近代的返事

 月光が制服の袖を通した時、ふと胸元に視線が泳いだ。別段、平坦でも山脈でもどちらでもないソレに違和感を覚えていたからだ。


 それは僅かな痛みと火傷のような痕。


 昨晩の出来事が紛れもない現実であったことの証に他ならない。これは闇夜から反撃を受けたときに浴びたスタンガンの電撃によるもので間違いないだろう。


 こんな小さな痕なんてそのうちキレイに消えてなくなるだろうが、月光の中にはいつまでも消えてはくれない現実を突きつけるものでしかない。


 いっそのこと、このまま具合が悪いということにしてしまって、休んでしまいたかったが、あいにくと期末テストも近い。優等生を気取りたい月光としては、自宅でこっそり自習するよりもきちんと出席とった上で結果を残したいと思っていた。


 とどのつまりは、学校に行くという選択肢しかないわけで、とどのつまりそれは確実にあの闇夜と出会うことになる。


 ひょっとすれば、闇夜が体調不良で欠席する可能性もあるし、昨日の出来事でむしろ闇夜がプレッシャーを感じて欠席なんてことも十分可能性としては考えられる。あまりにも僅かな希望ではあるが。


 いずれにせよ、気休めの話。今日休んだって明日もそのまた明日もある。闇夜に会いたくないという理由で休み続けていたら結局のところ学校に行けなくなってしまうのだから、遅かれ早かれ覚悟を決めるしかない。


 全身に拘束具をつけたかのようなずっしりとした心持で、月光は玄関をくぐった。


 外は当たり前だが明るく、また暖かかった。昨日の薄暗く、冷たい悪夢のような記憶とはまるで対称的。こんなにも太陽は心地よいものだっただろうか、と月光は今にも溶けそうなしかめ面で、空を見上げた。


 思えば、月光はここのところ、恨みを束ねて闇夜への復讐に燃えていたせいか、ろくな心境ではなかった。清々しいとは掛け離れてはいるが、少なからずとも計画の失敗は月光の心をどす黒く燃やしていた燃料を枯渇させたに違いない。


 ある種、開放感といっていいのかもしれない。敵わないという認識、屈服したという自覚。それらは月光の復讐心をへし折るには十分すぎた。


「おはよう、月光さん」


「ひっ」


 が、それは逆に、月光に底知れぬ畏怖を刻み付けたと言ってもいいだろう。


 予想外の声が予想外にも正面から聞こえた。それはただ単純に、校門の前で待ち構えていたであろう闇夜からの何のことのない一言の挨拶だった。


 しかし月光は思わず、あられもない悲鳴を出しかけて、飲み込んだ。どういうわけなのか、理解しようもないが、それまでだったら喋りかけてくることすらなかった男が、気軽に話しかけてきていたのだから。


「や、闇夜、さん……、おはよ、ぅ」


 正直なところ、月光には闇夜の考えていることが何も分からない。何せ、昨日襲撃した相手だ。謝罪とか弁明とかそんなことさえもないまま今日に至ったわけで、現実的な話をすれば、闇夜は憤慨しても仕方ないわけだが。


 何故、その男がこんなにも爽やかに月光の前に現れたのだろうか。


「昨日の返事、考えてくれたかな?」


「キノウノヘンジ……」


 月光にとってイレギュラーなことが起こりすぎた。もうすでに頭の処理が追いつくわけがなかった。闇夜の言葉をオウム返しするも、言葉の意味まで飲み込みきれていない。


「僕、待っていますから」


 違うだろ。お前はそんなキャラじゃなかっただろう。昨日のアレは全部夢だったのか。月光の中で沸き立つ感情と言葉が洗濯機のようにゴウゴウと回転していた。


「昨日のこと、本当なんですの?」


 目の中をぐるぐるとさせながらも、言葉がポロリとこぼれた。一番の本音だ。


「ええ、もちろん」


 闇夜がどう解釈したのかは知らないが、ハッキリとした答えが返ってくる。そしてそのまま納得したかのように闇夜は踵を返し、校門を潜り、ごく自然と登校していく。その姿は、あたかも普通の学生のように振舞っていた。


 勿論、闇夜は普通の学生なのだから、そこに不自然さはないが、月光にとってはその一連の流れすら、白昼お化けのようにも思えていた。


「おっはよ! ルーナさんっ♪」


「はっひ!?」


 月光が背中をポンと軽く叩かれ、小ジャンプしつつ振り返るとそこにはいつものクラスメイトの一人がニヤニヤとした表情で、月光の顔を覗かせていた。


「あ、ああ、白絹シルクさん。おはよう」


「今のってヤミヨくんだよね? まさにルナが意中の彼♪」


「は、はいぃ? 何のことでございましょう?」


 意中の彼。どのような経過を経て、そのような解釈に至ったのか。ただでさえ、今このときも月光の頭の中は混乱に苛まれているというのに、尚のこと拍車が掛かる。


「隠してるつもりかもしれないけどさぁ、バレバレだかんね? 毎日こっそり後つけちゃってさ、もう周知の事実ってヤツだよ~」


 月光はふと何のこと?と思い至って、その答えは割と直ぐに算出できた。そういえばここのところ、そんなことをしていたような気がした。というか、闇夜のことばかり考えていて、自分のことを意識してなさすぎて、気付いてもいなかった様子だ。


 しかし、それはあくまでも復讐の機会を伺うためであって、月光の行動にそのような意図はない。たどたどしくも、反論の言葉はすぐさま出た。


「そ、それはご、誤解、ですわ」


「じゃあさ、今の『昨日の返事』ってなぁに? 『待っていますから』ってどうゆうこと~?」


 今度は反論の言葉が出にくかった。またしても処理能力の限界を超えてきたようで、今にも月光の頭が沸騰して湯気が吹き出しそうなくらいだ。


 闇夜が意中の彼? まさかそんなことはない。憎い相手だったはずだ。しかし、昨日の一連の出来事で、月光の中に燃え滾っていたその憎しみは欠片も残らないくらい粉砕された。むしろ恐怖が芽生えているといっていい。


「ヤミヨくんってよく見るとイケメンだもんね。なんとゆうか、まだ誰も手をつけてない優良物件? 強いて言うなら根暗なところが玉に瑕ってとこカナー」


「あ、あの……白絹さん? その、あの、誤解……誤解でして、よ?」


「まあま、隠さなくていいって。なんにしても、この後、ヤミヨくんに返事するんでしょ? なぁ~んのことか分からないけどぉ~」


「へん、じ……?」


 月光のフル回転したカラ回り脳みそが処理を弾き出す。


 返事というのはつまり、おそらくは昨日の恋文らしきものの返事のことだ。歯に衣を着せぬ、歯の浮くような言葉の綴ったアレだ。


『私は、あなた様と是非、お付き合いさせていただきたく思います』


 月光の脳裏を貫く闇夜の声で再現されるあの言葉。


 月光に、闇夜と付き合うという光景は到底想像もつかなかったが、「NO」と答えようと心の中で思ったその刹那、突如月光の頭の中は深遠の暗闇が包み、また、闇夜の声で言葉が脳裏を過ぎる。


『僕は、あなたを、調教しようと思う』


 何も見えるはずもない闇夜のような暗闇の奥から、確かに聞こえていた言葉。


 もしかすると、返事には意味がないのかもしれない。どうやら、そういう結論を月光の脳みそは出してしまったようだ。


「で、ルナ、どうするの? 返事」


「ど、どうしましょう……」


 そうしてまた、月光の思考はオーバーヒートしたかのように静かに停止した。

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近代的彼氏彼女 松本まつすけ @chu_black

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