第二話 タイムパトロールの助手です
救急車はすぐに病院に到着した。
運良く最寄りの救急病院が受け入れてくれたのだ。
公園で倒れていた男はすぐに奥へ運ばれていき、宝石男と俺は急患用の受付に向かうように言われた。
俺には宝石男に聞きたいことがたくさんあったが、深刻な救急患者を前に聞ける雰囲気ではなかった。
それ以上に、思いつめた表情の宝石男に話し掛けることはためらわれた。
だが今は長椅子に腰掛け、受付から呼ばれるのを待っている状態だ。
落ち着きを取り戻しつつあった俺は、同じく少し落ち着いた様子の宝石男に話し掛けた。
「自販機で何か飲み物を買ってきますよ。何がいいです?」
「あ、すみません。俺はいいです。それより、言いにくいことなんですが……」
大きな赤い宝石が散りばめられた銀のとんがり帽子が、今は彼のヒザの上に載せられている。
柔らかそうに軽くカールした茶色い前髪の下で、彼の黒い瞳が力なく動いていた。
「その、保険証を貸してくれませんか? 病院の手続きがスムーズに行くと思いますし……ええと、今日、持ち合わせがなくても、なんとかなると思うんです」
彼の言葉は再び俺の警戒心を刺激した。
今までに保険証を他人に貸したことなどない。
身分証明書にもなるそれは、悪用されればひどい目に遭うに違いないのだ。
明日からいきなり多額の借金を抱える身にでもなったら目も当てられない。
「な……なんで、俺の保険証なんですか? そもそも今は持っていませんよ。彼自身の保険証でなければ、意味が……」
俺はハッとした。
救急車で運んだ男は俺にそっくりだった。
それどころか髪型も、着ている服さえも今日の俺と同じだ。
「俺じゃなきゃ駄目って言ってたのは、はじめから俺の保険証をアテにしていたんですね。いったい彼は、誰なんです? どうして俺とそっくりの……」
その時、受付から呼ぶ声が聞こえた。
宝石男が立ち上がり、きっぱりと言った。
「あなたが他のカード類と一緒に、保険証を普段から持ち歩いていることは知っています。俺はあなたのことなら何でも知っている。だますつもりなら、もっと上手くやっています。事情は後で必ず話しますから、お願いします」
「…………」
何もかもが気に入らなかった。
得体が知れないくせに馴れ馴れしいこの男も、俺そっくりのケガ人の存在も、今病院にいることも。
今日、俺は、とても大切な用事で家を出てきたのだ。
たとえ自分のドッペルゲンガーが現れようとも、無視していいくらい重要な用件だ。
――唐突に、男が言った。
「
「な……」
「保険証を貸してください」
宝石男は俺から保険証を受け取ると受付に向かった。
三メートルほど離れたところにある受付のカウンターに、彼の後ろ姿が見える。
どういうことなんだ……?
俺はますます混乱していた。
全てが謎だった。
どうして宝石男が彼女のことまで知っているんだ?
彼女は今年二年になったばかりの大学の後輩だ。
天文サークルで知り合ったので趣味の共通性はあったが、性格はまるで違う。
だが天然系で素直な性格の彼女が、俺には新鮮で可愛く感じられた。
彼女もまた、ぶっきらぼうで他の女子からは敬遠されがちな俺を、なぜか慕ってくれていた。
三月の終わりに意を決してデートを申し込み、あっさりOKをもらってから今日まで、俺は嬉しさと緊張の中で過ごしてきたのだ。
まさに当日。
このXデーに。
こんなことに巻き込まれてしまった運命を、俺は呪いたい……。
彼女が一時間遅れてくるって、どうしてそんなことがあの宝石男にわかるっていうんだ?
いや、わかるはずがないが、一時間遅れそうな情報を持っているのかもしれない。
電車事故のニュースでもあったんだろうか?
いやそんなことより、あの俺にそっくりの男は何なんだ?
自分そっくりの男が大ケガをしているというのは、ただケガ人を前にする以上にいい気分ではなかった。
そんな俺そっくりの男を真剣に心配している宝石男。
彼を悪人とは思いたくない自分がいることも確かだ。
いや、それは正確な判断を曇らせるだけのような気もする。
そもそも俺そっくりの男が存在していることが問題じゃないか?
彼は何の目的があって俺と同じ服装までしているんだ?
この状況は俺にとって良いことか悪いことかといえば、何か悪いことが起こっているとしか思えない。
深い傷をおっていることから、何らかのトラブルがあったのは間違いないだろう。
俺の知らない悪だくみがあって、たまたまこういう形で露見したとは考えられないか?
いやいや、ただの大学生の俺にここまで手のこんだ悪だくみって……。
思考はグルグルと回るだけで何の結論も導けなかった。
事情は後で必ず話します――そう言った彼の言葉に期待するしかない。
自販機で一個だけ四角いパックのお茶を買い、カラカラに乾いた喉を潤している時だった。
受付の方から大声が聞こえた。
「助かるんですか!? 助かるんですよね!?」
怒っているのか泣いているのかわからない叫び声の
直後、こちらに早足で戻ってきてこう言った。
「今から手術室前に移動します。手術は長くなるかもしれませんので、あなたは帰っていただいて結構です。ありがとうございました」
丁寧に両手で差し出された自分の保険証を受け取りながら、俺は心を決めた。
「俺も行きますから、そこで全てを話してください。あなたが俺のことを何でも知っているなら、このまま納得して帰るわけがないこともわかりますよね?」
「でも、それでは唯衣さんとの待ち合わせが……」
俺と目が合った彼は、少しばかりの間の後に「わかりました」と答えた。
手術室前の廊下は想像していた以上に静かだった。
もっとあわただしい雰囲気があるのかと思ったが、今のところ出入りする人はなく通りかかる人もいない。
防音性がいいのか中の音も人の話し声も聞こえず静まり返っている。
ただ“手術中”の赤いランプだけが、部屋の中が無人でないことを伝えていた。
もし今回の事件が俺に関わることだけだったなら、俺は気にしながらも病院を後にし、デートの待ち合わせに向かったかもしれない。
少なくともまずは病院の外に出て、ケータイから彼女に電話をかけただろう。
だが今俺のとなりに座っている宝石男は彼女の名前を口にした。
この不思議な男は、ここで別れたら二度と会えないかもしれない。
俺と彼女の何を知っているのか、どうしても聞いておきたかった。
指を組んだ両手を額に当て、祈るようにうつむいたままの宝石男が口を開いた。
「俺はタイムパトロールの助手です。俺の時間で、ほんの六時間ほど前に就任したばかりの新人ですが」
「……え?」
「ケガをした彼は本職のタイムパトロールです。俺と同じく、ほんの六時間ほど前に就任したばかりの新人ですが。これから二人で、未来に新人研修を受けにいくはずだったんですが……タイムマシンがトラブって、あの時刻の公園に放り出されてしまいました。その時の衝撃で彼が大ケガを……」
俺はまず、“タイムパトロール”という突拍子もない話を信じるところから始めなければならないらしかった。
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