第四章 深い愛情の理由

 エレナが執事から言付けを聞き、城内を探し回っている頃ーー

レイフは手早く昼食済ませ、四階の大公家居住区域に戻っていた。

中央階段を右に曲がって歩いた東側を歴代の当主が代々、使用している。

改装済ませた衣装部屋には、大きな衣装棚がいくつも立ち並ぶ。その見事な光景はある種の壮大さを初めて訪れる者に与えるに違いない。

昔から私室近い棚を大公が使い、寝室近い場所を公妃専用としている。

普段、彼女が身につける下着類は、寝室から一番近い家具。引き出して使う棚の中に保管されている。

木材を白く染めた天板には、彼女が実家から持ってきた家族を描いた小さな肖像画と戴冠した際、自分が贈った置時計が飾られている。

棚の前でレイフは偉く真剣な表情で片膝つき、真鍮しんちゅうの取っ手に手を入れる。

五つある棚の一番下は下半身用。二番目は上下組になった物を仕舞っている。

胸部を保護する下着が入っているのは三段目の引き出しだ。迷うことなく力を込め開ける。

中にはぎっしりと、色とりどりのブラジャーが所狭しに保管されていた。

赤や紫、黒に白。縦に色分けして仕舞われている物を早速、ひとつひとつ手に取り、選別していく。

これは駄目。これもお気に入りだから着れなくなったら困る。口の中でつぶやいては元に戻す作業を繰り返す。

半時経った頃、朝方怒りに任せて足早にアーシュのいる魔道研究所に向かってしまった事を悔やんだ。

う~ん。そろそろ、僕の中にあるエレナ成分が切れる頃だな。もうしばらくしたら禁断症状が出るかも?

今すぐ会って抱きしめたい欲求が泉の如く、わき上がってくる。

しかし、窓から顔出し叫んで居場所を伝えれば、確実に「何やってんのよ!」と平手打ってくるだろう。

彼女は、自分がどう動けば、民を護れるか瞬時に考え、行動移せる貴重な女性だ。

大金積んで身につく類ではない素質を見抜き、彼女を望んだ。反面、そそっかしい所がある。

この光景を目にすれば、間違いなく「やっぱり貴方が下着泥棒だったじゃない!」と誤解するだろう。

最悪、自分の以外所有しない。新婚旅行で交わした約束を破ったと涙流し、本気で自分を刺し殺してくる可能性も否定しきれなかった。

「エレナならやりかねないな……」

その光景を想像して、自分以外誰も居ない部屋で頬に汗を一筋垂らし、一人ごちる。

会って成分補給したい所だが、ここはぐっと堪えるしかない。

鉢合わせる可能性を考え、私室扉の前にランスを見張りにつかせている。

だが、早く選び取って研究所に行かないと日が暮れる。出来れば今日中に決着をつけて、エレナを安心させてあげたかった。

中々決められず、気持ちだけが焦る。

そうこうしている内、戸棚の一番奥にひっそりと、まるで隠すかのように仕舞われた白い下着を見つけた。

なんだろう?

思わず手を伸ばす。普通のブラジャーに比べ、やたら頑丈な作りをしている。

まじまじ見つめ、侍女が隠していた理由を悟った。

うん? これは婚礼用下着ブライダルインナーか……!?

それは婚礼衣装が崩れないよう美しく見せるのを目的とした補正下着だった。

万が一、エレナが目にすれば事件を思い出し嘆くかもしれない。そう考えたサラが罪悪感抱かず済むよう、独断で封印していたのだ。

彼女に対する忠誠心の高さに尊敬の念を抱く。

同時に、自ら毒を摂取してしまった過ちが苦味として舌の中に広がっていく。

右手でブラジャーを握り締め、崩れ落ちるように床へ倒れていった。

遠のく意識の中で、走馬灯かけ巡るように挙式当日の様子が目の前に再現されていった。


 それはお互いにとって生涯最高の日だった。

エレナは純白の婚礼衣装に身を包み、うれしそうに涙流し、微笑んでいる。

自分はそんな彼女を抱き抱え、三階のバルコニーで喝采送る民衆に向け接吻キスの嵐を見せつけ、絶頂の幸福感を味わっていた。

コンシュテール公国は表向き、貴金属やからくりを輸出する【工芸都市】と認識されている。

だが、鉄鉱脈を抱えている事から、諸外国高官は裏で【軍事都市】とささやいている。

軍備強化を狙う下心から、見目麗しい年頃の娘を差し出すのは日常茶飯事だった。

侵略耐えない国柄故に、統治者である大公一家は親兄弟の仲が非常に良かった。

親戚一同すら公然の秘密以外持たぬ程、堅いきずなを保っている。

そうして民草を護り、時には民とも一丸となって、武力制圧を目論む連中と戦い、勝利してきた長い歴史があるのだった。

いずれ来るだろう。一族の誰もが予想していた悲劇は、思いの他すぐに襲いかかった。

他国のお家騒動に挙式を終え、祝宴に移る途中、別の衣装に着替えていたエレナが誘拐されるという形で巻き込まれたのだ。


「くそっ!」

やり場の無い怒りをレイフは乱暴に壁へぶつけ、吐き捨てる。

「レイフ様、申し訳御座いません。

見破れず、反応が遅れました」

壁にもたれかかったランスが左手で肩を押さえ、一生の不覚を恥じる。

アーシュは紅い正装衣装が乱れるのも構わず、片膝つき傷の具合を確める。

「動くんじゃねえぞ、ランス。

見た所、即効性の複合毒だ。医務室じゃ間に合わねえ。この場で解毒術を施す。

見た目派手な青白い炎があがるが、火傷したり火事になったりしねえから驚いて消そうとしないでくれ」

肩に出来た傷跡を診たアーシュは首飾りの紅玉に軽く触れ、急ぎ口の中で呪文を詠唱し始める。

浄化レニングフェール

紫色に変色し始めるランスの皮膚を、指で女神ガレス言語スフレクトをつづり、発動単語を発音する。

その瞬間、説明通り青い炎がランスの全身を包み込んだ。

炎が静まると毒が消えて急に身体が楽になった。

ランスは信じられないらしく、目を瞬かせ、不思議そうに傷口を見やっている。

敵はこの日の為にレイフの言動や細かい癖まで調べ尽していたのだろう。

サラの話では姿形はもちろん、声までレイフそっくりな人物が扉をたたいて、水が入ったコップを持って現れたという。

水を飲むためにコップを受け取ったエレナだけが微かな違いを感じ取った。相手にいきなり水をかけ、誰何したそうだ。

「貴方、レイフじゃないわね!?

一体、誰なの!?」

サラが驚き振り向けば、もう相手は彼女の鳩尾みぞおちを殴りつけ、肩に担ごうとしていた。

扉前で警備していたランスが異変に気づき、部屋に入ってくる。

変装した人物は心底、楽しそうに「ちょっと二人きりになるだけだよ」と言ってのけた。

いかにも主人が言いそうな台詞に一瞬、迷いが生じた。そこを暗殺者があらかじめ、毒を仕込んだ短剣を素早く投げつけた。

身をよじり、なんとか急所は交わしたものの避け切れず、肩をかすめてしまった。

暗殺者はその隙に窓からエレナを抱え、逃走したのだった。

その頃、自分は片時も離れず護衛するアーシュと広間で談笑していた。

待ちきれなくなり、そろそろ迎えに行こうと部屋に向かっていた。その矢先の出来事だった。


 国が総力挙げて、エレナの行方を捜索して二日目になろうとしていた。

その間、レイフは食べ物はおろか水すら喉を通らず、十分な睡眠も取れなかった。

目の下に大きなくまを作り、憔悴しょうすいしきった様子で婚礼前日まで彼女が寝泊りしていた翡翠ひすいの間に足を運ぶ。

「しばらく一人になりたいから、お前は扉前で待機しててくれ」

顔をうつむかせ、ランスに命じる。

眉間にしわ寄せ、心配する態度に自嘲じちょうの笑みを浮かべ、自害じゃないと首を振る。

「僕はまだ屈辱晴らす相手の名前すら知らないんだ。

今はただ、少しでもエレナのそばに居てあげたいだけだよ」

居場所や安否が分からないなら、せめて部屋に残っているぬくもりを感じて安心したい。

主人の考えを感じ取ったランスがようやく、分かりましたと短く答え、その場に待機する。

一人、部屋に入ったレイフはソファにもたれ掛かり、重たい身体を勢いに任せて、沈ませる。

目を閉じ、己の不甲斐ふがいなさを恨み、激しく悔やんだ。

こんな事になるなら、平手打たれてでも着替えまで、一緒に手伝えば良かった……。

敵の狙いは自分じゃないのか?

半月前、正体不明の連中に命を狙われかけた。アーシュ達の機転によって救われたが、敵の目的は分からず仕舞いだった。

挙式当日の襲撃を予想して、密かにわな張り備えていたが、まんまと出し抜かれてしまったのだ。

肺から絞れるだけの空気を吐き出し、ズボンのポケットから小さな赤い石を取り出す。

手の平に乗せれば、ほのかな温かみが伝わってくる。

式の数日前、自分がおとりとなって敵をおびき寄せる作戦を立てた。

アーシュに事情を話して、背中にごく小さな探査魔術をかけてもらった。

違った時の可能性も考え、それとなくエレナにも作戦を話した。

案の定、こちらの思惑通り「彼だけ危険な目に遭わせられない。私にもかけて欲しい」と申し出てくれた。

誘拐された直後は、これで敵の拠点や狙いも分かると父上ですら楽観していた。

しかし、意に反して何度、術を発動させても全く探査出来ないのだった。

「畜生、なんで見つからねえんだ!?

おい、フィン。人間生きていく上で、火の気がない場所なんてあるか!?」

涙を浮かべ、取り乱した様子でアーシュはフィンの胸倉つかみ、八つ当たっていた。

生命反応が消えれば、ただの石ころと成り果てる説明を受けている。

無事に生きているか知りたくて、耳に小石を当てる。小さく鼓動が聞こえた……ような気がして安堵あんどする。

けれど、なんだか時間が過ぎる毎に石も冷たくなり、鼓動も弱々しくなっている感じがして、全身が凍りつく。

もう二度と君の笑顔が見られない。の……か?

唇から赤い血を一筋流し、床に横たわっている姿が頭の片隅をよぎる。

寒気が背筋を走り抜ける。置いていかないでと唇を動かす。声にしたつもりが、聴覚は嗚咽おえつしかとらえなかった。

出会った初めこそ、単に妃の資質を感じ取り、政略結婚のつもりで言い寄り、彼女を手に入れた。

結婚生活は他の男に目移りさせない程度、彼女を楽しませればいい。

そうすれば、彼女は自発的に民の為に心血を注ぎ、公国は益々発展するだろう。

しかし、連綿と受け継がれ、己の中に流れる血潮が、そんな甘い考えを許さなかった。

大公家は始祖の代から一夫一婦制を貫いている。子供の頃は結束力高める為と軽い気持ちで認識していた。

それは間違いだと、エレナの行方が本当に分からなくなって、初めて思い知らされた。

気づけば、彼女がいない日々に耐え切れない程、深く愛し溺れていたのだ。

天寿を全うするには、自身が見定めた伴侶だけを愛し、他者を信頼し力を合わせ、苦難乗り越えるしか道はない。

エレナと巡り会わなければ、自分は千年以上続く家系の真髄しんずいに迫れなかっただろう。

祖先へ畏敬の念を抱く。

昨年の夏、母が急逝して以来、見る影もなく気力衰えてしまった父の心情を理解した。

「父上。今なら貴方の気持ちが痛い程、分かります」

どうやら自分は思っていたよりもろい人間のようだ。

行方が知れないこの状態が続けば、恐らく明日、明後日ぐらいに死ぬ。

そんな予感を覚え、渦巻く辛い思いに耐え切れず、うっすら瞳を開ける。

ふと、丁寧に折り畳まれ、鏡台の椅子に置かれている衣装が目に留まった。

力なく傍まで歩き、屈み見れば彼女が直前まで身につけていた衣類だと分かった。

今は少しでも彼女に触れていたかった。

婚礼下着のブラジャーと同じ、可愛いリボンが縫いつけられた純白の下着を頬に近づけ、軽くすり寄せる。

その瞬間、稲妻に打たれたかのようにひらめいた。

そうだ! 

これで小石を包めば、エレナも暖かくなるかもしれない!

善は急げといそいそ小さく丸め、保管部位を考える。

彼女の命でもある落としてはいけない。

となるとズボンは駄目だな……

胸ポケットはどうだろう?

これなら君が死ぬ時は、僕もきっと死神に冥府へ運ばれている。

そう考え、下着をシャツの胸ポケットに忍ばせる。

小石が一瞬、びくんと身震った気がした。

彼女がそばに居てくれる。

そう思うと自分でも驚く位、みるみる活力が湧いてきた。

「絶対、助けてあげるからね。

僕を信じて待っててくれ」

彼女を抱きしめるように胸に手を当て励ます。

その時、いつものローブ姿に着替えたアーシュが、目を真っ赤に腫らし殴り込んできた。

「レイフ、ここか!?」

「アイリッシュさん、どうかしましたか?」

扉の前で待機しているランスが問いかける。

制止する彼に構わず、乱暴に扉を開け、中へずんずん入ってくる。

「どうした、アーシュ?

何か分かったのか?」

「エレナが式ん時、身につけてた奴あるだろ?

ちょっとそれ寄越せ。ああ、これでいい!」

激しい剣幕に呆然ぼうぜんと立ち尽くす。椅子の上に置かれたブラジャーを見つけ、ひったくるようにして持ち去る。

「レイフ!

絶対、エレナ見つけて、お前の所に連れて帰ってやっからな。待ってろ!」

顔だけ振り向かせ、きっぱりそう断言する。

首飾りの紅玉に触れ何かを話し、燃え盛る暖炉の中に勢い良く飛び込み、瞬き終わる前に姿を消してしまった。

驚いたランスが怪訝けげんそうに暖炉の中をしばらく調べ続ける。

よく分からないが、あいつがそこまで言い切ったんだ。恐らく魔術方面で解決する手段を見つけたに違いない。

そう確信して、ならば自分は直接犯人たたきのめすその瞬間に備えるのみと決意する。

「ランス、まずは飯だ!

食ったら寝る!」

入室した時と正反対の力強い態度に一瞬、ランスは戸惑う。

今にも死にそうな気配よりは断然良い。

深く考えず、はっ! と元気良く答え、厨房ちゅうぼうに向かって走り去った。


 失った英気を取り戻そうとレイフが食べれるだけの食料を胃袋に流し込み、爆睡している頃――

アーシュは精霊界の中をふわふわ、全身漂わせていた。

涙を流し、懸命にエレナの行方を探し続ける彼女の心を大陸守護する四精霊長の一人。

火を司る精霊長のイーヴがくみ取り、心の中で語りかけてくれたのだ。

『火気のない場所ならば、試しに他精霊長に聞いてみるか?

連中が応じてくれるかどうかは、お前次第だがな』

全てを包みこむ母の胎内にいるかのような空間は安らぐ。

だが、どうにも浮かんだ状態というのが落ち着かず、地に足をつけた状態を想像する。

やがて、どこからともなく甲高い女性の声が聞こえてきた。

『下界人と契約するなんて、超信じられない。これって浮気じゃない!?

イーヴ、正気!?

彼に言いつけてやるんだから!?』

精霊は基本、人間からの頼みを断りはしない。その代わり、積極的に干渉もしてこない中立的な存在だ。

精霊をぞんざいに扱うゆがんだ魔道都市を正そうとする。彼女の強い意志に触れ、特別に賛同してくれたに過ぎなかった。

やや激しく興奮気味に喚く女性に聞き慣れた声の主、イーヴが不機嫌そうに思い違いと言い返す。

『勘違いするな。契約ではない。

理解を示した上、一時的に協力しているだけ。と奴も知っている。

それでも話したければ勝手にしろ』

女性にあきれているらしく、一呼吸の間を置いた後、別の男性が落ち着いた声で問いかけてきた。

『……そこの人間。イーヴから話を聞いて欲しいと頼まれた。用件を話せ』

アーシュは心のままに伝える。

「あたしの大切な友達を見つけるのに、協力して欲しいんだ!

礼ならあたしに出来る事なら、何でもするからお願いだ!

このままエレナが見つからず、死ぬような事になったらすごく後悔する。

きっと死ぬまで自分の力が足りなかったからだと悔やみ続ける!

あたしと初めて会った時、エレナは怖がる訳でも恐れる様子も無い。

有りのまま受け止めてくれた素直で優しい良い奴なんだ。

あたしにとって、エレナは失いたくない。初めて出来た親友なんだ!

だからお願いだ。どうか力を貸してくれ!」

彼女の安否を案じ、自然と涙が流れていた。

『そのエレナというのは、お前にとって生命いのち賭ける盟友ともという訳か?』

問いかけに頬を伝う涙を拭い、力強くうなずく。

『では、いいだろう。但し、今回だけだ。

二度はない』

『ディーン、本気!?

だって貴方が一番の堅物じゃない!!

イーヴよりもっと信じられないんだけど!?』

『ミューゼよ。盟友を生命賭けて助けたいと願う気持ち、誠に理解出来ぬと申すか?』

冷静に切り返され、彼女は黙った。

『対価は音と舞の奉納を所望する。

我が力が大陸に満ちれば、盟友も喜ぶ。

盟友の笑顔を得られるならば、我にとってもこの申し出は益』

『火が届かぬ所なら、俺とて分からぬかも知れぬぞ?

そも、目印すら示さぬではないか』

その言葉に慌てて、ひったくってきたブラジャーを掲げてみせる。

難色示していた女性が興味を示す。

『あら。ねえ、ちょっと?

その人間の周り……そう。

大きな石が光り輝いているのが見えるわ。

きっと彼が身につけたら似合うわ~。

喜ぶわよ~』

すかさず詳しく聞きだす。

「えっと……多分、宝石の事だと思う。

どんな色してる?」

『きらきら青く光っているわ。

でも紫にも見える不思議な石ね?

そこから誇り高いものを感じるわ。

まさに彼にぴったりの逸品よ!』

彼女は恐らく石に込められた意味を感じ取り、言葉としているのだろう。そこからある石が予想出来た。

数年前の新年祭に、鉱物がやたら好きで詳しいレイフの兄貴が酒飲みつつ、散々石にまつわる薀蓄うんちく語ったのを覚えていたからだ。

有難う、鉱物兄貴!

今度、何日でも講義に付き合うよ!

心の中で密かに感謝し、石の正体を女性に告げる。

「あたし達、人間はその石をタンザナイトって呼んでいる。でっかい奴だろ?

無事に帰ってきたら、必ずささげる事を誓うよ」

『いいの!? やったわ!!

あ、でも……そしたら力を貸さなきゃいけなくなるのね……』

悩み始める彼女に念の為、畳み掛けておく。

「迷ってると多分、手に入らないよ?

最近、感謝のささげ物する機会、減ってるから余計にね」

レイフの奴には帰ったら話そう。

無断で取引した事に怒るかもしれねえが、緊急事態だ。

エレナの命と引き換えなら、国宝でも安いものと結局、気前よくぽんと譲ってくれるはず。

アーシュは心の中で勝手にそう結論を出す。

『くっ!

うーん。でもその石、絶対彼に贈りたいし。

いいわ。もらいっぱなしに出来れば、最高なんだけどねえ。

女神が定めし、ことわりは絶対だから杯を出して』

透き通った湖面のような色した長い髪の女性が姿を現す。

気乗りしない様子で、気だるそうに人指し指から一滴のしずくを出現させ、徐々に大きく膨れ上がらせていった。

それを見たアーシュは彼女の意図に気づき、急いで腰袋の中から銀で出来た杯を取り出す。

なんとかぎりぎりで間に合い、雫は無事、ぽつんと杯の中に受け止められたのだった。

指先から水を出した彼女は恐らく、水の精霊長だ。

彼女が出す雫は【生命いのちの水】として古い文献に書き残されている。

確かどんなひん死の生き物でも、一瞬で快復させる効力があったと記述内容を思い出す。

『私は特に何もしていないから見返りも不要だ。帰らせてもらうぞ』

そう一方的に告げると風の中へ溶けるように声がかき消えた。

『随分、細くなっているがまあ大丈夫だろう。では行くか』

腰まで伸ばした褐色肌の黒髪男性が姿を現し、片手を差し出す。

アーシュが手を握り返した瞬間、虚無の空間から真っ暗闇に閉ざされた一室に突っ立ていた。

足元には薄紅色の舞踏服ドレスを着たエレナが横たわっている。

急いで、抱き起こして様子を見れば、微かに息はするもののぐったりとしていて、ぴくりとも動かなかった。

閉ざされた口を指でこじ開け、左手に持った杯の中身を無理矢理、流し込み飲ませる。

しばらくして水の力が全身に行き渡ったのか、こほっと大きくむせた。

良かった、なんとか間に合った。

もう大丈夫……

ため息を漏らし、窓が一切ない密室と思われる部屋を見渡し、ここはどこか場所を考える。

若干、息苦しさを感じるので、もしかしたら通気孔すらない地下なのかもしれない。

場所の特定は後にして、とりあえず帰り道を作って早々に退散したほうが良さそうだと判断する。

小指の爪程した小さな赤い石を服のポケットから取り出し、部屋の片隅に音が鳴らないよう放り投げる。

そして腰袋から、油を含ませた一枚の布切れと火打ち石のからくりを取り出し、小さな火を起こす。

エレナの腕を肩に回し抱え、首飾りの紅玉に軽く触れ、女神の言語でささやき、精霊長に呼びかける。

『有難う。イーヴ、城への道を開いてくれ』

小さく燃える火の中に暖炉の時と同じ様に飛び込み、城へと戻ったのだった。


 宣言通り、エレナを連れ戻したアーシュはひとまず、侍医に診せる為、医務室に運び込んだ。

睡眠薬飲まされ衰弱しているだけ。そう診断結果受け、レイフの家族がそろっている部屋で手短に事情を説明していた。

「見つからねえ程度に絞った魔力の道標を残してきたから、案内する事は出来るよ?

でも、エレナ助ける方が先だと思って、相手が何人で何を目的としているかといった情報は集めなかった。

診察中にエレナの胸元見たら、探査妨害の術が施してあったから、あたしら魔道師がいる事を知ってる連中なのは確かだね」

採掘現場に留まりたくて数年前、十八歳の誕生日に継承権を放棄した長兄が腕組み、疑問を投げかける。

「魔道師というのは、お前達のように我々に協力的のはず。

犯罪に加担する魔道師がいるのか?」

「身内の恥さらすみてえで話すの嫌なんだがなぁ……」

言葉をにごすアーシュに代わり、同席していたフィンが悲しげに実情を話し出す。

「僕達が学び暮らしていた魔道都市では、いくつか決まり事を定めています。

大抵の者はそれに従い、大人しく生活していますが、欲に目がくらんだ者が決まり事を破って、会得した知恵や技術を都市の外で悪用する。

そんな不届き者が絶えないという事実もあります。

そういった違反者を見つけ、罰する目的も僕達は兼ね、こちらでお世話になっています」

罰が悪そうにアーシュがぽりぽり頭をかく。

からくりの研究開発に生涯ささげると断言して、三男であるレイフを次代大公に推薦した次兄が気遣う。

「成程。法を犯す無法者は垣根なく存在するという訳ですか。

貴方方はそれを取り締まる側。差して気になさる必要は無いでしょう」

まだ幼さをどこか残した愛らしい顔の七人兄弟の末弟が、記憶を辿たどるように発言する。

「そういえば……僕、レイフ兄の結婚式目当てに集まった旅芸人を見物しに、よく城下に遊び行ってたんだけど……

その時、芸人とは違った雰囲気の連中を見かけてね?

不思議に思って、友達と一緒に後を尾けた時、拾った物があるんだ。

もしかして、これ何かの手掛かりになる?」

ポケットからカフスボタンを取り出し、机の上に乗せると部屋の中が騒然とざわめいた。

「逆さバラの刻印……ロゼオクーガ王家の種違いと言われている兄貴か」

すっかり元気を取り戻したレイフが殺気みなぎらせ、心の底から憎たらしそうに吐き捨てる。

次兄がその人物の特徴を周囲に説明する。

「奴は非常に狡猾こうかつで残忍な性格と聞きます。

間違いなく、蜥蜴とかげの尻尾切りをしてくるでしょうね」

「確か南東の方角。うちと王国の国境付近に、その人の部下ってうわさのある伯爵の別邸があったよね?

僕が見失ったのは、その辺りだよ」

「魔力の道標も南東の端っこを反応示してるから、そこが拠点に間違いねえな」

アーシュが同意すれば、末弟の機転良さに皆、良くやったと頭をなで褒めた。

えへへとうれしそうに顔をほこらばせる。

荒事に向かず足手まといと分かっている末弟は一言断り、部屋を出ていく。長女が付き添っている医務室へと向かっていった。

「僕、ジェシーの傍でエレナ義姉ねえの様子を看てるね」

報復する相手が判明した。後は始末するだけとレイフが兄らに指示を飛ばしていく。

「リックにい、先陣をお願いします。

但し、伯爵のみ行動不能程度に加減して下さい。止めは僕が直接、下します」

「心得た」

「クリス兄、からくりの作動と後方支援をお願いします」

「承知した」

植物が好きで薬師の道を選んだ四男に負傷兵の救護を命じ、世の中、金でっせ。そう言い放ち、商人となった五男に物資援助を頼む。

長兄が筋骨隆々の両腕を力ませ、むんと軽く両手を殴り合わせる。

「俺達の義妹をさらって、レイフの晴れ舞台を台無しにしやがったんだ。それだけで十分だろ!

もう泣こうがびようが絶対、許さん。

相手が誰であろうと、首謀者含めて完全せん滅するだけだ!」

「私が発明した最新鋭からくりの威力。

とくとお見せ致しましょう」

次兄も丸眼鏡をくいと持ち上げ続く。

やがて、部屋の中央で静かに話を聞いていた大公が重く口を開き、部屋にいる全員に命じた。

「我が大公家に牙いたやからに破滅を与え、償わせよ。

そして、愚行の代償を存分に、世へ知らしめるのだ!」

厳然たる態度で発せられた命令におう! と一同、ときの声で応じ、部屋を出て行く。

最後に部屋を出ようとするレイフを引き止めた。

「レイフ。この始末、わしに預けてくれぬか?

風のうわさだが、幼少時より大陸を放浪する賢者の末裔まつえいが数年間、生死不明と言われていた王太子を見つけ、傍にいると聞く。

真実まことならばゆっくりと、だが確実に大陸全土の情勢を変えてゆく事だろう」

「では父上。留守を頼みます」

少々考えがあると話す父の言葉にゆっくりとうなずき、先に出陣した兄達に続くべく部屋から姿を消した。


 鉄球を仕込んだからくり兵器が、次々と伯爵邸の壁を一撃で粉砕する。

大きく開いた穴から長兄と近衛達が、一斉に内部へ攻め込んでいく。

踏み込みと同時に戦いは繰り広げられていた。

フィンは助太刀に専念すべく、苦戦する近衛を見つけては、素早く小さな石版を敵の足元に放り、敵を凍らせ足止める。

アーシュは剣戟けんげきを紙一重で交し、威勢よく蹴り飛ばした。

「ねちねち研究するだけが、魔道師じゃねえんだよ!」

部屋の隅で、逃げ出す機会を探っているやせ細った三人の中年男性達を見て、直感する。

「鉱物兄貴!

多分、その三人組が加担した魔道師だ!

逃がさず捕えてくれ!」

丁度、連中の近くで暴れていた長兄に向かって、大声で叫び頼む。

「おう!」

威勢よく返事して、左拳を繰り出し一人を一撃で、後ろの壁まで殴り飛ばす。

男は壁に激突した後、ぐったりと倒れ落ちた。

残りの魔道師がその威力におびえ腰を抜かす。長兄同様、たくましい体格の男が二人、にいと真白い歯を見せ、二人の前に立ち塞がった。

向かってくる相手をレイフは長剣で受け止め、逆に切り殺す。まだ見つからない苛立ち隠さず声を張り上げる。

「伯爵はどこだ!?

探し出せ!」

アーシュが叫び答える。

「どこかに地下室があるはずだ!」

即座に数名の近衛が地下に向かって走り去っていく。

推理通り、エレナが倒れていた隠し地下室に口ひげを生やした伯爵らしき人物が、震えた様子で隠れていた。

ひっ捕らえられ、レイフの眼前に突き出される。伯爵がひざまずき命乞いする。

「待ってくれ、私じゃない。助けてくれ!」

「何を企み、誰に頼まれた? 言え!」

「鉱脈だ! 次期公妃をさらい得よ。

そして憎き王……に……うぐっ」

背後関係の問いに答えようとした途端、口から泡を吹き、喉を押さえ目を剥く。顔がどす黒く変色し始める。

「殿下、お待ちを……どうかご慈悲を……」

つぶやきもがく、その様子にレイフが本能的に口封じを感じ取った。

自ら敵討つべく、伯爵の心臓に向け、思い切り剣を突き刺し、力の限りねじってやった。

伯爵は、がふっと口から吐血し絶命した。

「口に含んだ毒で自害という訳では、なさそうですが……?」

次兄が眼鏡をかけ直し、率直な意見を述べる。

人では為しえぬ業に長兄も困惑した様子で、腕組み答える。

「言葉の途中でいきなりとは気味が悪いな」

「遠隔魔術の類かもしれません。

伯爵の遺体を詳しく調べたいのですが」

フィンの申し出にレイフが短く答え応じる。

「首は門前にさらす」

剣を構え直し、伯爵の首と胴体を一ぎで斬り離して、全員に帰城を命じた。


 違反者を取り締まる規則に従い、魔道師の三人は邸の門前で、身動き出来ないよう、錠でお互いの手足をつなぎ留められていた。

「魔道都市に籍を置く者ならば、通達と都市間協定はご存知ですね?」

地面に座り込む魔道師達にフィンが凍てついた眼差しで問いかける。

顔を変形させた一人が気丈に言い返す。

「はっ!

大陸の連中と仲良くしましょうって絵空事のあれか。

あんな紙切れ、なんの役に立つ!?

貴様らは我ら魔道師の面汚しと知れ!」

共存を拒む所か害しか為さぬ言動に、アーシュは排他主義者の犯行を確信した。

見せしめを兼ね、骨も残さず燃やし尽くす必要がある、そう決断下し、冷たく告げる。

「協定及び通達違反者を粛清する」

大陸で罪を犯した魔道師の処分は、協定締結国の代表者か代理人の許可を得て確定する。

視線を受けたレイフは誘拐に加担した恨みを自ら果たすか、ほんの一瞬だけ考えた。

大陸の人間が殺害すれば、魔道師との間に要らぬ摩擦が生じる。

最終的に彼女の意志を尊重し、ゆっくり一度だけ、うなずくいて承諾した。

アーシュは下がるように左手で合図し、右肩に縛り留めていた髪を解く。

それを見たフィンが慌てて叫ぶ。

「急いで熱さを感じない場所まで後退して下さい!」

兵士らが残らず後退したのを見届け、右手を挙げ詠唱を始める。

指示通り、レイフ達は邸から離れた距離まで退避する。

まるで、女神への賛美歌をうたうかのようなアーシュの雰囲気は普段とは違い、神々しかった。

魔力の影響を受け、彼女の全身は猛け燃え盛る炎の如く赤い色に光輝き、髪は蒸気のように立ち上り、揺れ続けた。

右手を高々と掲げあげる。指先にだいだい色の魔力が集約され、徐々に巨大な翼を持つ鳥の姿が形作られていった。

話には聞くも、これ程とは思っていなかった魔道師三人が畏怖から密かに呼んでいる。もう一つのあだなを最期につぶやいた。

「これが……炎獄えんごくの魔道師の実力……」

行けガッ紅焔フォルフィーヤフォーガ!」

アーシュが右手を前方に突き出せば、鳥は大きく鳴き一直線に突き進んだ。

つい先程まで邸があったとは思えぬ程、火の鳥は全てを焼き払い尽くし、役目を終えた瞬間、虚空に消え去っていった。

見届けていた一同が、恐るべき威力に驚愕きょうがくし沈黙する。

そんな中、アーシュだけが何事もなかった調子で、レイフ達の所へ笑顔で駆け戻る。

「さあ、帰ろうぜ!」

「触っても平気なのか?」

焦る長兄に、朗らかに笑って答えてみせた。

「髪が銀色に戻ってればもう平気だよ?

それより、エレナ助けられたの兄貴のお陰なんだ!

だから、また色々、話を聞かせてくれよ?

今度は何日でも付き合うからさ!」

今まで通り、敵にのみ害を与える――

そう理解した次兄が興味深そうに、傍に居るフィンに話しかける。

「魔道との共同技術というのも面白そうですね。今度、時間下さい」

「素晴らしいですね」

穏やかな笑顔で答える。早速、二人肩を並べ、談義に花を咲かせ始める。

アーシュが馬車に乗り込もうとした時、大事な約束を思い出した。無茶な要求をけろりとした口調で言い放った。

「そうだ、レイフ!

国宝のタンザナイトくれ!

あと、エレナ助ける為に演奏と舞踏ダンスするって、精霊と約束してるんだ」

あまりに巨額な申し出に長兄が焦る。

「そういう事なら構わないよ」

レイフは言葉通り、エレナを救い出した功績の対価と認識する。戸惑う兄に構わず、あっさり応じた。

「うっしゃ!

お前ならやっぱ、そう言うと思ってたぜ!」

諸手を挙げ喜ぶアーシュに一言、付け加える。

「国宝の代金なら、一生賭けて払ってもらうから」

まさか一生、無料ただ働き!?

言葉を真に受けたアーシュとフィンがそろって石化する。

片目をつむり笑顔で話すレイフの態度から、長兄が生涯面倒見る意図をくみ取る。

ばっしんばっしん強く二人の背中をたたき、豪快に笑って新たな家族を迎え入れたのだった。

「これでお前らも我ら大公家の一員だな!」


 リック兄、そんなに強くたたいたら背中がれ上がるから止めて!

「リック兄、痛いってば!」

自身を襲う激しい頬の痛みから、反射的に左拳を繰り出す。レイフは自分の叫び声で目を覚ました。

空振った拳をぼんやり眺める。

一時間経っても戻ってこない主人を迎えに来たランスが具合を尋ねる。

「レイフ様、大丈夫ですか?

私が分かりますか?」

状況を思い出すべく、レイフは髪をかきあげ、周囲をよく見る。

そこは伯爵を倒し帰る途中の草原ではなく、見慣れたいつもの衣装部屋だった。

いつの間にか置き時計の短針が三時を指している。音楽に合わせ、人形がくるくる男女、仲良く踊っていた。

どうやら衝撃に耐え切れず半時程、気を失っていたらしい。

「ランスか。探してる最中に偶然、これを見つけてしまったんだ」

握り締めている下着見せられ、中々戻ってこなかった事情に合点する。

「それはエレナ様の……」

まだ当時を忘れられず、密かに苦しみ続ける主人の気をせめて、紛らわせようと本題を持ち出す。

「レイフ様、研究所の方に戻りませんか?

アイリッシュさんも準備を終えている頃と思われます」

言われ、立ち上がって同意する。

「そうだね。アーシュと合流して、犯人ぼこぼこにしてやろう!」

棚の引き出しを閉め、精神的外傷トラウマを呼び起こさせた元凶への報復を誓った。

これなら汚れたり、無くなっても惜しくない。

むしろ抹消できる好機チャンスだった。乱暴に、婚礼用下着をズボンのポケットに押し込む。

これ以上手間取れば、今日は収穫なしと犯人が諦め、現れない可能性も出てくる。

「急ごう!」

二人は駆け足で部屋を出て、階段を駆け下りていった。

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