二章 鴉を誘う蝶の舞
第1話
蘇芳は書物の山に埋もれながら柄にもなく難しい顔をしていた。
「なんだか重々しい本ばかりだね?なんだい、これ?」
雪梛の問いに蘇芳は生返事を返す。
雪梛は蘇芳が読みあさっている本を手に取りペラペラと中を見る。どれも術書だ。
「呪術か。」
蘇芳の方見れば、難しい顔で腕を組みながら書物を広げ思案している。
(まずは縛術を解かないと、あやつは城から出られない。)
狙われているというが、皇子のことを調べても全くと言っていいほど情報がない。
そもそも先の戦乱で奏厳王の皇子はほとんど死んでいる。生きている可能性があるのは、第三皇子
「雪梛様、奏厳王の第三皇子についてご存知ですか?」
不意の問に雪梛は少し驚いた顔をする。
「何かな?藪から棒に。」
「もし奏厳の皇子が生きていたら、邪魔と思う人間がいるでしょうか?」
「まぁ少なからず、今の朝廷は気まずいんじゃないかな。」
「何故?」
間髪入れない問いに、雪梛はやれやれというように一呼吸する。
「今の奏珂王の朝廷は彩家御殿なんて噂されてる。奏珂王は奏厳の皇孫。その母は奏厳王の彩皇女。おかげで彩家は朝廷を我がものにし現在に至る。だが皇子が生きてれば王位継承権は皇子にある。朝廷に御殿を構えている彩家にすれば邪魔になるだろう。生きてる皇子がいるとしたらだけどね?」
だとすれば、彩家が狙っているというのか。
「変ですよね?必ず敵になり味方にはならないという前提の話に思います。」
蘇芳の言葉に雪梛は笑みを返す。
「そう。必ず敵になる。」
どうして?
蘇芳は、もの言わずにそんな表情で雪梛を見ている。
「もし、生きてる皇子がいるとして考えられるその皇子は第三皇子龍鳳君だけだ。それ以外は皆死罪になっている。だか彼は彩家とは相容れない関係にある皇子だ。」
「いったいどういう間柄なんです。」
「かつて第三皇子は流刑になり王籍を剥奪された。その時に皇子を失脚に追いやった立役者が彩家なんだよ。手を組むとは考えられない。」
雪梛の言は確信を持った言い方に聞こえた。
「彩家がほんとうは殺したかったが、殺し損ねた皇子。それが第三皇子。」
雪梛の説明を聞きながら、蘇芳は桜花桜の庭で出会った男を思い出す。
呪で縛られている皇子が朝廷の脅威になるだろか。
ここ数日、奴を見張っているが……。
とにかく酷い。
脅威よりも日が増すほどに落胆が募るばかりだ。彼と契約したはいいものの蘇芳は皇子に手を焼いていた。
あやつと来たら。
『海鮮が食べたい。エビはぷりぷりの肉厚じゃなきゃ嫌だ!』
『足が痛い。揉んでくれ』
『この茶葉は苦い。不味い。』
『暇だ。酒が飲みたい。』
『今宵の晩の相手を探してくれ。美人厳守だ!……出来れば乳はデカい女が良い。目の保養になる。』
とやれあれは、それはと言い出したら切りがない。流刑中とは到底思えないほど彼は城内であればどこでも湧いてでるカメムシかのように動き回っている。そして蘇芳を見つければやれあーしろ、こーしろと注文の山を押し付けてくるのだ。
「ああー!なんなんだもう!いっそ私がひと思いに殺してやりたい。暇さえあれば遊女を侍らして、城に軟禁されてる割にはさほど苦労どころか自由奔放にボンボンよろしくお過ごしじゃないか。何が乳は大きめのほうがいい目の保養になるだ。コンチキショー」
死にかけているとか言ってたあの子犬のような弱々しさぶっ飛ばして毎晩毎晩遊び明かしてる始末!挙げ句この3日間蘇芳はやつに振り回されながら、好みの茶葉を探して茶屋巡りをさせられている。ようやく戻った時にはちょうど遊女との営みの真っ最中に遭遇し、蘇芳はもはや始末に負えないと雪梛のいる宿屋に退散したのだった。
蘇芳は男の醜態を思い出し鼻を鳴らした。
雪梛は突然怒りの声を上げる蘇芳を前に、笑うしかない。
「だいぶ手を焼いてるようだね。難しいこと考えてるようだけど?」
「ええ。難しいですね。いっそ殺してしまっても問題ないようにさえ思えてならない。」
「ふふっ、君には好かない仕事だったろ?」
「ええ。」
蘇芳の不満をありありとさらけ出す表情に雪梛はにこりと笑みを見せる。
「術絡みの案件のようだし。手を引くことをおすすめするけど?」
「解呪の方法について少々厄介ですが、手は考えてます。」
「え?受けるのかい。」
「ええ。」
「よしなさい。」
蘇芳は即答したが、雪梛もわかっていたようにそれを却下する。
「断わると思うんですか?金500両を。」
「金だけなの君の基準。呪術どころか術力すら使えないでしょ?」
「そうですけど。」
即答されたが、いったいその肯定は基準点なのか、術が使えないことのどちらに対する答えなんだろうか。出来れば金基準は品性的によろしくないので否定してほしかったとさえ思う。
「無理だと考えない君のその度胸が怖いよ。」
「そう言えば、雪梛様。術使えましたよね」
「いいや。また今日はやけに質問に突拍子がないね?」
蘇芳は、以前朱雅の呪を解いた雪梛様の行動を思い出して話す。
「じゃあ何故、あの時朱雅の術を解けたんです?」
蘇芳が空に吊るされた状態から解放されたのは他でもない雪梛のおかげだ。
「あれは呪術じゃないし、
へぇー、結糸と言われても術士ではない蘇芳には、さっぱり分からない。
「術の見分けすら出来ないのに契約してしまうなんて。」
雪梛は蘇芳の手を取る。既に契約呪が結ばれている。手首に刻まれた光の紋印は、蘇芳が既に案件を受諾したこと示している。
「愚かだな。君も。」
解呪術を見つけたところで、どうやって術を解くのか。術が使えない蘇芳には到底無理だ。
「だからあなたを待っていたんです。」
蘇芳の言葉に雪梛は眉根をあげる。
「何?」
「使える人を寄越してください。ここに。」
え、……?
「術士の知り合いなんていないんだけどね。」
固まっている雪梛を他所に蘇芳はにっこりとほんのり桃色に頬を染めて笑みを浮かべる。その笑みだけなら無垢な少女さながらの愛らしいものだというのに、何故か身を引き攣るような寒気がした。
「いるでしょう?ひとり。忌々しい仮面野郎が。雪梛様の命令であれば彼も従うでしょう。この
蘇芳は、雪梛に紙と筆を差し出すと手に握らせる。
雪梛は絶対嫌。という顔をする。
「君、私を飼い主だと思ってる?」
「ええ旦那様。さぁ書いて。」
旦那様の言い方が全然感情こもってないし、棒読みですけど。そして何かな。この異様な威圧感。
蘇芳は、雪梛の着物の裾を足でちゃっかり踏んでいる。逃がさない、とでも言いたげに。
若い娘が行かないでと恋人に擦り寄っていく仕草はいくつも見ているが、部下にすそを踏まれて絶対服従の如く迫られているのはもはや主従関係など完全に消し去っている。
蘇芳は、物言わずさっさと書けと書面を指さしながら指図している。
仮面野郎、つまり黒士朱雅をここに呼べという蘇芳の願いを雪梛は半ば強引に承諾させられた。
「朱雅をちゃっかり補佐に回そうとしてる君は怖いもの知らずだ。」
「私はちゃんとやり遂げます!あなたの虎ですから!」
雪梛は苦笑いをする。
雪梛は観念し筆に術を込め、字を認めた。
黒士
字は形を変え蝶の姿になり飛び去って消えた。
後戻りは出来ない。
「どうせなら飼い猫の方が良かったよ。」
峭峻記 雪乃凛 @yukinorin
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