第4話『遥香の不安』

 今夜もいつも通り、3人で夕ご飯を食べた。

 お父さんは5年前からイギリスの大学で心理学を教えていて、単身でイギリスに住んでいる。なので、今はお母さんとお兄ちゃんの3人暮らし。

 お父さんはお盆や年末年始になると、必ず日本に帰ってきて1週間ほど滞在する。最近では私の高校の入学式に合わせて帰ってきた。なので、それほど寂しい想いはしていない。家にはお兄ちゃんという男もいるし不安も感じていない。


「さてと、そろそろ作りますか」


 今、私はあるお菓子を作るためにキッチンに立っている。


「どうしたんだ、遥香。エプロンなんか着て」


 リビングの方から、お兄ちゃんの声が聞こえた。お兄ちゃんの方へ振り向くと、白いワイシャツに黒いジーンズ姿のお兄ちゃんはコーヒーを作っていた。

 顔立ちも良くて高身長。大学に入っても髪は一切染めず黒いままだから、清涼感も溢れている。おまけに成績も抜群。妹の私さえ認めてしまうイケメンで、同級生の女子からも圧倒的な人気らしい。

 しかし、本人曰く女性恐怖症のせいで、お兄ちゃんは家族と奈央ちゃん以外のほとんどの女性と親しくなることを拒んでいる。本人曰く、色目を使われなければ普通には話せるらしいけど。


「今からクッキーを作るの」


 小さい頃からお菓子作りが大好きで、一番得意なお菓子がクッキー。だから、原田さんに手作りクッキーをあげるつもり。茶道室で柏餅を食べているときに思いついたこと。一度、自分の作った物で原田さんを喜ばせたいと思って。


「……へえ。作るきっかけがどうであれ、俺の分も作ってくれるかな」

「しょうがないなぁ」


 お兄ちゃんは大の甘党でもあるため、私の作ったお菓子の試食をいつも頼んでいる。お菓子好きである一面が女子からの人気に拍車を掛けている。


「でも、私の相談に乗ってくれたらの話だけど。今夜は暇なの?」

「ああ、課題も特にないからな。分かった、相談に乗ろうじゃないか」


 お兄ちゃんはコーヒーを一口飲むと、テーブルの椅子に座った。


「それで、相談ってなんだ? 何か悩み事でもあるのか?」

「……私、好きな人がいるの」


 相談したいことは決まっている。原田さんに関係していることだ。


「それって、高校の同級生か? でも、遥香が通っている高校は女子校だからそれはないのか……」

「あ、天羽女子に通っている子だよ!」


 やっぱり、好きな人がいるっていうと相手が男子だと思うよね、普通は。


「天羽女子に通っている子ってことは、そんなに童顔な男子なのか。最近の女子校は顔さえ女々しければ誰でも入れるんだな」

「そんなわけないよ! 漫画の読み過ぎだって!」


 実際に出会ったことないよ、そんな男子。逆に、原田さんみたいに男子顔負けのかっこよさのある女子は見たことはあるけど。


「女の子に決まってるって。天羽女子に通っているんだから」

「そうか、女子か……」


 お兄ちゃんはコーヒーを飲むだけで何も言わなくなってしまった。

 私の今抱いている不安は、原田さんに話しかける以前のことだった。奈央ちゃんに原田さんのことが好きだって言ったときの反応を見てその不安は増大していった。


「ねえ、お兄ちゃん」

「なんだ?」


 何だかドキドキするな。こういうことを相談するのって。


「女の子を好きになるっておかしいことなのかな」


 学校ではそんなこと、全く思っていなかった。原田さんの周りにいる女子達を見て、原田さんに好意を寄せることは普通なんだと思っていた。だから、昼休みの失態があっても杏ちゃんと美咲ちゃんのおかげですぐに立ち直ることができた。

 でも、学校から一歩外に出ると、一気に現実に引き戻されたような感覚になって、同性を好きになることはおかしいんじゃないかって不安になり始めたんだ。

 どういう表情をしているか怖いけど、私はお兄ちゃんの顔を見てみる。


「……ふぅ」


 お兄ちゃんはそう息をついて、真剣な表情で私のことを見る。


「別に何もおかしくないんじゃないか?」

「えっ……」

「相手が男でも女でも、人ってことには変わりないだろう? 大切なのは、その人のことが好きだっていう気持ちなんじゃないのか? まぁ、恋愛経験のない俺が言える資格はないかもしれないけれど……」


 そう言うとお兄ちゃんは「ふっ」と笑った。


「でも、女だって聞いて安心したよ」

「ど、どうして?」

「だって、どこの馬の骨の分からない男に妹を渡せるかよ。まだ高校に入学したばっかりなんだぞ? 男だったら一度、兄である俺に会って――」

「お兄ちゃんってシスコン?」


 思わずそんなことを訊いてしまう。


「そんなわけない。ただ、父さんがイギリスへ行く前に約束したんだよ。この家には男は俺しかいないんだから、家族を守れって。そんな約束……今でも守ろうとしている俺が馬鹿らしいのかもしれないけど、遥香は俺の大切な可愛い妹だ。例え、遥香が好きな男でもお前を幸せにしようとしない奴なら、法に触れない程度の手段で俺はお前をそいつから守るつもりだ」


 鋭い目つきになりながら、お兄ちゃんはコーヒーを飲む。

 私……妹じゃなかったら絶対にお兄ちゃんと結婚する。そのくらいに今のお兄ちゃんは凄くかっこいいし頼りになる。奈央ちゃんが小さい頃からお兄ちゃんのことが好きな気持ちが分かるな。同級生の女の子からも人気が出るのも頷ける。


「まあ、女でも遥香のことを傷つけようとするなら――」

「原田さんはそんなことは絶対にしないよ!」


 思わず、そう叫んでしまった。

 たった一度しか関わったことがないのに原田さんがいい人だって信じられるのは、あの時の原田さんの笑みが純粋だったから。そして、私の手を掴んだときに伝わった温もりが優しかったから。

 お兄ちゃんは最初こそ驚いていたけれど、すぐに爽やかな笑みを浮かべて、


「遥香が真剣にその原田さんっていう人を想っているんだろ。だったら、俺は何も口出しはしないさ」

「お兄ちゃん……」


 やっぱり、お兄ちゃんに相談して良かった。不安がほとんどなくなった。相手が女の人でも、人を好きになることに変わりはないもんね。


「その子はとても人気のある女子なのか?」

「うん、背は奈央ちゃんよりも高くて……金色の髪がとても綺麗で。そして、何よりもお兄ちゃんに引けを取らないくらいにかっこよくて」

「最後の部分にはコメントし難いけれど、とにかくその原田さんって子は女子校で人気の出そうなタイプだっていうことは分かった」

「まさにクラスで一番人気がある子なの」


 すると、お兄ちゃんは何か気づいたようにはっとした表情になって、


「……まさか、彼女に近づくためにクッキーを作ってたのか?」

「当たり。ていうか、近づくとか言わないでよ。それじゃ、まるで邪な気持ちがあるみたいじゃん。ただ、私は原田さんに話しかけるきっかけを作りたいっていうか……」

「ああ、胃袋を掴んでやろうって考えてるのか。好きな人を掴むにはまずは胃袋からって聞いたことあるし」

「違うって!」


 普段ならそこまで怒らないのに、原田さん絡みだとやけにイライラしてしまう。それだけ原田さんに対する想いが強いってことなのかな。


「……まあ、俺に相談するくらいだ。原田さんに対する気持ちは他の奴には負けてないだろう。話しかければきっと遥香にも振り向いてくれると思うぞ」

「話しかければ、だよね……」


 やっぱり、あとは私が原田さんに向かっていけるかどうかなんだよね。待ってばかりじゃ絶対に原田さんの彼女にはなれないってことは分かってる。


「ああ、そうか。話すきっかけにクッキーを作っているんだよな」

「うん。それでね……もう1つ相談したいことがあるんだけど」

「なんだ?」

「ど、どうやってクッキーを渡せばいいのかな?」

「そこかよ!」


 だって、クッキーを作るのはいいけど……渡す理由まで考えられなかったんだもん。自然な感じで渡せる方法ってあるのかな。

 お兄ちゃんは腕を組んで真剣に考えている。


「お菓子作りが趣味で、クッキーを作ってみたから食べて、じゃ駄目なのか?」

「それだと不自然すぎる……」


 趣味だっていうのは本当だし自然だけれど、特別な理由が何もないと逆に渡しづらい気がする。それに、どうして私なのか、って訊かれそう。私には杏ちゃんと美咲ちゃんっていう親友といつもお話をしているし。


「……そういえば、遥香……入学式の日に興奮して色々と俺に言ってきたよな。迷ったんだけど、同じクラスの子が連れてってくれたとか。まさか、その子が原田さん?」

「そうそう!」


 あの日の出来事が嬉しすぎて。それに、運命の出会いだと思って……興奮しすぎてお兄ちゃんに話したっけ。


「だったら話は簡単だ。入学式の日のお礼ってことで渡せばいいじゃないか」

「でも、2週間以上経っているんだよ? 今更感ありまくりじゃない?」

「だけど、原田さんとはその出来事以来、一度も話してないんだろ?」

「う、うん……たまに挨拶するくらいで。それ以外には何も」

「それなら大丈夫。自然にクッキーを渡せると思う。それに、原田さんの対する気持ちを込めていれば彼女もきっと受け取ってくれると思うよ」


 言われてみれば確かにそうだ。

 入学式の日に助けて貰ったお礼なら、自然な形でクッキーを渡すことができる。あの日の出来事が原田さんのことを好きになったきっかけだから、自分の気持ちも上手く伝えることができると思う。


「お兄ちゃん、ありがとう。私、勇気……出てきたよ」

「……そうか。そう言ってくれれば何よりだ」

「お礼にたくさん作ってあげるね」

「甘い物が好きな俺にでも限界があるからなぁ。まあ、多く作りすぎたら奈央や高校の友達にあげてやってくれ」

「……うん。分かった」


 奈央という言葉で思い出した。奈央ちゃんのことを訊いてみよう。


「そういえば……最近は奈央ちゃんとはどうなの?」

「どう、って?」

「だから、その……色々と」

「まあ、別に喧嘩はしてないし。学部が違ってもあいつと一緒に帰っているし。奈央には感謝してるよ。文系だから女子も多いけど、奈央がいると安心するから。気の知れた幼なじみが側にいるってやっぱりいいもんだな」


 と、お兄ちゃんは爽やかに微笑みながら言った。

 どうやら、奈央ちゃんのことは結構良く思っているみたい。あくまでも、幼なじみとして。奈央ちゃんの言う通り、お兄ちゃんは奈央ちゃんを幼なじみとしてしか見ていないようだ。


「お兄ちゃん……」

「なんだ?」

「もう少し、奈央ちゃんの気持ちを考えてあげて……」

「あ、ああ……」


 お節介かもしれないけど、このくらいのことは言っておかないと。

 それから、私がお兄ちゃんと一切話さずにクッキー作りに集中していたためか、クッキーができたときもお兄ちゃんは少し首をかしげていた。

 ちなみに、私の作ったクッキーはお兄ちゃんから大絶賛された。そのことでほんのちょっぴり、自信が持てるようになりました。

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