秘話 空亡

 ここは、京都市北区の鷹峯街道たかがみねかいどうから、更に山の方に入った所にある、市街を一望出来る夜景スポット。


 鷹峯街道は、大文字山の近くでもあるため、急な上り坂になっている場所もある。有名なお寺等も数多く存在している。

 そして、その先は山になっているが、上手く行けば金閣寺にも辿り着けたりする。


 そんな山の中の夜景スポットで、夜闇に紛れて誰かがやって来る。そこにはポツンと、1つだけ石が立っていた。まるでお墓の様になっている。


「悪ぃな。てめぇの好きなつまみを調達するのに、時間がかかっちまった」


 そこに現れた人物は、額に立派な鬼の角があった。

 それに、もうじき夏だというのに、長いトレンチコートを羽織り、片手にはひょうたん、反対側の手には、おつまみが入っているであろう袋をぶら下げていた。


 そう。この無精髭を生やした、40代に見える男性は、酒呑童子である。


 先の戦いで、茨木童子と戦ったものの、華陽の卑劣な攻撃で、取り戻そうとしていた茨木童子を失ったのである。

 それには流石の彼も酷くショックを受け、このように、未だ1人で傷心中であった。


 そして酒呑童子は、おつまみの入った袋を石の前に置き、ひょうたんを口に付けて傾けると、中に入った酒を大量に飲んでいく。


「ぷはぁ……あ~選定者達が邪魔しなけりゃ、もうちょい早くに戻れたがなぁ。ったく、なんでてめぇは、北の大地のおつまみが好きなのかねぇ。それと、この場所の夜景も好きだったよな」


 どうやら酒呑童子は、北海道までおつまみを探しに行っていたらしい。聞く限りでは、茨木童子の好物が、北海道にあったみたいだ。


 そしてこの立てられた石は、どうやら茨木童子のお墓らしい。

 茨木童子のお気に入りの場所に立てられたこの石には、文字も何も無くて、誰が見てもお墓とは思えないが、酒呑童子にとっては、これが大切なお墓となっていた。


「まぁ、それもなんとかなったが。だが……」


 そう言うと酒呑童子は、またひょうたんのお酒を飲む。


「ふぅ……あいつに、この先の事態も乗り越えられるかねぇ」


 彼は空に浮かぶ満月を見上げると、そう呟いた。どうやら酒呑童子は、まだ何か隠している事があるらしい。


「あのときゃ安倍晴明っていう、めちゃくちゃ強ぇ陰陽師が居たが、果たして今回はどうなのかねぇ」


 そして酒呑童子は、再びひょうたんの酒を飲む。流石は酒呑の名に相応しい飲みっぷりで、ペースが人のそれとは段違いだ。


「はぁ~黒い太陽……全ての妖怪の天敵」


 それから彼は、再び空を見上げる。まるで、何かを確認しているかのようにして……。


「次のは、いつかねぇ。んん、10年……いや、11年か? もっとあったっけかぁ?」


 その後、酒呑童子は顔を戻し、またひょうたんのお酒を飲む。もはやヤケ酒にも見えてしまうが、酒呑童子にとっては、これが普通であった。

 そしてひょうたんを降ろすと、ポツリポツリと喋り出す。そこには誰もいないのに、まるでその人物に話しかけるようにして。


「妖怪と人間との関係を良好にしてよ、人間と力を合わせて、奴を倒せるのか? 椿」


 そして次は、目の前のおつまみを手にし、それを口に放り込む。どうやらそれはスルメのようだが、匂いが段違いで、出来たての香りを辺りに漂わせている。


「人間はその時、お前を裏切るだろうがな。なにせ奴は、人間には一切危害を加えない。加えるのは、妖怪のみだ。それでも人間達は、妖怪を助けようとするかねぇ」


 そうやって1人で喋る酒呑童子の顔は、割と真剣であり、どうやら椿が戦ったどの相手よりも強いようだ。

 いや……酒呑童子の口ぶりからして、そんなレベルでは無さそうな感じもする。


「それでも椿。お前が自分を貫き、夢を、その理想を叶えようとするのなら……まぁ、やってみろよ。だけどなぁ、お前がもし、少しでも夢を諦めるようなら、俺がお前の世界を乗っ取ってやるからな……そうしねぇとーー」


 そして再び、酒呑童子は満月を睨む。いや、満月を睨んでいるようで、これはそれに似た物を睨んでいる雰囲気だ。


空亡そらなきには、勝てない」


 そう言うと呑童子は、茨木童子のお墓に手を置く。


 酒呑童子の口から出た名前「空亡」は、太陽そのものとも言われている。

 百鬼夜行絵巻の最後、妖怪達が逃げ惑うその先に、禍々しい太陽が描かれているが、そもそもそれが空亡じゃないかと、人間達が思い始めたのがきっかけだが……。


「最近の人間達は、色々と疎いからなぁ。ようやく、遊びの中に空亡の存在を出してきたが、おせぇおせぇ……晴明や他の陰陽師どもは、とっくに気付いていたんだぞ」


 遥か昔から、それは存在していたらしい。


 しかし、文献に無いものに関しては、人々は中々に理解が出来ず、そのまま記憶から消えてしまう。


「奴が妖怪達を守った理由は未だに分かんねぇが、晴明は確かに、奴を封印した。だから、人々が忘れるのはしょうがねぇが。それも、次の怪奇日食までだ。怪奇……本来の太陽が、黒い太陽に、空亡に食われる。その時こそ、再び妖怪達の恐怖の日々が始まる」


 その後酒呑童子は、またひょうたんのお酒を飲み始める。


 どうやらその空亡というのは、遥か昔に封印されているだけで、倒されたり消滅されたりはしていないみたいだ。

 つまりそいつはまだ、今もその牙を研ぎ澄まし、復活の時を待っている。


「なぁ、茨木童子。お前も、この空亡をなんとかしようとして、妖怪の国を作ろうとしたんだろ? だが、上手くいかなかった。そりゃそうだ。力任せにやっても意味がない」


 そして酒呑童子は、茨木童子の墓に手を置いたまま、そこに視線を移し話しかけている。まるでそこに、茨木童子がいるかのようにして。

 実際、茨木童子の体はそこに埋められてはいる。だが、酒呑童子が話しかけているのは、埋まっている地面ではなく、墓そのもの。他の人からみたら、少し恐いかもしれない。そこに、霊体としているのだろうか……。


「わぁってるよ。椿がミスる前に、これじゃあ駄目だと思ったら、俺は椿の敵になってでも、妖怪の国とやらを作ってやる」


 そう言う酒呑童子の手には、力が入っていた。その前には、本当に霊体として、茨木童子は居るのかもしれない。まるで、茨木童子と話しているみたいである。


「さぁ、椿。俺をガッカリさせるなよ。俺を、お前の敵にはさせないでくれよ」


 それから酒呑童子は、そのまま墓から手を離すと、その場を離れて行く。


「ちょっと、出掛けて来る。待っててくれ。手遅れにならない内に、下地は作っとかねぇとなぁ。お前のやり方じゃない、俺のやり方でな。お前はやっぱり、間違っていたんだよ」


 そして酒呑童子は、山の方へと向かって歩いて行き、そのまま夜闇に消えて行った。


 静まり返ったその場所に、その石はただポツンと佇む。

 ずっとずっと、酒呑童子の帰りを待つかのようにして、ただ静かに佇んでいる。更にその石の前には、酒呑童子で隠れて見えなかった、あるお花が供えられていた。


 それは、小さな白い花を付ける、カスミソウ。


 酒呑童子にはとても似合わない物なのだが、彼はこの花を供える事で、ある言葉を伝えたかったのだろう。


 その花言葉は「無垢の愛」「感謝」「幸福」である。


 その時、その場所にそよ風が吹き、カスミソウを揺らす。まるで、この花を供えた酒呑童子に応えるようにして、それを茨木童子が揺らしたかのように……そして微かに聞こえる、誰かの幸せそうな微笑む声。


 せめて妖怪達が、空亡に滅ばされないよう願うばかりである。


 だけどきっとまた、椿がなんとかしてくれる。そんな気がする。


「大丈夫! 僕がいます!」


 そんな声が、きっと皆の頭には響いていると思う。


 これは、椿の始まりの物語。

 色んな妖怪が、彼女を最強の妖狐と称える。そのほんの、序章である。

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僕、妖狐になっちゃいました yukke @yukke412

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