第2章 2節
時間は士官学校入学試験前日まで遡る。
その日エレナは士官学校制服の受け取りの為にアリンフォート最大規模の商店街まで来ていた。
大前提として、アリン共和国の首都アリンフォートは要塞都市である。
その事もあって多少以上の道幅のある通りは凡そ戦闘想定区域として近隣の建築物に一定以上の強度が求められ、更には全高12mの機体が6mまでならば跳躍しても広域視界を確保出来ない様に建物の高さにまで最低基準が定められ、20m台の建築物が推奨されているのだ。
最大規模の商店街であるこの場所も又、戦闘想定区域として指定され、道沿いを20m程の高い建築物に覆われた構造になっていた。
人で賑わう場所としては物騒ではあるが、そもそも国として軍事国家に分類されるアリン共和国なのだから其処は今更と言う物だった。
目的の店を出て受け取った制服の袋を持参した肩掛け鞄に入れた事を確認し、周囲を小さく見回して肩を落とす。熱烈な視線を送っている浮浪者が二人に、意識を此方に向けたままで新聞紙で顔を隠した人物が一人。
一応この近辺は警邏が巡視しているが、常に其の場に居るというわけではなく、どちらかと言えば時間がかかる。
そんな場所に大き目の鞄を持った少女が現れるのは賢くない行動と言えるだろう。
武装の義務化された国民皆武装国なので護身用のハンドガンやナイフは所持しているものの、1発でも撃てば面倒に巻き込まれるのは確定していた。
気を取り直して昔使った事のある裏路地を探し、確実に逃げ切れるルートを考える。
養父に拾われて今の苗字を得る前はストリートチルドレンだったのだ。路地裏での逃げ切り方はよく知っている。
最悪の場合昔のねぐらを隠れ家として使う事も考えながら、昔見知った路地を見つけて飛び込む。追手として先に追い掛けて来るのは二人、物乞いの様な風体だが、片方の図体は鍛えた様に大きかった。
足音を消しながら入り組んだ細い路地をすり抜ける様に走り抜け、ドラム缶を踏み台としてコンテナを飛び越える。
残り一人は恐らく偽物乞いの後詰めだったのだと判断。
着地と同時に差し掛かった路地の交差路の左右を確認した上、覚悟を決めて一見行き止まりに見える左方に曲がった。
「奴が居ないぞ!?」
目の前を共に走って来た相棒が喚いている。
見れば判るだろうその位。
コンテナを超える事は自分は兎も角相棒にはその体格が仇となって不可能だ。
我が祖国であるグラエシア帝国に対して最大級の脅威だったアリン北方軍の名将シグルズ・グリーシス。彼は工作員の捨て身の細工によりARMSのコックピットに遠隔起動式爆薬を仕込まれ、最前線での戦闘指揮中にその命を終えた。
だがしかし、能力と人望が非常に高い前線指揮官を失って混乱するかの様に思われたアリン北方戦線はその予想に反して前線部隊旗下の兵員の90%が結束、直接彼の部隊と関係を持っていた後方支援部隊もその大半が一丸となり、細工を行った工作員は即刻特定されて略式軍事裁判により処刑、祖国の前線は寧ろ劣勢に傾く結果となる。
アリン北方戦線で右に出る者は居ないとまで謳われた名将グリーシスは死して尚、友軍を鼓舞したのだ。
その彼が迎えた義理の娘が幼年学校に入学したと噂が流れ共和国軍の勢いは更に増し、事情調査を行った上層部からはその娘、エレナ・グリーシスの拉致若しくは暗殺の指令が下った。
故に工作員とは分からない程度にチームで変装して件の少女を追ったのだ。
仮に上手くこの場で仕留められない場合全寮制の士官学校に籠られてしまう結果となる為、バックアップの為に上司が士官学校へ潜入するとは言えども此処で仕留めておきたい。
「ターゲットはコンテナの向こうだ。私とコイツは此処から奴を追う。其処の肥えた馬鹿者は表通りから回り込め。」
今此処で自分達の指揮を執る上司の名前も、性別も、年代すらも自分達は知らない。
目の前に居る上司は中年の男性だが、前回の仕事の時は老婆、その前は少年だった。
まぁ、上司の正体は兎も角工作員を勤めて長いが前任者から今の上司になってから味方の正体の発覚、処刑率が大幅に減少し、任務達成率も上がったのだから詮索する気にはなれない。
自分は祖国で待つ娘に生きて帰ると約束したのだ。
無駄に命を散らすのは勘弁して貰いたい所である。
彼等は如何やら矢張り、物乞いや一般人では無く、自分を狙って来ているらしい。
『奴』だとか『ターゲット』と呼ばれた時点でそれは理解したのだが、実際問題として自分がその手の輩に追われる事になるとは。
世の中何があるか判らんモノである。
士官学校の寮舎にまで逃げ切れば問題は無い。
が、一応現状肉体的に女性で、ギリギリとはいえ未成年扱いの自分を狙う様な不逞の輩に狙われて、一方的に追われるままに何の意趣返しも無いのは少し納得が行かない。
故に。
少し痛い目には遭って貰おうか。
取り出したのは護身用のハンドガン。
このハンドガンに特別な思い入れは無く予備もある為、躊躇いなく手持ちのハンカチで周囲の壁を這う水道管に上向きに固定。
ついでにハンドガンの製造番号から後で面倒な事になる事は確定するが、追ってくる方が悪いと開き直ってスルー。
更に今日着ている幼年学校制服は今日で用済みなので手持ちのナイフで少しブラウスの裾を裂いて紐状にし、片側をハンドガンのトリガーに結び付けた。
後は。
結び目が見えない様に転がっているゴミ袋を使ってカモフラージュし、トリガーから繋げた紐の先をその内の一つに結ぶ。
そしてそのゴミ袋を他の袋と一緒に積み上げ、紐の余分を括れば完成。
後は退路として考えていた廃墟の二階のベランダに飛び付き、何食わぬ顔で屋内を通って人通りの多い主要道に出て、仕掛けは終了。
「細工は流々、かな?」
此処に居る意味も無い上、万が一ではあるが追手に捕まるのは厄介なので寮舎への帰路に就いた。
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