カブ・ハンター ~forest princess in tokyo~(28)

 月光に照らされた湖畔の山小屋に、少女はハンターカブを停めた。 

 俺が荷台から降り、ここ数日の滞在で勝手知った山小屋の鍵のかかっていないドアを開けた。

 少女は黙ってエンジンのかかったままのカブを押し、山小屋の中に入る。

 そこで役目を終えて力尽きたように、カブのエンジンが屑鉄を轢き潰すような音と共に止まる。同時にリアタイヤ回りのボルトやシャフトも破断したらしく、タイヤが外れ、ハンドルも外れ、カブは半ばバラバラになった状態で山小屋の樫の床に倒れる。

 少女はカブの前で俯いいたまま動かずに居たが、やがて声を殺して泣き始めた。


 今夜、少女は自分が暮らす山でライオンを狩ろうとした。

 夜行性の獣に人間の視力が抗える満月の夜という好機を活かし、俺という最良の餌をブラ下げ、選び抜いた装備に身を固め、彼女が決着の場と決めていたらしき森の奥深くの草原で、ライオンと対峙した。

 結果は、確実に撃てる距離にまで近づいた少女が放ったスラッグ弾はライオンの右目を奪っただけで、心臓を刺し貫くべく更に接近しナイフを突き立てた結果、前足一つで文字通り一蹴された。

 ライオンは少女に止めを刺すことすらせず森の奥に消えた。

 

 俺はといえば、少女に慰めの言葉をかける余裕など無かった。胸の傷はそれほど痛まないが、俺もまた、俺の中にある非常に稀な臭腺に惹かれたというライオンが、俺の血を啜っただけで体を食らうことをしなかった理由を考えていた。

 俺も少女も、あのライオンに命を赦された。それが何故なのかがわからない。もう一度胸の傷を見下ろす。少女が施したサラシによる圧迫止血が効いたらしく、少々の血が滲むだけ。

 俺の匂いと血は、実際に口にしてみると、そんなに不味かったんだろうか。失血と疲労で考えるのも億劫になってくる。山小屋に来てからずっと日暮れと共に眠り、夜明けと共に起きる生活をしていたからか、さっきから眠気が差してくる。

 今はどれくらいの時間なのかを考え、時間というものはどうやって測りればいいのかをしばらく考えていた俺は、時計というものの存在を思い出し、旅荷物の袋を漁る。


 この山小屋に来て以来ずっと見ていなかった時計が、今が深夜であることを告げている。あの草原でライオンと出会った頃、ちょうど月が中天に在った時にを超えたんだろう。

 日付を見ると晩秋とも初冬とも言えない時期。確かこの日は、世の中ではワインの新酒ボージョレーが解禁されるという。

 日本人にとっては飲みやすく美味なものと言われているが、熟成されてやたら苦味やくど味の濃くなった酒を珍重する欧州の人間にとっては、今年の葡萄の味を見るために飲むものだという。


 まだ若く熟成の足りてない、飲むには早すぎる新酒。結局のところ、俺の血はそうだったんだろうか。年は熟成ワイン並みに重ねているが、人生経験という奴が足りていない。

 いいワインには過酷な気候に晒された土壌が必須だというが、そっちのほうは母親からの虐待でそこそこ経験している気がする。

 俺はハンターカブの残骸の前で蹲っている少女を見た。ハンターカブと散弾銃を使いこなし、一端のハンターとして獣と対等な存在になったものと己を過信し、結果としてライオンに一蹴され、狩る価値すら無いものとして放置された。


 俺は少女に歩み寄った。いまはもうこの少女が、ちっぽけな女の子にしか見えない。そのまま少女の体を掬い取るように抱き上げた。

「何をする」

 少女の顔に狼狽の感情が浮かんだ。俺は気にせず、少女に俺の考えを話した。

「俺もお前も、あのライオンの前にはただの虫ケラだった」

 少女は顔をそむける。涙に濡れたグリーンの瞳が綺麗だと思った。

「このままではお前は一生かかってもあのライオンを狩れないし、俺はあのライオンに食ってもらえない」

 少女は追い討ちをかけられたような顔をしたが、横目で俺の顔を盗み見る。少女自身が自覚していた八方塞りの状況。少女は俺に救いを求めていた。

「俺とお前ならどうだ?俺もお前もダメなら、俺とお前の血が交じり合ったものなら」


 最初は何を言っているのかわからない様子だった少女の白い肌が見る間に赤くなっていく。

「それは、それはその、交配、交尾をするということか?」

 俺が「そうだ」と答えると、少女は俺に抱っこされた体勢のまま手足をバタつかせて逃げようとしたが、俺の胸に滲んだ血、その匂いをクンと嗅ぐといきなり大人しくなった。顔を赤らめながら小声で言う。

「私と、お前の交雑種、それは悪くないかもしれない」

 俺は少女をベッドに放り投げた。そのまま互いの服を剥ぎ取り、肌に残った血と汗と、森の香りにまみれた体を洗うこともせず、獣のように求め合った。 

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