第2章 3節

路地裏の逃避行の翌日。


彼女にとって予想外な事に覚悟していた面倒事は起こらず、以前からの予定通りエレナはアリンフォート士官学校の試験会場で試験運営の補助に奔走していた。


幼年学校で一部の成績優秀者に与えられる推薦入学枠は士官学校への入学試験の免除資格である。

しかし、制度利用を許された幼年学校生徒は入学生の中でも1クラス相当の25人であり、その枠から漏れた幼年学校生徒は通常通りの入学試験をパスする事で士官学校への入学が許可されるのだ。


だが、推薦入学枠の利用は同時に他の生徒より二週間程度早い士官学校生徒として、延いては軍属としての義務の発生を意味する。

義務としては様々なモノが有るが、今年度の幼年学校推薦者に命令されたのは大半が受験生の引率であったり、試験監督若しくはその補助であった。


エレナの場合士官学校からの新規入学を目指す受験生の引率、及び試験会場内での警備が事前に取り決められた役割であり、試験中の不正行為を取り締まる立場でもある。


まぁそもそもの問題として、試験内容の実に九割が実技試験であるのにどうやって不正行為に及ぶのかは大いに疑問符が付くのだが。


引率を終え、不正防止の警邏として受験生のライフル射撃実技試験を見廻りする事四半刻。

怒声が響いた。




眼前でボクに怒鳴って居るのはこの国の建国当時から続く旧名家の末裔。

旧名家とは言えども事前調査の資料に依るなら、現当主は議会で議席こそ死守しているものの、何か迂闊な事をすればその議席すら失うが故に発言権を実質放棄しているのだが。

それでも試験官に自己責任対応を指示させている辺り、その権限の強固さがよくわかる。


「全く、立場を自覚出来ない子を持つと親は苦労するって事の典型例だね。」


この少年は既に有って無い様な立場を振り翳して周囲に迷惑ばかり掛けている。

と、言うより正確には。

現在進行形で絡まれているのだ。


「おい!貴様ァ!誰に言っている!」


何だ、口に出てしまっていたのか。

帝国貴族に勝るとも劣らぬ精神性の劣性形質だ。

いや、あちら側は皇帝が処罰を下す形で排除が可能だからまだマシかも知れない。

に来て三ヶ月程。

アリンフォートへの侵入、市民証明の偽造、先代『メアリー』からの引き継ぎと前任者の処理は終わっているが、昨日の一件も有って士官学校入学試験を受ける羽目になった。


そもそも昨日で目標の処理を終えていればこんな吐き気を催す害悪に絡まれる事も無かったのだが。

コレの言い分は二つ。

自分よりライフル射撃のスコアが高いのは可笑しいから、不正が有るだろう。と言う事と、そもそも自分は産まれから高貴なのだから畏れ敬うのが道理であろう、と。


周囲の受験生が農村から出て来てライフルを持った事も無い素人ばかりだから他には絡んでいない様子だが、ミスショット半分以上をフルオートで3マガジンバラ撒いて撃ち切りした奴に手加減したとは言え2マガジン全弾命中させた自分が責められるのは可笑しい。まぁ、手加減の度合いが足りなかったのは認めるが、静止目標をよく狙って撃ち込むだけの簡単な作業で、気付くと全弾的中だったのだ。


そんな事を俯きながら考えていると、気付くと静かになっていた周囲のどよめきが聞こえ、眉間に冷たい感触とカチャリと金属音。

また熟考し過ぎてしまった。しかも今回は生命の危機である。


今更生身での戦闘が初だとは偽装し難い。

有る程度の身辺調査を受ける事を前提として抵抗するか。


顔を上げた瞬間。


眼前の拳銃が消え、その次の瞬間凄まじい形相をしていた少年が消えた。


「ハイ?」


唖然とした空気の中にあって、少年が地面に叩き伏せられる音と、鈍く、遠くで聞くだけでも痛みの走る様な音が響く。


「大丈夫……?」


眼下には拳銃を握っていた腕を関節とは逆方向に折られ、呻き声すら上げられなくなった少年と、紅い瞳に白い色彩、無表情で此方を見上げる少女。

ボクが殺さなくてはならない少女は、首を傾げながら此方を見つめていたのだった。




自分としては、当初は介入する積りは無かった。

『エレナ=グリーシス』として生きて行く上では世話になっている恩人に余分な手間を掛けさせる様な面倒に関わるのも不義理と言える。


だがしかし、流石に拳銃を取り出した所からは完全に違法だ。

一応は法治国家の士官学校生なのだ。

止められないと評価にも関わるし、何より目の前で起きる無辜の人間に対する殺人を見逃す程に自分とて人間味と倫理観は捨てていない。


こんな少女のナリをしたナニカでも一応、倫理的には非常に整った安全な国に暮らした記憶を持っているのだから。


幼い頃からの生活と鍛錬でそこそこ以上には鍛えられたであろう健脚を活かして疾走、膝跳び蹴りから腕を蹴り上げる事で拳銃を天井に向けて逸らし、着地した勢いで今度は横から足払い。


堪らず倒れ込みながらも拳銃を手放さないのは確かに優秀なのだが、不意に撃たれるのは勘弁願いたい。


故に今度は倒れ込んだ少年の腕に組み付き、体重を掛けて圧し折って無理矢理指から拳銃を奪い、痛みに悲鳴すら出なくなっている少年を捕縛開始。


「ハイ?」


唐突に前方から聞こえた声に、高さとは関係無いんじゃないか?と内心で返事をしながらふと見上げてみれば眼前には唖然とした表情の金髪蒼眼でショートカットの古典的な美少女。

驚きの表情の具合を見るに笑顔が特に綺麗そうではあるが、状況が状況なので先に安全確認。


「大丈夫……?」


一応拳銃を向けられていた少女を安心させる為に笑顔の一つでも見せてあげたいのに、我ながら相も変わらぬ無表情。

数秒経ってから無言ながらもコクリと頷いて見せてくれた笑みは予想以上に可愛らしく、コレだけでも介入した甲斐があったと思えたのだ。

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こちら共和国軍技術工廠所属新技術実証試験独立中隊 山際タカネ @Leraye

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