7話 非常時にパニクっちゃダメ
激しく流れる水流の音で俺は目を覚ます。
ここはいったいどこなのだろう。
ふと、辺りを見渡すと耳元で轟音を立てていた正体は背後に位置する滝だった。魔王の目では視認することができない高さから、その水の軍勢は滝つぼに向かい一気に雪崩れ込んでいて、その後自然の力に逆らうことなく細い川を作り下流に向かう。
滝の周囲はというと、さきほどと同じく木々に囲まれている。
今までの鬱蒼とした森の中と状況さえ似ているものの、俺が現在立っている場所はとても空気が澄んでいるように思えた。
「人間界についた……のか?」
むくりと身体を起こすと滝つぼに向かっていき、水の中に手を入れてみる。
ひんやりと冷たい。
これだけきれいな森の水なら飲んでも問題ないはずだ。
俺は水底に足をとられないよう十分に気を付けながらゆっくりと滝つぼの中に入っていった。
手で水をすくってそれを口にそそぐ。
「……おいしい!」
次期魔王として生きてきた六年間、ろくに魔王城からも出ることなく日々父の後ろ姿や父に従う魔王軍幹部、城に仕えるメイドなどに囲まれて生きてきた俺はおよそ世間知らずだった。魔王城から見える景色はいつもそう変わらず、歴史あるレンガ造りの城下町が見えるくらいだった。大人たちはいつも若き次期魔王に外の世界の話や冒険を語って聞かせた。
それをただ聞くことしかできなかった。でもいつか、いつの日か外の世界で活躍できるような立派な魔王になることを信じて今まで生きてきたのである。
今回、理由はどういう形であれ外の世界を冒険する機会ができた。勇者には未だ複雑な感情を抱いてはいるが、外の世界に出るきっかけを作りだしてくれたという点だけでいえば感謝するべきなのだろう。
空気がこんなにも澄んでる場所があるとは知らなかった。
水がこんなにおいしいなんて知らなかった。
木々に囲まれ生きる鳥たちがでこんなに楽しそうに歌を歌っているとは知らなかった。
自然の中で作り出された滝がこんなにも雄大で力あるものだと……
刹那、魔王の瞳に映ったものは――
「軍師殿おおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!!」
それは滝の真下で力なく背を向けて水面に浮かぶ忠臣の姿だった。
* * *
すぐさま水をかきわけていき、軍師殿を担ぎあげると滝のそばの山道に仰向けにして安置した。軍師殿の顔を見るとさながら青白くなっており緊張が走った。そして俺は非常事態に取るべき行動を必死に模索する。
脈を取ってみる。
大丈夫だ、弱々しいがまだ死んではいない。
次に一瞬考えたのち、
「えーっと、人工呼吸?」
と、口にしてみたはいいものも、すぐに俺は自分がいま現在、女の姿であることを思い出す。慌てて頭を振り、胸骨圧迫だけ試みることにした。
(注 この場合正しい対応はまず意識の確認→呼吸の確認、呼吸がない場合は気道の確保、呼吸が十分な場合は回復体位にする→人工呼吸が適切か判断するが正しい対応です。命にかかわることなので正しく判断したうえで男女関係なく行いましょう。)
俺は軍師殿の胸に両手を重ねてほぼ力任せに圧迫した。
ただ、軍師殿が助かってほしい、その一心だった。
しばらくすると、
「ゲハァァッ……」
軍師殿が大量に飲んでしまっていた水を吐き出す。
まだ……希望はある!
そう判断した俺はその後も諦めることなく軍師殿の面倒を見ていた。
「ハァ……ハァ……あんたなにやってんのよ?」
ふと、背後を振り返ると茂みの中から現れたのは――
勇者だった。
このとき俺は思ったのだった。
この日以上に勇者の存在がありがたい日が訪れることは今後もうないだろう、と。
だが、そんな思いもすぐに砕け散ることになるとはこのときは思ってもいなかった。
「いいから……そこで寝てる軍師連れて逃げるわよ! はやく!」
「は?」
もはや悪い予感しかしなかった。
* * *
「で、なんで俺が担がなきゃいけないんだよ……ハァ……ハァ……お前担げよ! 絵面的に!」
「なんであたしがそいつの面倒見なきゃいけないわけ? あんたの部下だったらあんたが面倒みるのがとうぜんでしょ。勘弁してよね」
俺は険しい山道のなか、勇者と激しい口論をしていた。
見るに堪えない光景だったと思う。
それは、傍から見るとオカマ口調の男が女に意識も戻らない大の男を背負わせていたからだ。
「だいたいなんで魔王軍に追われてるんだよ! 俺ならともかくお前はいま魔王なんだから出て行っても殺されないだろうが!」
「あんたそんな口調だったっけ……もっと……まぁいいわ。あんたが撤退を言い渡された魔王軍だったらどう思う?」
「あ?」
「せっかく人間界に降りてきたのに撤退命令出されて、そこに魔王城でふんぞり返ってるはずの魔王そっくりの何の魔力も持たない男が出てきて魔王だとか言われても信じるわけないじゃない!」
「ぐぬぬ……」
「ただでさえ、殺されそうだったんだから……」
攻撃されたんだと勇者が言うんだからまぁそうなのだろう。
解せない。
「居たぞ……あそこだ! ころせぇぇぇ!!!」
そんな叫び声がはるか後方から聞こえる。
元俺の身体の貧弱さは俺自身がよくわかってる。それに勇者の身体はというと体力はそれなりにあるのは認めよう、しかし大の男ひとりを背負って走れるはずもなかった。
捕まってしまうのは時間の問題と思われる。
「ちょ……まっ、きゃぁぁぁぁ」
勇者が小石に足を取られその場に倒れこむ。
それが決定打となった。
初陣魔王の転落劇 藍川紅介 @aikawa_kohsuke
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