近代的告白

 月光は、目を覚ました。


 とてつもなく嫌な夢を見た気がしたからだ。


 酷い寝汗で、べったりとした不快感が身体中にへばりつくようだった。どんな夢を見ていたのかはもう思い出せない。思い出したくないというのが本音だった。まるで記憶が抜け落ちてしまったかのよう。


 本当にそれは夢だったのだろうか、と月光は不安に駆られる。それくらいに現実味の濃い、奇妙な夢だったように思えた。


 薄手のカーテン越しに月の淡い光が照らす部屋をボーっと眺める。時計は深夜を指す。もう一度眠りに就こうと思ったが、体が震えるほどに月光は自分の中に怯える感情がこびりついてしまっていることに気がついた。この違和感はなんだろう。この恐怖は何処からくるのだろう。


 きっと夢見心地が悪かっただけだ、などとは月光は思うことができなかった。


 顔を伝う、この涙の痕を指でなぞる。


 考えたくない、思いだしたくない、と頭の中で思っているのに、ぽっかりと抜けた記憶を、違和感をぬぐいたいという思いに負けて、探ってしまう。そして、月光は大きな違和感に辿りつく。


「いつ……、帰ってきたの?」


 抜け落ちた記憶のピースが、月光に途轍もない恐怖を埋め込む。


 ここは紛れもなく月光の部屋であり、月光のベッドの上であり、あまりにも自然すぎるとしかいいようがない状況下だった。だからこそこの違和感は、恐怖になりかわる。むしろ今が夢を見ているのではないかとさえ思えてくるくらい。


 夢かうつつか、月光はベッドから跳ねるような勢いで飛び上がり、電気の紐を探して手のひらが中を舞う。カチリと引っ張った紐が軽い音を立てて、部屋中が一瞬で真白く光る。


 眩い部屋に目が慣れる頃には寝ぼけた頭もいやに冷静になる。


 夢だった、夢だったと自分の心に言い聞かせながら、部屋を見渡し、違和感を否定しようとした。しかし、それは目に入ってしまった。


 テーブルだ。ガラスのテーブル。丁度いい大きさ、足元ほどの程よい高さで、ちょっと軽く勉強するときなんかも正座なりあぐらなりかきながら使っている便利なテーブル。いや、このテーブルが異常なのではない。問題は、テーブルの上のソレ。


 白い封筒のようだったが、身に覚えがなく、異彩を放っている。恐ろしく達筆で「白夜月光様へ」と書かれており、場所が場所ならラブレターとも捉えられただろうが、月光にとっては死刑宣告書のようにさえ思えた。


 触れる指も震えるほどに恐る恐る封筒をつまみ上げる。月光はまるで爆弾を解体するかのようにただ開封するのも戸惑う。


 しかし、このまま封筒をゴミ箱に放り込むなどという選択肢などなかった。今が夢かうつつか、はっきりとさせるための唯一の手段。


 ペーパーナイフを探す間も惜しみ、心臓の早鐘に急かされるように封筒のふちに指先を掛けて、ビリリと封をちぎり落とす。中に入っているのは予想に違わず、一枚の便箋が折りたたまれて入っていた。月光はすぐさま抜き取り、開いた。


『拝啓、白夜月光様

 この度は、あなた様への、お手紙をしたためさせていただきます。

 学校の友として日頃切磋琢磨の仲である事に感謝を申し上げます。

 私こと黒谷闇夜は、以前からあなた様をお慕い申しておりました。

 あなた様のことを好きであるという気持ちに嘘偽りございません。

 私からのアプローチに対し好意的に接して頂けた事を忘れません。

 品行方正な面もあり、時には幼気な面もある魅力に惹かれました。

 私は、あなた様と是非、お付き合いさせていただきたく思います。

 そして、あなた様を調教し……』


 あまりにも寒気を感じた月光は、反射的に気づいたときには手紙をビリビリと破り捨てていた。「調教し」の後に続く言葉のおぞましさを直視することができなかったのだ。


 これはなんだったのだろう。恋文だったのか、脅迫状だったのか。理解しようとした月光の脳内を理解の及ばない何かが渦巻いて、本日何度目かの吐き気を催そうとしていた。


 そして、ハッと我に返ったとき、これを変質者からの脅迫状ということすれば通報できるのでは、と思い至ったときには既に手紙らしきものだったそれは、紙くずとも分からないくらいに分断され、いつの間にか手に持っていたライターで焼却済みだった。


 こんなコゲた何かでどう通報しよう。どうしようもなく、結局恋文か脅迫状か分からずじまいだったそれはティッシュに包まれてゴミ箱の中へ、ストンと収まった。


 そもそもの話、被害者は向こうということを忘れてはいけない。危害を加えて拉致したという事実がある以上、こちらは加害者。通報されるのは月光の方だ。


 結果として、何事もなかったのだから何事もなかったことにすればいい。コゲたクズの入ったゴミ箱を睨み付けるのを止めて、月光は一刻も早く、今日の出来事を忘れようとした。


 しかし、その目で見て焼きついたあの文字の羅列が月光の中で、よりにもよって、あの闇夜の声で何度も何度も再生される。


『あなた様のことを好きであるという気持ちに嘘偽りございません』

『私は、あなた様と是非、お付き合いさせていただきたく思います』


 ひょっとして、これは告白だったのでは?


 困惑し混乱した月光の頭がそんな断片的なことを理解した途端、焚き木をくべた暖炉のように頬が熱くなり、燃料を得た機関のように胸が激しく高鳴っているのを、月光自身、その身で感じていた。


 それは屈辱なのか、恐怖なのか、羞恥なのか、それともあるいは状況からは考え難いことだが、恋心の芽生えなどというものだったのか。どれとも分からない月光は吐き気と目眩に苛まれながらも、明日の学校で闇夜と出会ったときにどのような対応をすればいいのかを脳内で練習し、ベッドに崩れて落ちた。


「闇夜ぉぉぉ…………っ」


 今夜、月光がしてきたことは全て失敗に終わった。それどころか、完膚なきまでに返り討ちに遭った。完敗し、屈服したといってもいい。そして、結果がこれだ。何がなんだか分からない。


 しかし、明らかなことがある。


 これまで月光が学園生活の中で受けてきた数多の下劣な告白の中でも、これほど見事に月光の上手をいく告白を、月光自身は全く経験したことがなかったということ。


『好きです。付き合ってください』

『是非ともお付き合いさせてください』

『もしよろしければ付き合っていただければ幸いです』


 告白なんてものは、目下のものが媚びるような浅ましいものとしてしか認識していなかった月光にとって、何もかも全てを上回った闇夜からここまで高圧的な告白を受け取ったことが何よりも理解できず、混乱を極めるばかりだった。


「……闇夜」


 そのぽつりと呟いた言葉に何が込められているのか。月光自身も分からぬまま、あいにくと夜は更けていった。

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