韓流スター

吾妻栄子

韓流スター

 空港のロビーに出た瞬間、フラッシュの台風に見舞われる。

 さすがに以前ほどこの嵐にも勢いはなくなったが、僕はまだ、この国では「ジュン様」でいられるみたいだ。

 数歩進んだところで、まるで、銃か剣みたいに幾本ものマイクが一斉に僕を囲む。

「プロデュースした、韓国料理店が、オープンするそうですね」

 この新しい女性通訳はソウル生まれソウル育ちの韓国人のはずなのに、訳した韓国語はいつも日本語風に発音する。

「はい」

 本当は名義貸ししただけだ。

「日本海沖で起きた、韓国旅客船の沈没事件については、どう、思われますか?」

 通訳の女は表情まで日本人を真似るように引きつった曖昧な笑顔を浮かべている。

「僕としても、大変心の痛む事件です」

 これ以外答えようがあるか?

 苦笑いする僕に向かって、まるでライフルのように黒く長いマイクを携えた日本人記者が口を開く。

 次の瞬間、耳に入ってきた名前が僕の中での喧騒を止めた。

朴正炳パク・ジョンビョンさんの、訃報については、どう、思われますか?」

 通訳は、固有名詞だけは生粋の韓国人の発音で呼んだ。

「それじゃ、これから移動しますから!」

 それまで黙していたマネジャーの声が響く。

 五十過ぎの彼にも、この程度の日本語は話せるようになった。


ビョンの事、やっぱり訊かれたね」

 先週までは、僕と同じ「韓流四天王」の一人だった、彼。

 これからはもう、三天王と呼ばれるのだろうか。

 それとも、また別の誰かを入れて新四天王とでもするのかな?

 どっちみち、僕が決めることじゃないが。

「『僕も驚いてます』とだけ答えればいい」

 隣のマネジャーは提案というより指示の口調で答えた。

 一言の失言が一生の失態を招く、というのが、元役者の彼の口癖だ。

「そりゃ、分かってるさ」

 流れていく車窓の風景は、水色の空の下にはためく日の丸を幾つも映し出す。

 この国では、今日が建国記念日だそうだ。

 韓国にも日本の植民地支配から解放された八月十五日の光復節、神話の壇君が朝鮮を建国した十月三日の開天節がある。僕らは真夏と秋で二回祝うけれど、日本人は、いわれは知らないが、わざわざこんな寒い季節に自国の成り立ちを祝うのだ。

――日の丸って、血の跡みたいだ。

 炳の呟きと蒼白い卵形の顔、そしていつも泣き出す寸前のように潤んでいた黒目勝ちの大きな双眸が、ガラス越しの水色の空に重なって蘇る。


 炳を初めて見たのは、正確には実物の朴正炳を初めて目にしたのは、かれこれ十年前、国営放送の演技大賞での席だ。僕は二十五歳で彼は二十二歳だった。

 当時、デビュー三年目の僕は、「注目の新人」ということで彼の名前とメディアでの顔は知っていたものの、一緒に仕事をしたこともなく、会ったこともなかった。

 まず、会場で遠目に眺めた印象は、「女みたいに綺麗な顔した奴」だった。率直に言って、その手の風貌なら他にいないわけでもなし、純粋に容姿だけで言えば、もっと美形と呼ぶに相応しい人間はあの会場にゴロゴロいた。僕だって、その点で彼より劣るとは当時も今も思っていない。

 炳の公称のプロフィールは、身長百七十五センチ、体重六十キロだが、男なら百八十センチ超えが珍しくないこの業界では、むしろ小柄な部類だ。

 だが、近付くに従って、遠目には顔が小さいので長身に見えるものの、実寸としてはど公称よりももう二、三センチは低いのではないかと感じたし、真新しいグレーのスーツに包まれた華奢な体格は明らかに六十キロを割り込んでいた(そういう僕にしたところで、最初のプロダクションに入った時に『身長百七十九センチ、体重七十一キロ』と正直に申告したところ、『三キロは痩せよう』と言われ、五キロほど落としたが、雑誌に載ったプロフィールを確かめると、なぜか『身長百八十一センチ、体重六十九キロ』になっており、今日に至るまでそのままだ)。

 しかし、間近で改めて炳を目にすると、穏やかな顔立ちの中で、大きく円らな目だけが、あたかも涙を溢す直前のように潤んでいる。それは、向き合う側の心を不思議とざわつかせた。

 同性の僕ですらそう感じたのだから、女性はもっと胸を掻き乱されることだろう。事実、あの会場でも、彼の周囲には灯りに群がる蛾のように老若の女性が集まって、それとなく彼の注意を引く素振りをしていた。彼の方では進んで彼女らに話しかけるわけでもなく、ただ静かに立っているだけであったにも関わらず。

張勇俊チャン・ヨンジュンさんですね」

 最初に声を掛けたのは、彼の方だった。

「はい」

 僕の方が年上で、業界でも先輩であるにも関わらず、何故か緊張する。

「『ノルウェイの森』、観ましたよ」

 でかい目をしているくせに、笑うと目がなくなる。

「そうですか」

 返事をしてから、僕は釣り込まれて笑っている自分に気付いた。

 相手のペースにまんまと乗せられた気もしたが、その感じは不思議と不愉快でなかった。

「僕、原作小説のファンなんですけど、主人公のイメージにぴったりだと思いました」

 彼は飽くまで笑顔だ。

「そう?」

 日本の小説が原作らしいが、僕は読んだことがない。ただ、台本を読んで、自分の役に入り込むまでにはかなり苦労した。

 親友と恋人を次々不可解な自殺で失っていくのに、彼らに対し、傍観するしかない主人公。ラストは新たに思いを寄せる女友達に電話をかけるものの、自分の居場所を問われ、「分からない。分からないんだ」と虚ろに繰り返す。

 どこまで小説に沿っているかは知らないが、台本から浮かび上がるのは、無力そのもののような男だ。監督からは、「泣くことも笑うことも全力ではするな」と言われた。

 演じていて、気持ちが出口を塞がれ、心が窒息していくような苦痛を味わったけれど、興行としては結局、不発に終わった。

 僕の芝居がまずかったのか、台本がしくじったのか、そもそもの小説がおかしいのかは知らない。とにかく、韓国では受けない主人公だった。

「あれを観てからは、もう他の役者では考えられない」

 いつの間にかまた潤んだ目に戻った彼は、ちょっと傲慢なくらい確固とした口調でそう言い切った。さりげなさを装って彼の傍に立っていた女性たちも、おや、という顔つきになる。

「そりゃ良かった」

 僕は敢えて何でもない風に笑った。

 表に出すかどうかは別として、自分が自分だからこそ万金の価値があると思わなければ、この業界ではやっていけない。

 だからこそ、苦労が必ずしも報われなかった作品について、自分にしか出来ない役だったと言ってくれる人間が同業にいたのは嬉しかった。

「本当に」

 君が同業でなければ、もっと良かったのに。

 下馬評通り、新人賞を取り、今日まで自分を育ててくれた父と天国にいる母に感謝する、とこんな風に文字にすると実にありふれたスピーチを壇上でする炳を眺めながら、僕が思っていたのはそんなことだ。

 会場の隅にいて、乾いた険しい目つきで見守っていた、角ばった顔をした、いかつい大男の、頭が小さいことと肌が蒼白いこと以外はまるで似つかないプロデューサーが彼の実父だということは、後で知った。


 視界が一気に暗いオレンジ色になって、車がトンネルに入ったと気付く。


 炳と一緒に仕事をしたのはそれから四年後、今からは六年も前だ。僕は二十九歳で、彼は二十六歳になっていた。

 作品の名は「雪のメロディ」。僕演じる男主人公が高校時代にヒロインと出会って恋に落ちるものの、一度、交通事故で彼女の前から姿を消し、十年後に記憶を失った別人として再会してまた恋に落ちるというストーリーだ。炳の役柄はヒロインの幼馴染で、ずっと彼女に片思いして婚約する男。いわば僕の役にとってはライバルに当たる。

 この作品は、タイトルからも明らかなようにその年の秋の終わりから年明けまで、雪景色の中で撮影した。

 わざわざ一番寒い時期に、よりにもよって氷点下がデフォルトの江原道カンウォンドでロケするという、スタッフ全員が凍傷に苦しみながら撮る図が参加する前から予想できる、まるで罰ゲームのような企画だった。

 しかし、仕事が目に見えて減ってきていると感じていた当時の僕には、この主演作を断る選択肢などありえなかった。

 率直に言って、役としては、今まで演じてきた中では、そこまで難易度は高くない。

 事故の後遺症でヒロインとの初恋の記憶を喪失していると言っても、身体的には障害もなく、飽くまで元の人格を保ったまま社会でそれなりに暮らしている実に都合のいい設定だし、純情なヒロインや横恋慕してきた女との関係においても、基本的に主導権は僕の方にある。

 苦悩はあっても、本当の意味で敗北することはない。定型的な不幸に襲われはしても、究極的には幸運な男だ。

 ただ、三十近くもなって高校生の装いをした自分をモニターで眺めるのは我ながらきつかった。大体、僕は本当に高校生だった時でも、大学生と間違われるくらいだったんだから、芝居でカバーしようにも限界がある。

 設定の上では記憶を失った十年後の場面になって、初めて本来の自分に戻った気がしたし、視聴者の目にもそう映ったはずだ。

 一方、炳はというと、あどけない顔立ちのせいもあって、高校時代の場面の彼は、本当に十代の少年に見えた。

 むしろ、十年後の場面になってからの方が、大人であることを強いられているような痛ましさが感じられた。

 しかし、子供の頃からヒロインを想い続けているのにずっと叶わない、ある意味、根っこが少年のまま止まっているキャラクターなので、それはそれで似つかわしかった。

 撮影中に一度、空き時間に炳が大学ノートに何事か熱心に書き付けているので、彼が席を外した時に盗み見たことがある。

 そこに女のように優しい文字で綴られていたのは、役としての彼の日記というか、ヒロインへの出せないラブレターだった。

 本当には自分を受け入れない彼女への恨みにも似た思い、自分から愛する女性を奪っていく存在への暗鬱とした感情、そして台本にはない彼とヒロインの幼い頃からの思い出も一つ一つ噛み締めるように書きつけられていた。

「もし記憶をなくしたのが彼ではなく僕なら、君は憐れんで一緒にいてくれたかな。君との思い出を全てなくしたら、一人でも苦しまずに済むけれど、それはもう僕じゃないんだ」

 そこまで読んだところで、彼の戻ってくる足音が聞こえたので、慌ててノートを閉じた。

 端的に言えば役作りの一環だし、あの時、僕が勝手にノートを見たと話しても、炳は怒らなかったかもしれない。だが、何故か読んだことを決して知らせてはいけない気がした。

 その後も、炳があまり人目に付かない場所を選んで同じノートに書き付けている姿をしばしば目にして、僕が勝手に見たと感づいたのかもしれないと気まずくなった。炳の方からそのことで苦情が来ることはなかったが、僕も続きを見せてくれとは言えなかった。

 近くにいながら手の届かない相手への思いがあのノートの中でどう締めくくられたのかは、結局謎のままだ。


 連続ドラマ「雪のメロディ」は、韓国でも高視聴率をマークしたが、日本でも放送され、記録的なヒットになった。

 韓国ブームこといわゆる「韓流」が日本で始まり、母国で落ち目だった僕は、「ジュン様」として日本で返り咲いた。噂では引退を考えていたという炳も「ビョン様」と呼ばれて持てはやされ、まるで逆輸入のように韓国でもドラマの主演を張るに至った。

 正直、「雪のメロディ」というドラマ自体は、同じ枠で製作されたドラマの中でそこまで突出した出来だったとは思わないし、あの中に出てくるのは、演じる僕らの目にすらこそばゆいほど古風な感覚で行動する主人公たちだった。

 実際、日本で「雪のメロディ」に熱狂したのは中高年女性がメインらしいから、その世代にとっては何らかノスタルジーをそそられる話なんだろうとは思う。

 日本で客演した栄養ドリンクのCMで、僕は青々とした芝生の上に真っ白なワイシャツで寝そべって爽やかに笑った。一方、炳はというと、日本の代表的なヒット曲を韓国語でカバーしたアルバムを出したが、収録された曲の半分近くは、僕らが生まれるより前に流行った歌だそうだ。

 多分、リアルタイムの先鋭的な男主人公なら現地の俳優で供給が間に合っているから、僕らには古き良きメルヘンの恋人役が振り当てられたのだ。

 僕が子供の頃には、日本のオジサンたちが集団で韓国にやってきてチマチョゴリ姿に目張りを入れた女を買う、妓生キーセン観光なんてのが流行った(戦争が終わって解放されたはずなのに、日本人の男に身を売る女性はそんな風に形を変えて残っていたのだ)。

 今は時勢が変わって女が男を買う時代になり、僕や炳はえある男版妓生の筆頭という話なのかもしれない。

 何はともあれ、僕は役者だ。観客の前では求められる役を精一杯演じるのが務めだ。少しでも多くの人にとっておとぎ話の王子様でいられるなら、それはそれで幸福な話でもあるし。


「あの親子もあっけなかったな」

 マネジャーの呟きで僕は現実に引き戻される。

 振り向くと、彼は携帯電話のGPS機能を操作しているところだった。

「この分なら、何とか間に合いそうだよ」

 彼は目を上げると微笑んだ。

 目的地までの時間の話をしている。

「今日は休みだから、いつもより道が混んでるんだな」

 マネジャーは前の方を見やりながら、くたびれた風に伸び上がった。

「前にも言わなかったっけ、私と朴淳恒パク・スンハンがデビューの同期だって」

 マネジャーこと元俳優の崔長鎬チェ・チャンホは前方の車の連なりを見据えたまま、ぽつりと言った。

「同い年くらいとは思ってたけど」

 朴淳恒とは炳の父親の名だが、僕はプロデューサーとしての彼しか知らない。

「いや、年は向こうの方がもうちょい上なんだよ。私は高校出たてで、彼は日本の大学に留学してたとかいう話だったから」

 崔はここ数年でたるみが目立ってきた頬を皮肉な風に緩ませた。

「留学の建前で間諜スパイでもやってたんじゃないかって噂は当時もあったけど」

 間諜カンチョプ、とそこだけ半オクターブ高い声で告げる。

「それはさておき、あの男は背も高いし、若い頃は二枚目で通る顔をしていたから、役者向きではあったのさ」

 崔は今度は妙に事務的な口調になったが、彼がこうした口ぶりをするのは本心では面白くない場合だ。

「ただ、本人は役者じゃなくて歌をやりたかったんだな。ま、悪い声じゃなかったけどね。でも、それがちっとも当たらなかった」

 崔は今度は寂しい笑いになった。

「僕は思い出すんだ 一人ぼっちだったあの夏の夜のことを」

 五十男の枯れた声が韓国語で歌うそのメロディには覚えがあった。

「それ、炳がカバーした日本の歌じゃ……」

 僕の言葉に、崔も目を丸くする。

「これ、日本の曲だったのか」

「日本で昔、流行った曲のはず」

 オリジナルを歌っていた歌手もとうに死んだとどこかで聞いた。

「俺らの頃は、日本の歌も芝居も自由に入ってこなかったからさ」

 崔の笑いがまた皮肉な風に戻る。

「元が日本製だから、あの頃出しても受けなかったんだろうな」

 崔の言う「あの頃」には、僕も辛うじて生まれていたはずだが、日本という単語が絡む話題になると、彼くらいの年配の人とはどうにも隔たりを感じる。

「それで消えたと思ってたら、次に出てきた時にはプロデューサーになってた。裏方で再起したんだから大したもんさ」

 崔は自嘲的に笑うと続けた。

「あの男が表舞台から消えている時期に、一度、明洞ミョンドンで見掛けたことがある」

 崔の肩越しの車窓が急に開けたようにパッと明るくなって、林立する高層ビル群が遠くに見えてきた。

「最初は凄く綺麗な女が歩いててさ、擦れ違う奴が皆振り返るくらいで、俺も一瞬、心当たりは無いけど女優の誰かかと思ったんだ」

 遠目に望む限りは、ソウルと東京は酷く似ている。ピョンヤンに行ったことはないけれど、多分、ソウルとピョンヤンより、ソウルと東京の方がずっと近いと思う。

「で、その横にボディガードみたいなでかい男がいると思ったら、そいつが朴だったのさ」

 だが、近くに寄れば寄るほど、最初の印象がまるで嘘のように、東京とソウルは違いばかりが目立ってくる。

 そもそも、匂いからして全然違う。東京はソウルのようにニンニク臭くはない代わりに、どこを歩いてもアスファルトの匂いが付きまとう。

「後にも先にも、あの男があれほど楽しげに笑う顔を見たことはなかった。役者の頃から気難しい男だったんでな」

 漢字や日本特有の文字を記した標識や看板が次々窓の外を流れていく。

 日本人はなぜ話す時は一本調子なのに、書く段になるとわざわざ暗号のように三種の文字を混ぜ合わせるのだろう。

「あのせがれが出てきた時、一目でピンと来たよ、あの時連れて歩いてた女にそっくりだったから」

 そこで、切り裂くように携帯電話のベルが鳴り響いた。

「はい、崔です。あ、私たち、もうそろそろ着きますよ。そうですね、あと十分くらいで」

 崔はすっかり営業用のにこやかな顔つきに戻って腕時計に目をやっている。

「そちらのセッティングはもうお済みですか。ご苦労様です。で、今日の会見についてなんですけど……」


「そりゃ、僕としても驚いています」

 到着した韓国料理店でも新たに待ち構えていた取材陣を前に、僕は崔から言い含められたマニュアル通りに言葉を並べる。

「彼が自殺するなんて」

 耳の奥で、先週の夜の、ちょうど日付が変わる頃に、枕元で鳴った携帯電話の着信音の響きが蘇る。

 久し振りに回線越しに耳にした炳の声は、底に残る人懐っこい温かさで辛うじて本人と分かる以外は酷く押し殺されていて、まるで患者に余命幾許いくばくもないと宣告する医者の様に重たかった。

――僕のオモニは日本人だ。韓国人と結婚したから、実家から勘当された。

「日本語も熱心に勉強していたのに、信じられません」

――本当は日本語なんてペラペラ話せる。小さい頃、母が教えてくれた。家で二人の時は日本語で話していたし、正直、韓国の歌より、母の聴かせてくれる日本の歌の方が優しく思えて好きだった。日本でも春にはポッコッが咲いてお祭りをするのだと母はよく言っていた。母の名前は、『ユカリ』で、それは韓国語の『因縁(イニョン)』と同じ意味なのだとも。

「日韓の架け橋になりたいといつも言っていました」

――僕が十歳の時、母は首を吊った。日本人の嫁ということで、アボジの親戚や隣近所から毛嫌いされ、父とも不和になったら、もう行き場がなかったのさ。父は『母が日本人とは人前では決して言うな』と。父本人も、先立った妻が日本人だなんて、おくびにも出さなくなった。

「年の瀬にお父さんを亡くしたばかりだったし、生真面目な男だったから、思い詰めてしまったのかもしれません」

――日本にいる本当の祖父母とは会ったこともないよ。デビューしたばかりの頃、僕から一度連絡を取ろうとはしたんだ。父には内緒でね。でも、向こうからは『うちには朝鮮人の孫などいない』と。金の無心とでも思ったらしくて、『お前にびた一文渡す金はない』とも。それっきり、なしのつぶてだ。

――韓国の祖父母は、他の従兄弟いとこたちとはどこか一線を引いた態度でずっと僕に接してきたけれど、日本の祖父母にとって、僕ははなから孫の数にも入れられてなかった。

――結局のところ、僕にとって肉親と呼べるのは、父しか残ってなかったのさ。外ではシャンとしているくせに、家だとマッコリをあおっては母の遺影に向かって『お前のことなんか今日限り忘れてやる』『二度と思い出してなどやらないぞ』と泣き喚いている、あの父が。

――それからは、僕は、ずっと、韓国人として生きてきた。というより、自分の中の日本人の血を忘れようとしてきたんだ。

「前の晩に電話した時は、普段の彼だったんですけどね」

――今頃になって、自分の母親くらいの日本人の前で、片言の日本語で『ビョン様』だの『韓国の貴公子』だのを演じるのは、もう耐えられない。『求められる限り演じ続けろ』『自分の手で掴めるものは全て奪い取れ』と言った父も、もう死んだ。肝硬変で、最後は骨と皮ばかりになってさ、お棺を持ち上げた時、本当に中身が入っているのかと疑ったくらいだった。あんなに苦しんで、悲しんで、やり場のない恨みを引きずりながら、僕をずっと支配してきた人のむくろが、どうしてこんなにも軽いのかと。あの人の息子だからこそ、今まで何とか生きてこられたのに。


 君には君だから万金の価値があると、君は掛け替えのない存在だと、どうして言ってやれなかったんだろう。

 どっさり出された料理の中で、取り敢えず箸に摘まんだキムチを口に入れて噛み砕くと、塩辛い味に目の前が滲んだ。(了)


 *筆者注:韓国では1980年代の半ばまで日本のドラマや映画、歌の放送が法律で強く制限されていました。劇中で五十代の崔が十代のデビュー時を振り返って「日本の歌や芝居は韓国に入ってこなかった」という趣旨を述べているのはこうした事情を背景にしています。

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