残念なイケメン、アリですか!?
神無月やよい
第一章 大公家の一日の始まり
「返して
雄大な山脈の
統治者である大公家の一日は、十六歳の公妃と十九歳という若い青年大公のじゃれあいから始まる。
彼女は野原に咲く
いつも何か楽しそうに物事を映し出す瞳は、まるで
外見こそ町娘と見間違える程、平凡だが、彼女の良さは接して初めて理解出来る。
慈愛に満ちた態度でいつも相手に接するので、自然と心がほんわりしてくるのだ。
領民達はそんな優しい彼女を【公国の至宝】と密かに
昨年の秋に父の後を継いだ青年は、全身の筋肉を程好く引き締まらせた体格に、少し
民からの陳情や緊急時に対応出来るよう、いつも身だしなみを整えている。
今日はしわ一つない白いシャツに黒いズボンの格好だ。
にっこり笑って、白い歯を垣間見せ、やんわり退ける。
「エレナが今、
すんなり返したくないらしく、彼はいつも必ず一度は冗談交じえて断ってくる。
今日はそう来たか――
内心で頬ひきつらせる。平静装いつつ、昨夜の内に用意したハンカチをスカートのポケットから一枚、取り出し手渡す。
「はい、レイフ。これも身につけている物には違いないでしょう?」
右隅に蝶のししゅうが施されている。
顔に近づければ、ふわっと一瞬、彼女と同じ香水の香りが感じられた。
機転利かせたささやかな反抗に仕方ないと折れる。
慣れた手つきでシャツの胸ポケットに手を入れ、小さく折りたたんだ白い布地を取り出す。
手放す名残惜しさから、思わず握り締め、向かい合っている彼女をじっと見つめる。
彼女は小柄な身体を気にしている。
今日も少しかかとの高い靴を履き、心持ち爪先立った姿勢で、自分に手を差し向け続けている。
口をとがらせ、背伸びする仕草が二本足立っておねだりする小動物を思わせ、たまらなく愛らしい。
少し屈んで、彼女の頬に優しく
意図せず持たされた恥ずかしさから、うっすら頬を紅潮させる。
テーブルの上の食器を片付ける侍女に、返してもらった物をそそくさ渡してしまった。
駄目で元々、悪癖を治すよう今日も優しく頼んでみる。
「ねぇ、レイフ。いつも言っているけど、それは貴方が持ち歩いても意味ないのよ?」
笑って彼女の願いを
「そんな事ないよ?
胸元にあるだけで、僕は今日も元気に過ごせるんだ。
意義なら十分あるよ」
澄ました顔で代わりに得た戦利品を胸ポケットに収める。
やたら自分に執着する困った性格の持ち主だ。
彼を良く知らない年頃の娘は、彫りの深い顔立ちに心奪われ、見入るだろう。
そして、うっとりと憧れの眼差しを向け、心射とめた時の空想にふける。
時々、大胆な少女が空想に留まらず、恋文や告白など実際の行動に移すが、エレナは浮気の心配は全くしていない。
接着剤のようにぴったりと身体を密着させてくる程、自分だけを溺愛していると知っているからだ。
けれど、一番の理由は彼の癖を知った途端、十人中九人が諦めのため息を漏らすか?
若しくはいやあ! と泣き叫び、全力で走り去ると容易に想像つくからだった。
彼のたくましい胸板に手を入れ、頭一つ分押し戻す。
目的の品物を取り戻した後は、侍女と一緒にのんびりお茶の時間を楽しんだり、本を読んで過ごしている。
忙しい時や気が向いた時は、メイド達と一緒に家事をしている。
ところが今日は再び、彼に向かって手を出した。
「まだ持ってるでしょう?
さぁ、返して!」
レイフが片眉をちょっと上げ、困惑の表情を浮かべる。
「えっ、もう持ってないよ?」
嫁ぎ先までついてきた信頼厚い侍女の名前を出して、誤魔化されない事を主張する。
「うそ言わないの!
朝、着替えてる時、サラから聞いたんだから!」
ぽこぽこ軽い音立て、胸板をたたき、遺失物の詳細を話す。
「とぼけても駄目よ。今ならね?
私のと間違えたって事にしてあげるから。
その……絹生地に桜色の糸でバラのししゅうした……貴方でしょ?
意地悪しないで返して!」
特徴に覚えのあるレイフが緩みまくった頬を引き締め、真剣な表情で尋ね返す。
「それってこないだ君に贈ったあれ?」
「そ、そうよ!
あれ気に入ったの。ねぇ、お願い!
今まで、その……貴方、下のほうだけだったでしょう?
絶対、他の女性には手を出さないし……言えば、ちゃんと返してくれるから……私も黙認してるの。
それにそっちは……どんなに小さくしても……胸ポケットに入り……きらないと思うの」
言っている内に恥ずかしくなってきたのか、耳まで赤く染めてうつむき口ごもる。
そんな彼女の様子に再び、レイフの頬が緩む。
いっそ寝室に戻って、全裸になり納得するまで調べてもらうのも悪くないかな?
甘い誘惑が彼の中に沸き起こり、無意識のうちに彼女の細い腰に手を回す。
だが、そんな思いはお見通しとばかりに扉前で護衛している人物が、鋭い声で呼び止める。
「レイフ様!」
彼、ランスロッドは主人と同じ、たくましい体格をしている。赤い髪を刈上げた
優雅な雰囲気を放つレイフに比べ、周囲に少々、堅い印象を周囲に与えている。
いちゃついている場合ではない指摘に従い、抱きしめる程度に留め、視線を横に逸らして思案する。
ああ、そうだ。ランス、お前は正しいよ。
まず確かめるのが先だ!
傍に居るエレナに視線を戻し、紛失時期を聞き出す。
「いつ無くなった事に気づいたの?」
「今日の朝方、サラが乾いた洗濯物を受け取った時にメイドから聞いたそうよ?」
自分以外の犯行を確信する。レイフはその怒りを勢いのまま侍女にぶつける。
「他に無くなった物はある!?」
エレナの侍女として仕えているサラは大人しい性格だ。亜麻色髪をおさげに結っている。
気迫めいた主人からの問いかけに少し
「い、いいえ!
奥様のはそれが初めて……で御座います」
やっぱり……。
がしっと強くエレナの両肩をつかみ、声高に宣言する。
「絶対に犯人、見つけ出して取り戻してあげるからね!
そして僕の目を盗んで、君の下着を手にした
行くぞ、ランス! 声をかけ、きびすを返して足早に部屋を出て行ってしまった。
部屋に取り残され、サラが戸惑った様子でおさげ持ち揺らす。
「旦那様……ではないのでしょうか?」
「うーん、私も話を聞いてすっかり、彼だと決め付けちゃったけど……
あの態度は演技じゃないわね」
唇に軽く人差し指を当て、エレナは考え込む。
どこまでも吸い込まれそうな青い海のような瞳からは、
それにほんの一瞬だったが、彼は憤った気を放出させた。
驚いて僅かに身をよじったら、すぐ打ち消しサラにも脅かした事を一言、謝ってくれたが……?
彼が発する殺気は、出会った頃からどうにも苦手で足がすくむ。
まるで狙った獲物を仕留めるべく、大空へ飛び立とうとする
「レイフじゃないなら、この城内に下着を盗む変質者が存在しているって事になるわね」
もしそうなら、あの垣間見せた怒りはまだ見ぬ泥棒に対して向けたものだ。
ならば彼の妻として少しでも協力出来る事があるはず。
「私達も他に盗られた人がいないか、メイド達に聞きに行きましょう」
そう結論を出し、サラを連れ私室を離れた。
中央階段を降りてメイド達のいる裁縫部屋へ向かう。
可愛らしい年相応の少女の面影はすっかり消え失せ、最前線で敵を蹴散らす大公の隣立ち、共に戦う妃の顔になっていた。
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