第12話 イヴ (SF的)

 月が雲間に隠れた。

 窓にはめられた鉄格子から見える風景は変わらず、まるで真昼のようだ。

 あたしはさっきから感じる体の奥の疼きを、服を脱ぎ捨てることでごまかす。

 未舗装の道路の凹凸がタイヤに伝わり、荷台も揺れる。運転席にすわるローズの金の髪が光って見える。

 旧式の慣れない車だろうに。ハンドルを握る手がふるえて見えるのは、振動なのか。それともこれからのことに怯えているのか。

 あたしの喉がぐるぐると鳴る。あふれる涎を飲み込む。

 これから行くのだ、奴らのもとへ。


「たった一つのものだから、大切にしなくちゃいけないよ」

 小さかったあたしを抱いて、カーリン博士は言った。

「いくら傷の治りが早くても、命は一つなんだ。それだけは今の僕ら科学者にだって作れない。神さまからの贈り物だ」

 そう言って、頭をなでた。

 森の奥に捨てられていた、できそこないのあたしを拾って育ててくれた人。

 胸の「命」からの脈動。ここが壊されない限り、あたしは動ける。


「ひとに、やさしく。みんな、きみのように強いわけじゃない」

 体の大きな人なのに、虫が苦手で食べ物の好き嫌いが多いあなたを、ローズはいつも見守っていた。奥さんっていうより、お母さんみたいって思ってた。


 それでも、あたしの食事にはカーリンにもローズにも苦労をかけた。

 新鮮なものが手にはいらないと、何日もパック詰めのものが続いた。嫌いじゃなかったけど、それは空腹を満たすためだけで、おいしいって思ったことはなかった。


 でも、こんやはいいんだ。

 好きなだけ食べなさいって、ローズがいった。

 思うぞんぶん、食べていいって。


 あたしは牙をきしませる。はやく、食いつきたい。柔らかな喉笛に牙がつきささり、肉を引き裂く感触を思い描くだけで武者ぶるいがする。


 カーリンはもういない。たった一つの大切なものを奪われてしまったから。

 あたしなんかのために。


 最期に言ったことば、いまでも忘れない。

「ローズを守って……イヴ」


 やくそくやぶってごめんなさい。


 がたん、と車がとまる。


「さあ、行くわよ。自由に、思う存分暴れなさい。……カロンの岸辺であいましょう」

 体にありったけの爆薬を巻きつけ、銃を背負ったローズがあたしをみつめた。


 ありがとう、ローズ。あたしを育ててくれて。

 もうヒトの言葉は話せないけど。


 だいすきよ。


 鼻を鳴らすとローズが微笑んだ。

 この牙はあなたを守るためだったのに。


 カーリン博士。

 ローズもあたしも、やくそくをやぶる。


 月が、銀色のまるい月がそらにかがやく。


 ローズが荷台の鍵を外す。人の臭いがする。あたしは荷台から飛び降りると、思い切り地面を蹴った。

 誰かが叫ぶ声、投光機に鈍色(にびいろ)の体毛をさらされながら、あたしは見張りの男に飛びかかる。

 食いついた首筋は、やわらかく牙にかみ砕かれた。

 あふれる血をすすり、肉をかみちぎる。


 悲鳴と怒号。


 喉を滑り降りた血肉があたしの四肢に力をみなぎらせる。

 あたしの笑い声は、獣の咆哮だ。

 ほふってやる、博士を裏切り殺した連中を。


 胸に銀の弾丸が撃ち込まれるまで。


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瑠璃の杯 SS集 たびー @tabinyan0701

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