先を生きる者

らいむ

先を生きる者

 俺はマンガが好きだった。好きすぎてマンガみたいなことに巻き込まれちまった。いやマンガ別に関係ねえけど。他人のせいにしてみたいだけだ。全部あのマンガのせいだ。あのマンガさえなければ俺は……。

 マンガを初めて読んだのはいつだったか。小学生の時にはもう読みふけっていたから、小学生になるころかその少し前からぐらいだろうか。周りのガキどもがやっと週刊なんたらを読んで騒ぎ始めた時には俺はもうコンビニ立ち読み学生やおっさんの仲間だった。少年誌はもちろん読んでいたが、薄っぺらい割に中身が濃い青年誌の方も好きだった。なんにしろ、自分が知ることはないけど、どこかリアルな空想話を読む方が好きだった。出てくるものが現実的にはありえないっちゃありえないんだけど、外をふらふら歩いてどっか出かけたらなんとなく見つかるかもしれないようなリアリティーのある嘘話が好きだった。

 だが、まあまさか自分がこんなことになるとは思わなかったけどな。

 中学生の時だったかな。そのマンガと出会ったのは。それまではなんとなく読んでたけど、その作品に出会ってからはマンガが好きなんだってことを意識し始めた。独特な線の濃い絵柄で、設定もストーリーもなかなかに密に凝っていた作品だった。平凡な主人公が日常の中で出会うちょっとした非日常を淡々と描いていくだけなんだが、これがなかなか癖になる面白さだったわけよ。毎回毎回で一応話は完結してるんだが、その裏で少しづつ大きな物語が進んでいくのさ。毎月毎月そのマンガの新しい話を追いかけていくのが一番の楽しみだった。他のもいろいろ読んでたが、やっぱりそのマンガが俺の一番のお気に入りだった。そのマンガと出会ったことで俺はマンガという世界にどっぷりハマりこんでしまった。ちなみにそのマンガの作者はそれがデビュー作で代表作で唯一の作品だった。ちょっとしたマンガ好きなら大概は知ってるけど、一般人だと知らない人が多いみたいな、売れ行き的にはその程度のマンガだったんだけどな。固定ファンがそれなりにいたらしいから、打ち切られることもなく、華やかなメディア展開もすることなく細々と長々と続いてたんだ。かく言う自分も固定ファンだったから律儀に毎月ファンレターを出していた。大したことは書いてなかったけど。ここが面白かったーとか、これこれには驚いたーとか、しょーもない感想さ。

 でさ、そのマンガを俺はバカみたいに一生懸命追いかけてたのさ。そのマンガがどうなるか、キャラ達はどういうことを考えてるのか、この設定は伏線なんだろうか、とかとか延々と同じような考察を自分の中でぐるぐる回したりしてな。ネットが普及してからは、掲示板なんかでも他のヤツの考察とかも漁って必死こいてそのマンガのことばっか考えてたんだよ。今思えばなんであんなにハマってたのか分からねえ。なんか病気だったんじゃないかってぐらいだ。確かに自分の生きてた現実にはうんざりしてばっかだったけどよ、現実逃避したいほどひどい人生でもなかったはずなんだがな。なんもかんも普通よ普通。

 その内オタクなんて言葉が流行りだしてたな。俺は当然その人種にカテゴライズされてたんだろうな、周りのやつに。どうってことなかった、というか周りなんか気にしちゃいなかった。気にしなさ過ぎたな。

 おかげで気が付いたらよ、二十歳どころか三十歳になりかけちまってた。気づいたときには時すでに遅しってな。マンガを読む以外はただのうのうと生きてよ、30年だぜ30年。そのバカさ加減に気付くのが遅すぎたってわけよ。そんなんよりもうんとひどいヤツらをマンガで読んでたはずなのにな。あーあ、やっちまったな。そう思ったよ。そう思ったんだけどな、俺が一番好きだったあのマンガはまだ終わっていないでやんの。長々と続き過ぎてこちとら三十歳だってのによ。ふざけんなって話よ。こいつのせいだこいつのせい。俺はわけわかんねえけど、唐突にそのマンガにムカついてきたんだ。はよ終われよなって。最高にクソみたいな終わりを見せてくれよってさ。まあなかなか終わらないんだけどさ。いつ終わるんだろうなって人気マンガは多いんだけどさ、そいつは段違いだった。話はゆっくり進んでるのは進んでるんだけどもよ、まったく終わる気がしないんだぜ?読んでるこっちは嬉しいんだか悲しいんだかわかんなくなっちまうよ。このままこれにハマってたら俺は一生をそいつに捧げちまうって気づいたんだよ。まあもう半分捧げたようなもんだけどな。今さら構いやしねえさ。

 で、昨日もそいつが載ってる月刊誌を買って続きを読みながら家に帰ってたんだよ。懲りねえよな、俺も。やめられないんだよマンガってやつはな。

 まあいいさ。読みながら歩いてたらな、コーン、ってギャグマンガみたいに電柱にぶつかっちまったんだよ俺。どんだけ読みふけってたんだって話だがな。綺麗にそんままぶっ倒れたんだわ、俺。あんま覚えてないけど。

 

 いっとき経って気が付いて起き上がるだろ?そしたらすぐなんかおかしいなって思ったよ。周りの風景いろいろおかしいんだからな。ビルがねえし、道が土だし、空が澄んでた。

 ははーんって俺はピキーンってきたよ。伊達にマンガ読みまくってるわけじゃねんだこっちは、ってな。

 落ち着いて立ち上がって、ケツに付いた土を払って、右手を振りかぶって、思いっきり俺は俺の右ほほをぶん殴ったさ。

「いったあああああああああっ!!」

 たらよ、クソ痛いんだよ、歯が折れるかと思ったわ。

 ってことはこれ夢オチパターンじゃねえなってすぐ気づいたよ。そしたらマズいなって俺も気づくわけよ。周りは夕暮れでな、木造の平屋がちょいと先にわんさか見えるんだわ。炊事の煙があちこちからのぼってるのよ。

「俺は医者でも自衛隊でも女子高生でもなんでもない只のマンガ好きのおっさんなんだけどな」

 そうそう、マンガでよくあるヤツな。

 過去へ来ちゃったわ、俺。多分江戸時代くらい。

 とりあえずやっとくかな。一回やってみたかったんだわこういうのって。んなわけあるかボケ。息を大きく吸い込んで夕日に向かって俺は叫んだよ。

「ふっざけんなあああああっ!!」

 ふう……。落ち着いて俺はどうするか考えたよ、こういう時は大体2パターンな。元の時代に帰れるか、帰れないか。

 帰れるにしろ帰れないにしろ、とりあえずここで少しは過ごしておかないとどうせ帰れないやつなんだろうさ。どうすっかな、温泉にでも飛び込んで溺れてみるか?

 これが長い長い夢のような擬似体験だとしたら死ねば戻れるか?ちょいと覚悟はいるけどやったるか。俺は走り出した、そしてそのままそこにあった川に飛び込んだ。未来ってか俺の生きてた時代だと魚が洗剤と一緒に浮いてるきったねえ川だけど、昔はキレイだったんだな。飛び込んですぐ俺はそんなこと思ってた。ついでにもう一個思い出した。この川ってめっちゃ浅いんだったわ。飛び込んですぐ、その勢いで俺は川底に頭をぶつけて気を失った。だからギャグマンガかっつーの。結局溺れてるしな。

「ぐぼぉっ……」

 

 死ねたら死んだでドンマイだ。運よく未来に戻れたら超絶ラッキー。さてさてどうなったかな。頭痛がするまま、俺はゆっくりと目を開けた。俺をのぞき込む訝しげな目があった。

「やっとこさ、気が付いたかい。あんた」(それっぽく現代語訳)

「ですよねー」

 まあ、戻れるわけもなく。大の大人が川底に突っ込んで死ねるわけもなく。たんこぶ一つ拵えてどっかの近くの民家で目が覚めたのさ。

「ん?ですよねーってのはどういうことなんや」(それっぽく現代語訳)

「いや、こっちの話です。申し訳ない」

「変な人やね。で、どうして川であんたは溺れてたんだい?変な恰好して」(それっぽく現代語訳)

 ちなみに俺を介抱してくれたのは年が同じくらいの女性だった。その後ろの引き戸の向こうから、髪をいかにも江戸時代です的に剃った女の子がこっちをのぞいている。おおかた、あの子とその友達が遊んでたら川を流れてきた俺を見つけてきた的な流れだろう。知らんけど。

「まあいろいろありまして……」

「へぇーそうかい、まあ無理には聞かないけど。変な人だねえ」(それっぽく現代語訳)

「あの子は娘さんで?」

「あんたは何も言わないのに、こっちのことは聞くのかいな」(それっぽく現代語訳)

「いやぁ……あははは」

「まあいいさ。この子はあたしの娘さ、旦那は一昨年病気で死んじまったけどな」(それっぽく現代語訳)

「そう、ですか……」

 今、俺の頭はマンガ脳で最高速に回っている。俺がここで確実にかつ楽に生き延びる方法がはじき出される。俺は体を起こして正座して女性に向き直った。

「どうしたんだい急に」(それっぽく現代語訳)

「突然ですが、俺は誰でしょうか」

「はぁっ?!」(それっぽく現代語訳)

「何も思い出せないのです」

「今、あんた色々ありましてって言ったじゃないの」(それっぽく現代語訳)

「あった気がするのですが……頭にもやがかかってるようで……」

「あんたねえ……」(それっぽく現代語訳)

「俺を助けたついでのことと思って、お願いがあります!」

「なんだい!?急に!驚くじゃないの」(それっぽく現代語訳)

「結婚してください!」

「はぁぁぁぁぁっっ?!」(それっぽく現代語訳)

「頼れる人が他にいないのです!どうか慈悲を!」

「…………」(それっぽく現代語訳?)

 無言の時が二人の間で流れた。後ろの女の子はあっけにとられて口をポカーンと開けている。

 しょうがないじゃないか、今の俺にはこうするしかないんだ。いや嘘だけども。これが一番楽そうだな、って思っただけだ。

 俺は真摯な眼で女性を見つめ続けた。女性は戸惑い、目をそらすように後ろを振り返り女の子の方を向く。そして少ししてまた俺に向き直すと、不意に笑い始めた。

「あっはっは!あんた面白い人やねえ。気に入った。結婚してやろうじゃないの。その代わり、うんと働いてもらうよ」(それっぽく現代語訳)

 今度は俺がポカーンと口を開ける番だった。うまくいってしまった。この女性はマンガのキャラかなんかなのか……?はっ!しまったここはマンガかなんかの中で、そこに俺が入り込んでしまったパターンだったか?いやいやと俺は自分にツッコむ。いやでもこんなのあり得るのか?一周回って俺はパニックになりかけた。

「よ、よろしくお願いします……」

「あいよ!」(それっぽく現代語訳)


 突然ですが、俺に嫁と義娘が出来ました。なんつってな。

 過去に来ちまったなんてぶっとびすぎててどうしようもねえんだよ。俺はなんかの主人公じゃねえんだ。過去に来たって普通に生きるしかねえんだよ。この江戸だかなんだかの下町で一人の男として平凡に生きるしかねえんだよ。

 でもよ、意外と悪かなかった。

 嫁は下町じゃ意外と顔が知られてて、というかみんなで一つの大きな家族みたいなんだわ。助け合って生きてた。最初は俺をみんな変な目で見たけどよ、嫁の新しい夫として受け入れてくれた。町の人に仕事はねえかと言えば何ができると聞かれ、義務教育なら受けたと言えばなんだそれはと聞かれ、簡単に説明したらこっちへ来いと言われ、寺子屋でこれが分かるかと聞かれ当たり前だと答え、気が付けば一端の先生になっちまった。未来じゃ誰でもできることなんだけどよ、ここじゃ役に立ったんだ。初めてかもしれない、俺が他人と向き合って生きたのは。全然今までと違う人生だった。

 嫁はなんだってあんたはそんな博識なんだと聞いてきたが、なんだか知ってたと言えばそれ以上は聞いてこなかった。俺にはもったいないぐらい良い妻だった。

 義娘は幼かったこともあってかすぐに俺に懐いた。おっとう、おっとうと言ってじゃれついてくる娘は目に入れても痛くないほど愛おしかった。

 そんなこんなで町と共に暮らし始めて数年が経った。

 俺は朝から夕まで寺子屋で子供達に算数や字を教えて、夜は家で家族と過ごした。過去に来たおかげで人様に役立つ人生を歩めたのは悲しい話だぜ。嬉しいけどもよ昔を思い出すと悲しいわなそりゃ。

 3年目だったか一度だけ嫁に聞かれたことがあった。子供が欲しくはないのかと。それだけは無理だと、俺は答えた。それ以上嫁がそれについて聞いてくることはなかった。少し残念そうだったのが心にぐさっときたけど。

 俺はなんとなく直観で思っていた。今時々感じる空虚感、それは俺の前半の人生には常にあったマンガのせいだと。そしてそのマンガ達が教えてくれていた過去に行った時のただ一つの絶対ルール。あるいは全人類の疑問といっても過言ではない。

 

 <過去に行ったら過去を変えてはならない>

 

 これは犯してはいけない絶対の禁忌だ。俺はそう信じている。だから子供は作らない。ただここで生活に溶け込みながら、決して未来に大きな変化をもたらすことなく、生きて死ぬ。それだけは守る。

 未来を変えたらどうなるか。それを実行に移すだけの度胸は俺にはなかった。だから子供達にここにあることまでしか教えない。xもなければyもない。アルファベットなんて存在させない。そういうことだ。

 俺はただただ、そこに元からいた者のふりをして生き続けた。

 三十歳を過ぎ、四十歳になった。

 俺は今日も寺子屋に行く。

「せんせー!ここ教えて!」(それっぽく現代語訳)

「おうおう。ここはなー……」

 そして平凡に生きて未来に痕跡を残さず生を遂げてみせる。

 元の世界に戻りたいという願望はなかった。誰かの役に立ち、誰かと共に生きる、その喜びがここにはあった。かつてのあの場所にはなかったものだ。ずっとこっちの方が楽しいし、素晴らしい。

 そうだろ?

 そうなはずなのに……。

 なんでだろうな、寂しくなるのは。

 子供達に数字のこねくり回し方を教えてる時だったり、家族でオール天然の健康的食事をしている時だったり、一人信じられないくらい澄んだ月を眺めながら一杯やってる時だったり、ふと思い出しちまうんだよ。

 あのマンガの終わりはどうなったんだろうってな。

 一度踏み込んだらそれ無しの生活が想像出来ないのがマンガってヤツなんだよ。わかるだろ?

 なのによ、俺はマンガをどうやっても手に入れられない世界に来ちまったんだよ。それだけしかない人生を生きてきたってのによ。忘れられねえんだよクソッタレ……。

 何度忘れようとしてもあのキャラが、あの空想世界がふとした瞬間に脳裏をよぎる。その時だけは俺は未来に帰りたいとさえ思っちまうんだ。環境が変われば人が変わる?ああ変わるさ。こんなにも俺は真人間になったんだからな。だがな、人が変わっても変わんねえもんもある、そういうことよ。

 てやんでい!(それっぽく過去語訳)

 ずっとこの充実感とその裏の物足りなさを抱いたまま、俺は朽ち果てるんだな。そう思うとホントに切ねえよな。

「ねえ!ねえってば!せんせー、聞いてる?」(それっぽく現代語訳)

「ああ、ごめんごめん。どうしたって?」

「ここ!ここ!これがわかんないの」(それっぽく現代語訳)

「これかー。これはなあ、」

 今教えてる子の後ろで別の子供たちが丸くなって騒いでいる。やれやれと俺は心の中で言いながら、教えた後に台を離れ、そいつらの方へ行った。

「おいおめえら、何騒いでんだ?今は算数の時間だぞー」

 子供達はなんだか落書きみたいなもんを見ながら騒いでいた。まーたどっかのガキが親父の春画でもくすねて来たのかと思ったらそうではなかった。

「せんせー、これめっちゃおもしろいんだぜ!四丁目のおらの友達が描いてる落書きなんだけどな」(それっぽく現代語訳)

「はあー?大事な紙をそんなことに使うんじゃねえよ……」

 俺の言葉はそこで詰まった。時間が止まったかと思った。いや巻き戻ったというべきか。子供達が読んでいた落書きは初めてみるはずなのにとてつもない懐かしさを感じた。今この時代にあるはずのない作風、描き方であった。筆で描かれているが間違いない。

「せんせー、どしたん?急に固まっちまって」(それっぽく現代語訳)

「嘘だろ……」

 俺がのめりこんだあのマンガの作風とほぼ同じ、いや寸分違わないといっても差支えないほど絵柄の似た落書きがそこにはあった。というかマンガだ。マンガの形式だ。コマがあって絵と台詞が描かれていて。違うのは台詞全部ここの言葉でひらがななことぐらいか。もちろん話は江戸時代のものであったが。

「これを描いたやつのとこを案内してくれないか」

「おいおいせんせー、そんなに怒らなくてもいいだろ、宿題もちゃんとやってきたぞ?」(それっぽく現代語訳)

「いや、怒るわけじゃないから。ちょっとこれを描いた子と話をしてみたいんだ」

「はぁー?でもあいつ寺子屋には行かないって言ってたぞ」(それっぽく現代語訳)

「いいからいいから」

 今日はそこで寺子屋を閉じた。突然のヒマが出来てはしゃぐ数人の子供に案内されて、俺は四丁目へと向かった。俺はかつてないぐらい心を高鳴らせていた。

「おーい!」(それっぽく現代語訳)

 呼ばれて出てきたのは連れてきた子供達とさして変わらない子供だった。当然だ。当然だがその事実で俺は我に帰った。

 俺は何を考えていた?あのマンガの作者にでも会えると思ったのか?ここは過去だぞ?

「どうしたー?」(それっぽく現代語訳)

「それがな、寺子屋のせんせーがこれ描いたやつに会わせろって言うからよー」(それっぽく現代語訳)

「はー?」(それっぽく現代語訳)

「いやあ……どうもどうも。子供達がハマってるマン…落書きを描いてる子がどんな子かなーと思って」

 子供がこっちを見た。

「ふーん。でもボク寺子屋には行かないよ」(それっぽく現代語訳)

「そういうわけじゃないよ、どうやって描いてるのかなーって思ってさ」

「どうやってって、普通に墨と筆でだけど?」(それっぽく現代語訳)

「だ、だよねー。じゃ、字はどこで習ったの?」

「なんでそんなこと聞くの?」

「いやあー上手だな、と思ってさ」

「昔、寺子屋で習ったんだよ、先生とは違うとこでね」(それっぽく現代語訳)

「そっかー、そうだよね、あははは」

 一人勝手に慌てている俺の裾を連れて来た子供達が引っ張る。

「せんせー、今日なんか変だぞ?」(それっぽく現代語訳)

「そ、そんなことないよー?」

 俺は冷や汗を垂らしながら逃げるように家に帰った。思った以上に焦っていた。

 頭の整理が追いついていない。一旦冷静にならなくてはいけない。

 家に帰ると俺の顔は相当青ざめていたのか、嫁がびっくりした。

「おやまあ、あんた、こんな早い時間にどうしたんだい!」(それっぽく現代語訳)

「いやあちょっと、調子が悪くてね」

「あらあらそうかい、だったらしっかり休むんだね」(それっぽく現代語訳)

「ああ、そうするよ」

 部屋であぐらをかいて、俺は脳みそをフル回転させた。

 数時間いろいろ考えてはじきだした答えはこれだった。

 あの子が、俺のハマったあのマンガを描いた漫画家の祖先に違いない。

 じゃなきゃ、あそこまで似た絵柄を描けないだろう。絵柄が遺伝するなんて話は聞いたこともないけど、それしか考えられない。

 

 そう思った途端、とんでもない考えが閃いた。紛れもなく悪魔の囁きだった。

 あの日、俺がこの過去へと来たきっかけはあの時読んでいたマンガのせいで電柱に頭をぶつけたことだ。

 つまり……頭をぶつけなければ、マンガを読んでいなければ、俺は過去へは来なかったはずだ。

 おいおい今、俺は何を考えた?冗談じゃねえぞ。自分に強いた禁忌を犯すつもりか?

 もう手遅れだった。俺はそれを思いついたときからそれに囚われた。

 のっけからこんな展開がおかしいんだよ。三流マンガじゃねえんだからよ。だからさ、たまには俺がぶっとんだことしねえとな。主人公ってやつに俺は憧れてたのかもな。

 そんなのは言い訳だって分かってる。逆恨みだって分かってる。禁忌だって分かってる。

 クソみたいにマンガを読んできたんだからな。

 その晩、月は新月だった。灯りもない真っ暗闇に俺は起き出した。そーっと引き戸を開けて外に出ようとする。

「あんた、こんな時間にどうしたんだい?」(それっぽく現代語訳)

 嫁は起きていた。

「ちょっと小便に」

「ああそうかい、にしちゃ目がぎらついてるよ。なんかあったんなら話してみなよ。あんたとあたしの仲だろう?」(それっぽく現代語訳)

 本当に俺にはもったいない嫁だよ、あんたは。

「すまねえな」

 俺は優しく、優しくて素晴らしい妻に口づけて表に出た。嫁は追いかけては来なかった。俺を信じてくれているからだ。それが分かるだけに辛い。

 俺はそっと、だが急ぎ足で四丁目へと向かう。

 あの子の元へ。

 あの子を……。

 

 

 あの子を殺すために。俺の過去を変え、この世界の未来を変えてしまうために。

 

 

 あの子の家に行くと驚いたことに家のそばの井戸の隣に小さな人影が立っていた。

 あの子だった。

「やあ、待ってたよ。やはり来たね」

 俺は呆然と立ち尽くす。

「どう……いう……ことだ?」

「どういうことって、君がボクを殺しに来たんだろ?だから親切にも外で待っててあげたんだよ?」

「!?」

 俺はもうパニックどころじゃなかった。

「君がボクをこの井戸に突き落とせばおしまい。それでいいだろ?」

「何を言ってるんだ……?」

「ボクも君と大体同じさ」

「同じ……?」

「ただ君より多くのことを知ってしまっている。昼に君と子供たちを見て気づいたよ、君もボクと同じなんだって」

「????」

「君はもっと知ってから判断を下すといい。ボクはもう疲れた」

「お、おい!」

 子供は後ずさりながら井戸に腰かけた。

「最後に一つだけ。「本当も嘘もねえ、おまえの眼で見た事実が真実だ」」

「!」

「健康を祈る。ありがとう」

 子供はそのまま後ろに倒れた。井戸の中へと。

 俺は急いで走り寄ったが間に合わなかった。井戸は深く深く、底が見えなかった。自分が殺しに来たはずの彼が自殺した?おいおいマンガじゃねえんだぞ、ここは。

 俺の考えは間違っていた。「ホントもウソもねえ、おまえの眼で見た事実が真実だ」この言葉は紛れもなく、俺がハマっていたあのマンガの主人公の決め台詞だ。

 このことが指し示すのはただ一つ。子供はあの漫画家の祖先なんかじゃねえ。漫画家本人だってことだ。

 だが、おかしい。なぜここにいる?俺と同じでタイムリープしてきたのか?

 だが、おかしい。なぜ子供なんだ?連載は俺がタイムリープしたあの時点で二十年は続いていた。その前にタイムリープしていたはずはない。

 今、死んだことで子供は未来に帰った?それは違う気がすると俺の本能が言っている。

 俺の本能はもっと大事な何かに気付けと言っている。

 もっと知れ、どういう意味だ?さっきの言葉は。



 俺は何かを間違えている。大きな大きな間違いをしている。

 あの時代読みまくったいろんなマンガを思い出してマンガ脳をオーバークロックでフル回転させる。

 考えまくって考えまくって、パンクした。

「はっはっは、そういうことか!そういうことか!」

 バカみたいに笑えてきた。何を考えてるんだ。俺は。

 「本当も嘘もねえ、おまえの眼で見た事実が真実」なんだろ。なんだって俺はマンガで考えてんだ。そんな当たり前のことに気付かなかったんだ。マンガで考えるから視野が狭まっちまった。マンガを読んで広がったはずの視野で狭いとこを見てたんだな。

 あれだあれ、よく言うだろ?事実は小説よりも奇なりってな。

 つまりこうだ。事実はマンガよりも奇なりってな。

 俺は一目散にそこから走り立ち去っていった。

 ここに来た時から俺がしていた大きな勘違い。

 それは……

 走って走って俺の家を走り過ぎて、俺の溺れた川を走り過ぎて、前家族で花見に来た野原を走り過ぎて、行ったことのない方へ走り続ける。日が昇る方に。

 知らない場所へ来た。この時代に来て初めて来た海沿いだ。もう少しで日が昇る。空は明るみ始めていた。

 水平線の向こうから黒い大きな影が見えてきた。モクモクと煙を上げてこちらにくる巨大な蒸気船だ。

 日が出て少しして船は岸へとたどり着いた。船にぎゃーぎゃー騒ぐ人だかりを抜けて俺は船の方へ行く。周りのサムライだかなんだか知ったこっちゃねえ。俺の予想は間違ってないはずだ。なんとなくだけどな。

 船から渡された板を下って、外国人が下りてくる。俺は走り寄った。後ろからも前からも奇異の目で見られる。外国人が目の前に走ってきた俺に驚く。

「What's?! Who are you?」

 後ろの人達は何を言っているかも分からないだろうな。それはぶっちゃけこっちの台詞じゃね?と思うがまあいい。俺は分かるから。なんてったって義務教育終えてるからな。てきとうだったけど。

「Hey! I'm this land's man. Welcome Japan! 」(それっぽく英語訳)

 いろいろ間違ってる気がするけどな。まあいいんだわ、伝わればな。向こうはまさか英語で返ってくるとは思っていなかったようで、驚き騒いでいる。

「Why can you speak English?」

「It's a long story. More than that there is something I want to ask you.」(それっぽく英語訳)

「Umm...Go ahead.」

 向こうは納得しきれていないようだが、勢いで押し切る。

「WHAT YEAR IS THIS ? 」(それっぽく英語訳)

 向こうは戸惑っている。そりゃそうだろうな、突然やってきた変な男に今日は何年だと聞かれたら。

「...Do you know?」

 俺が聞いた相手は忘れてたようで隣のやつに聞いている。忘れんなよ。何年も生きてりゃ今日が何年なのかってなるのは分かるけどさ。代わりに隣のやつが答える。

「In the Christian calendar?」

「Of course.」(それっぽく英語訳)

「It's 3356. It's July 17th.」

「Thank you.」(それっぽく英語訳)

 やはり、俺の考えは間違っていて、今度は正しかった。

 そう、俺は過去になど来ていない。それよりかは幾らかは現実味が増した。

 そう、俺は未来に来ていたのだ。笑いがこみあげてくる。なんという思い間違いをしていたのか。マンガで考え過ぎて、自分は平凡に生きると言い聞かせ続けて、これだ。

 何が未来を変えないようにだ、とっくに未来だったっていうのによ。

「はっはっはっは!あーっはっはっは!」

 周りのみんながさらに奇異の目で見るのも構わず、俺は馬鹿笑いしながら家路についた。

 自分が馬鹿すぎておかしくて、笑いが止まらない。涙も止まらない。

 ボロボロと涙を流して、顔を歪ませて笑ってのっそのそと帰る。俺のいつもの家に。

 

 帰った俺を嫁はびっくりした顔で迎えた。

「一体全体どうしたんだい!そんな顔して」( そ れ っ ぽ く 現 代 語 訳 )

「ははっ、自分の馬鹿さに呆れちまってね。ははっ、ははっ、ははは、うっ、ううぅ……」

 止まったと思った涙がまた流れて来た。

「……そうかい、そうかい」( そ れ っ ぽ く 現 代 語 訳 )

 嫁は俺を強く抱きしめてくれた。俺が泣き止むまで。

「子供がもう一人ほしいな」

 嫁はびっくりして、俺の顔を見た。少しだけ無言の時が流れた。

 嫁は微笑んだ。

「あいよ!」( そ れ っ ぽ く 現 代 語 訳 )

 その日のお昼に、俺はもう一度四丁目へと向かった。子供の遺体が井戸から引き揚げられ、葬式の真っ最中だった。俺も葬列に並び、線香を捧げる。

 子供の母親が帰ろうとする俺を呼び止める。

「寺子屋の先生ってのはあんたかい!?」( そ れ っ ぽ く 現 代 語 訳 )

 見慣れない大人である俺に気付いて声をかけたらしかった。

「え?まあ、はいそうですけども」

「おやおや、ほんとうに来たんだねえ」( そ れ っ ぽ く 現 代 語 訳 )

「?」

「ちょっと長くなるよ?」( そ れ っ ぽ く 現 代 語 訳 )

「はぁ……構いませんが」

「ウチの子は昔から変な子でねえ、ボクは若くで死ぬとかずっと言ってたんさ。ホントに死ぬとは思わなかったけどね。一回だけ小さい時に都会に連れてって頭を強く打ってからだったかねえ、そんな変なことを言い出したのは」( そ れ っ ぽ く 現 代 語 訳 )

 俺の心臓がと大きくはね始めた。もしかしたら……。

「それだけじゃなくて、言葉使いも変になるしねえ。あとは変な絵をずーっと描いてたのさ。文字なんて教えてないのに勝手に書けるようになるしさ。もうびっくりだらけだったのよ。そんでさ、一個だけずーっとウチらに言い続けたことがあったのよ。寺子屋の先生がボクの葬式に来るから、その時これを渡してくれって。変な話だろ?」( そ れ っ ぽ く 現 代 語 訳 )

 そう言って、母親が取り出し、渡してきたのはうん千枚はあろうかという紙束だった。

 俺はそれが何かすぐに分かった。それは間違いなく俺の好きだったあのマンガだ。そして、あのマンガの続きだ。表紙の上に一枚の手紙が置いてあった。

 俺はゆっくりとそれを読む。あの時代の言葉使いで書いてある。

 

 ○○○○へ

(俺がいつも”先生”にファンレターを出していた時の偽名だ。)

 

 いつも読んでくれてありがとう。君がこれを読んでいる時、ボクはもう死んでいるだろう。そして君は気づいているだろう、ここがもうあの時代ではないことに。そして未来であることに。どこかおかしい未来であることに。君がこの時代にやってくることをボクは知っていた。何故なら君があの時代からいなくなった後からやってきたからね。君がいなくなったその後、あの時代に何が起きたのか。それを君に知る権利はない。というより知る必要はない。知らない方がいい。だからボクは教えない。教えたくないんだ、人の醜さを。幸いにもこちらの時代は人の良さに満ち溢れている。だからここで君はボクが邪魔した分、楽しんで生きてくれ。どうしても何があったのか知りたいならこの世界を隅々まで調べれば分かるかもしれない。おっと話が逸れたね。どうしてボクがこの時代に来たのか、その話をしよう。簡単に言えば君に贖罪とお礼がしたかったんだ。君からのファンレターは全て残している。初めは君が14歳の時だったね。まだ新人だったボクは漫画家として生きていけるか不安で不安でしょうがなかった。そんな中、最初の一話を載せた月、最初に届いたファンレターが君からのファンレターだった。驚いたよ青年誌に載った一話目のファンレターが少年から届くなんてね。しかも絶賛してくれる中身だった。それがどれだけボクにとって嬉しかったか。どれだけボクの支えになったか。それだけじゃない。君は毎月毎月欠かすことなくボクにファンレターを届けてくれた。ダラダラと続いていたこのマンガを見捨てることもなく。嬉しかった。すごくすごくうれしかった。でも、同時にボクはファンレターを読み続けるうちに気づいたんだ。他の人のファンレターも読みながらね。ボクのマンガは誰かの生き方を、人生を変えてしまってるんだって。ボクのマンガが誰かに影響してるんだって。そしてその影響が一番大きかったのはおそらく君だ。それに気づいたボクは唐突に怖くなった。自分には他人を変えてしまう力があるんだってことに。描きたいマンガを描き続けてるだけでだれかに影響してるんだって。当たり前なんだけどさ、その責任というか可能性にボクは段々怯えてきたんだ。君が十数年ファンレターを送り続けてきたことは嬉しさと同時に恐怖ももたらした。ボクは君に償わなければならない。アホみたいだって?そう笑い飛ばしてくれると嬉しいな。でもボクはその自責の念に囚われてからどうしようもなくなった。少なくともボクが一番影響してしまったであろう君にだけでも償いたいと思ったんだ。申し訳ないけど、ファンレターから逆に辿ってボクは君を探しに行った。謝罪するために。だけど一歩遅かった。君はボクがやっと見つけたその時、ボクのマンガを読みながらボクの目の前から消えてしまった。そう君がこの未来へと旅立ったあの日だ。初めは何が起こったのか分からなかった。それもボクへの神様が与えた罰なのかなって思ったよ。試練なんだこれは、って。それから先のことはさっきも言ったけど深くは言わない。とにかくボクは君へ謝るために、償うために無理矢理ここに来た。来たんだけどね。ボクはここに来て子供として生きているうちに間違いに気付かされた。人が人を変えるのは当たり前なんだってことに。謝る必要なんてなかった。ただお礼を言えばいいだけだった。いや、お礼としてマンガを描き続ければいいだけだった。君もここへ来て色々変わっただろうね。ここにはかつてはあったけど、あの時代には失われた大事な何かが取り戻されている。ボクはなんていう思い違いをしてたんだって気づいた。気づいたこのことを誰に話せばいいんだろうと思ってた。もちろん君しかいない。幸いにも思い違いをしたおかげで本来君が読むことのできなかったこのマンガの終わりを君に届けられる。それでボクはまた救われる。だから君にこれを託す。これが君への一番の償いにもお礼にもなるとここでようやく分かった。これは君を大いに変えたし、変え続けるだろう。これからも君の中に生き続けるだろう。それだけでボクは幸せだ。ボクにこの時代を謳歌する権利はない。この時代にやってくるよう選ばれたのは君だけなんだから。だから伝えるだけ伝えて過去の遺物は消えうせることにする。いつだって過去はめちゃくちゃなもんだろう?未来はいつだって過去の尻拭いをするもんだ。なんて言ってね。最後に君に会いたかったなあ。もしかしたら君はボクの最期に来てくれるかもしれない、そんな気がするんだ。そしたらお礼を言ってボクは死ぬよ。君は何も気に病む必要はない。君は少なくとも暗い人生を歩んできたボクの光だったんだ。なんかむちゃくちゃ言ってるなボク……。一つだけ心残りがあるとすれば最後まで読んだ君のファンレターを読めないことかな。それだけは心残りだ。でも、こんなことを君に言ってもしょうがないね。それを読む権利もボクにはない。ワガママなボクのマンガの読者でいてくれてありがとう。この時代は間違いなく君を祝福するためにある、忘れないで。じゃ、最後にいつものアレを書いて終わろう。どんなマンガよりも数奇な人生を歩む君にこの言葉を贈る。「ホントもウソもねえ、おまえの眼で見た事実が真実だ」

 

 

 俺は手紙を読みながら涙を流し続けた。今日はよく泣く日だ。俺も大事なことにここでやっと気付けたよ、先生。

 俺が送っていたファンレターが先生にとっての光だったなら、先生のマンガは俺にとっての光だった。俺の人生を照らしてくれた大事な大事な光だ。

 光は自らを照らすことはできない。だが周りを照らすことは出来る。光と光は照らし合って初めて意味を持つ。そんな当たり前のことにここに来て気づけたんだ。なぜならここには優しい光に満ち溢れているから。先生もそれに照らされたんだろう。

「ど、どうしたんだい先生?」

 ダラダラと実にあの先生らしい手紙であった。本当に本当に、らしい内容だった。こういうしょうもないことを延々と描くのが好きだったのだ。そういうところが俺に似ていたから好きだったのかもしれないな。

「いえ、少し昔を思い出しまして」

「あの子の?」

「ええ、まあ」

「そ、そうですか……」

 何か言葉のすれ違いを母親は感じていたらしかったが深くは聞いてこなかった。

 俺はもう一度遺影に深くお辞儀をしてから、手紙と大好きなそのマンガを受け取り、家に帰った。


 嫁は愛も相も変わらず迎えてくれた。俺の行く先を照らしてくれる新しい光だからな。

「お帰りなさい、あんた」

「ああ、ただいま」

「ってなんだいそれは?」

「これは俺の大好きなマンガさ」

「まんが?なんだいそれ」

「そういうもんがあったのさ」

「あったって……」

 俺が微笑むと、嫁は溜息をついて、いつも通りに笑い返した。

「そうだ、一つ聞いていいか?」

「なんだね」

「俺が初めてここにやってきた日憶えてるかい」

「当たり前じゃないの、溺れた人間見つけた日なんてそうそう忘れやしないよ」

「その日君は俺に夫は一昨年死んだって言ったけど嘘だね」

「……どうして今さらそんなことを?」

「ふとそんな気がしてね」

「相変わらずあんたは面白い人やね。そうだよ、そう。あんたが来る一昨年じゃなくて一昨日に夫はひっそり山で大きな木の側で死んでたらしいさ。たまたま通りがかった人が気づいて急いであたしんとこに走ってきてさ大変だったんだ。でも二人でそこ行ったら誰もいなかったんだ」

「そしてその三日後に俺が川から流れてきたと」

「そう。おまけにあんたは夫に瓜二つ。あたしは別人だってことにすぐ気づいたけどね」

「なるほど、そういうことだったか……」

「おいあんた、なるほどってどういうことだい。これでもあたしはあんたを……」

「いやただ、不思議な話だなあって」

「不思議って、あんたねえ……」

「君が俺の妻でよかった。本当によかった。それだけの話さ」

「……そうかいそうかい。それはありがたい話で」

 俺たちは見つめ合うとどちらとなく笑いだした。

「はははは」

「はっはっは」


 俺は別に過去の秘密を探しに行こうって気はない。ここが俺の真実だからな。

 こういう時は過去を知るのは禁忌でな、知ろうとしたら厄介な人生になるんだよ。マンガではな。

 俺は俺の物語の主人公さ。やっと気づけたんだ。だから俺らしく平凡に生きるよこの時代で。嫁と娘と新しく生まれてくる俺達の子と一緒に。文句言うなよ?俺はふつーに生きてえんだ。そいつを決めていいのは俺だけだ。これ以上俺の未来も教えてやんねーよ?未来を知るのも禁忌の定番なんだからな。

 ちょっとタイムリープしただけの平凡な男さ、俺は。

 

「ってなわけで見守ってくれよ、先生」

 後日、俺は一家で墓参りに来た。墓には花束と最後のファンレターを置いて。

「先生?子供なんじゃないのかい、ここに眠ってんのは?」

「そうだけど、俺の先生でもあるんだ」

「へぇーそうかい」

 奇しくも俺は先生違いの先生になっている。だから今の子供達に色々教えよう。おっと学問は義務教育までだ。俺が新しく教えるのはマンガの素晴らしさだぜ?つってな。

 そして、今の、この時代を生きる。見たままを信じて。

 俺はこの嘘みたいなリアルが気に入ったんだ。

 それでいいんだろう?

 さーっと風が吹いてファンレターをかっさらっていった。

 

「ホントもウソもねえ、俺の眼で見た事実が真実だ」(それっぽく現代語訳)

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先を生きる者 らいむ @limeraim

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