エピローグ

 退院すると同時に「家に来てほしい」と言われたので明日香は非常に混乱した。


 今、彼女は「織野」と表札のかかった門の前に立っている。その家の次女とともに。小春もまた一定期間の入院を要したが、少し早く退院していた。


「ど、どどどどどどうすれば良いんスか!? こういう時って? お菓子とか持ってきたほうが良かったッスかね!? ご挨拶とか何言えばいいんだろ!」


「…………ごめん」

「あ、いや謝る事はないッスよ! すげー嬉しいッス! 嬉しいけどこう、心の準備というか」

「私の都合で、呼んじゃったから……」


 小春は門の内側に入り、ドアの鍵を開けた。明日香を迎え入れる。


「……どうぞ」

「お、押忍。失礼するッス」


 リビングを過ぎ、奥の個室へ通される。

 そこに座る人物を見て、流石の明日香も絶句するしかなかった。

 猿轡さるぐつわをかけられ、涎を垂らす女性。これが噂に聞く――


「えっと、明日香。紹介するね。私の……お姉ちゃん」

「…………!」


 小春は姉の猿轡を外してやった。すぐに真夏は口を開く。


「……ぷはっ。小春、ぱんつ、今日は小春、ぱんつは」

「少し……待って。紹介したい、人がいるの」


 姉のそばまで寄った小春は明日香を振り返った。


「明日香、っていうの。一緒に、戦ったんだよ。お姉ちゃんのパンツを取り戻すのに、助けてくれて、だから、私は」

「小春ーーーーーー、ぱんつうぅ」


「……やっぱりダメ、かぁ」

「し、師匠……」


 小春は俯いた。真夏が聞いてくれないのもあるが、そもそも小春自身も、姉に伝えたい事を上手く言葉にできていなかった。

 ただしそこまでは、小春も想定済みではあった。今日はもう一つ、試したい事があったのだ。


 小春は自らのスカートの中に手を差し入れた。


「えッ」

「ぱんつ!」


 明日香が赤面した。真夏が表情を明るくした。

 小春は下着をずり下ろし、ぎこちない仕草で片足ずつ脱いだ。

 そう……あれ以来、小春は再びパンツを穿くようになったのだ。


「お姉ちゃん。……これを、嗅いで」


 それは小春が一縷の望みを託して穿いたパンツだった。

 この一日、彼女は不器用なりに、姉に伝えたい事を念じ続けた。パンツは知識や想いを保持、伝播する。これを嗅いでもらえば、伝わるだろうか。小春が姉の想いを、パンツから受け取ったように。


「い、いいの小春ぱんつ、ぱんつ……」


 清楚な白い生地に、シンプルなリボン。真夏はそれを喜んで受け取り、夢見心地の表情で吸い込んだ。流れ込んでくる。小春の、伝えたい想いが。




 ――お姉ちゃん。


 ごめんね、お姉ちゃん。私がダメな子で、いつもいつも心配かけて。

 私、一人じゃ何もできなくて。自分で笑うこともできなくて。

 お姉ちゃんはいつでも、私を笑わせようとしてくれたのに。


 でも。でもね、お姉ちゃん。

 今の私はたぶん、違うんだ。


 私、戦ったよ! 勝ったよ!

 下着屋パンターとして、私の力で、勝ったんだ。

 見て。今は私に、ついてきてくれる子もいる。

 私を見て、憧れとまで言ってくれる。


 自信が、すこし、ついたんだ。

 だから……お姉ちゃん。パンツじゃなくて、私を見て。

 もう笑えるから。きっと、笑って見せるから――




「……小……春……?」


 真夏の声色の変化に、即座に小春は反応した。目にもおぼろげな光が戻っている。明らかに先ほどまでとは違う。


「お姉ちゃん!?」

「小春……あれ? 笑って、ないじゃん……」


 真夏は困ったような笑顔になった。人間性のある表情だった。小春の両眼からは涙が溢れ、どうしても止めることができない。笑ってみせようと、思ったのに。


「お……姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん……!」

「……もう。話が違うじゃない」


 小春は膝から崩れて、愛する姉に縋りついて泣いた。


「ありがとう……頑張ったね」


 しばらく、真夏は妹の頭を撫で続けた。


 姉のパンツが妹を目覚めさせ、

 妹のパンツが姉を目覚めさせる。

 パンツが――姉妹の絆を繋いだのだ。




「……で、こちらが」

「あ、あああ明日香といいます!」


 リビングにて。真夏は明日香と対面し、やわらかく笑った。

 小春が台所から、温かいパンティーを入れて運んでくる。

 理性を取り戻した姉が言うには、まだ欲求が完全に消えたわけではないのだという。症状が落ち着くまでは徐々にパンツの摂取を減らしていくしかない。


「どう? うちの妹」

「いやあ、そりゃもう! 強いしカッコイイしで!」

「……ふうん。ねえ、小春」


 真夏はいたずらっぽい目で妹を見た。

 早くも生来の性格を取り戻しているようだった。


「お二人のご関係は?」

「「え」」


 若年の二人は声を揃えた。明日香も、師匠ッス! と即答できなかった。密かに小春を可愛いと思っている事まで見抜かれているような気がしたからだ。

 小春は、なんと答えようか少し考えた。


 師匠と弟子です、などと答えるのはおこがましい。彼女は実際、何も教えてはいない。かといって友達、という間柄でもない。プライベートの付き合いをした事はないし、そもそも小春には友達がいないので良くわからない。仕事仲間……というのが正確だが、それではなんだか冷たすぎる気がする。


 結局、小春がなんとなく答えたのは、こんな言葉だった。


「相棒……かなあ」


「しっ師匠!?」

「……へえ」


 明日香が驚き、真夏が楽しそうな声を出した。


「そ、そんな恐れ多い! 私にとって師匠はその」

「……嫌、かな?」


 小春がうつむいて聞く。その仕草に真夏は魔性を見た。これは面白い。


「あっ、とととと、とんでもない! とんでもないッスけどあの!」

「じゃあ、決まり」


 言って、小春は心から笑った。

 戦いの中では決して見せる事のない、愛らしい笑顔。


 ――やっと、見れたね。


 真夏はあえてそれを口にしなかった。

 目の前では明日香が慌てて体をバタつかせ、小春がそれを楽しそうに見ている。真夏は少し羨ましそうにそれを眺め、目を細めた。




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PANTS-de-mic[パンデミック] 渡葉たびびと @tabb_to

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