第二章 焔(ほむら)を操る天才魔道師
コンシュテール公国よりはるか北。一年中、吹雪と深い氷に閉ざされた凍れる大地のどこかに、不可思議な幻の都市が存在する。
そう昔から人々は密かにうわさしてきた。
確かな証拠が今日まで示されないのは、普通の人間が生きて戻ってきた試しがないからだった。
その幻の都市は、ある特殊な能力を持った人間だけが暮らす事を許されている。
すなわち魔力と呼ばれる力を体内に宿し、自在に操る能力を持つ魔道師だ。
彼らは日々、古文書を読み解いたり、魔術と呼ばれる技術を研究・開発、訓練し使いこなす事を目的に生活している。
古来より受け継がれるその膨大な知識や技術の数々を
しかし、ある若い女性魔道師の主張と行動により、閉ざされた風潮が変わり始めている。
魔力に頼らず生活している他国の権力者に、高値で魔道知識や技術を買ってもらう。そして、定期的な資金援助でもって、人間との相互干渉を生み出し、更なる技術革新を行っていこう! という試みだ。
当時、十四歳のレイフが公国住民の安全性を鑑みて、真っ先に彼女の提案に理解を示した。魔道師と大陸の人間が争わぬよう都市間協定を結んだ。
そんな訳で現在、魔道師専用の大部屋が二つ、城の一階に支給されている。
通路挟んだ広い場所を生活区域。もう一つを研究所として、女性魔道師に賛同して都市を出た十数名が利用、共同生活を送っている。
彼らは魔道技術を用いて、問題事の解決や賊の討伐出撃に同行したりして、国の為に働く近衛兵の負担削減などに成功していた。
床には、乱暴に書きつけられた羊皮紙や、紙切れが何十枚も散らばり、積もっている。
使い終わって中身が空になった空き瓶も負けじと至る所に転がり落ちていた。
部屋の奥からなにやら緑色した怪しげな煙が立ちこめている。
あそこは絶対、近づいてはいけない。
そんな危険な要素がぷんぷん漂っていた。
部屋の惨状を目撃したレイフとランスの二人が一瞬、うめき声を上げ足を止める。
だが、どうしてもこの部屋の中にいる人物に用があった。
二人は意を決して、羊皮紙や瓶など踏んだり、蹴飛ばさぬよう、そろり慎重に歩を進める。
やがて研究所の中央辺り、元は机と思われる場所にたどり着いた。
そこには主がいるかどうか見えない位、沢山の書物がうず高く積みあがっていた。
耳を澄ませば、かすかに衣擦れる音や、ばりんぼりんと何か食べている音が聞こえてきた。
仕方なく本を十数冊、どかして存在を明らかにする。
彼女は顎外れないか心配になる程、大きな口を開け、寝ぼけ眼でソーセージとレタスを挟んだパンを頬張っていた。
緊急時以外は、夜遅くまで研究に明け暮れる生活を送っている。
昨夜も深夜まで何かのめり込み、明け方ようやく眠りにつき、先程起きてきたばかりなのだろう。
元は真っ白かったローブがしわくちゃで裾や袖のあちこちにインクが付着していた。
ぼっさぼさに乱れた灰青色の銀髪を右肩の前でひとつに束ねている。
だらしない格好を気に留める様子もない。
常に身につけている首飾りは何時、見ても
恐らく、大人の握り拳ぐらいの大きさした
彼女こそ、秘密めいた都市から信頼できる魔道師を引き連れ、共存繁栄を訴えた魔道師の最高責任者だった。
レイフが気軽な様子で声をかける。
「おはよう、アーシュ。
力を貸して欲しいんだ」
「あぁん?
まぁ~たエレナにベタベタして嫌われたか?
彼女がこの城にやってきて早、数年。
レイフと様々な苦難を乗り越えてきた。
いつしか二人は互いに愛称で呼び合い、時には本音でぶつかり合えるほど、気心しれる親友になっていた。
アーシュは何かと自身の事を【
自慢するだけあって、魔力と知識は並外れて秀でている。そうレイフ自身も高く評価している。
「あたしゃ食うのに忙しいんだ。下らん用事なら帰れ」
気だるげに手を振り、門前払いしかねるアーシュの態度にランスが急ぎ、口を開いた。
「いえ。最近、城内に下着泥棒が出没しているらしいと聞き、ご相談に参りました」
「お前……エレナの下着に飽き足らず、とうとう……」
性癖を知っているアーシュがどこか
「犯人捕まえる前にまず、お前を
「へぇ~。お前の攻撃とあたしの呪文、どっちが早いか今、ここで決着着けるか!?」
白い長袖のローブをきちんと身に着けた金髪青年がほんわりとした口調で、殺気立った雰囲気をぶち壊し、会話に割って入ってくる。
「泥棒ですか?
大公領内で犯行に及ぶとは、
彼はアーシュの補佐役として、魔道都市から同行してきた。
加減を忘れ、よく暴走する彼女の尻拭いを黙ってし続けている。なかなか忍耐力ある人物だ。
また彼は火炎系の攻撃魔術を得意とする彼女とは対照的に、水や氷系の攻撃魔術を操る事から【氷雪の魔道師】と仲間内でたとえられている。
柔和な笑顔を浮かべ、レイフ達に椅子を勧める。
アーシュが腰を浮かしかけるが、ちっと軽く舌打ちだけして大人しく椅子に座り直す。
魔術に対する貴重な理解者兼後援者を失いたくない。
そんなフィンの打算を感じたからか?
単に部屋で暴れるなという、暗黙の脅しを感じ取ったのかもしれない。
別にレイフとて本気で
薦められるまま、ランスと一緒に椅子へ腰掛ける。
補佐の言葉で思い出した様子で、アーシュが軽く手をたたく。
「ああ、フィン!
そいやお前、こないだっから地属性の研究してるよな?」
「ええ。城下町の方からここ数日、失せ物が続いているので、捜して欲しい相談を受けましたから」
「泥棒ではなく失せ物ですか?
具体的にどのような物が?」
もしや城内での
ランスが確かめるように彼に首を向ける。
「それがなんでも売り物にならず、外に放置していた鉄線やら子供が遊んでいた木の枝。
果ては井戸に置き忘れた料理用しゃもじといった具合らしいので……
風で飛んだか、誰かが間違えて持っていってしまったかもしれないから探して欲しい。
依頼というより、見つけてくれたら助かるといった程度ですね」
二日前、城下町に買出しに行った際、雑貨屋の奥さんから持ちかけられた。
特に依頼料が出る訳ではないので、自分が担当していると内輪事情を明かす。
「妙ですね」
「あぁ」
ランスが眉間にしわを寄せ、レイフが同意する。話が見えないアーシュが、
レイフが太ももに置いた右手を胸まで上げ、簡単に説明をする。
「ここは【工芸都市】と言われる程、鉱業が盛んな土地だ。
金目当てなら宝石類を狙った方が確実だろう?」
「ですが、城内で保管している貴重品はもちろん、城下の宝飾職人から盗難の被害報告は一件も受けておりません」
うんうん。ランスが
「はあ~、成程。
下着といい、
したら、犯人は魔道師じゃねえな」
合点行ったアーシュがぺろりと指についた
「だってうちら、いっつも研究資金でぱぁ~っと使っちまうもんなぁ!」
そこで思い出したようにあっ! と声を出す。
「下着っていやあ……この間、若いメイドから探せるか聞かれたか……?」
「そうなのか、アーシュ?」
そういう大切な事はもっと早く思い出せよ!
レイフは内心で毒づき、こめかみに青筋を一本、浮かべる。
「そん時、別の事考えてたから適当に聞き流したけど……なんか洗濯中のブラだけ狙う変態がいるとか、そんな事を言ってたような?
エレナのと間違えてレイフの奴が持って帰ったんじゃねえか生返事した気がする……」
「やっぱり、今ここでお前を殺したほうがこの国の為になる気がするんだけど?」
明らかな侮辱発言に一度は収めた殺気を冗談交じりに再度、膨れ上がらせる。
だが、今度は相手にせず、ただ手元にあった羊皮紙を円筒状にくるくる丸め、
「そこで下着愛好家のレイフさん。
今回、犯人の手口についてどう思いますか?」
意見を求められ、仕方なく殺気を鎮める。
腕組み、思っている事を堂々とした態度で言い切った。
「邪道だね。
洗濯後というのが特に理解出来ない。
エレナのぬくもりや微かな残り香、自分を感じてくれた確かな証。
それがいいんじゃないか!」
何故か、意見を求めた張本人が若干、顔を引きつらせ、ひそひそとフィンとランスの三人で内緒話を始めた。
「なぁ、あいつ。今の内に骨も残さねぇ程、焼き殺しておいたほうがいいんじゃねえか?
なんていうか世の為、女の為に?」
「えっ!? ど、どうなんでしょうね?」
個人の趣味に口を挟むつもりのないフィンが挙動不審に視線を
「ご安心を。
万一、エレナ様以外の女人にかような
「お前達、聞こえてるぞ!?
大体、聞かれたから正直に答えたのになんだ、その態度は!?
そもそも僕はエレナ以外、一切眼中にないよ!
例え、大陸を創造したとされる女神のでも、僕からすれば、ただの布切れ!!
エレナが身に着けた奴だから、僕の宝なんだ!」
レイフは声を荒げ憤慨する。慌ててランスとフィンの二人がすいませんと謝った。
「しかし、解しません。
何故、メイド頭のアデリシアさんは、私や近衛隊長にそのような被害を隠しているのでしょうか?
報告する機会なら、いくらでもあったはずです」
女心が理解出来ないランスは不機嫌そうにしかめ面で愚痴を零す。
「そりゃ下着だからなぁ。
お前みたいなクソ真面目な男にゃ恥ずかしくて話せねぇだろ……」
アーシュが頬つえをつき、あきれた様子で隠した心境を教えてやる。
「そうなのですか?」
意外そうに隣座る主人を見る。
「確かにエレナなら恥ずかしくて嫌がるかもね」
朝方、言葉にするだけでも、耐えがたそうにしていただろう?
お前、どこ見てたんだよ……
レイフはそう心の中で指摘する。フィンの方に向き直り話題を戻す。
「所でフィン。その開発した術は具体的にはどんな効果をもたらすんだ?」
「対象物を追跡する術ですね」
「もう完成したのか?」
二日前に相談受けて解決寸前まで仕上げる具合に思わず、ほお……と自然に尊敬の眼差しで見つめる。
「一応、理論上は。
後は、術の発動に必要な魔法陣の作製と魔道薬を作るだけですが、何か?」
「道具をそろえ、呪文を唱えるだけで探し当てられるとは……
いやはや魔術というのは、やはり素晴らしい技術ですね」
心から感嘆するランスに突然、フィンが大声を上げ、頭を抱えもだえ始めた。
「ああああああああ!?」
その様子を見て、合点がいったアーシュは軽く片手を振り、思い違いを訂正する。
「いやいや、無理だから。
魔術は出来上がった料理が、一瞬で目の前に現れるような便利な代物じゃない。
フィンの奴は、探し物に追跡魔術をかけるつもりで研究してたんだと思うぞ?」
「つまり、まず目的の品を見つける必要がある訳か」
「意味ないですね。それ」
本末転倒な術を開発してしまった事に落胆するフィンに追い討ちをかけるように、二人それぞれ正直な感想を口にする。
その中、アーシュだけが何か思いついた様子で、いやまてよと口の中でぶつぶつ、つぶやく。
「フィン、ちょっと理論書見せてくれ」
何も書かれていない羊皮紙を取り出し、何か書き始める。渡された理論書を見比べ、それにも何か一生懸命、書き加え始めたのだった。
黙って様子を見ていた三人に、やがて書き終えたアーシュが
「こんな作戦はどうだ?」
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