいぐらいの、そんな気候で、午前中の乾いた風が気持ちいい。
友達が減って、週末もアレコレと予定が詰まっている、ということがなくなって、暇になってしまったせいか、そういう以前は取りこぼしていたような、細やかな日々の変化に目が向くようになってきた。
昼までにお掃除と洗濯を終わらせて、ちょっと溜まっていた食器も洗って、ついでにお布団も外に干してフローリングも拭き掃除をして。
そんなに広くはないけれど、本当に必要なものと本当に好きなものだけを納めたわたしの部屋。
オカマ受けする内装の部屋。
ちょっと腑に落ちない感じはあるけれど、出来る限り、ちゃんと整理整頓して清潔にしておきたいなって、そう思う。
そうめんを茹でて、葱と生姜とミョウガと大葉を刻んで、パパッとお昼ごはんを済ませてしまったら、せっかくの日曜日だっていうのにもう今日の予定はなにもないみたいな感じで。
わたしは窓を網戸にしたまま、遮光カーテンだけを引いて部屋をほとんど真っ暗にして、密閉型ヘッドホンをして完全に外界をシャットアウトして、ツタヤで全巻まとめて借りてきたあの花を最初からぶっ通しで一気に観る。
ワンクールでちゃんと完結するアニメだと、オープニングとエンディングと次回予告を飛ばせば、ぶっ通しで一気に観てもせいぜい3~4時間くらいだから、ちょっと長めの映画を一本くらいのボリューム感でわりと丁度いい。
これくらいのボリューム感が好き。
全編を通してよく出てくる夏の山の描写と、今日の気候と、暗い部屋をたまに遮光カーテンを揺らしながら抜けていく自然の風がリンクして、なんかすごく気持ちがいい。
我ながら、なかなかのベストチョイスである。
めんま、みーつけた!で圧倒的にバーバー滝のような涙を流しながら、ああタオルタオル、ハンカチなんかじゃ話にならない事前にタオルを用意しておくべきだったなって思いながら、右を見て左を見て、とりあえず手近にあったティッシュをモリモリ引き出して、そこでフと、風でゆらゆらと揺れているカーテンの向こう側、網戸が半分ほど開いていることに気付く。
あれ? わたし網戸閉めてなかったっけ? まだ梅雨入り前とはいえ、ここのところ気温が高いので、夕方になると気の早い蚊がブンブン部屋に入って来たりもする。
やだ、網戸。閉めておかないと。
夜、眠っているときに耳元で蚊にブーンと飛ばれるのなんか、金縛りと同じくらいに最悪だ。
そう思って。
わたしはティッシュで涙を拭いて、ついでに一度鼻をかんで。
ヘッドホンを外す。
立ち上がって、網戸を閉めにいこうとしたところで。
後ろから羽交い絞めにされる。
「えっ!?」
そのまま、後ろから体重を掛けられて、わたしはドンとフローリングに倒れ込む。羽交い絞めにされていて両腕が使えないので、マトモに胸に衝撃を受けて息が詰まる。
かろうじて、顔面を打つのだけは回避できたな、なんて、わたしの頭の呑気で冷静な部分が考えている。
そうじゃない。
え? なんだこの状況?
なんだもクソもないよ! 部屋に誰かが居る!
わたし以外の誰かが居る!
部屋どころじゃない! わたしの真後ろに誰かが居て、わたしを羽交い絞めにしている!!
呼吸。
体温。
質量。
霊じゃない! 物理的な誰かだ!
生きている人間だ!
誰か、生きている人間がわたしの部屋に侵入して潜んでいて、後ろからわたしに襲いかかってきたのだ!
状況を理解した瞬間に、頭の中の呑気で冷静な誰かも急に悲鳴を上げて、一気に全員がパニック状態になる。
目の前のフローリング、それしか見えない。
カーテンが風に揺れて、暗闇にときどき、午後の西日がきらめく。
待て待て待て。
床に倒れたわたしの身体に馬乗りになって、荒い呼吸を繰り返しているお前は誰だ!?
そうだ、力だ。物理的な存在には力で抵抗しないと。
身体に力を込めなければ。
重い!!
物理的な存在は重い。胸が押しつぶされて息が詰まる。
大きく息を吸って。
全身に力を込めて、なんとか身をよじる。
反転して。
背中が床に。
硬くて冷たい。
大きな暗い人影がわたしに跨っている。
カーテンが風に揺れて。
光が顔に。
「市岡!?」
見覚えのある顔。知っている顔。ていうか、いっくん。
改め、市岡(呼び捨て)。
いわゆる元カレ。
現、若干のストーカーで嘘八百を言いふらしてわたしの評判を落としている迷惑なヤツ。
若干のストーカーどころじゃない。完全なストーカーだ!
待て待て待て。え、なんだ。なんでそんな荒い呼吸をしている?
目が、目付きがおかしい。
どうやって入って来た? いや、網戸が開いているんだから、ベランダから網戸を開けて入ってきたんだろうけど。
わたしが密閉型ヘッドホンして爆音であの花を観ているあいだに、ベランダから網戸を開けて入ってきて部屋に潜んでいたのだろうけれど。
ここ三階だぞ!?
「ユカ!」
市岡がわたしの名前を呼んでいる。
馴れ馴れしく呼ぶな。市岡のくせに、何様のつもりだ。
「え、ちょっと待っ……!!」
市岡がわたしのはいていたストレッチのスキニーデニムに手をかけて、一気に引っ張る。スポーンと脱げてしまう。
ええ……? ズボンってこんなに簡単に脱げちゃうものなの?
え? ていうか待て! 待て待て! いきなり部屋に侵入してきて押し倒してスポーンとズボンを脱がして、お前は一体なにをするつもりだ!!!
「待って!ちょっと待ってってば!!!」
わたしが手と足をめちゃくちゃに動かして抵抗すると、市岡がバンと平手打ちをしてきた。
キーンと耳鳴りがする。
頭はただ衝撃を認識しているだけで、もう痛いとかそういうのもよく分からない。
音が遠のく。
市岡がなにかを言っている。たぶん、なにかわたしを非難する言葉を並べ立てている。
でも聞こえない。意味が拾えない。
錯乱している。
市岡が? それともわたしが?
声が出ない。
ガチャガチャと音がする。
市岡が片手でわたしの顎を締めあげながら、もう片方の手でベルトを外そうとガチャガチャやっている。
片手だと上手く外せなくてガチャガチャとやっている。
わたしは一度、頭を思いっきり振って、顎を押さえている市岡の手を振りほどいて。
大きく息を吸う。
叫ぶ。
「アッコ!助けて!」
わたしがそう叫ぶと、わたしに馬乗りになっていた市岡は手をグーにして振りかぶって。
殴られるっ!
そう思ったわたしは反射的に目を閉じそうになって。
でも、目を閉じたら、入って来る情報をシャットアウトしてしまったら、チャンスを見逃してしまうぞ!って頭の中で誰かが叫んでいたから。
ギリギリ薄目を開けて、市岡を見る。
振り上げられた拳。
振り下ろされる。
わたしの顔面を狙って振り下ろされたであろうソレは、一瞬後には謎のツイストをして市岡自身の顔面にブチ込まれていた。
「は!?」
市岡が後ろ向きに倒れて、わたしはその隙に市岡の身体をスリ抜けて立ち上がる。ズボンを脱がされてパンツ一丁のまま、窓のほうまで逃げる。
倒れた市岡は、さらに自分で自分の顔面を二度三度と殴りつけて、とうとう意識を失ったのか動かなくなった。
「……アッコ……?」
アッコだ。
アッコが助けてくれたんだ。
アッコが市岡に憑りつくかなにかして、市岡の身体を動かして市岡を殴ったんだ。
わたしはそう思い至って、アッコにお礼を言わないとって考えているのだけれど。
肝心のアッコの姿は見えない。
「一時的にノびているだけよ。また目を覚ましたらヤバいわ。荷造り用のビニールテープがあるでしょ。それでコイツを後ろ手にしてグルグル巻きにして。足首も」
姿は見えないまま、アッコの声だけが聞こえる。すごく弱々しいし、呼吸も浅くて速い。全力疾走をした後みたい。
「ちょっと、アッコは大丈夫なの?」
「いいから、今は急いで」
わたしはアッコに言われた通りに、キッチンの戸棚からビニールテープをとってきて、市岡の手首と足首をグルグル巻きにする。ついでにその他の部分もビニールテープがなくなるまでありったけグルグル巻きにして、ついでだからガムテープとかセロテープとか、とにかく部屋にあったありったけの粘着テープで市岡を巻く。
携帯から110番をダイヤルして、警察に連絡をする。
はい、事件ですかー事故ですかー。
どう説明したものか分からなかったので、とりあえず元カレが窓から侵入してきて襲われそうになったけど、なんとかやっつけたので早く来てほしい、とだけ伝える。
住所を伝えて、すぐに向かわせますという話だったので、ひとまずは安心する。
落ち着いて、呼吸を整えて、部屋をぐるりと見まわしてみる。
「アッコ!」
よく見たら、いつものダイニングテーブルの指定席に、うっすらとアッコの姿が見えている。本当に薄い。今にも消えてしまいそうに。
わたしはどうしたらいいのか分からなくて、とりあえずダッシュでお供えしてある水を新しいのに取り替えて、一心不乱に拝んでみたりする。
アッコが消えちゃいそう。アッコが消えちゃう。
「あんなに……人間ひとりブッ飛ばすほどの霊力を使っちゃったから……」
グラスをちょっと動かして乾杯したり、興奮して部屋の食器をガタガタ揺らすぐらいのことでも、リサは一晩で消えてしまったのに。
わたしのせいだ。わたしのせいだ。わたしを助けるためにアッコが霊力を使い切ってしまったからだ。わたしが助けてって言ったから。わたしのせいでアッコが消えちゃう。
「……アンタは本当に優しい子ね……」
薄い薄いアッコの影が、フッと笑う。
「気にしないで。これはアタシのミス。それぞれは個別の事例なのに、ちゃんと考慮せずに適当な一般論でアンタに間違えた道を選ばせてしまった。ギリギリだったけど、アンタを守れて良かったわ。死んでまで、死んでも償えない過ちを犯してしまうところだった……」
ちょっと、わたしアッコがなに言ってるのか、全然分かんないよ。全然分かんない。
「世の中にはね、行き会ってしまった時点でダメージは避けられない、災厄としか言いようのないような最悪の人間というのが存在するのよ。最初から関わらないのが一番だけど、こういう、どんどんエスカレートする怪物と関わり合いになってしまった場合、無視を貫くのはむしろ最悪の選択肢になってしまう……」
品格とか評判とかそんなものは省みずに、最初から全力で徹底的に抗戦するしかない。そういう相手も存在するのよ。と、アッコは言う。
「分かんないよ! アッコが消えちゃう……消えないでよぉ……!」
ついさっきも、あの花の最終回を観て散々泣いたばっかりだっていうのに。
わたしはまた、ビャービャーと滝のように涙を流して泣いている。鼻水もドボドボ出る。
どこにそんなに水分を隠しているんだっていうぐらい、わたしの身体から水分が流れ出ていく。
「仕方ないわよ。なんの都合か、随分とここで長居をさせられちゃったけれど、そろそろいい加減にアタシの順番も回って来たってことなんでしょう。アンタのせいじゃない。ただ、物事が本来あるべきように、あるべき形に戻るだけ」
なにも悲しいことじゃないわ。どっちみち、アタシはもう、とっくの昔に死んでいるんだから。
アッコはそう言うけれど、わたしは何かが違う、何かがおかしいと思っている。
だって、アッコはものすごく、苦しそうだ。
浅くて速い呼吸を繰り返している。もう死んでいるはずなのに、今にも死んでしまいそうだ。
リサが成仏していった時は、もっと静かに、穏やかな顔で消えて行ったのに。
「そうね……たしかに、なんだか息苦しいし、寒いし冷たいけれど……でも、なにも怖くなんかないの。なんだか懐かしい感じ。呼ぶ声がするのよ。誰かがアタシを呼ぶ声……そちらに行こうとすると、急に身体が重くなって、息苦しくなって、身体が冷えてきてしまうのだけれど……」
「ねえ、それってやっぱり、なにかがおかしくない? 行っちゃダメだよアッコ! 分からないけど、そっちに行っちゃダメな気がするよ! これから天国に昇るのに、そんなに苦しいなんて、やっぱりなにかがおかしいよ!」
ネロだって、パトラッシュだって、最期に天に召される時は、もっと穏やかで幸福そうな感じだったじゃん。
アッコ、なんか、死にそうじゃん。
「さすがにそろそろ……お迎えの時間みたいね……」
「えっ……ちょっと待ってってば! ねえ、アッコ!?」
違う。
やっぱりなにかが違う。
アッコはもうほとんど、消えてなくなってしまいそうになっているけれど、光ってない。
リサが成仏した時みたいに、光の粒子になって天に昇っていくんじゃなくて。
すごく苦しそうで、ただ消えていく。
「今生の最期に、アンタに会えたこと、本当に良かったと思っているわ」
もう、アッコの姿は見えなくて、ただ声だけが聞こえる。
もしかしたら、これももう、ただわたしが頭の中で作り上げているだけの妄想なのかもしれない。幻聴なのかもしれない。
「アッコ……行かないで……行かないでよ……」
大丈夫。アンタは本当に強くて、真っ直ぐで、最高にいい女よ。アタシが居なくなっても、ちゃんと真っ直ぐに、間違わずに生きていけるわ。
オカマの女への評価は辛いのよ。オカマの言葉を信じなさい。
そんな言葉が聞こえたような気がしたけれど。
警察が部屋のインターホンを鳴らすころには、部屋にはもうビニールテープでグルグル巻きにされた市岡以外には、誰も居なかった。
もう二度と、金縛りにあうこともなかった。
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