最終話 タイムパラドックスーだね

「それで、それで?」


 唯衣ゆいが目を大きく見開いて、頬を紅潮させていた。

 そうだった。

 こういう話は彼女の大好物だ。

 七年の付き合いでよくわかっている。


「つまり、こういうことさ」


 ベランダに差し込む秋の日差しが、眩しい陽だまりを作っている。

 それを眺めながら俺は優しい気持ちで話を続けた。



  ***



 あなたのことなら何でも知っているので、すぐには信じてもらえないことはわかっています……が、まぁ聞いてください――。

 そうつぶやく宝石男は俺そっくりの大ケガ男を心配しすぎて、心が麻痺してしまっているかのように静かな口調だった。


「俺は俺の時間で六時間ほど前、ある女性と待ち合わせをした喫茶店で時間を潰していました」


 ……何の話だ?

 とは思ったが、とりあえず黙っていた。


「彼女は約束の時間に一時間遅れて姿を見せました。そして開口一番、こう言ったんです」


 その時は今みたいな宝石だらけの格好ではなく、普通の服装だったという宝石男の話は、こうだった――。




「遅れてごめんなさい、東條先輩」

「いや、いいって。俺もかなり遅れてさ。さっき着いたところだから」


 冷え切ったコーヒーのカップをテーブルに置きながら、慣れない嘘をついて笑顔を見せる男に、女はさらに謝った。


「ごめんなさいっ。私、先輩とはお付き合いできなくなりましたっ」

「……え」


 真っ青になる男。

 いろいろな考えが頭を一気に駆け巡り、言葉が出てこない。

 別の誰かと付き合うことになったのか――それが考えうる最悪の事態だった。

 だが彼女の次の言葉は、男が想像できるはずもない内容だった。


「今さっきそこで、“未来人”に会っちゃったんです! それで私、一時間近く話しこんじゃったんですけど……。彼にスカウトされて、タイムパトロールになることを決めました!」

「…………」


 ぽかんと口をあける男。

 これは彼女流の、待ち合わせに遅れた場を和ませる冗談なのだろうか?

 付き合えないというのは冗談だったのだろうか?


「そ、そっか。じゃあ、俺もタイムパトロールになっちゃおうかなー。そうすれば朝野さんと……」

「先輩ならそう言ってくれると思っていました!」


 両手を握り全身で喜びを表現する彼女。

 その後「ただ――」と申し訳なさそうに話を続けた。


「今回タイムパトロールになれるのは一人だけみたいで……先輩はタイムパトロールの“助手”という形になっちゃうみたいなんですけど……」

「いいよ、いいよ、朝野さんと一緒にいられるなら」


 冗談にしては話が長いな……と思いつつ、男は安心していた。

 初デートでいきなりフラれたわけではなさそうだったからだ。


「何か注文するよ。コーヒーでいいかな? それとも……」

「先輩にもう一つお願いがあります」


 彼女の瞳は真剣だ。

 その頃になってようやく男は、これは冗談ではないのかもしれないと思い始めた。


「タイムパトロールには男の人しかなれないらしくて。未来人の彼が言うには、男の人の身体をもらえばタイムパトロールになれるってことなんです」

「え」


 なんだかややこしい話になってきた。

 ただこの話が場を和ませるための冗談というわけではないことは確かなようだった。


「先輩の身体からだを私にください。タイムパトロールの助手も男の人しかなれないそうなので、先輩は未来人の彼の身体をもらってください。彼には私の身体をあげます」

「ちょっ……待て待て、待って。それなら俺は今のままで、朝野さんとその彼が身体を交換すれば……いや、それはもっと嫌だな」


 好きな女が知らない男の身体になるのを想像して男は顔をしかめた。


「タイムパトロールの人が定期的に交代するのは、その正体がバレにくいようにするためなんだそうです。だから私が彼の身体をもらうわけにはいかなくて……。彼も元は女だったそうで、できれば女の身体に戻りたいって言うので、私の身体をあげる約束をしちゃったんです」

「……その非常識な決断の速さは、さすが朝野さんと言うか……」


 自分だったらそんな約束は絶対にできないだろうなと男は思った。



 その後、男は彼女と一緒に未来人に会い、タイムパトロールの助手になったという。

 三人は未来の道具を使い、その場で身体を交換した。

 男はめでたく未来人の姿――宝石男になったというわけだ。




 俺は言葉を失っていた口を、ゆっくりと開いた。


「じゃあ今、手術を受けている俺そっくりの男は……朝野……朝野唯衣ゆいなのか?」


 宝石男が無言のまま頷いた。


「おまえは……その宝石だらけの格好をしたおまえは……未来人の姿になった東條春彦……“俺”だって言うのか?」


 宝石男が再び頷いた。

 俺は浮かせていた腰を長椅子の上に戻し、それから背中を壁にあずけた。


「……なんて未来だ」


 とりあえず手術の結果が心配だった。

 俺そっくりの大ケガ男の中身が彼女だという事実は、どうにも実感がわかなかったが。


(俺のことは何でも知っている……って、そりゃそうだよな、俺なんだから)


 その時、手術室の扉が開き医師が出てきた。

 宝石男と俺は立ち上がってその医師を捕まえる。

 まだ止血しただけだが内臓は傷ついていないので助かるだろうとの言葉。

 俺と、少し未来の俺は、二人で安堵の息をもらした――。



 病院の廊下に掛かった時計を見ると、待ち合わせ時間を三十分ほど過ぎたところだった。

 彼女が喫茶店に顔を出すのは今から三十分後ということになる。


「俺、待ち合わせの喫茶店に行きます。今聞いた話を聞かされると思うと、少し憂鬱ですけど」

「いろいろ、ありがとうございました。……なんだか変な感じですね」


 宝石男が頭を下げた。

 本当に変な感じだ。




 待ち合わせの喫茶店に、彼女が顔を見せた。


「遅れてごめんなさい、東條先輩」

「いや、いいって。俺もかなり遅れてさ。さっき着いたところだから」


 嘘ではなく本当のことだった。

 そして覚悟を決めて次の言葉を待つ。


「先輩、ひどいです! デートの日にケータイの電源を切ってるなんてっ」

「え?」


 俺はケータイの入っている胸ポケットに手を当てた。

 そうだった。

 救急車を降りて病院に入ったら、医療機器に影響があるからとかなんとか書かれた張り紙を見て、ケータイの電源を切ったままだったのだ。


「私、勇気を出して先輩の家に電話したんですよ。そしたら先輩のお母さんと話がはずんじゃって。気がついたら一時間近く話しこんでいて。それで……遅れちゃいました」

「…………」


 俺は聞いた。


「未来人に会わなかった?」

「……何の話ですか?」


 ――脱力した。


 つまり、こうだ。

 俺は少し未来の俺に会ったせいで、本来なら切るはずがないケータイの電源を切っていた。

 俺とケータイで話してすぐに家を出るはずだった彼女は、俺の母親と長電話をすることになり家を出る時間が遅れた。

 その結果、彼女が未来人と出会うことはなかった――。



  ***



 二十六歳になった唯衣が俺の顔を見つめていた。


「……タイムパラドックスーだね」

「何が?」


 得意げな顔で説明する唯衣。


「春くんが宝石男の春くんと会ったせいで、実際には宝石男になることがなくなったわけでしょ。でも春くんが宝石男にならなかったら、そもそも宝石男の春くんに会うこともなかったわけで――矛盾してる」


 ああ、と俺は答えた。


「あれだろ。前に唯衣が言っていた、時間を超えた時点で別の世界――パラレルワールドが生まれるっていう……」

「そうだけど……そうだとしたら、タイムパトロールなんて意味があるのかなーと思って」


 それはそうだな、と俺は思った。

 そもそも過去の人間を調達する時点で、その後の未来が変わるということだ。

 タイムパトロールの仕事が歴史を変えるような事件の阻止だとしたら、彼らの存在自体が矛盾している。


「……タイムパトロールって、ちょっと違うのかも」


 唯衣が思いついたように言った。


「歴史を変えないようにしているんじゃなくて。むしろたくさんの歴史、たくさんのパラレルワールドを作って、いろいろな可能性を試している人たちなんじゃないかな」

「……ふーん」


 今さら知りようがないことだった。

 そして俺には、今日になって唯衣の前に現れた宝石男――別世界で別の運命を生きるもう一人の俺――の気持ちがよくわかる。


(……見たかったんだろうな。タイムパトロールになることなく、平凡な人生を送る俺たちを。俺と結婚した唯衣を……)


 俺は少し考えてからこう言った。


「間違いなく、これだけは言えるね」

「何?」


 近くにある唯衣の顔を見つめる。


「数あるパラレルワールドの中で、この世界の俺たちが一番幸せな日々を送っているってこと」


 赤くなる唯衣の顔。

 それが俺と唯衣が幸せである確かな証拠だった。




 ~ 時を駆けなかった娘・完 ~



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時を駆けなかった娘 笹谷周平 @sasaya

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