カブ・ハンター ~forest princess in tokyo~(29)


 湖畔の山小屋で俺と少女は、食っては寝て、そして交わるという日々を過ごした。

 昼の間は少女が外の山野で鹿や兎を撃ってきたり、湖で大きな鱒を釣ってきたりして、一緒に採ってきた山菜や野生の果実と共に料理して食べる。

 俺はただ山小屋に居るだけの役立たずだったが、少女に薪で火を熾す方法や燻製の作り方を教わり始め、それなりに充実した時間を過ごしていた。

 そして夜は、どんなアニメに出てくる美少女も叶わないであろう少女と愛し合う時間。

 そんな日々を過ごしてると、このままこれからの人生をこの綺麗な山の中で、少女と共に生きていってもいいんじゃないかと思い始める。


 街であくせく働かずとも、俺の最低の母が遺した遺産はこれからも俺たちが生きていくのに必要な利息や配当を生み出してくれるし、そんな物全部捨てたところで、少女の狩る野生動物を買い付ける顧客は結構多いらしく、生きていくのに必要な少々の金には不自由しない。

 東京で暮らしていた時には無ければ死ぬと思っていたネットやアニメ、各種のコレクションも、今は見たいとさえ思わなくなった。

 満たされた暮らしをしている俺たちは、これからどうするかについては話さなかった。

 少女が外で狩りを行い、俺が山小屋を守る。それが当たり前になりつつある暮らし。そういえばライオンの群れも同じようなものだという。雌が獲物を狩り、雄は傍目には何もしていない。

 もう何度目かの夕食。何度食べても全然飽きない山の幸を、少女と差し向かいのテーブルで食べながら、俺は少女に言った。

「俺、帰るよ、東京に」

 

 猪の肋肉を可愛らしい仕草で食べていた少女の手から肉が落ちた。静かなようで自然の音に満たされた山小屋に、肋骨が皿に当たる音が響いた。

「何故だ?」

 冷静に切り出したかと思った少女は、次の瞬間に口から猪の肉を飛び散らせながらまくしたて始めた。

「何故ここを去る?山の暮らしは不便か?もしお前が望むならネットもテレビも私が作ってやる!それとも、私と暮らすのがイヤか?」

 顔を歪めて泣きそうな顔になる少女に、俺はここでの暮らしが始まる以前、あのライオンと出会った時から思っていた事を言った。

「東京の俺の家は最低の場所だ。最低の親に最低の仕打ちを受け、親が居なくなった後も最低の暮らしだった。でも、あの最低の家は俺が生まれ育った家だ。俺の一部なんだ」

 

 俺はテーブル越しに手を伸ばし。俯いて涙を零す少女の小さな掌を包みながら言った。

「だから、お前も東京に来てくれないか」

 ほんの一瞬、顔を上げて俺の目を見た少女はもういちど下を向き、森から切り倒した楓の無垢材で作ったテーブルの木目を見ながら、小声で言った。

「私には、この森を離れて生きていくことなんて出来ない」

 最初からわかっていた事だった。俺は街で、少女は森でしか生きていけない。

 俺たちはいずれ離れなくてはいけなかった。


 

 あれから随分時間が経ったように思う。

 今朝も山小屋に差し込む太陽で目覚めた俺は、横で眠る少女をつつき起こした。

 目を覚ましゆっくり体を起こした少女が、自分が何も身につけていないのに気付いて慌てて毛布で体を隠すのを尻目に、俺はベッドの向かいにある樫の木の手製デスクに歩み寄った。デスクトップを起動させる。モニターに映し出される本日の天候は、極めて良好。

 デニムパンツとウールシャツを身につけて山小屋の外に出た。目前に広がる木々から森の香りを胸一杯に吸い込み、母屋となる小屋の横にある燻製小屋に入って、ちょうど食い頃の鹿肉を見繕って母屋に戻る。

 前夜に放り込んだ太い薪が熾火になっている薪のストーブにフライパンをかけ、朝食を作り始めた。

 

 ようやくベッドから出てシャワーを浴び、俺と同じようなカーキ色のデニムパンツとオレンジのウールシャツを身につけた少女と二人でテーブルについた。

 ステーキほどの厚みのある鹿のベーコンに卵を添えたベーコンエッグと、昨日俺が鋳鉄の石炭オーブンで焼いたパン、野生種のブドウを搾ったジュースの朝食を終えた少女は、壁にかけてあったマウンテンパーカーに袖を通し、部屋の隅にある俺のデスクトップが置かれた机の隣、揃いで作ったもう一つの机に歩み寄る。

 机の前に架けられた銃器の中から、銃身と銃床を短く切り詰めたM1カービンの猟銃を選び出した少女は、夕べ机に並んだ装弾機で作った三十口径の弾丸を一掴み、マウンテンパーカーのポケットに落としこみ、それから俺に彼女と揃いのパーカーを放り投げてきた。

 飛んできたモスグリーンのパーカーを受け取りながら、今日の狩りには俺も一緒に行くことになっていることを思い出した。

 

 俺はパーカーのポケットにタブレットPCを入れながら、革のヘルメットを二つ手に取って少女に渡した。二人揃って山小屋を出る。

 玄関ポーチの階段を下がり、オリーブグリーンのハンターカブに二人で跨る。少女がキックしてエンジンをかけ、俺は荷台に乗って少女の腰に掴まる。

 あの夜、ライオンとの激突で大破したハンターカブは、山小屋にストックしてあった予備パーツで何の問題もなく直り、今も俺と少女の足として活躍している。

 今日も山小屋から伸びる細い林道を二人でカブに乗って走った。木漏れ日の中を十分ほど走り、自動的に開くゲートを超えると、そこは舗装道路と住宅地だった。


 互いを必要としながら、街から離れられない俺と、山でしか暮らせない少女。俺が選んだのは、街に山を作ることだった。

 自宅を売り、母からの遺産をすべて注ぎ込み、自宅近くにある大型遊園地の敷地の一部を買い取って、そこに植林し森を作る。

 俺の非現実的な構想に、ある大手銀行系の土地開発会社が乗っかってくれたことで、東京二十三区の端に武蔵野の森林を再生するビオトープ的な人工森林が作り上げられた。

 森林と自然環境を生成する過程では、少女とその祖父が銃器と狩猟を取り締まる司法と、自然環境の保護、研究の世界に持っていた多大な影響力とコネが役立ってくれた。

 今の俺たちは人工森林のオーナーにしてアドバイザー、そして管理人という役職だが、少女には、もう一つの仕事がある。

 俺の中にあるという獣を惹きつける臭腺のせいか、それとももっと大きな規模での異変が原因なのか、最近になって人家に迷い込むことの多くなった野生獣。

 そんな動物を撃ち、可能ならば保護して再び山野へと導くのが少女の仕事で、俺もその手伝いのようなことをしている。

 最近では子供たちに野外での暮らしを指導する仕事なんて依頼も受けるようになり、俺はもっぱら失敗して反面教師を示すことで役立っている。


 街で暮らす俺と、山で生きる少女は、今日も街の山で暮らしている。


(終)

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