近代的調教
月光の鼓動は早鐘を打つよう。
言葉が出ていたならば、何度も何度も謝罪を示すソレを数えきれないほど吐き出していたかもしれない。体が動いたならば、すぐにでも見上げた額をそのまま地面に叩きつけるほど下に押し付けていたかもしれない。
「調教するなら、相手を支配しなきゃ。恐怖で支配したかったならもっとやりようがあった」
月光の両頬を、闇夜の指先がつまむ。
「目を開けた時、女がたった一人で粋がっていただけで恐怖を覚えると思ったか? 拘束すらろくにできないような輩が支配できると思ったか?」
月光の首が横に震える。
それはもっともな話だった。
闇夜は不意を突かれて襲撃されたとはいえ、目が覚めた時に映った光景は同級生がたった一人で佇んでいる光景。攻撃的な態度をとっていてもとてもじゃないが凶暴といえるほどの迫力もなく、武器を構えていたってせいぜい猫が威嚇している程度のものにしか思えなかっただろう。
そして、殺すという意思表示もしなかった。
ダメ押しに、拘束の甘さゆえに反撃さえも可能な余裕さえあったのだから、何に対して恐怖を感じればよかったのだろうかと言わんばかりだ。
恐怖というのは言葉にしてみれば単純なもので、人によっては容易く感じることもあれば、神経の図太い人間にはとことん感じないものだ。闇夜は無論、後者、神経の図太い方だ。
例え、目の焦点も合わないような狂った男が全身を刃物や銃器で武装して襲いかかってきても、逃げるか反撃するかくらいの判断力も損なわない程度には冷静で、図太い。
一方の月光はといえば、脆い。闇夜と比較してはならないほどに脆い。
何せ、抜き打ちテストの結果ごときで嫉妬に狂うほどのメンタルの弱さだ。突けば割れるガラスの不良品のような脆さ。
当然のように、闇夜はそのくらい分かっていた。
だから月光から光を奪った。そうした結果がこの現状だ。
本当の窮地も知らない温室育ちのお嬢様には、想像することもできなかった手荒い反撃。
気を失い、興奮から覚めた意識に、何も見えない暗闇。この孤独に、恐怖には月光は耐え難かった。錯乱して、勝手にありもしない怪物を作りだして、勝手に恐怖を増長させて、勝手に弾け飛んで、この体たらく。
どうすればいいのかも分からないし、どうしたらよかったのかも分からない。そして、これからどうなるかさえも分からない。
声以外の情報が与えられない状態で、月光は判断力を完全に失ってしまっていた。
月光は自分で思っていた以上に酷く脆く儚く弱い存在だった。
「……発想は面白かったよ。いや、むしろ、この発想は面白い」
倉庫の反響に紛れて掻き消えそうな声。それくらいに細い声だが、はっきりと、月光の耳に、心に直接突き刺さる。聞き逃したら殺されるかもしれないという妄想も過っているからだ。
不意に、月光の顎が浮く。
闇夜の指先の温もりに気付き、月光は暗闇の先の闇夜を見た。
「さっきも言ったけれど、僕は、退屈していた」
目と鼻の先、間近で聞こえる声。もう正体がはっきりしているのに、月光はまるで得体のしれない何かと対峙しているような、そんな錯覚を覚えていた。
「だから、いいことを教えてもらったよ」
目の前にいるソレは一体、何を言おうとしているのか。
「僕は、あなたを、調教しようと思う」
理解できない言葉を、理解しようと受け入れた時、月光の背筋に酷く寒気が走った。液体窒素を吹きかけられたかのように、思考ごと硬直して、月光は意識まで暗闇に落ちようとしていた。
完全な敗北感を味遭わされた、その男に、自分が計画していたはずの計画を奪われるこの屈辱は抜き打ちテストだなんてくだらないものとは全く比べ物にならない。間違いなく調教されてしまうだろうという思いが過り、月光の脳内がまた一層狂い始めてきていた。
相手は想像もつかないような恐ろしい存在だ。そんな存在が、自分に対してどんな調教を施すのかなんて分かるはずもなく、分かりたいと思いたくもなかった。だが、もうすぐ嫌でも分からされてしまうのだ。この絶望としか表現しようのない恐怖は月光にとって未曾有他ならない。
「さて、手始めに、どんな調教からやっていこうか」
暗闇に孤独に響く闇夜の足音に、月光はとうとう堪えきれず、意識をプツリと絶った。
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