【書籍化】私は猫を飼っている

八島清聡

((ΦωΦ))((ΦωΦ))




 私は猫を飼っている。

 本当は「飼っている」と断言するほどでもないのだが、とにかく一匹の猫の面倒をみている。最近では、一日を猫の世話に費やすこともある。

 猫は気まぐれで気分屋で、犬と違って忠誠心がなく、まるで自分が世界の中心であるかのように横柄に生きている。

 たぶん私のことも飼い主だなんてちっとも思っちゃいないだろう。

 でもいいのだ。猫は猫なのだから。


 猫は黒猫でオスである。

 手入れされた艶々した毛並みと、鳶色の瞳をしている。

 顔はお月様のように丸く、童顔で歳の割には可愛らしい容姿をしている。

 性格はプライドが高く、髭はいつもツンツンしている。

 構ってあげても、つれない素振りをすることがある。私があれこれと世話を焼くのをいいことに、調子に乗っているようだ。猫め。


 猫との出会いは三ヶ月前である。

 陽気な昼下がり、新緑が眩しいラボラトリーの庭を散歩していたら、あちらからニャアニャアと擦り寄ってきたのだ。

 私は猫には全く興味がなかった。

 始めは相手にしなかったのだが、どこへ行っても猫はとことこと後をついてくる。走って逃げても追ってくる。何がなんでも傍にいたがる。恐るべきストーカー気質の猫だった。

 そんなことが何日も続いた。

 あまりにもしつこいので、とうとう諦めて飼い主になった次第である。


 ブルルルと突然携帯が鳴った。

 腕に巻いたベルトに、猫からのメールが来ていた。

「今から行く」とだけ書いてある。文面はいつも素っ気なく事務的である。

 こちらの都合などおかまいなしだが、猫も猫社会で色々あるのだろう。まあいいか。今日は暇だし、会ってあげよう。

「今日はこっちから行くね」と返事をした。

 いつもはあっちからやってくるけど、たまには猫の家で会うのも悪くない。

 それから私はキッチンに篭り、せっせと猫めしを作った。

 猫にわざわざ手料理なんて、「尽くす飼い主」の代名詞のようだが仕方ない。

 できたのは、余った肉とごはんを混ぜるだけの簡単な混ぜごはん。健康のために野菜も入れた。

 猫はごはんを作ってあげてもその場では食べず、いつも家に持ち帰る。私の前では絶対に食べない。

 ……いやいやいや、なんなのそれ。

 態度悪すぎじゃない? 作る方の身にもなりなさい。

 思い出し笑いならぬ、思い出し怒りしつつ、ごはんを持って家を出る。

 今日こそは絶対に食べさせる。あまりの美味しさに、ほっぺたは髭ごと落ちるはず。歓喜の涙を流してとくと味わうがよい。

 さあ、待っていろ。猫め。


 猫ハウスは近所にある。

 というか、実は同じアパートなので、階段を登って廊下を曲がるだけ。

 猫は玄関で大きな欠伸をしながら、私を出迎えた。

 そっちから来るっていったくせに、なんだこの態度は。

 腹が立ったが、ぐっとこらえて食事を準備した。

 食卓についても、やっぱり猫は料理に口をつけなかった。

 そこで私はとうとう怒った。

「ふざけないで。私の料理が食べられないっていうの?」

 猫はびっくりして飛び上がり、やがて諦めたのかもそもそと食べだした。

 そうだ、それでいい。声を荒げてしまったが、これも躾の一環である。

 私が飼い主なのだ。どっちが偉いのか、はっきりさせておかないとね。文句はニャンとも言わせない。


 食事が終わると、浴室のバスタブにお湯を張った。

 早速風呂に入るよう促すと、猫は露骨に嫌そうな顔をした。

 しかし、ここは猫の家なのだから一番風呂は猫のものだ。いいからさっさと入れ。

「早く入って。お湯が冷めちゃう」

 とせかすと、猫は私をじっと見て、諦めたように笑った。

「いいよ。きみが一緒に入ってくれるならね」

 ……うーむ、仕方ない。

 飼っている以上、猫を洗うのも飼い主の務めだ。

 よし、今日は洗ってあげるか。

 風呂に一緒に入ると、早速猫の頭を洗ってあげた。

 丁寧に濡らして、いい匂いのする石鹸をなすりつけて泡立てる。ワシャワシャワシャ。ゴシゴシゴシ。

 なんとか洗い終わると、猫が「きみも洗ってあげよう」と言い出した。

「いい。自分でやる」と抵抗したけれど、結局押しきられて頭を洗われてしまう。

 先ほどと同じように石鹸をつけられて、ワシャワシャワシャ。ゴシゴシゴシ。

 猫の大きな手が、頭皮をぐいぐい押すたびに気持ちよくて仕方ない。

 ついつい頭を揺らし、手に擦り付けるような仕草をしてしまう。

 んん。そこ。そこがイイ。耳の後ろも、もっと……。

 さらに猫の手は、肩や首にも下りてきた。

 労わるような、念入りなマッサージだった。たまらなくなって目を閉じる。

 本音を言えば、さっきから照れ臭くて仕方ない。

 なんでこういうことをするのだ、猫。

 私は生まれてこの方、誰かに優しくされたことがない。

 親も兄弟もいなくて、いつも一人ぼっちだった。

 ごはんはもらえたし、住むところもあったけど、本当はとても寂しかった。

 だから猫であっても、優しくされると困ってしまう。

 顔が熱い。これは浴室の湯気のせいだ。そうに違いない。……猫め。


 頭とからだを洗い終えると、猫と共にバスタブに浸かった。

 流石に一人と一匹では窮屈で、私は猫に後ろから抱きかかえられるような体勢になる。猫は私の髪をいじくりながら上機嫌に笑っている。

 猫は笑った顔もかわいい……と言いたいが、ちょっと胡散臭い。

「きみは、本当に猫なんだな」

「いきなり何?」

 猫に猫と言われても、ねえ……?

「目が大きいし。元々きつめなのに、怒るとさらにつり上がるし。動きも俊敏だし」

 突然、猫の顔が迫った。

 ……うわ、だめ。キスされる!

 慌ててからだを捩ると、猫は上目遣いで「ほらな」とぼやいた。

 ほらな、ではない。全く、ちょっと気を許すとすぐこれだ。

 普段は紳士面していても、男はやっぱりけだものだ。油断していたら、あっという間に押し倒されてしまう。

 まあ、いずれはそうなるとしても、飼い始めて三ヶ月……未満。まだちょっと早い気がする。

 私は後ろを向いて、猫をきつく睨みつけた。

「ここで変な気を起こさないで。バスタブの底に沈めるわよ」

「……それは困る。怒られてしまうよ」

 私だって、飼い猫に風呂場で溺死されては困る。

 猫はハアと大きく溜息をついた。

「いや、きみのような特殊な子を手懐けるのには苦労した。近づくと威嚇するし、噛みついてくるし、プレゼントには見向きもしないし……」

 猫のしみじみとした物言いに、私はツンと顔を逸らす。

「あら、私は安くないのよ。他の女と一緒にしないで」

「それが今じゃ、一緒に風呂にまで入ってるんだからな。進歩したもんだ」   

 ……それは慣れだ。単なる慣れ。あと飼い主としての義務。

 私は飽きた途端ペットを捨てるような無責任な輩とは違う。飼いだしたからには、最後まで面倒をみるつもりでいる。猫よりも長生きしなくちゃいけないから日々健康にも気をつけている。

「別に好きであなたと入ったわけじゃないし。馬鹿にするなら、こうしてやるんだから」

「こら、こら! 引っ掻くな。痛いだろうが」

 そんなこと言ったって許さない。

 ガリガリガリ。ガリガリガリ。

 すると猫は、私の背中を優しく何度も撫でた。

 それから両腕でぎゅうと抱きしめてきた。

 うわ、何をする。どうにも暑いし、窮屈だし、鬱陶しいことこの上ない。

 でもこういう抱擁は決して嫌ではない。猫だけには許している。

 こうして一人と一匹で過ごす時間の、心とからだを満たす温かな気持ちの正体を知ってしまったから――。


 私は猫を飼っている。暇さえあれば、猫の世話に明け暮れている。

 ご飯も作ってあげるし、お風呂も一緒に入る。

 たぶん、共に一夜を過ごす日も近いだろう。

 私と猫の関係は、人と人外という種族の垣根を越えてしまったのだ。


 ぼんやりと明日の予定を考える。

 明日、明日……。

 そうだ、明日もずっと一緒にいよう。

 もはや誰にも渡さない、どうにも離れがたい……私の愛猫め。

 すぐ目の前に猫の顔がある。

 お月様のようにまんまるな、愛嬌ある顔だ。

 これを独占できるのは、飼い主の特権だ。

 顔を近づけて、頬を摺り寄せる。おのれ、猫め。大好きだよ。

 すりすりすり。ごろごろごろ。にゃーん。


 ………………あれ?      









「博士、例の人工知能を植えた猫ですが、少々困ったことが……」

 博士はモニターに現れた文字を注視し、文面を読むとすぐに返事を打った。

『困ったこととは何かね?』

「いや、その。どうも世話する俺のことを、恋人だと思っているようで。最近は家まで押しかけてくるし。いずれは交尾を迫られるかも。自分を人間だと思っているから、やっぱり人を好きになってしまうんですかね。参ったな」

『そうか、きみも大変だな……。しかし、これは素晴らしいことだよ。猫がヒトの意識を持ち、尚且つ恋までするなんて。きみも彼女を決して邪険にしてはいけないよ。これからも念入りに世話するんだ』

「はあ……。わかりました」

 そこで通信は途切れた。

 博士は、マジックミラー越しのゲージを見た。

 そこには、白茶のまだらの猫と黒猫が入っていた。

 黒猫は耳に特殊な通信器具をつけている。

 腕にベルトを巻いた白茶が、ニャアニャアと鳴きながら黒にすり寄っていた。傍目には、猫たちがじゃれあう微笑ましい光景である。


 百年前、地上では致死率100%の新種のウイルスがはびこり、人類は絶滅した。

 地下の広大な研究所には、博士と実験のために飼われていた動物たちが残された。所内で自家発電が可能であり、食糧や水は数百年分備蓄されていた。

 博士はたった一人生き残った人類の使命として、残された動物たちを新・人類へ進化させることにした。

 そのための第一歩として、猫の脳に人類の叡智えいちを詰め込んだ人工知能を植えこんだのである。実験は何百回と失敗したが、そのたびに苦心して改良を繰り返した。

 そしてとうとう今日、ヒトの意識を持って生まれた猫が、ヒトとしての恋愛感情を持つに至ったのである。

 博士は喜びのあまり、快哉かいさいを叫んだ。

 実験が成功したことが心底嬉しかった。恋愛感情は、すなわち繁殖へと繋がる。

 自分が死んだ後も、ヒトは猫の中で脈々と生き続ける。

 疲労と安堵から、博士は大きく伸びをした。

 背中を反らせすぎたのか、ギギギ、ガガガとからだがきしんだ。





【了】

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