そこに誰がいましたか?

松本まつすけ

そこに誰がいましたか?

 少女アリスがこの探偵事務所を訪れたのは全くの偶然であり、飼い猫のシャムがアリスの手から逃げ出していかなければ、そもそもこんな薄暗い建物になど近づくわけがなかった。

「シャム~、何処行ったの~?」

 入り口に声をかけたところで、ニャーとさえ返事は帰ってこない。裏通りの路地の中にあるこの事務所の前にあるものといえば、せいぜい臭いの漂ってくるゴミバケツと蓋の壊れた郵便ポストくらいのもの。何処に猫が隠れられようか。

 しかし、アリスは目にしてしまった。事務所の玄関の扉の横。その窓が開いているということに。しかもその真下には丁度良くバケツの踏み台まである。

 もしやと思う前に、アリスは窓を覗こうとした。ところが窓は若干高い位置にあり、おまけにカーテンまで掛かっている。ちょっとアリスでは身長も足りていないし、部屋の中を見るには障害が多すぎた。

 でも、アリスという少女はめげるということをまだ知らない。


 ※ ※ ※


 探偵ジャックが驚いたのは、別に自分の部屋の中に泥に汚れた猫の足跡がついていたからではない。ましてや泥に汚れた小さな足跡がついていたからでもない。

 クローゼットに部屋着を入れてかけておいたはずだったのだが、何故か閉めておいたクローゼットは半分開いており、部屋着も床に落ちていたことだ。

 洗ったばかりだったというのに、洗う前よりも汚れているようだった。

「やれやれ……」

 ジャックは呆れるように溜め息をつき、部屋着を拾い上げる。夜通しの仕事の末、朝帰りだというのに今日という朝に限っては、ゆったりと眠りにつく暇さえジャックには与えられないようだ。

 部屋を見渡して、ジャックは寝ぼけかけた頭を回転させる。

 この部屋は寝室。出入り口は扉が一つだが、ジャックが閉め忘れた窓も入れると二つだ。通気口も含めてしまうと三つになるが、それは除外だ。何故ならどんなに小さく見積もったって大人はおろか子供さえ入れるような大きさではない。

 一先ずはとする。

 また、この部屋にあるものといえば、シングルベッド。ジャックが一人寝れれば十分なくらいのベッド。それと開きかけた背の高いクローゼットと本棚が並んでいる。あいにくだが、この部屋には机がない。このことから言えることは一つ。

 どうものようだ。

 だが見たところ、背の高いクローゼットは半開き。これでは隠れようがない。ジャックは半開きのクローゼットを念のために開いてみるが、中には誰もいない。

 本棚に関しては特に本が出された形跡もなく、巻もキレイに揃って埃も被ってる。

 部屋の位置関係も把握しよう。部屋の扉と窓は対称的な位置にある。扉から見れば窓は正面。窓から見ても扉は正面にある位置だ。窓に関しては若干高い位置にはあるが、窓の下にはベッドがあるため、例え子供だろうと窓を出口にすることは可能だ。

 これも重要なこと。背の高いクローゼットと本棚は隣接して壁側に置いてある。扉側から見れば右。窓側から見れば左の位置だ。どちらにしても言えることは、どちらから見てもクローゼットと本棚が隠れて見えなくなることはないということ。

 状況も見てみる。窓からベッド、部屋の中央に掛けて猫と子供くらいの靴の足跡が点々としている。そして部屋の中央には泥にまみれた部屋着。安物生地なのでちょっと強く引っ張るとすぐ破ける代物なのに、なんと無残な姿だろう。

 クローゼットに掛けていたので。泥に汚れているほか、幸いにも様子。これにはジャックも少しだけホッとした。無論、気休め程度だが。

 状況として気にかかる点としては、足跡の向きか。ベッドの上や部屋の中央にある足跡は多少ジグザグはしているものの、共通して往復して窓の方に向かっていた。ただし、ベッドの上の猫の足跡は片道分。子供の足跡が往復分という違いはある。

 少なくともようだ。

 ところがだ、子供の足跡は窓から少し逸れている。この足跡の終着点は、カーテンだった。ジャックが疑問に思ったのは、確か出かける前はカーテンは閉めておいたはずだったのだが、明らかにカーテンは全開になっているということ。

 そして、ことか。

 ジャックは眠い頭で推理した。

 ジャックがカーテンに一歩、二歩と近づく。すると膨らんだカーテンから「ニャァ」という鳴き声。これにはジャックもフフと笑い、バッとカーテンを引っぺがす。ジャックの思った通りだった。

 窓の端には、猫を抱きかかえて怯えた少女がふるふると丸くなっていた。ジャックはそっと少女の頭をぽふぽふと撫でて、猫ごと少女を持ち上げてあげるとすぐ下のベッドに座らせた。

「ご、ごめんなさい……もう怒鳴らないで……」

 ジャックはニコリと笑う。そして、少女に一言尋ねた。

「そこに誰がいましたか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

そこに誰がいましたか? 松本まつすけ @chu_black

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ