第8話
その庭は月明かりに照らされて、大桜の木々からはらはらと雪のように花びらが舞っている。
蘇芳は背後から肩を掴んできた人物を地面にねじ伏せた。
藍色の瞳をした美形の青年だった。
「痛いじゃないか。そなたここで何してる。」
青年は、押し倒された状態で横たわったまま、至って冷静な様子で涼しい表情を見せ落ち着き払っていた。
「……そなた美しいな。好みだ。」
「は?」
おもむろに青年は蘇芳の髪をすくい上げ引き寄せる。ねじ伏せられた人間から出た突拍子もないセリフと行動に蘇芳は面食らったように固まった。
「綺麗な紫の瞳だ。しかし、不法侵入は良くないぞ。ここは禁域だ。」
蘇芳を見てニコニコと恍惚な顔で見とれているような奴にそう言われても、あまり説得力がない。
「それは知りませんでした。私は蝶を探していただけです。」
蘇芳はそう言って、返した。
「蝶?」
「ええ。ところであなたは何者?」
「私は、椿峨城の官吏で
秋桜。
蘇芳は昼間会った武官を思い出す。
雰囲気どころか風貌全て似ても似つかない。この男が琳秋桜ではないのは確かだ。
「琳様はここで何を?」
官服を纏うその男へ視線を向けた時、ふと視界に飛び込んだものに目を見張る。蘇芳の真横を光る物体がふわふわと漂ってきた。
蘇芳は思いがけず、蝶を見つけてしまった。そしてその光る蝶はひらひらと羽をはためかせて青年の肩に止まった。
蘇芳は、ハズレくじを引いたように残念そうに深い息を落とした。
術で生み出された蝶は金色。琥蓮に属するものにのみ見ることが出来る蝶は言うなれば伝書鳩のようなもの。蝶が肩に止まる人物は依頼者であると示している。
蝶の色は金。つまりこの男が金証案件である。
と同時に、なんとなくこの男とは直感的に関わりたくない気がしたのだ。
「ところで、そなたいつまで上に乗ってる……美人に乗っかられるのはそんなに嫌でも無いが。」
蘇芳は、ずっと男に馬乗りになっていたが、相手も抵抗なくそれを受け入れて動じないどころか、なんならちゃっかり腰に手を回している。
「そうだな、失礼した。」
蘇芳は男から離れると、さっさとその場を去ろうとする。
「いや、待て。私は用がある。」
「いいえ。間に合ってます。私は部外者ですから、ここから出ませんと。先を急ぐのでさよなら。」
「まだ何も言ってないぞ。そなた奏から来たのだろ?蝶を探しに。」
「適当なことを言っただけです。蝶には季節外れです。」
「琥蓮という組織に文を送った。彼らは蝶を頼りに依頼者のもとにくると聞いた。依頼を受けてくれ。」
「私はただの通りすがりです。お役に立ちません。」
「殺しを頼んだのではない。守って欲しいのだ。第三皇子が命を狙われている。」
凛と名乗った男は真剣な表情でそう言ったが、ますます解せない依頼だ。金証は受けるまで内容を伏せられている。だから依頼者を見に来たのだが。なるほど王族絡みか。
「人違いですが、子守りなら別をあたってください。」
「そなた脚とそれに髪に暗器を隠しているじゃないか。こんな物騒なものを身体中に隠して堂々とここに入ってきたのに、違うと申すか?紅天女と噂される刺客がいると聞いた。その刺客は暗器の使い手だとか。そなたが紅天女か?」
男は、蘇芳の暗殺針をチラつかせながらそう言った。
「いつの間に。」
これには蘇芳も驚いた。暗器に気づかれるとは。
「手癖が悪い男は好かない。あなたには護衛が必要ないように思うが?」
蘇芳は観念して男に身体を向き直した。
「四方を敵に囲まれて皇子はここから出られない。暗殺されるか自害する以外、皇子には選択肢がない状況だ。だから逃げるのを手伝って欲しい。」
「スリの腕は一品なんだし、逃げるのも難しいこととは思いませんが?」
蘇芳は、白けた顔で聞く耳を持たない。
「頼む。時間がないんだ。」
男はそう言って袖をまくり上げて、蘇芳に腕を差し出す。蘇芳は目を見開いた。
男の腕には無数の呪がかかった文様が何重にも刻まれている。
「
「ここから出られないという呪をかけている。城を出ればこの呪は私の腕に食い込み苦痛を与え警告し、門を出たら呪が発動し身を裂かれ死ぬ。」
蘇芳は男の腕を見る。既に警告の呪で男の腕は呪が痛々しく食い込み、血が滲んでいた。この場に居るのも既に限界だろう。キズが深い。元の場所に戻らねば、腕がもたないはずだ。
「私は、生きたい。罪だと言われても。」
男の言葉は淡々と、やけに静かだった。けれど内に込めた切実さは伝わってきた。彼は、ただ生きたいと願った。どことなくかつて見た情景を鑑みるような郷愁に似た感覚を覚え、蘇芳は息を吸った。一呼吸して男と目を合わせた。
「私は手付け金200両。任務完遂したら金500両。必ず支払ってもらう。仕事を請負う前に約束してもらうことがある。」
蘇芳の言葉に男は歓喜の表情を浮かべ目を輝かせる。
「つまり700両だな。お安い御用だ。約束というのは?」
「私に嘘をつくな。」
蘇芳は、男を見つめる。
男は、少しだけ笑ってみせた。
「承知した。」
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