4:病み娼婦、エヴリン

 すっかり日も暮れた頃、二人は軽い身支度を済ませ、防砂用の見窄らしいマントを羽織り探偵事務所を後にした。ケイアスこそ砂塵に縁の無い都市はない為、彼ら二人はとても目立ち、特に辺りから聞こえてくる陰口はアランに対しての悪態ばかりであった。

 それを気にしたのか、切華はアランのマントを二、三度つまみ上げ、諦めの見える態度で彼の風評を突いた。

「アラン。君の性格は私が一番理解しているから、街の者と上手くいっていないことは承知の上で聞くが……流石に嫌われすぎではないか? 君は探偵だろう? 営業的にももっと他人に気を遣うべきだと私は思うのだが。」

 切華の言葉に、アランは頰を緩ませ、戯ける。

「それは私だって痛い程承知さ。昔、君にしつこく指摘されてきたことだからね。だけど、悲しいかな。どれだけ俺自身が普遍ににじり寄っても世間はどうして私を一方的に避けるのだよ。まぁ、そのほうがこの国に馴染んでしまわなくて、ある意味助かっている。」

「そうか……アランが気にしないのならあまり深入りしないが、取引を行う上ではあまりマイナスにならないように配慮はしてくれよ?」


 会話を弾ませながら、商店街の外れである薄暗い裏通りへと進んでいく。陰鬱な景色、汚れたネズミ、幻薬でぐったりと壁にもたれている廃人などが彼らを出迎えるが、血族の彼らにとってはむしろ馴染み深い所であった。そのまま暗がりへと進んでいくと、つき当りに、宿舎のような粗末な建物が見えた。

「ここが、アランの言っていた人が待つ宿か?」

「あぁそうとも。彼女なら、必ず情報を手に入れているさ。」

 アランは、ただ漠然とモトゥスを探すのは時間の無駄だと、この宿で商売をしている女性のことを切華に紹介した。売春を行っているらしく、普遍的に望まれない取引相手なのは間違いない。しかし欠け月は、娼婦や奴隷商人など、疚しい商売を行っている者たちとは何度も取引をしていたこともあり、流石に彼女も手慣れていた。


アランが扉を引くと、宿の中は一寸先が見えない程暗く、陰鬱な空気で満ちていた。埃っぽく、蜘蛛の巣が張ったエントランスは、どう見ても客を迎え入れる状態ではなく、隙間風の音しかしないこの状態に、切華は違和感を露わにしていた。

「……宿にしては、やけに静かだな。」

「ここを知っている人間なんて、そう居ない。なにせ、私たちみたいな表でできない仕事に就いた人間しか利用しないからな。」

 そう言うと、アランは受付らしきカウンターの呼び鈴を、不規則なタイミングで4回鳴らした。しばらくすると、何処からともなくゴトリと重い音が鳴り、最奥に見えていた扉の埃が舞った。……トリックはわからないが、呼び鈴を鍵に作動する仕掛けなのだろう。

 建付けの悪い扉を開くと、その先は更に暗闇で、下へと続く階段以外何もなかった。不気味な階段を降りた先は規則的に部屋が配置されている廊下が永遠と続き、アランは迷いなく「103/Moonlight」と刻まれた扉へと向かった。

「ここは、奇数が当てられた部屋に娼婦が存在し、偶数の部屋は貸宿となっている。まぁ、良い理由で使われることはない。……切華は、今回の取引相手について不足は無いか?」

「いや、無い。自分の身体を売る仕事は、覚悟のある女性にしかできないことだ。故に取引をしている際も芯がしっかりしている上、フェアなトレードが行えることで有名だ。上辺ばかりを気にしている痴れ者共よりも余程心強い存在だよ。」

 切華の言葉を聞き、微笑するアランだったが、ふと扉の方を見つめ、やがて表情を曇らせた。

「ここから先は、少し切華にとって精神的に負担がかかるかもしれない。ここで待っていても良い。どうする?」

「いや、アランと仕事をするのは久しぶりだからな。何があろうと、君が追うものに興味があるから、付いて行く。」

「……そうか。」

 安心したのか、アランは少しだけ口元を緩ませて、扉をノックした。すると、奥から若い女性のようなか細い声で、「どうぞ」と聞こえてきた。

「入るぞ。今日は連れもいるから、手っ取り早く取引を行うつもりだ。」


 扉を開け、部屋へ入ると、切華がまず感じたのは、塩素のような不快な匂いだった。1本の蝋燭が壁の燭台に刺さっていたため、かろうじて視界が確保できるほどの明るさで、ベッドと机のみの殺風景な部屋であり、ベッドには、小柄な少女が横たわっていた。

「……アラン。今日も私を慰めに使うわけではないのね。」

「エヴリン。見ないうちにまた一段と……小さくなったな。しっかりと食べているのか?」

 エヴリンと呼ばれる少女は、よろよろと体を起こし、アランの方へと向き直った。

 彼女の痩せ細った全身は、顔以外血塗られた包帯で覆われており、変わりに無数の火傷痕が惨たらしく彼女の顔を穢していた。長い金髪は後ろで結われていたが、枕元には抜け落ちた彼女の髪の毛が散らばり、誰かに暴力を振るわれたような痛々しい痕跡が、切華の心を痛めつけた。

「あ、あはは……私、もう何も食べられないの。ハヴィが、食べちゃだめって言うから。あぁ……でもね、私、もう少しで……するから、平気よ。」

「月の信徒のお達しか。随分と努力をしているんだな。……君はまだ若い。惑わし一つで己を捨てるまでに至ることは無いのではないか?」

「ぁ……は、は。私のことを気にしてくれるのは、やっぱり貴方とハヴィだけだわ。……そちらの女性は、同じ要件でここにいらして?」

 切華は、彼女に軽く会釈し、胸に手を当て名乗った。

「切華と申します。貴女は私たちが求む情報をお持ちだとアランから聞きました。具体的には、シンシアという王女候補者の失踪事件とそれに詳しい組織、モトゥスの所在地についてお聞きしたいのですが……何か有力な情報をご提供頂けないでしょうか。」

 切華は、彼女の容態について敢えて触れず、名と要件だけを淡々と伝えた。彼女なりに、エヴリンに対して気を遣っているのだろう。エヴリンは、切華に微笑み、小さく頷いた。

「モトゥス……ハヴィと私が心を交わすきっかけとなったのも、あの組織のおかげよ。……そうね、アランにはお礼しきれないほど良くしてもらったから、お二人に教えてあげるわ。」

「ご厚意、感謝致します。」


 エヴリンは、少し姿勢を崩し、説明を始めた。

「月光、それは陰を薄らに照らす夜の慈悲。人の夜は、月の光無しでは道を誤り、やがて狂ってしまう。モトゥスは尊き月を愛し、月の導きに従う純粋な信者等によって結成された組織よ。月夜の暗がりで痛めつけられ苦しんでいた私を誰も助けてくれなかったけれど、モトゥスの信徒、ハヴィは抱擁してくれて、私の暗がりを受け入れ一筋の涙を流してくれた。」

 彼女は、両腕で自らの肩を抱き、当時のぬくもりを名残惜しそうにしながら説明を続けた。

「モトゥスは、私のような忌み子に生きる希望を与えてくれるすばらしい組織。

 だから私は、私を愛してくれたハヴィを、モトゥスを愛し、私のすべてを捧げることにしたの。……彼らのためになるため、日々のならず者の嗜虐、暴行に耐えることだってできる。ハヴィが私を褒めてくれるから……辛い毎日も、辛くなくなったのよ」

「そのモトゥスのために、身も心も削ってるのか。……私は、正直第三者的立場から言わせてもらうと、今の話を聞く限り月の組織についてあまり印象が良くない。結局、彼らに自らを奉じることによって、君の身体は悲鳴をあげているじゃないか。何故、そこまで組織を信じられる。」

 アランの言葉に、エヴリンはすこし寂しそうに表情を曇らせる。

「確かに、彼らが何のために月の導きを告げるのかは、私にはわからないわ。私達に温かい言葉をかけてくれるその真意も、もっと別のものなのかも。……でも、それでも私は……ただ嬉しかった。誰もが道具のようにしか私を見てくれなかった、だけどハヴィは……私に笑ってくれたの。アランと初めて会った日よりずっと前から、私のことを気にかけてくれた。たとえハヴィの言葉が嘘だったとしても、私にとっては彼の言葉ひとつひとつがかけがえのない宝物なのよ。」


 人それぞれ、価値観は違う。エヴリンは娼婦として生きていく以上当たり前のコミュニケーションすら、まともに取ることができなかった。だからこそ、人の暖かさを求めていた。偽りの慈愛だとしても、彼女の心に痛いほど染み、暮に彼への思いを馳せるのだ。咎めるなんて以ての外、エヴリンは何も間違ってなどいない。アランはそれを知っていたが故、いたたまれない気持ちになっていたのであった。

「……月の因果か。私も過去に君のような境遇であったことは間違いない。彼女、切華のもとへ導いてくれたのも、薄明るい月光であった。君も、君を導く月を信じるんだな。……私はこれ以上君の思想にああだこうだ言うつもりはない。だが……現に疲弊していく君を見て、どうも情が出てしまう。……どうか、君が幸せな毎日を送れるように……と、月に祈りを捧ぐことしかできない自分が、とても恨めしいよ。……さて、君もそろそろ疲れてしまっただろう。最後に、君が知っているのであれば、ハヴィの所在地だけ教えてくれないか。」

 そうね、と静かに咳をし、エヴリンは再度ベッドに横になった。

「ハヴィはケイアスを外れてずっと東の森、『アポロクロスの森』の湖畔でひっそりと暮らしているわ。彼には以前、アランのことについて、色々と話した事があるの。彼のことだから、快く迎え入れてくれるはずよ。……それと、あの森は少し複雑で迷いやすいのはご存知かしら? もし居場所がわからなくなったら……木の幹に注目することね。月の光が幹を照らす時、ハヴィへ続く徴が見えるはずよ。」

「情報、感謝する。いずれ君に会えなくなるときが訪れても、絶対この恩は忘れない。ゆっくり休むと良い。」

「ありがとう、アラン。お言葉に甘えさせていただくわ。……切華さん、今夜はに……アランのこと、よろしく……お願い……ね。」

「なっ……! 貴女の代わりに……とは!?」

 顔を朱く染める切華にエヴリンは微笑み、ゆっくりと乾いた瞼を閉じた。すぅすぅと安らかな寝息が聞こえ、彼女はアランたちが訪れた時よりも幸せそうな表情をしていたのであった。

 切華はしばらく彼女の寝顔をボーッと眺めていたが、その瞳を見つめ続けるアランの視線に気づき、我に帰った。わざとらしく咳払い、顔の火照りをなんとか誤魔化して、いつもの鋭い細目をアランへと向ける。

「……アラン……私達が追っているものは、本当に真相を知るべきものなのだろうか。月の組織だけでなく、王国のことも……追っている事件に関係するものについて考えるだけで、何故か胸騒ぎがしてしまう……とても不安だ。」

「心配いらないさ、切華。一先ずはモトゥスを知り、そこから悩んでも遅くはないだろう。君のことだ。何か良からぬ事が起きても、冷静に判断できるだろう。」

「だと、良いのだが……」


 彼らは微かに幸せを得た娼婦の眠る部屋を後にし、3つ右隣の宿泊部屋へと向かった。殆ど内装は変わらないが、先程の部屋より清潔感があり、若干部屋が広い。ベッドは一つしかないが大人二人が快適に寝られるほどの大きさはあり、絹のシーツが丁寧に敷かれている。マントを備え付けのハンガーへ掛け、二人はベッドへと腰掛けた。

「さて、シャワーを浴びたら、腹は減ってるが寝てしまおう。切華も朝食まで我慢できるか?」

「あぁ、腹は減っていない。けど……」

 切華はそう言うと、少し頬を染め、アランをじっと見つめた。華奢な体を彼へ預け、両手を腰へと回す。そして、彼の耳を優しく啄み、優しい声で囁いた。

「せっかくアランが側にいるんだ。……それに、エヴリン氏にもアランのことを任されている。私は君との夜をもう少し楽しみたい。」

「……私が思っていた以上に大人になっていたんだな、切華。……分かった、旅の前の夜ふかしも、たまには悪くないだろうよ。」

「フフ……ありがとう。アランのすべてを、再び私に感じさせてくれ。」

 燭台の炎を消し、彼らは月光も届かない部屋で、一つになり互いを再度確かめ合った。一族という関係だけでは収まらない、特別なものを彼らは手にしている。それは単純だが奥ゆかしい愛だ。アランは、切華が絡めている指、吐息、髪、全てを愛おしく想い、委ねられた身を受け止めた。長い夜は次第に更けていく。彼らが目の当たりにする運命がどうであれ、この時を遮るものはなにもない。

「切華、君とは二度と離れ離れになりたくない。だから、ずっと側にいてほしい。」

「……言われなくても、私は、アランと……」


 二人の時間は、永遠と感じさせる程、長く続いたのであった。

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