対 面
ナアイの押し込められた地下牢は、まだ今の城が郡主邸だったころの酒蔵を改造したものである。
当時のなごりで部屋中に酒の移り香がしみついている。
縦五十歩、横七十歩ほどの狭い空間。
ナアイは手かせで両腕の自由を奪われ、牢の中ほどに造りつけられた石壁の金属環に、足輪の鎖でしっかりとつながれていた。
規則的に鳴る砂時計の時報は、その重い響きを牢にまで伝えてくる。
それにより、衛士に取り押さえられてから少なくとも二日は経過していると計算していた。
寒い。
着衣は闘技会で来ていたラシの形見の品そのまま。
日の差し込まないこの部屋は、底冷えのする石造りだ。
床に散らばせてある寝床代わりのクズ藁は湿っていて、与えられた毛布の切れ端は身体をすべて覆うにはあまりにも小さかった。
ラフィやトファーズの消息は不明。
あのとき一緒に捕らえられたことは憶えている。
自分がもう少ししっかりしていれば、ふたりを巻き添えにすることはなかったと、ナアイは悔やんでも悔やみ切れない心地だった。
しかも、自分がどういう理由で投獄されているのかまったく分からない。
ナアイの記憶からは、捕らえられたときに衛士の読み上げた罪状の内容がことごとく抜け落ちていた。
そのため、頭では必死にこれまでの出来事を手繰り、自分の投獄されうる、そのわけを見つけ出そうとしていた。
いまは、ひょっとすると郡守備隊の小隊長ビルゴに勝利したためではないか、とさえ考え始めている。
討たれるべくして討たれた相手と思うものの、その生命を奪ったのが自分だったということに、不思議と悔恨や辛さのないのは意外でもあった。
続く守備隊の剣士たちとの試合のことは、無我夢中に剣を扱っていたこと以上に印象も薄い。なぜそうなのかは説明もできない。
――それでも、わけを話せば、少しは理解してもらえるかもしれない
ビルゴの行状とその評判の悪さを聞いていたし、ナアイとの確執も相手からの一方的な敵意の産物とわかれば、赦免される可能性もあるかもしれない。
そう思うことで、ナアイは投獄生活という厳しい現実に対し、心理的安心感を得ていたのであった。
――それにしても
と、ナアイは思う。
あの男――自分を二度も救い、その理由も明かさぬまま、いつの間にか消え去った鉄面の剣士――は、一体何者なのか。
ナアイは男の顔を見ていない。
自分からは男の後ろ姿しか見えなかったからである。
鉄面剣士の正体を知るために唯一与えられた手がかりは、彼が闘技場で見せた、その目にもとまらぬ剣技であった。
定まりのない闘技会の記憶では、ビルゴのことと、それだけが鮮烈に脳裏に蘇ってきた。
闘技場では気づくいとまもなかったものの、今こうして暗い牢の中で、一瞬にして四人の剣士を打ち倒した技を思い返すと、その動きはかつて見た技に似ていた。
――ラシが、確か……
鉄面剣士の動きの速さには及ばなかったが、半円状に置いた木製の擬敵を五本、一挙動で打ち払ったラシの技と、闘技場で見た鉄面剣士の技は、同じ系統のものであるように思える。
寝転がった姿勢を立て直すために、まだ疲労に重い身体を動かすと、腰のあたりにかすかな違和感を感じた。
硬い石床に片膝を着き、枷で動かしづらい片手の肘で、へその周辺をさぐる。
へその脇にある、硬い小さな物体の存在を確かめた。と同時に、数日前革紐でそこへ括りつけた小さな金属片のことを思い出す。
――そうか、これさえあれば、まだなんとかなるかも
ラシの形見の上着ポケットにヘンニが入れてくれた変わったペンダントだ。
持ち物や路銀、何もかも失ったとして、これを売れば剣士修行は続けられそうだった。
ここへ放り込まれた経緯をぼうと思い浮かべた。
衛士たちに慌ただしくポケットを探られ、中の路銀や、食べかけのタチオイクルやら、目立った小物はすべて取り上げられている。
衛士たちが牢の寒さに配慮でもしてくれたのか、着衣を脱がされなかったのは不幸中の幸いとも言えるだろう。この金属片に気づかれずに済んだのは、まったくありがたかった。
錠のはずれる音がして、地下蔵の扉は開く。
松明の光がナアイに近づいてきた。
男が三人、目の前へ立ち止まり、炎を掲げ、顔を見せる。
「郡代ゾアス閣下が、直々におまえをお取り調べくださる」
側に立つ金髪の若い剣士はそういう。
ジュニン・グルゥツだった。
ナアイはゾアスと聞き、頭の奥がしびれたように緊張するのを感じた。
自然、口元もぎゅっと引き締まる。
牢番の衛士は松明を傾けた。
中央の人影はゆらめく光に照らされる。
人影の目はまっすぐナナイを見ていた。
間近に見るゾアス・ヴェーブは、五年前と変わらず、切れ長の細い目に酷薄そうな光をたたえていた。
「ナアイ・クルスム。ラシの甥だそうだな」
薄い唇から、威圧的な声音が飛び出す。
「なぜ、僕をこんなところに?」
ナアイはかすれた声で、間抜けたような問いを発してしまう。
「聞かれたことに返事をするだけでいいのだ!」
ジュニンの声は怒気を含んでいた。
ゾアスは質問を続ける。
「ナアイ。なぜ、郡主さまのお命を狙ったのだ?」
――え?
「いや、答えなくとも良い。みな分かっておる。」
ゾアスの声は急に芝居がかると、投獄の理由をまだ理解しきれていない様子のナアイに構わず、そのまま喋り続けた。
「おまえはラシのことでバパラマズさまを恨んだのだな。ラシの死によって、バパラマズさまは大いに利を得た。だからあのとき私とバパラマズさまの間に何らかの密約があったと思いこみ、殺害の機会を狙ったに相違ない」
ナアイは混乱していた。
ゾアスの話は自分の理解を超えたことのように思われた。
「あ、あの、それは一体どういうことですか? ぼくにはなにがなんだか」
「しらを切るつもりか!」
ジュニンは吠える。
ゾアスは手で制した。
そのときナアイはゾアスの表情に、なにか焦燥のようなものを感じ取った。
「ところで、だ。あの刺青をした剣士とはどういういきさつで知り合ったのだ? ん?」
なんと答えようか迷ったため、返答につまり、ナアイは黙りこんでしまった。
「あの男……いや、おまえの本当の生まれはどこだ! あの男とはどういう関係なのだ!」
ゾアスは初めて声を荒げた。
その口調の圧力に負け、ナアイはかすれ声で早口に口走る。
「し、知りません。あの人は、たぶん……ぼくの後をつけていたみたいでした」
思わず出したことばにより、ようやくその事実に思い当たった。
あの男は郷からずっと自分を見張っていたのかも知れない。でもなぜ?
「知らぬと? ふん、そうか。調べは付いているのだぞ? ビルゴに襲われたとき助けられたそうだな? 闘技会でもそうであろう? それでもあの男とは関わりがないと申すのか」
不確かな現実の中から唯一事実らしいことに思い当たったことで、ナアイは不思議と落ち着きを取り戻す。
「はい。まったく知りません」
ゾアスはしばらくナアイを見つめていた。
たいまつの光りに照らされた、こわい目の光だった。
それが急に緩み、ゾアスの目はまた無表情な輝きへ戻る。
「ナアイ・クルスム。郡主さまを殺害しようとしたおまえの罪は重い。明朝リューフ・ブールフ城門前にて斬首の公開処刑とする」
ゾアスはそう裁きを言い渡すと、さっさと牢を出ていった。
出がけに振り返り、大声で叫ぶ。
「ナアイ!〈デュロウ〉と聞いて何か心当たりは?」
ナアイは、ありません、と答えた。
牢の扉は閉まり、ふたたび暗闇と静寂の中にひとり残された。
重苦しい、絶望的な気持ちが心を支配していた。
ラフィとトファーズのことを尋ねるべきだったと悔やんだ。
ゾアスの最後のことばから、ふいに記憶の底にあった小さな友だちのことばを思い出す。
確かバリはあのとき……だが、ナアイはもはやその謎を解き明かす術を持ち合わせていなかった。
――閣下は何におびえていらっしゃるのだ?
ジュニンはゾアスに出会って以来、自分の尊敬する剣士であり、また師でもあるこの偉大な男が、これほどおびえたような様子になるのを見たことがなかった。
実際、それはおびえとしか言いようのない態度だ。
何者かが侵入してくるのではないかと絶えず部屋の扉を気にし、夜は自室の前だけでなく、窓の外にまで衛士を置くのだ。
城門の衛士の数は二倍に増やした。
おかげで、城内のその他の場所の中にはまったく警護が行なわれなくなったところもある。
バパラマズは自分を守るはずの衛士を勝手に使うなと言って、気が狂ったように怒り、衛士は夜寝られないので昼間はあくびばかりしている。
ジュニン自身、今日も寝不足で、昼間の対抗試合では危うくカイダルに首を飛ばされるところだった。
――それもこれも……
みんなあの鉄面のせいなのだ。
ジュニンはルメア達を一撃でなぎ倒した、物凄い剣技を持つあの男と、ゾアスのつながりを知りたかった。
――どう見ても、なにか因縁がありそうな……
普段は情報収集に力を入れ、綿密な計画を練るおかたが、ただの一度も鉄面剣士の正体や素性について疑義を持つことがないのは、どう考えてもおかしい。
顔中に刺青を入れ、あれほどの剣技を持つ男など、どこにでもいるものではないし、少し調べればあの剣士の正体など簡単に分かるだろうに、閣下は調査を命じもしない。
それに、いくら闘技会を開いている最中とはいえ、守りを固めるばかりで、周囲の郷にわれわれを派遣し、自分の命を狙ったものを探し出そうとしないのもおかしい。
閣下はあの剣士の正体も、狙われる理由も実はご存じであるとしか思えない。
――あの哀れな少年――ナナイを、明日斬首刑に処すのも、ひょっとしてあの鉄面をおびき寄せる腹なのかも知れぬ。
――だが、それにしても……
自分にも話せないことか、と思うと、腹心として信頼されていないのかも知れないという疑念さえ起こる。
ジュニンは横のゾアスを恨めしげに見た。
「閣下、質問差し上げてよろしいでしょうか。」
ジュニンは牢を出てから初めてゾアスに話しかけた。
「なんだ」
「先ほどあの少年――ナアイに尋ねた〈デュロウ〉とはいったい何のことですか?」
ゾアスは立ち止まり、廊下の天井を仰いだ。
「それは……いや、貴様は知る必要はない。まだ、な」
「私は閣下の腹心と自負しております。是非、なんでも打ち明けていただきたく存じます」
ジュニンは不満そうに声を上げた。
ゾアスは青ざめた顔を脇の腹心へ向ける。
「少し、もう少し待て。いずれ貴様には話す。だが、今はまだ話せないのだ。」
これ以上はジュニンも追求できる立場にはなかった。
――しかし、この御顔は
憔悴しきった
ナアイの剣 九北マキリ @Makiri
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