ここに書かれているように前向きな発想と強い気持ちをもっていたら、その人にとって創作活動はより活動的で推進力のあるものとなるだろう。
同時に、レビューをする側にとっても、気の置けない、歯に絹着せない言葉で気持ちや評価を書き手へ伝えることができるようになるだろう。
私はこの作品は書き手にとってだけではなく、読み手にとっても有意義な言葉を詰めたものだと思う。
感想ひとつ伝えるにも、こう表現したら気を悪くさせてしまうかもしれない、感動や褒め言葉が正確に伝わらず逆に受け取られたらどうしよう、と相手の人柄が見えるような状況においてさえ悩んでしまい、星だけを投げるのが臆病なファンの精一杯のエールだ。
だが、ひとつの感想にひとつの星が代替することはできない。この作品をより多くの人が知って、今以上に気軽に作品への感想を言えるような風土ができれば良いと願う。
自分は「自称鬼編集者」さんに鋼鉄メンタルになるまで鍛えられた「元クレーム・ド・ブリュレメンタル」です。
ここにこうして3度読みに来たのは、その当時の気持ちを思い出すためです。
現在はすっかり「ちょっとやそっとじゃめげないよ?」になりましたが、そうなって来ると今度は逆に「自分が他の人に悪気無く酷い言葉を投げつけてしまっていないだろうか?」という事が心配になるのです。
そして、自分が他の人に付けたレビューを何度も見直しに行ったりするんですね。そんな自分を見て「あれ?まだ絹ごし豆腐メンタルだろうか?」などと顧みたりするわけです。
人は案外自分が「過去に」発した言葉を振り返らない。後で見るととんでもない事を言っていたりするものなのに。
それを何度も思い起こさせてくれるのが、この作品です。
多分、また読みに来るでしょう。
*5月11日編集
文章を使って勝負(良作を書く)をする場で、文章を使って他人を貶める行為は「文章」に対する冒涜であると思っています。それは許される事ではありません。
私を鍛えてくれた「自称鬼編集者」は私を潰す事を目的としておらず、作品としてより良いものにすべく意見を述べて来られたのですが、作文初心者だった当時の私(と言ってもほんの8か月前ですが)のペンを折らせるには十分でした。
悪意のある荒らしならばいくらでも余裕で対応していたでしょう。ですが、悪意がないだけに対応のしようがなく、またネタバレしないように気を遣いつつ対応する事に頭を使いすぎて、ブログで公開していたその作品を一度捨てたのです。
悪意がある物は論外ですが、自分が良かれと思ってしたことでも、それが相手にとって本当に良い事なのか、独り善がりになっていないだろうか、そういった事を何度も振り返って欲しい。
その意味でもこの作品を沢山の人に読んで欲しいと思います。