震災のことを丁寧に綴った作品です。
書くことが辛いことも真摯に誠実に書いておられます。
改めてわたし自身の「書く」意思を決意させられる思いでした。
わたし自身は舅・姑・実家の親の介護のために前職を辞め、そのあとしばらくして震災が起こりました。
前職で大変お世話になった方はやはり東北の方でわたしはその奥様からご本人がお孫さんと共に津波で流されたと仮設住宅からお手紙を頂きました。
災害、テロ、理由なく犯罪に巻き込まれる方たち・・・
わたしが小説を書かずにはいられない原因がそこにあります。
新たに書かずにはいられない決意を持てました。
誠実に、真摯に、なにかひとつでも世を照らす光としての小説を書こうと志ざす方々に是非お読みいただきたいエッセイです。
お書きくださって、ありがとうございました。
空前絶後と言っていい揺れと、破壊の跡と、命と生活と。それらに間近で接せられたおおさわさんでしか書けないことが、これでもか、これでもか、と書かれている。
読んでいると苦しくなる。泣きたくなる。そして、優しくありたいと願うようになれる。
書いてくださってありがとう、おおさわさん。
忘却も、その力のおかげで「今、笑える」ってこともあるんだから、全然否定しない。
だけど、年に一度必ず3月11日はやってくるから、そのたびに思い出して、考えたっていいんじゃないかな。災害だって来ないとは言い切れないんだし。人々の温かさはなくならないって信じたくなるし、ね?
レビューも星も要らないよ、と本文中に仰っており、それでもこうして書くのは大変申し訳ないのですが、心を揺さぶられてしまったので書かせていただきます。
その心の「揺さぶられ」が何なのか、自分でもわかりません。悲しみなのか、恐怖なのか、やるせなさなのか、自分は対岸の火事として生き延びたことに対する申し訳なさなのか、薄情に生の喜びを感じたのか。
心に渦巻く感情の揺れが何なのか、わからないのです。
ただ、私自身は「あの日」都内で帰宅難民になりながら歩いて帰宅したこと、テレビで見た被災地の映像に恐怖したこと。それは記憶にあります。そして、被災地の方の大変さも「知って」います。「理解」しています。とても大変だったんだろうな、と。
でも、その私の「知」は本当は何もわかっていないし、何も知らない事だったんですね。
おおさわさんのこの文章を読み、すごく心を揺さぶられたのは、無知を知った事に対する自分への憤りなのかもしれません。
よく、震災や戦争の記憶を残す。という事を聞きます。
でも、私は悲しい事は忘れた方がいいんじゃないかと、思う事もありました。
しかし、こちらを読ませて頂き、本当にわすれちゃいけないことが何なのか、少しわかった気がします。
震災で多くの人が亡くなった事や再び同じ事が起こらないように予防の為にしなければいけないこと。
そういう事も大切なのでしょうが、なにより被災地、その現場で生き残った人が何を感じ、何を悔い、何を喜びに感じたのか。
そういった生きている人の記憶、それをわすれちゃいけないんだな、と思いました。
被災地で見たお坊さんに対する気持ち、町中に漂うプロパンガスに恐怖したこと。
生き残った人は、都内でぬくぬく生きていた私達より、「生きる」ということが何なのか、心の魂の深い部分で考えさせられたのでしょう。
そういう方の想いを後世に残すこと。それが大切なのだと思いました。
……仕事の合間に読みはじめ止まらなくなり、アポ時間を少しオーバーしている現状を報告し、筆を置こうと思います。
色々、嫌な思い出を思い返したり、葛藤しつつも、こちらのエッセイを書いていただいたこと、心より感謝いたします。
また、要領を得ない駄文レビューになり、失礼いたしました。