きみに花束を

新樫 樹

きみに花束を

 ピンポン鳴ってドアを開けたら真紅のバラの花束を抱えたこいつが立ってて、さすがに毒舌吐くのも忘れて目を瞠る。

「誕生日おめでとう」

 はにかみながら渡された赤い花。けれど。

 あれ、軽い…? てか、これ…。

「なんか知らないけど、すっごく安くてさ。バラなのにラッキーだったんだ」

 照れ隠しなのかそんなことを言ってるにやけた顔が、ひどく哀れに見える。

「聡、これ造花」

「え?」

「本物じゃないの。だから安かったんだワ」

 固まったところを見ると、どうやら本気で生花だと信じていたらしい。

 やれやれだよ。ご丁寧に年の数だけ赤いバラなんて、似合わないことするから、ほら。花なんてろくに触ったこともない野球バカのくせに。

「ごめん、ニセモノだったか」

「まぁ…最近のはよくできてるから。枯れなくていいし。ありがと」

 あなたがくれたものなら、なんでもうれしい。

 そんな気の利いたセリフを言えるはずもなく、たとえ頭に浮かんでいても、口に出すための「可愛げ」という機能を持たないわたしには、せいぜい気にスンナなんてことしか言えない。

 しゅんとした顔がやけに幼く見えて、遠い昔のランドセル姿が重なった。

 こいつが隣に越してきたのは小3の夏休みだった。

 お母さんと二人、おじいちゃんとおばあちゃんの住む実家に来たのにはいろいろと訳があったのだけど、知ったのはずっと後になってからだ。

「娘の美希よ。仲良くしてね。ほら、聡くんよ」

 世話焼きな母親がお見合いよろしく取り持って、来たばかりでこの辺のことを知らないんだからという枕詞で何かにつけて同伴させ、気づいた時にはすっかりニコイチになっていた。

 小さいときから好きだったという野球を始めたのもここに来てから。

 私はぜんぜん興味ないから何度聞いてもルールすら頭に入らないのに、練習帰りに毎日のようにウチにきては野球話をしていく。今度の試合見に来てよと何度も言われて一度だけちょっと覗いてみたけど、こいつがバッターボックスに立つたびに変な緊張して気持ち悪い汗かくから、それが嫌で行かなくなった。

 中学になって野球部に入って。部活が終わってもボールが見えなくなるまで毎日練習してるのを、人は努力家だとか野球好きだとか言ってたけど、本当はそうじゃないのをなんとなく知っていた。

「家に…帰りたくなくてさ」

 ある日。ぽつりと言った言葉。

 夕方の優しいオレンジ色に紺色の宵が混じるころ。

 そこかしこに秋の虫の声を聞きながらああ夏も終わるんだななんて思って。それだけでもなんか寂しいのに、こいつからこぼれたものをうっかり一粒飲み込んでしまったせいで胸がひどくぎゅっとした。

「じゃここにいればいいじゃん」

 ほとんど反射神経が言わせたみたいだった。

 一瞬はっとしたような顔をして。笑顔を見せたつもりだろうけど。それがちょっと失敗して苦笑になったみたいにしたつもりだろうけど。わたしにはちゃんと泣き顔に見えた。すごくむかついた。

 どうしてこいつが泣かなきゃいけないんだ。

 何も悪くないのに。こんなに頑張ってるのに。

「ありがとうな」

 こいつの声はいつだって優しい。

 野球でさんざん張り上げているはずなのに、真綿が包んでくるみたいな声を出す。だから、心で泣いてるのはこいつの方なのに、泣きたくなるのはわたしだ。いつだってわたしが馬鹿みたいに泣きたくなる。

「なんで美希が泣くんだよ」

 はははと声がした。気付いたら地面が見えていて、いつの間にうつむいてたんだろうと思った。でも顔なんか上げられない。だってもうぐしゃぐしゃだ。

「…俺が泣かないですんでこれたのってさ、美希がかわりに泣いてくれてたからかもな」

 でっかい手がぎこちなく頭をなでて離れていった。

 ありがとう。じゃ、行くよ。

「またあしたね」

 さよならって言ってしまったら、なんでだかもう会えなくなるんじゃないかって思った。それがとても怖かった。

 さよならといいかけたらしい温かな声がふっと止まって、おやすみと言った。

 あの時、こいつは「また明日」とは言わなかったけど、そのあともずっとずっと隣に住んでいて、いまだに野球一筋で、別々の高校にいったけど毎日のように顔を合わせてる。

 そうして、お互いの誕生日を祝うようになったけど、グローブだのシューズだのにつぎ込んでいるせいで万年貧乏人だから、プレゼントはいつも全力でハッピーバースデーソング歌うとかって、わけわかんないやつだった。

 それがわたしの十七歳の誕生日にバラを買ってきた。

 造花だったわけだけど。

「いや、ぜんぜんいいよ。造花でも。キレーだしさ。ずっと飾っておけるし。なんかほら、永遠に変わらない友情、的な?」

「ナイスフォローだな」

「お。ゴールデングラブ賞もの?」

「へぇ、そんなの知ってるんだ」

 これでも野球のことは、ちょっとは覚えようとしてるんですよぉだ。

 しょっちゅうググってるから、「や」って入れたら即「野球」って出ますよぉだ。絶対言わないけど。

「でも、それ嫌だな」

「は?」

 なにが? ゴールデングラブが? わたしがそれ知ってんのが?

「俺は美希と、永遠には友達でいるつもりないから」

 なんじゃそりゃ。だ。こいつはもう! かりにも誕生日にそういうこと言うなよ。テンション下がるよ。……彼女できたら女友達切るってこと?

 さっきから黙ってるわたしを見つめてくる。

 なんでか真面目な目をしてて、そんなのを見返せるわけがない。

「美希ってさ、俺の事は昔からすごく察しがいいのに、いっこだけ全然わかってないとこあるんだよな」

「…なによ」

「真紅のバラの花って、超好きって花言葉なんだって」

 ずいぶんフランクな花言葉だなおいとかいう憎まれ口は、のどに引っかかったまま出てこない。だからその後の言葉もせき止められて出てこない。

 なんだろうこれ、耳たぶってこんなに血流よくなるんだっけ?

 心臓ってこんなにうるさいものだったっけ…

「そういうこと。俺の気持ち」

 野球バカのくせに。頭坊主のくせに。額に帽子焼けしてて笑えるくせに。

 バラとか似合わないくせに。…でも…だから。

「ん。これ」

「へ?」

「返事」

 束の中から1本だけ抜いて差し出す。

「ググって。バラ1本の意味」

「お、おお。わかった。けど…」

 言ってやるのはシャクなのだ。

 真紅のバラの花言葉、ちゃんとわかってんのかも怪しいやつに。

 だってわたしなんかずっとずっとず~っと前からこいつのことを…

 こいつなんかより、もっともっとこいつのことを…

「あなたしかいない、だろ? 死ぬほど恋焦がれてますって告白の返事にしては、ちょっと足りないな」

 にやっと笑った顔は、ひどく大人びて見えて。

「なんて、冗談だよ。ありがとう。すっげぇうれしい」

 な……。

「生花と造花の区別もつかなったくせに」

「はは、そうだな。そこは、ごめん」

「甲子園連れてってとか、言ってほしい?」

「それは言われなくても連れてく。ずっと決めてた…」

 造花のバラの花束を間に置いて、ぷかりぷかりと生まれては取り留めなく浮かんでいく言葉たちが、遠いあの夕方の中にいたときのように胸をぎゅっとする。

 造花のやわらかな刺が、ラッピング越しにそろそろ帰る時間だよって指をつついてきた。同時に思い出したように今何時だろうと聞かれて、わかんないけどそろそろご飯だよねって答えた。

「じゃ、またな。さよなら」

「うん。さよなら」

 香るはずのないバラの匂いが、ふっと立ち上ってきたような気がした。

 それは甘くて優しくて、さよならも怖がらないで言えるくらいな、幸せな匂いだった。

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きみに花束を 新樫 樹 @arakashi-itsuki

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