第12話 白雪事件 〜8月9日から8月13まで〜
今の私を構築したといっても過言ではないもの。
それはおそらく【白雪事件】での一件です。
託されたものと奪われたものが混一したあの事件。良くも悪くもこれがなければ、私は目指していなかったのですから。
……ノーベル魔術賞を。
8月13日、午後3時。
私は日野家(梨空を含む)とお昼ご飯をファミレスで食べ終え、今は自身の部屋のベッドで一人考え老けている。
そう、日野家の母がいなくなったあの日。
5年前の8月15日に起きた【白雪事件】のことを。
鮮明に。くっきりと。
・・・・・・・・・・・・・白雪事件概要・・・・・・・・・・・・・・
――5年前、8月9日。場所、代々木公園地下研究室。
20畳の空間にLEDライトの豆電球が三つ。立ち込めるのはいつも違う薬品の匂い。ここが私の学び舎。ここが私の一番好きな場所。
「唯花ちゃん。私とした三つ約束を覚えてる?」
穂花師匠はツチノコの魔術実験を成果文として書き記しながら、私にそう唐突に尋ねました。
「覚えていますよ。一つ、師を超える魔法使いになること。二つ、師が言うことをちゃんと聞くこと。三つ、私になにかあったら後を頼んだ、でしょ? 急にどうしたんですか?」
私が照斗君の母である彼女にあったのはもう3年も前のこと。
当時、私は憧れていながらも魔術実験というものに手を出せなかった。途方もない未知が幼い私には怖すぎたのです。だから、私はこの頭を下げ、穂花師匠に『弟子にしてください』と小学二年生ながらも懇願しました。仲がいい照斗君のお母さんなら優しいし、一緒に魔術実験をやっても恐くないだろうという勝手な推測を幼いながらも頭で描いて。
で、今に至るというわけです。
「いやぁ。これから私、ちょっぴり危険なところに足を踏み入れようかと思って。それでもしかしたら、もしかしたことになっちゃうかもだから、ね?」
ジト目を送る私。穂花師匠のちょっぴり危険という表現は、いつも、ちょっぴりという可愛いものではいうもないからです。
「なんですか? そのちょっぴり危険な魔術実験って?」
「不老不死の研究をするには避けては通れない方に会うの」
「誰ですか、それ?」
「禁書【白雪姫】の中にいる【嘆きの魔神】」
……禁書?
「それってなんなんですか?」
「あぁ禁書のこと?」
無言でコクリとうなづく私。
「禁書って災厄を司る魔神が封じ込められた魔導書達のことだよ。一冊で天災に匹敵する業を持ってるんだよ」
……なんかかっこいいです。
「いつやるんですか?」
興味深々に問いかける私に穂花師匠はいたずらに首を横に振ります。
「ダメダメ。ちょっと今回は本当に危ないから」
強い口調で言われたその言葉に助手という立場の私は、
「……わかりました」
背中を引っ張られるような名残り感でそう小さく答えたのでした。
――8月10日。場所、小学校の通学路。
「照斗君は誰か好きな人がいるのですか?」
小学校の帰り道、アスファルトの反射熱にうなだれながら私は横を歩く照斗君に唐突に聞きました。この質問に深い意味はありません。ただ、いつも一緒に帰っているわけだし、そういった秘密の共有もおもしろいと思いまして。個人的に気になりますし。
「……給食で悪いもんでも食べた?」
一瞬、背筋をびくんっとさせると、ちょっぴり照れくさそうに照斗君はぼさっと答えました。
「いやいや、照斗君と一緒ものを食べましたよ。教室の席だって隣同士じゃないですか」
顔を
「じゃあどうしたの急に?」
「いえ、特に深い問題じゃないんですよ。忘れてください」
そう、特に深い問題ではないのです。ただ照斗君はなんかよくわかんないけど女子からモテるらしいので、モテる本人の恋愛事情を把握したかっただけです。でもでもでも強いて言うなら、助手である私が穂花師匠の息子である照斗君の貞操を気にかける使命感? だから特別な好意を抱いている訳でもないのです。照斗君との関係性は友達だと思っていますし、その点においては信頼しています。別にこの場合の友達は社交辞令的な意味ではなくて、嫌ってるというわけでもなくて……まぁちょっと彼のことが気になっているというだけで、だから、その、いつも学校給食で私の苦手な牛乳を飲んでくれるとか、49日前の体育の時間で足を挫いた時に私を背負って家まで届けた優しさとか、私が落ち込んだ時に支えてくれる包容力とか……ちょっぴり大好きなだけなのです。
「えぇー。なんかそれ気持ち悪いね」
「はいはい、気持ち悪いですね」
素っ気なくを心掛けて言葉を返す私。なぜだかよくわかんないですが、恥らうような気持ちがふわっと心を包みこんでいるのです。もしかして自分が唐突にした質問で自分の首をしめているのでしょうか? ないないないないない。私が照斗君に抱いているものなんていうのはちょっぴり大好きってだけ。そんな感情で私が照れるなんてことはないはず。もし私が照れるというならば、それは大好きという感情以外ありえない…はず。ってことはですよ。私は実は照れてなどいないということになります。いや、でもそれだと……。
「……あの、照斗君。穂花師匠から【白雪姫】のこと聞きましたか?」
頭の中がパンクしそうになり、ふと浮かんだこの場の空気を変える話。自分を一旦さっきの幻想から隔離させるための話。唐突に思いついたことを話してしまう悪い癖がでていました。
こっちの気も知らず、照斗君は微かに笑むとコクリと一度頷きます。
「うん、聞いたよ。ノーベル魔術賞をこれで取れるとかはしゃいでたよ。でもそうとう危険らしいね」
「気になりませんか?」
「気にはなるよ。でも母さんが危ないから同行はダメだってさ。唯花ちゃんもそう言われてるでしょ?」
「はい。でもやっぱり気になります」
【白雪姫】その存在が私の好奇心を煽るのは当たり前なのですが、それよりも穂花師匠の弟子としてノーベル魔術賞に手が届く瞬間をばっちりとこの目に焼き付けたいのです。そしてあわよくばその瞬間を、その僥倖を、共有しあい、弟子として私の師匠はやっぱりすごいんだと尊敬の念を伝えたいのです。
「まぁ気にはなるけどさぁ。一緒に来るなって言われてるわけじゃん? どうしようもないよ」
なよった彼の声を聞き、私はそっと囁きます。
「……でも私と照斗君なら潜入できるかもしれないですよ?」
「……潜入?」
「そうです。照斗君が得意な洗脳魔法を駆使すればいけると思います」
「そんなことしたら僕に洗脳魔法を教えたご本人にめっちゃ怒られるよ!」
照斗君に洗脳魔法を教えたのは穂花師匠。自身が教えた魔法を実の息子が悪用する。いくらおおらかな穂花師匠でも流石に怒ることでしょう。そして私にいたっては三つの約束の一つ『師がいうことをちゃんと聞くこと』を破ることになり、二人合わせて鬼の怒声を聞くことになるでしょう。
……だけど、それでも。
「二人で怒られるならいいじゃないですか?」
「二人で?」
「そうです。二人で怒られるなら恐さ半減ですよ。一緒に堂々とお怒りを受けいれようじゃないですか」
照斗君は一瞬、顔をしかめます。ですが二つ返事で折れたように、
「はいはい、わかったよ。一緒に怒られにいこうか。どうせ無理にでも僕を説得させる口でしょ?」
そう、緩くほがらかに答えを聞かせてくれたのでした。
――8月11日。場所、代々木公園地下研究所。
「穂花師匠、【白雪姫】の魔術実験はどこでやられるんですか?」
河童の皿についての魔術実験を成果文として書き記す姿を横目に、私はそっと当たり障りがないように言いました。
ですが、案の定。
「なんでそんなこと聞くのかな? まさかこっそり見に来ようなんて考えてないよね?」
私の行動を縛るように、牽制という名の圧を込めた冷ややかな声が返ってくるのでした。
「いえ、そんなことはないですよ。ほんとに」
眉を細め、穂花師匠の神妙な目立ちがいっそ際立ちます。
「じゃあ洗脳魔法を使って、唯花ちゃんの考えを洗いざらい見せてもらおうかな? それでやましいことがなければ教えてもよいよ。私だって、弟子の知りたいことには答えていきたいと思っているんだよ」
鬼みたいな答えですね。とにかく洗脳魔法をかけられるわけにはいきません。こちらの考えが丸裸になれば、穂花師匠はもう場所がどこかなんて教えてくれるわけがないのです。それにいたずら好きの彼女のことです。その他の情報を私の中から聞い出すなんてのも考えられます。例えば、その、誰が好きとか……別にそんな人私にはいませんが。なんとなく嫌。
「それは無理ですよ。だっていろいろ知られたくない情報だってあるんですよ。私だって一応、女の子なんですからね」
勢いよく言い放たれた言葉に、虚をつかれたように二秒ほど黙り込む穂花師匠。――そうか、こいつ女の子だったみたいな顔をできればやめていただきたい所存でございます。
「……じゃあ、なんで場所を知りたいの?」
この質問に対し、私は心理でニヤリとほくそ笑んだ。どっかの面接官が聞くような内容は脳内でシミュレーションしまくってきたのです。このぐらいお茶の子さいさいなのです。
「そんなの、今あの場所で師匠が世紀の実験をしていると思いたいからに決まっているからじゃないですか。私は穂花師匠の弟子なんですよ。その私が師匠のことを思うなんてのは必然じゃないですか?」
さぁ私の渾身の一撃です。顔がドヤってしまうのを抑え、真摯という二文字を頭の中で思い描きまくり、念密にシミュレーションしたこの言葉に死角は皆無です。とっとと、弟子にめっちゃ信頼されているという幸福感と、素直な気持ちを前にした時のような嬉し恥ずかしの雰囲気に呑まれやがってその頬をほんのりと赤くさせやがるがいいです。
「なんていい子に育ったんだよ。今、好きすぎて一瞬食べようかと思ったよ」
返ってきたそれは私が望んだものでした。ですが、言い方のニュアンスが想像を大いにかけ離れていました。頬をほんのり赤く染める? そんなこと全くないじゃないですか。なんですか、これ。まるで保母さんが幼児をあやすみたいなこの言い方。
ってどさくさに紛れて頭を優しく撫でるなぁ! 「いい子、いい子」とか言うなぁ。
「……穂花師匠。もう私は小学二年生なんですよ? 幼稚園児をなだめるような感じの行動は……抵抗がありますよ」
私が弱々しく答えると、彼女は満面な笑みを浮かべ、さらに頭を撫でる手の振りを強めます。髪をわしゃわしゃします。
「可愛い弟子が可愛いこと言ったんだから、頭を撫でるのは師匠の務めなんだよ。逆に悪いことをしたらビンタをするのも師匠の務めってわけ。いつまでたっても自分の大切なものってのは可愛いもんなんだって」
「……いつまでたっても?」
「そう。いつまでたっても。約束通り私を越える魔法使いになっても」
頬がちょっぴり熱いです。私も大人になったら穂花師匠のように照れもせず可愛いといえるのでしょうか?
「……でも、大きくなったら可愛くなくなっちゃうかもしれませんよ?」
揚げ足を取るように小さく囁く、ビビリな私。
「大丈夫。愛してるから」
平然としている我が師匠。平常運転。
「……………」
口ごもる私。
噴出すように笑う穂花師匠。
「いじわるしすぎたな。今日はもうお開きにしよう」
便箋びっちりと書かれた河童の皿の成果文を30枚ほど集め、噴き出し笑いを、軽い微笑みに変え、
「私がノーベル魔術賞を取りに行くのは4日後、8月15日の夜の7時。場所は魔術学会の計らいで『魔天堂』ってことになった。応援よろしく」
穂花師匠は腰掛けていた木椅子から立ち上がります。
「応援しますから自慢させてくださいね」
私は隣で座ったまま上体を捻り、立ち去り際の彼女の横顔を見ます。それは小学二年生の私から見ても好奇心旺盛な子供のような感じでした。
――8月13日、場所、小学校の教室。
「名探偵のように鮮やかではなかったですが、穂花師匠から場所と時間を聞き出すことに成功しました」
「さすが、唯花ちゃん。僕も昨日、洗脳魔法を母さんかけて聞き出そうとしたけど逆に洗脳魔法かけられて返り討ちだったよ」
早朝7時ちょうど。クラスの端、清掃用具入れ近くで照斗君と立ち話。クラス内には私達の他に三人ほどしかいません。
朝の学活の時間より30分早く来たのは、昨日、学校から家に帰る途中で「明日の朝、早く学校いて作戦を練りましょう」と私が言ったからです。
「えっ、洗脳魔法かけられてる時に洗い皿、このこと話してないですよね?」
「ないない。話してたら唯花ちゃんのところに何かしらおぞましいことが起きてるはず」
……おぞましいって。確かに怒るとバイオレンスですけど。
「確かにそうですね。で、場所と時間の話なんだけど、魔術学会の計らいで魔天堂で8月15日の夜7時に予定してるらしいです」
「すごいね、魔術学会の総本山じゃん。やっぱりそれだけ【白雪姫】っていう禁書の実験に価値があるってことか」
改めて感心するような照斗君の声色。それを聞き、やっぱり私の師匠はすごい人なんだなとしみじみ思いました。
「まぁ、ノーベル魔術賞を取れるほどの魔術実験ですからね。すごい価値があるに決まってます」
一呼吸。わずかに話の間を空け私は続きを口に出します。
「そろそろ本題に入りましょう。どうやって実験当日に魔天堂に忍び込み、穂花師匠の魔術成果を見届けるか……照斗君的には作戦ないですか?」
魔天堂は西新宿にある14階建ての巨大なビルで、全体を黒のソーラーパネルで覆った外壁は魔術学会の総本山としての風格をこれでもかと押し出しています。私は穂花師匠と一度だけ魔天堂に入った思い出がありますが、一階の魔術グッズ広場さえ全て一日で周りきれませんでした。
穂花師匠の魔術研究が行われるのはおそらく三階にある『魔刻龍の間』、世界最高峰の物理耐性と言われる魔刻龍の鱗で部屋全体の壁を覆ったあの空間が、天災に匹敵する禁書という類の書物に似合いすぎているからです。
「まぁそれについてはよく考えたんだけど、僕が使う洗脳魔法がよく考えたら、全く当てにならないと思うんだ」
躊躇いの影をほのかに表情に乗せ、それを言う照斗君の顔は曇った空みたい。私にとって彼の存在は今、必要不可欠です。それは照斗君に能力があって使えるとかそういうのも……もちろんありますが、それ以上に私は今、目の前にいるこの男子と一緒に穂花師匠の二度とない一瞬を目に焼き付けたいのです。
そう、友達だから!
「いえ、そんなことはないと思いますよ。魔天堂の三階にある『魔刻龍の間』そこでおそらく穂花師匠は『白雪姫』の魔術実験を始めます。その際に必ず扉間前とかに警備を付けると思うのです。それを照斗君の洗脳魔法で……」
言いながら口ごもる私。
照斗君はやっと気付いたかと言わんばかりに、苦笑いを露呈しました。
「そう、扉前に付けられた警備が果たして、すんなり洗脳魔法にかかってくれるかな?」
再度こちらに確認させるように放たれた疑問詞が痛いほど正確で耳が痛いです。
ノーベル魔術賞を取るかもしれない実験を護衛する警備員が魔法になんの耐性もないような人間なわけない。むしろ魔法に対する知識も耐性も戦闘力も私達とより桁違いに高いはずです。言うなれば、さっきまで私が結構しようと頭の中で考えていた、洗脳魔法大作戦、は真剣を持った無知なるサムライが、機動◯士ガン◯ムに殴り掛かりにいくようなものなのでした。
ちょっと考えればというレベルではなく、普通の状態なら反射的に気がつくことが抜けていた私。これは浮かれいる心を落ちつかせ、気を引き締めていかないと変なところで足元を掬われかねないです。
「……どうしよう? ここに来て一番の頼りが最悪の一手なんてカオスなのです」
「大丈夫? 加湿清浄機が一時間空焚きになってた時と同じ感じのか細すぎる声だったけど。精神崩壊もん?」
「いえ、精神崩壊はしませんけど」
かなりショックなのは間違いないですけど。
「でも、他に一つだけ作戦があるよ」
あまり自信なさ気に照斗くんに飛び乗るように反応する私。彼に顔を近づけすぎ、「落ち着いて」と去なされ、「どんな作戦ですか?」と冷静に聞き直す。
「それは正面突破だよ! もう堂々と自分たちの立場を利用して侵入するんだよ。で、あとは唯花ちゃんとたぶん同じ考えで『魔刻龍の間』に入ったら、実験の際に携わる助手やら、了承を得て見物に来ている魔法使いの人混みに紛れ込むって感じ」
この作戦に点数を付けるならば50点でしょう。私から見て半分ぐらいの成功率ということです。
穂花師匠との関係を証明するものは二人ともあるけれど、それだけじゃ『魔刻龍の間』に入れてもらえないかもしれないという疑心暗鬼でまず30点の減点。中に入れたとしてそこで穂花師匠に見つかり締め出しをくらうかもしれないってことでさらに20点の減点です。これで50点、つまり半信半疑ってところです。
「それ、うまくいきますかね?」
照斗君は少々渋い顔をします。
「まぁでも、この方法以外はもうないと思うよ」
確かに。これしかもう私達が『魔刻龍の間』に侵入方法はないでしょう。そう断言できるほどこの作戦しかないと思います。不安要素はかなりありますが。
「じゃあその方法でお願いします」
「わかった。まぁなんとかなるよ」
こちらの心境をあやすような軽めな声音。うなづく私。
かくして、なんとかなるさ正面突破大作戦(私命名)がなにはともあれ考案されたのでした。
――8月14日、場所、自室のベッド。
《つづく》
ノーベル魔術賞を狙ってます? もちもちおもち @motimotimotitmotiomoti
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