トラックで人を轢いて異世界転生させたトラック運転手だけど問題しかない

@track_tensei

第1話トラックで人を轢いて異世界転生させたトラック運転手だけど問題しかない


 高田馬場又三郎が地裁で懲役刑を受け、それに対して控訴が行われてから、はや数か月が経った。拘置所で悶々と日々を過ごしては、高等裁判所へ護送されて拘置所へ戻る日々。遡れば、最初の事件から数年が経過していた。

 又三郎は拘置所の寝台の縁に腰かけ、深々と息を吐いた。


「どうして、こんなことに……」

「あなたがグルンコフ世界へ勇者達を転生させたからチェフ!」


 又三郎の頭の横には、ポメラニアンの様な生き物が浮いている。だが犬は、宙に浮かず喋らない。又三郎が最初に起こした事件以来、他人のいない時に限って現れるそれを、精神科医は『現実逃避のための幻視』と称した。別の精神科医は『精神的負荷を軽減するために生まれた別人格』と称したが、最終的な結論は『全般において高田馬場又三郎は一般から大きく逸脱した精神状態にははなく、被告の訴える幻視の有無は考慮に入れる必要のない些末な事項である』とされた。


「あなたが今まで転生させた勇者の数は12人チェフ! グルンコフ世界を救うためには全然数が足りないチェフ! どうしてこんな所にいるチェフか?」

「……罪を犯したからだ」

「罪チェフか?」

「トラックで人を12人も轢いた。しかも全員死んでる」


 これも数年の間に何度も繰り返された問答だ。

 グレーの普段着の裾を握りしめて、又三郎は呻くように言った。


「十分だろう。過失致死なんて程度じゃない。殺人どころか法廷でサイコパスだのシリアルキラーだのと言われたが、俺には否定できない」

「何を言っているのか、よくわからないチェフ。いつもわからないチェフ」


 脂汗を流しながら、顔をしかめて喋る又三郎に、ポメラニアンの形をとった何かは円らな瞳を向けている。犬の様に口で呼吸する仕草は、無邪気に笑っている様にも見える。


「あなたはコフレーチェン理論に基づいてラアシンを切り離しただけで、勇者はグルンコフ世界のニワザヒコフ騎士団に正確に送り届けられているチェフ。モナガンシン師匠もそう言っていたチェフ! いつも説明しているチェフよ?」


 後ろ暗さがない、陽気の声色だった。又三郎が早々にこの妄想犬の言葉に耳を貸さなくなったのは、言っている言葉が何一つ理解できないからだった。一時、精神科医にこの事柄を伝えたこともあったが、稚拙な精神錯乱の演技であると一蹴されてしまった。又三郎自身が何も理解できていないのだから、致し方ない。


「どうして、こんなことになってしまったんだ……」


 数えきれない程口にした言葉をまたつぶやいて、又三郎は寝台からずり落ち、床に蹲った。


   *


「最初の被害者、上池袋太郎君は実直な少年でした」


 数日後の裁判所では、検事が又三郎に向かって尋問を行っていた。世論は死刑に傾いている。それが地裁の判決では終身刑になってしまったことに、検事は納得がいっていないのであった。


「その後の被害者も同様。南大塚良子さん。下板橋太助氏。右大橋左ノ輔君。みな未来ある人々ばかりでした……」


 検事はフリップボードを用意していた。12人の顔写真と簡易なプロフィール。傍聴人はもちろん、裁判員へのアピールの為である。その場にいた者はみな、検事の言葉を聞いては頷いている。


「それなのに、何故、あなたは1日の内に12人も轢き殺してしまったのですか? 殺意はなかったと発言しておられますが、これが殺意でなくて何なのか。ご説明を願いたい」


 名前を呼ばれて壇上へ引き出された又三郎は、悄然としていた。

 検事の言うことはまったくの正論であるし、状況からして又三郎が轢いて回ったとしか考えられないのは、その通りである。

 又三郎はもはや無表情を過ぎ、能面の様な顔で発言した。


「繰り返しになりますが、申し上げます。私が轢いて回ったのではなく、通常のルーティンでルートを走っている所に彼らが飛び込んで来ました」


 検事が険しい顔で質問した。


「次々とですか?」

「次々とです」

「列になって?」

「まあ、続々とです」

「こう、ズドドドドっと?」

「高速道路でしたから、止まることもできずに次々と。もう最後のほうは集団で……ピーンボール……ではなく……」

「ボーリング」

「そうです、ボーリングの様に」

「なるほどなるほど」


 頷いた検事は、直後、目を吊り上げて大声を出した。


「何を馬鹿なことを言っているんだ!」

『何も馬鹿なことなど言ってはいません』


 突如、法廷に少年の声が降り注いだ。法廷にいた全員が頭上を見上げると、天井に銀幕の様な物が現れ、そこに上池袋太郎少年のバストアップが映し出されていた。少年の身体は鎧に包まれている。


『その言葉は事実です。僕は、上池袋太郎は自らトラックに飛び込んだのです』


 法廷にいる全員が言葉を失っていると、その上池袋太郎少年の後ろから女性が顔を出した。南大塚良子女史だった。その身体はビキニの様な鎧に包まれている。


『私、南大塚良子も同じです。今、私たちは魔法を使って、そちらの世界へ通信を行っています』


 南大塚良子の後ろから、今度は細長い紐の様な物が現れた。蛇のようにも、肉で出来た紐の塊の様にも見える、触手だ。


『彼は下板橋太助さん。触手になりました。元気です』


 そう言った上池袋太郎少年の後ろから、今度はフードを被った大男が現れた。


『我は右大橋左ノ輔。魔王である』


 こうして、次々と人が現れては名乗りと紹介が行われた。商人、貴族、魔王、魔王、戦士、傭兵、鍛冶屋、遊び人、魔王……そのほとんどが、検事が用意したフリップボードの人物の面影を同じくする人々ばかりであった。


『私たちはトラックに轢かれることで、異世界へ……グルンコフ・ワールドへ勇者として転生しました。この世界は、あなたたちがいる世界と表と裏の関係。そこに危機が迫っているのです!』


 転生した勇者達は、異世界と現世の繋がり、双方の世界の危機、これから起こる大災害についてを説明した。


『双方の世界を守るためには、勇者が必要です! 我々は数年間、この世界へ通信を行うために尽力して来ました……どうか、我々に力を貸して下さい! 世界を救う勇者を!』


 法廷は歓声に包まれた。生きていたことを喜ぶ遺族、新しい発見に驚く学者、義憤にかられた若者。突如沸き上がった熱気の中で、いつしか傍聴人の数は膨れ上がり、テレビとネットの生中継が入り、裁判長は議長となり、日本全土に勇者選別が問いかけられる事態となった。


  *


 法廷に転生勇者が通信を行った数時間後、国会では満場一致で勇者を送り出すことが決められた。諸外国からは勇気を褒めたたえる電報が届き、世界の危機を救わんとする人々が我こそはと名乗りを上げた。

 グルンコフ・ワールドを救うために必要な転生勇者の数は100人。転生後に魔法学や科学を解き明かす為に学者が選ばれ、転生後に戦う為に銃火器の取り扱いに慣れた者、格闘技能のある者、サバイバル技能のある者が選ばれた。また建築、流通、娯楽、教育、幼馴染など、あらゆる分野のエキスパートが選出され、それは世界各国に発表された。

 転生勇者の通信から翌日には、選出された転生候補者達は首都高の直線道路に一列に並んで、転生の時を待つこととなった。


  *



「どうして、どうしてこんなことに……」


 高田馬場又三郎は、実に数年ぶりに愛車である『風の又三郎号』の傍に立っていた。一時的に拘置所から連れ出された又三郎は、護送車に詰め込まれ、気が付けば太陽に照らされながら高速道路の上にいる。


「あなたがグルンコフ世界へ勇者達を転生させるためチェフ!」


 ただの妄想犬と考えていたポメラニアンは、今や誰にでも認識可能な実在犬になっていた。名前はメラチェフだという。転生勇者が送り込んだ使い魔だったらしく、通信が確立したことで魔法力の供給がされたとかされないとかで、今や四六時中又三郎の頭の傍に現れて喋っている。


「今は勇者が12人! あと88人を転生させれば、世界は救われるチェフ!」

「それは、俺に、あと88人を轢殺しろと言ってるのか……」

「違うチェフよ? 転生チェフ」

「他のヤツにやらせればいいじゃないか。何で俺を引っ張り出したんだ」

「別の人間では転生ができるかわからないチェフ。あなたが、あのトラックで転生させるのが一番確率が高いチェフ!」

「確率ってなんだ!? もしかしたら、ただ88人轢いて終わりって可能性も……」


 後ろから、又三郎の肩が叩かれた。又三郎が言葉を切って振り返ると、そこには裁判所で吠えていた検事が立っていた。以前とは打って変わって穏やかな表情をしている。


「悪かったな、又三郎さん。あんたはこの重要な役割を果たすためにいたんだな」

「何を仰って……私はただ長距離トラックの運転手で……」

「人を轢いちまった罪は、罪だ。だが目的の為に身を捧げるあんたを、俺は尊敬する」

「な、何を……」

「88人、轢いちまった後のことは任せなよ。俺が責任もってちゃんとやるから。さぁ、男を見せる時だぜ!」


 検事が又三郎の肩を叩いて、トラックのドアを開けた。周囲のビルから、高架下から、大きな歓声が沸き上がったのが聞こえる。空にはヘリコプターが飛び交い、空撮も行われていることだろう。


「行って来な、高田馬場又三郎! 一世一代男の見せ所だ!」


 検事の切った大見得に、周囲の歓声が大きくなった。テレビ中継やネット中継によって、この状況はリアルタイムで把握されているのだろう。周囲の騒音から逃れるように、又三郎は愛車のドアから運転席へと転がり込んだ。


「どうして、何が、どうなっちまったんだ……」


 ドアを閉め、馴染みのある運転席に座って前を見ると、直線の先のはるか彼方に小さな人影が見える。これから可能な限り加速して、あの人影を88人分轢き殺さねばならない。


「できない……できないだろ、そんな……ただの人殺しになる可能性だってある……」

「何を言ってるチェフか? あなたはただの人殺しだったのチェフか?」

「そんなわけがない! 俺は巻き込まれたんだ、あいつらが飛び込んで来たんだ! 転生なんだろう!」

「そうチェフよ。何か問題があるチェフか?」

「違うんだ……そうじゃないんだ……」


高田馬場又三郎はグレーの普段着の裾を握りしめて、呻くように言った。


「どうして、こんなことになってしまったんだ……」


 運転席からずり落ちるようにして床に屈み込み、又三郎は頭を抱えてうめき声を上げた。

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