第五章 二人の絆(きずな)

 いつの間にか、エレナは壁にもたれかかり、うとうと眠り込んでいた。

吹き抜ける風のように、レイフ達が大広間を全力疾走していくのに気づかず、眠り続けていた。

頼まれていたメイドが、後ろになびく髪を軽く押さえて、エレナを起こす。

「エレナ様?

旦那様ならつい先程、魔道研究所へ走り去っていきましたよ?」

優しく声かけられ、はっと顔をあげる。

御礼を伝え、椅子から立ち上がる。隣で静かに寝息を立てているサラを起こす。

アーシュ達のいる研究所に向かって歩き始めた。

「すげえぞ、レイフ。こんなに集まった!」

研究所では、髪にくしを入れ小奇麗にしたアーシュが先に戻っていた。

懐っこい笑顔を浮かべ、成果である竹籠を両手で掲げて見せびらかす。

中には様々な女性下着が、今にもはみ出さんばかりに積まれていた。

レイフは拝借したエレナのブラジャーを下着の山の真ん中にまぎれ込ませ、感想を述べる。

「確かに大漁だね。片手の人数程度が応じてくれれば、上々って考えていたのに……

お前、一体どんな説得。もとい攻撃魔術で脅迫したんだ?」

メイドから相談を持ちかけられた際にアーシュは真剣に取り合っていなかった。故にレイフは惨敗な成果を予想していたのだった。

どうせ、石版片手に殴り込み行ったんだろう――

疑惑の視線で問いかけられ、アーシュが腰に手を当て強く反論する。

「脅迫前提かい!?

酷えな……おとりに使いたいって話したら皆、あっさり喜んで貸してくれたんだぞ?

つーか、この数じゃ羊皮紙に収まりきらねえな。床に魔法陣書き直すか……

ほれ、レイフ持ってろ!」

たまたま近くに立っていた彼に籠を強引に手渡し、自身はさっさと床に魔法陣を描き始めてしまった。

なんで僕が持つんだ?

当惑する主人を見かねたランスが代わりに持つべく、手を差し出す。

その瞬間、こちらに向かって近づいてくる人物を目の端で捉え、顔を強張らせる。

パン!

不味い。ランスが警告するより先に、レイフの頬が平手打たれる軽快な音が廊下に響き渡った。 

「エレナ……」

「貴方じゃないって信じたのよ……?

なのに、ランスを身代わりの犯人に仕立て上げようだなんて、最っ低!

大っ嫌いよ!」

エレナはうっと口を押さえ、大粒の涙を流し、走り去っていく。

「どうした?

エレナの奴、きてたのか?

お前、まさか黙ってブラ持ってきたんじゃねえだろうな?

それは怒って当然だぞ!?」

魔法陣を書くのに夢中になっていたアーシュが見当違いな意見を口にする。

「大嫌い……?」

刺し殺されるよりきつい言葉をぶつけられ、愕然がくぜんした様子でレイフがつぶやき硬直する。

「レイフ様、真っ白になっている場合ではありません!

一刻も早くエレナ様を追いましょう!

今ならまだ間に合います!!」

主人の身体を強くランスが揺さぶり、正気に戻す。

数回、頭を振って籠を床に置く。

フィン、後は頼むと告げ、エレナの後を猛然と追いかけたのだった。


 レイフを探している最中、使われていない客間をエレナは見つけていた。そこならば誰にも見られず、泣きはらせると逃げ込む。

ソファの背もたれに両腕を預け、わんわん泣きはらす。

信じたからこそ、犯人を捜し始めた。

なのに…………まさかあんな裏切りで返されるとは、思いもよらなかった…………

欲求不満から下着泥棒に及んだ。そう信じ込んだエレナがしゃくり上げ、心境を明かす。

「なんで、レイフは平凡な田舎娘に過ぎない私がいいんだろうって、以前から疑問だったのよお~!」

同じ悔しい心情のサラも涙ぐみ、女主人の肩に優しく手を置き、頭から湯気を出し息を巻く。

「私だって、旦那様の奇行は奥様にのみ向ける。

そう信じておりましたからこそ、特に申し上げずおりました。

なのに……あんまりで御座います!

大丈夫です!

今回の件で、旦那様の元を去り、お城を出ましても、私は奥様にどこまでもついて参りますとも!

ええ、ええ。共にどこか余所のお国で、ひっそりと暮らしてゆこうではありませんか!!」

「ありがとう。サラ」

ソファから顔を上げ微笑む。しかし、涙はまだ止まらない。

そこへ慟哭どうこくを聞きつけたレイフが、ふらついた足取りで扉を開け入ってくる。

血の気が失せた顔つきで、ふらふら歩み寄ってくる。

「エレナ、すまない」

「謝らないで!

私、私……」

目に涙をいっぱい浮かべたまま、にらみつける。彼女の傍まで近づいたレイフは膝をつき、今にも消え入りそうな声で心情を吐く。

「うん。僕は今、君にそんな思いをさせてしまった自分が許せない。

だから……愛想を尽かして出て行くというなら、僕に止める権利はない。

でも、その前にお願いだ。どうか、僕をたたき殺してから出て行ってくれ」

そう言い、エレナの膝にむちを置いて観念する。飛躍しすぎる申し出にサラと二人で言葉を失った。

ランスは何も言わないが、本気だから主人を止めてくれと必死の形相を浮かべ、訴えている。

エレナが怒りに震える手で鞭を取ろうと手を伸ばす。だが、結局出来ずに肩の力を抜いた。

「出来ないわよ。貴方を殺すなんて……」

「駄目だ。

君がいない日々なんて考えられない。

きっと出て行く時は、僕はあらゆる手を尽くして君を止める。だから殺してくれ」

短くため息を漏らし、馬鹿ねとあきれる。

レイフは隣に座り、彼女の涙を指で優しく拭い取った。

ランスに手を差し伸べられたサラは、ソファから立ち上がって、そっと静かに部屋を出ていった。

部屋の中には、しばらくの間エレナのすすり泣く声だけが残響した。

泣き疲れた頃、ぽつりと口を開く。

「なんで、あんな事したのよ?

そんなに私、魅力ないなら……」

まず誤解を解く必要がある。

そう思ったレイフは、自分の人差し指を優しく彼女の唇に当てる。言葉を途切れさせ、穏やかな口調で問いかけた。

「ねぇ、エレナ。

君の考えている魅力的な女性像を聞かせて?」

何を言い出すのよ?

口をとがらせるも少し考え、手で形作り正直に答えてみせる。

「えっ? うーん、まず胸が豊かで……」

「そう。僕は胸を強調して、男にびる女性は嫌だ。好みじゃない。

ふくよかな体型になりたいなら、僕が沢山食べさせてあげるよ」

来客用に置いている焼き菓子を一つ手に取り、彼女に食べさせる。小麦粉にバターが合わさったもっちりとしたマドレーヌの食感が喉を通る。

次にエレナは大陸一の美女と褒めそやされている容姿端麗な他国公女を持ち出した。

「背が高くて、細身でね?

アンジェリカ様こそ、私の理想……」

うっとりした様子で答える。

レイフは妖艶な雰囲気の裏に隠された公女の内面を知っていた。勘弁願いたくてやんわりと断る。

「知らない所で意地悪を働く性格だったら、ちょっと違う意味で怖くない?

夜も安心して寝られやしないよ。

それより、君に似合うかかとの高い靴を注文したほうがよっぽどいい」

苛立った時、サラに手を上げ晴らすか質問してみる。

「そんな事する訳ないでしょう!」

頬膨らませ、勢い良く反論する。

また強く自分を出してしまった……

公妃には気の弱い女性が最適だとしょんぼり落ち込む。

「私ってば素直じゃないし、意地っ張りでしょう?

貴方にはもっとこう、大人で甘え上手な女性のほうがいいと思うの」

猫なで声で近づいてくる存在は一番、公妃に相応しくないと手を振り教える。

「あぁ……我欲を満たす為、一方的に言い寄って来る女性か。

そういう連中って目的果たすか、都合が悪くなると真っ先に逃亡するから、性質悪いんだよね。

下の者が動揺、もしくは混乱するから、僕の中ではこの人種は近寄り次第、敵認定で追い払ってる。

でも、君の頼みなら、なーんでもかなえてあげるから遠慮せず、ねだってね?」

ただし別居以外と慌てて一言、付け加える。

ことごとく意見が却下され、段々腹が立ってきた。

「それにほら、よくおとぎ話に出てくるお妃様ってししゅうしたり、子供達に本を読み聞かせるでしょう?

私みたくメイドと一緒に掃除したり、野菜の皮むきしないの!」

ささくれだった指先を目の前に出し、公妃の手じゃないと訴える。

気になるなら、外交時だけ手袋着ければ問題ないと答える。愛おしそうに唇をそっと押し付け、中身が重要だと諭す。

豪華ごうかな椅子にふんぞり返って、周囲や使用人に当り散らす妃って大抵、悪役として懲らしめられる結末だよね。

なら、僕も一緒にお城を掃除して、綺麗きれいになった喜びを君や皆と分かち合うほうがずっといいな」

「ふざけないで!」

正直に答えているといい加減、怒り出したエレナに真顔で言葉を続ける。

「ふざけてない。真面目だよ。

エレナ、人間の外見は努力次第で、いくらでも変えられるけど、本質は中々、変えられない。

それはきっと、ガラス玉を金剛石ダイヤモンドに変えようとする位、難しい事なんだ。ガラス玉を磨き飾って、金剛石だと他人をだます事は出来るかもしれないけどね」

優しい笑みを浮かべ、公妃として選んだ理由を教える。

「君は無意識だから全く気づいていないけど、他者を護り労わろうとする優しい精神の持ち主なんだよ?

現に今日だって、僕じゃないなら別の変質者が存在している。城で働いている女性達が襲われるかもしれない。

そう考えたからこそ、僕とは別に犯人を探していたんだろう?

アーシュがうれしそうに話したのを聞いて、直感したよ。

あぁ、君がメイド達から話を聞いて心配したんだって。

あいつはなんで彼女達が協力的なのか、まるで分かってないけどね」

彼の言う通り、か弱い彼女達が被害に遭ってからでは遅い。そう思い行動した。

こくり。首を小さく縦に振り肯定する。

「君のその優しい心根が、僕のかけがえのない宝物なんだ。

さっき言った通り、君に嫌われたら僕は生きていけない」

抱いていた疑問が霧が晴れていくように吹き飛んでいった。

「有難う、レイフ。だから私なのね?

私、ずっとなんで、貴族なんて名前だけの羊飼いの娘がいいんだろうって不思議だったの」

レイフは優しくエレナの柔らかい耳たぶに口づける。

「僕が望むのは、とっさに他者を護ろうと行動出来る女性。つまり君だよ」

密かに部屋の外で様子をうかがっていたランスが無事、仲直り出来た事を感じ取る。

静かに部屋の中に戻って、事情を説明する。

うっかり場を逃すと主人は大抵、そのまま夫婦だけの時間にしてしまう。

そうなると完全に本題が切り出せないのだった。

「あの、エレナ様。

レイフ様は犯人ではありません。

アイリッシュさんに犯人を捕らえる魔術はないか、相談なさったのです」

「アーシュに?」

「はい。どうやら泥棒は下着や、さほど金銭にならない物品しか、盗らない性質のようです。

それを利用しようという話になり、アイリッシュさんが女性陣に理由を話し、協力者を募っておりました」

研究所に持ち帰って、術をかける最中を目撃した。勘違いした事情にエレナは瞳をぱちぱち瞬かせる。

「だから、あの衣類の山だったの?」

「そうだよ。あいつ、酷いんだ。

あたしの下着、欲しがる命知らずいねぇだろって言って、出さず仕舞いなんだ!

挙句、エレナの下着は可愛いし、魅力的だから引っ掛かる確率あがるって平然と僕に取ってくるよう、けしかけたんだ」

怒る所そこなの?

お互いにとって、親友である人物をまるで女性扱いしないレイフにあきれる。

その時、うっしゃ、掛かった! そう喜ぶアーシュの歓声が遠くから聞こえてきた。

レイフは立ち上がり、エレナの手を握る。

行こうと促し、四人は部屋を出て、声のした方へ向かったのだった。

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