宝石きゅうり

黒松きりん

宝石きゅうり

 昨日、大きな地震がきた。幸いアパートは無事だった。街を歩いていても、倒れそうな建物を見ることはない。電気・水道・ガスは全て止まった。しかし、それも遠からず元通りになるだろう。なにせこの街は地震に慣れている。ただ、余震の多さには辟易した。体が常に緊張して、地鳴りの音に敏感になる。おかげで、地鳴りが聞こえないまま揺れたときには「これはすぐに収まるやつ」と油断するようになった。

 さすがに一人でいるのは心細くて、昨日は近くの小学校に一晩泊まった。近所に住んでいるサークル同期の雪子も同じ小学校に来ていた。雪子はスノーウエアを着こみ、冬山にでも行きそうな荷物を持ってきていた。最初に見たときは大袈裟だなと思ったけれど、その中身のおかげでひもじい思いをせずにすんだ。

 同じ小学校には雪子の友人と、たまたま仙台に来ていたその従姉妹も居た。私と雪子を含めて4人全員が女だったし、全員が成人したばかりで世の中のことをよく分かっていなかった。ライフラインが全滅するなんて初めての経験だ。お互いどうしたらいいか分からず、ただただ狼狽えたまま、一緒になって場所をとった。小学校の多目的スペースなのか、教室ふたつ分くらいの空間の中の一角が、今の私たちの拠点だ。

 今日は朝から晴れている。3月の仙台はまだ冬といっていいくらいの気候なのに、今日は晴天であたたかい。昨日は地震の直後に雪が降っていた。今日と比べれば雲泥の差だ。冷たく凍るような足元が揺れる昨日と、あたたかい陽だまりのなかで足元が揺れる今日ならば、今日の方がまだマシだ。ただ、あまりに青すぎる青空だったから、「これは皆まとめて死んじゃったあとの、いわゆる『あの世』かな」と思ってしまった。それくらい、今日の空は残酷に澄み渡っている。

 雪子の友人とその従兄弟に荷物番を頼み、わたしと雪子で一旦アパートに戻ることにした。缶詰とかレトルトカレーとか、とりあえず食べられそうなものを探して持ってくるためだ。ついでに長座布団や毛布も持ってこよう、そう言い合って小学校の前で二手に別れた。

 一人になってみると、急に現実感が無くなった。今日は昨日の続きでなく、今日は一昨日の続きのような気がした。アパートに帰ったら、一昨日の夜に作った味噌汁が鍋に入ったままになっているはずだから、食べられそうなら温めて食べようと思いついた。でもその味噌汁は、昨日の時点でキッチンペーパーに吸わせてポリ袋に捨てたと我に返ったあたりで、後ろから雪子の声がした。こちらに向かって走ってくる。

「さーやーかー! ちょっと」

「どうしたの」

「ジョープで買い物が出来そうだった。店の前で、投げ売りしてる。一緒に並ばない?家の荷物は後ででいいよ」

「そんなことしてるの?ジョープすごいな。行こう行こう」

 電気があれば、むしろ、電波があれば、こんな会話はメールで済ませて現地集合にすればいい。だけど、今は原始的に呼び止めるしか無い。頭の上の信号機ですら暗くなったままの世界だ。

 雪子の家から徒歩40秒くらいのスーパー「ジョープ」には某ネズミの国で不人気アトラクションくらいの列が出来ていた。買えるのか分からなかったけど、ダメ元で並んでみたら、意外と列が早く進んだ。これなら何かしら買えるかもしれない。

「よかった。順番が回ってきそうだね」

そうだね、と言いながら雪子はちょっと顔をしかめた。品物をじっと見ながら少し落ち込んだ声を出す。

「やっぱり電池や水はもうないね。食べ物も冷蔵庫ないとキツそうなのばっかり。どうしよっか」

「たしかに。でも、果物とか、ビタミンをとっておいたほうがいいんじゃないかな。ないよりマシじゃない?」

「うー、ま、そう言われればそうか。あるうちに採っておこう」

こんな会話をして、デコポンを3つと、きゅうりを2本、せんべいを2袋買った。値段が全部50円刻みだった。レジもなく、値段ごとの個数を紙にメモしておしまい。明瞭会計だけど、後が大変そうだなと思った。

 会計が終わると、昼ごはんの時間になろうとしていた。

「しまった、のんびりしすぎたね」

「時間なんてあってないようなものだよ。大丈夫。沙也加はこのままアパートに行ってきて。わたしはアパートが近いから、買ったものを一旦小学校において、もう一回往復するよ」

「そう? ごめんね。じゃあお願い」

 またあとで、そう言って再び自分のアパートに足を向けた。そして今度こそとしての意識を保ちながら辿り着いた。余震のせいで、昨日よりも机や棚が動いている。なぜか倒れたテレビの上に枕が乗っていた。昨日の自分が、動かないように重しとして乗せたらしい。気が回っていたのか、気が触れていたのか、判断しにくい光景だった。

 学生になるために仙台に来て早々、内陸で大きな地震があった。その後からずっと地震が来るぞと囁かれ続けていたから、缶詰やレトルトの買いだめをしていたおかげで、レジ袋半分くらいの量の食料が見つかった。あの人数だと今日明日はこれで行けるかも、でも、その先は? そう思うと気分が重くなった。一人暮らしのアパートの台所は狭く暗い。おまけに暖房がつかないまま一晩を越したせいで冷え切っていた。我慢できずに昨日の夜にTwitterを見てしまったとき、高速道路が駄目になっているのを知った。あれでは実家にも戻れないだろう。万策尽きていると思った矢先、また地面が揺れた。ちくしょう、うるせぇよお前。いい加減静かにしろよ。何考えてんだよ迷惑だ。

 でも、怖い。このままここに居られない。


   *


 小学校に戻ると、雪子たちが昼ごはんを始めようとしていた。

「遅かったね。大丈夫だった? ちょっと揺れたでしょ」

「大丈夫だったよ。ほらこれ、思ったより残ってた」

「あ、缶詰だ。カレーもあるじゃん。さすが沙也加、ちゃんと溜めてたんだね」

「まぁね。すぐに何個か開けていいよ」

沙也加さんの分ですよ、雪子の友達の従姉妹がデコポンときゅうりを差し出した。けっこう美味しかったです、買ってきてくれてありがとうございます。や、よかったです。きゅうり、何かつけますか? このままで大丈夫です、ありがとう。

 雪子が持ってきただろう包丁で切ったきゅうりは、厚めの斜め切りで、イボがまだ残っていた。そのまま口に運ぶと、きゅうりの独特の風味が口いっぱいに広がった。続いて噛むと、小さいながらもポリポリと音がした。美味しい。口の中と、ついでに頭もハッキリする。今わたしはきゅうりを食べてる。昨日地震があったこの街の小学校で、友達と、知り合いになったばかりの人と、大勢の知らない人に囲まれて、わたしはきゅうりを食べている。このきゅうりの味は、わたしの知ってるきゅうりの味だ。冗談みたいなひどい状況だけど、きゅうりの味はすごく現実的だ。ナマモノってすごい力だ。生きているんだな。

 切りたてのきゅうりは、断面がツヤツヤしていて、種の部分が光って見える。息を飲んで見つめていたら、雪子が言った。

「大丈夫? ほらこれ、サンマの缶詰乗せて食べると、なんか美味しいよ」

ニコニコと笑う雪子を見て、この人とつるんでいれば大丈夫かもと思いながら、サンマの缶詰を受け取った。




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