スーパーカブ第二章 没エピソード2
「ちょっと待っ」「ちょっと待って!」
小熊は自転車を押しながら、駐輪場から出ていこうとする藜に声をかけた。同時に誰かが藜を呼び止めた。発せられた言葉は同じながら、小熊の声をかき消すほど大きく耳障りな声。
ふりかえった藜は小熊を見た、それから大声の主を見る。小熊が振り返って確かめるまでも無い。セッケンの部員で大学の同級生、ペイジという金髪を二つに結んだ少女。
彼女は自転車に乗っていた。小熊がついさっきセッケンの倉庫で見かけた、ガラクタとゴミしか無い在庫倉庫には不似合いなロードレーサータイプの自転車。
ペイジは藜の目の前でブレーキをかけることなく自転車を急停止させ、前後輪を滑らせて止まる。
いきなり現れた金髪少女に気圧されている様子の藜に、自転車を降りたペイジは自分の乗っていた自転車を持ち上げ、藜に差し出す。
「こ!これやる!」
小熊はペイジが乗ってきた自転車を観察した。ロードレーサータイプだけど、今時のカーボンフレームではなく古臭いパイプフレームで、ギアが一枚しか無い。ピストとかシングルスピードと言われる自転車。
競輪選手が使い、その速度能力に相反した堅牢性とメンテナンスコストの低廉さから、バイシクルメッセンジャーと呼ばれる海外の自転車便で使われ、ファッション雑誌で紹介されてから日本でも見られるようになった。
藜は、ペイジが差し出したオレンジ色のシングルスピードに指先で触れた。ドロップハンドルと言われるレーサータイプのハンドル、ペダルに足を固定するトゥクリップ、同じ自転車ながら小熊のシティサイクルとは違う外見。
ペイジは片手で持ち上げていたシングルスピードを藜に突きつけ、ニヤっと笑いながら言う。
「持ってみな」
言われた通り両手で落とさないように掴み、片手で摘むように持っていたペイジの手からシングルレーサーを受け取った藜が、ペイジが手を離した途端高く持ち上げる。自転車一台を持つことを前提にしていた筋肉が、予想外の軽さに対し誤作動を起こしたような感じ。
小熊も横から手を伸ばして持ち上げる。軽い。以前数十万円のロードレーサーを持ち上げた時より軽い。小熊が普段の買い物で持つ米袋と比較すると、十kg袋と五kg袋の中間くらい。
その軽さだけで、自転車の素性の説明を終えたような感じのペイジは、藜に向かって一方的に畳みかける。
「これが譲渡の書類だ。防犯登録してなくてお巡りに因縁つけられたてもこれを見せれば何とかなる、それからシューズとグローブだ、これが一番いい」
困惑している様子の藜に生ゴム底の体育館履きと滑り止め軍手を差し出すペイジを、小熊は睨みつけた。
「勝手に物をあげないで」
犬だって無関係な人間が餌を与えたら飼い主は怒る。この自転車が別の飼い主の首輪に化けることだってある。そうなれば今まで藜に少々の投資をしていて、今も善意を分け与えようとしていた小熊は大損になる。
小熊と同級生ながら少し背の低いペイジは小熊に噛み付いた。小熊とスーパーカブを一方的にライバル視しているペイジはいつもこんな感じ。
「何でだよ!いいじゃねーか別に!この藜って子はお前のもんじゃないんだろ?」
小熊は体格や脳の容量までケチな性根にお似合いのペイジにもわかるように、顔を近づけてはっきりと言った。
「わたしのものだ」
小熊と藜を交互に見たペイジは、普段から小熊が何を言っても堪えない彼女にしては珍しく気弱そうな顔を見せた。
「え?お前ら、その、そういうことだったの?」
藜も手に持ったままのシングルスピードをペイジに差し出しながら言う。
「僕はこんな、こんな高価ものを貰うわけにはいきません」
小熊はショボンとしているペイジに助け舟を出す積もりなど無かった。むしろ弱っている時こそ踏みにじってやりたかったが、目の前で起きている間違いだけは正すことにした。
「タダでしょ?」
ペイジは自慢にもならないような事を胸を張って答える。
「うんタダ。市の放置自転車処分で貰って私が直したけど、かかったのはグリス代だけ」
※作者コメント
藜が自転車に心魅かれていき、やがて自転車で生計を建てる道を選ぶという展開を考えましたが、スーパーカブの話から外れるのでボツ。
自転車で失った人生の立て直しをする案は別作品HotRingsに再利用
カブたん トネ コーケン @akaza
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