第1話『恋心』

 4月17日、水曜日。

 私が私立天羽女子あもうじょし高等学校に入学してから2週間近くが経った。オリエンテーション期間も終わって、授業も始まっている。今はまだ、先生の自己紹介っていう教科が多いからまだ楽だけど。

 天羽女子は鏡原かがみはら市の中心部にある女子校。地元にあるので迷わずこの高校に進学しようと決め、必死に受験勉強をして何とか入学することができた。

 女子校だから、もちろんクラスには女子しかいない。色々な子がいて面白いし、女子だけだからか不思議な安心感がある。


「ハル、一緒にお昼食べようよ」

「うん、そうだね」


 私の席の前までやってきて、私をハルと呼ぶ女の子は、片桐杏かたぎりあんずちゃん。高校に入学して初めてできた私の友達。名前の通り、杏の花のように赤い髪が特徴的で、ツインテールの髪型が可愛くてとても似合っている。

 あと、私よりも背が小さいからか妹みたいでとても可愛い。


「今、凄く失礼なことを考えてなかった?」

「ううん、そんなことないよ。小さくてとても可愛いなって」

「ち、小さいって身長のこと? それとも胸?」

「え、ええと……」


 正直、どっちも小さいと思うよ。お世辞でも大きいとは言えないかも。でも、正直にどっちも小さいって言えないし、どうしよう。

 私が返答に困っていると、杏ちゃんは頬を膨らませて、


「何も言えないってことはどっちも小さいって思ってるんでしょ! 今でも毎日、朝と夜に牛乳飲んでるのにどうして効果が出ないんだろう。無駄なのかな」

「そんなことないよ。効果がまだ出てないだけじゃない?」

「まだ、出てないだけか……」

「そうそう。まだ、出てないんだよ。それに、継続は力なりって言うし、きっと色々な所が大きくなっていくよ!」

「……そう考えたら何だか元気が出てきた!」


 良かった、元気になって。

 杏ちゃんのいいところは普段から明るいこと。何かあっても、すぐにまた元気になって笑顔を見せてくれる。そんな彼女はクラスのムードメーカー的存在で、同時に妹キャラとして可愛がられている。

 そんな彼女とすぐに友達になったのが功を奏したのか、クラスの半分以上の女子と友達になってスマホの番号とメアドを交換し合うことができた。

 きっと、彼女がいなかったら友達……そこまで多くできなかったんじゃないかな。特技とかもないし。生まれつき髪の色が明るい茶色だということが唯一の特徴だし。


「そういえば、何だか甘い香りがするんだけど。杏ちゃん、香水でもつけてる?」

「うん、手首にちょっとだけ。その香水には杏の花のエキスが入ってる」

「まさに杏ちゃんの香りだ」


 甘い蜂蜜のような香りが、杏ちゃんの手首から漂ってくる。


「何かあったんですか? 凄く盛り上がっていましたけど」


 私と杏ちゃんのところにやってきて、落ち着いた口調で話しかけてくる女の子は広瀬美咲ひろせみさきちゃん。艶やかな黒いロングヘアが印象的な子。背も高くて羨ましいくらいにスタイルがいい。美咲ちゃんとは小学校の時からの友達で、クラスの中ではもちろん付き合いが一番長い女の子。

 ちなみに、美咲ちゃんはどんな人に対しても基本は敬語で話す。本人曰く、敬語の方が自然と話せるらしい。これも立派なお嬢様だからかなぁ。美咲ちゃんの家は日本有数の建設会社を運営していて、彼女のお父さんが社長さん。


「ああ、別にサキには一生縁のないことだよ」


 杏ちゃんは美咲ちゃんの豊満な胸をじっと見ながら言う。確かに、杏ちゃんの悩みって絶対に美咲ちゃんには縁のないことだね。


「どういうことですか……それって」

「その大きな胸に聞いてみなさい!」

「い、いきなりそんなことを言われても困りますよ! ねえ、遥香ちゃん。杏ちゃん、どうしちゃったんですか?」

「ええと……女の子の抱える切実な悩みについて語っていただけだよ。美咲ちゃんは何も悪くないよ」

「それならいいですけど……」


 考えてみれば、杏ちゃんと美咲ちゃんって色々と正反対だよね。身長や背のこともそうだけど、性格もまるで違う。杏ちゃんは活発的で子供らしいところがあるけど、美咲ちゃんは落ち着いていて大人しい。


「それよりも、お昼ご飯……3人で一緒に食べましょう?」

「そうだね、美咲ちゃん」


 気づいたら、昼食は杏ちゃんと美咲ちゃんと3人で食べることが習慣になっていた。それも、決まって窓側にある私の机を囲んで。

 前は大勢で賑わいながら食べるのが好きだったけど、今はこの2人とアットホームな雰囲気で食べることの方が断然好きになった。気兼ねなく話せるから、かな。


「こうなったら、サキの昼ご飯から何を食えば胸が大きくなるのか研究してやる!」

「私、そんなことを意識して食べていないですよ」

「くっ! さすがに胸の大きい奴の言うことは違う……」


 こんな風にね。

 周りを見ると、私達みたいに何人か集まってお昼ご飯を食べている子もいる。だけど、そんな子はクラスの3分の1もいない。

 クラスの3分の2くらいの子はある女子の周りに集まっていた。休み時間になると、その女子の周りから黄色い悲鳴が絶えず聞こえてくる。


 その女子の名前は、原田絢はらだあやさん。


 入学式の日、教室に行けずに困っていたところを助けてくれた女の子のことだ。

 つまり、私の好きになった人は超人気者ってこと。

 原田さんはスポーツ推薦で天羽女子に入学し、全国大会でも優秀な成績を持つ陸上部に所属している。得意な種目は短距離走と中距離走らしい。

 さっぱりとした性格で、何時でも爽やかな微笑みを見せる。端正な顔立ちとボーイッシュな話し方が良いらしく、それ故に『王子様』と称されることが多い。彼女はクラスの中で1番背が高いし、王子様って言いたくなるのは分かるかも。

 原田さんの人気はクラスだけでなく1年生全体に広がっている。また、陸上部を通して上級生にも好意を持たれているらしい。

 うううっ、私の恋敵……多すぎだよ。


「ハル、また原田さんのこと見てる」

「そうですね。遥香ちゃん、入学式の翌日から度々見ていますよね」

「ふえっ! え、ええと……」


 原田さんを見ていると杏ちゃんと美咲ちゃんに指摘され、頬が途端に熱くなる。

 だって、原田さんが他の女の子と仲良く喋っているのを見ると、胸が苦しくなるんだもん。気になって仕方ないよ。


「原田さんのことが好きなのがバレバレだよ?」


 杏ちゃんが意地悪そうに笑いながら言ってくる。可愛いから許すけど、これが男子だったら頭でも叩いていたと思う。


「あんなにいるんだから、ハルだって行ってくればいいのに」

「……行けたら苦労しないよ」


 私は原田さんに恋をしている。

 でも、その気持ちを表現することがなかなかできない。

 杏ちゃんや美咲ちゃんに原田さんのことが好きだって言えるのは2人が気づいたからであって、自分から打ち明けたわけじゃない。

 もっと、気持ちを言葉に乗せることができたらどれだけ楽になるだろう、って度々思っている。そうすれば、原田さんが私へ振り向いてくれるかもしれないのに。


「そういえば、2人って原田さんのこと……全然興味がなさそうに思えるけど。そこのところって実際はどうなの?」


 杏ちゃんと美咲ちゃんが一度も原田さんの周りに行ったところを見たことがない。それどころか、原田さんのことを話題にしてきたことさえない。それに、何時も他の子のことをニックネームで呼ぶ杏ちゃんが『原田さん』って呼んでいるから、余計に気になってしまう。


「別にあたしは興味ないけど。足の速い女子なんていくらでもいると思ってるし。人気があるのは分かるけどね」

「私もあまり興味はありませんね」


 好きな人のことを興味がないと実際に言われると少し腹が立つけど、それと同時にほっとしてしまう。


「それに、私は……」


 美咲ちゃんは両手の指を絡ませて、ちらちらと私のことを見てくる。


「すぐ目の前に、原田さんとは比べものにならないくらいに魅力的な人がいますから。小学生のときからずっと一緒にいる」

「美咲ちゃん……」

「だから、原田さんをずっと見ている遥香ちゃん嫉妬しちゃっています」


 頬を赤くして、美咲ちゃんは私にそう言った。

 本当に美咲ちゃんは友達想いの子だなぁ。嫉妬してくれるほどに、私のことを友達として大切に思ってくれているみたい。


「たとえ私が原田さんの彼女になっても、美咲ちゃんの親友に変わりないよ。もちろん、杏ちゃんとも親友だよ」

 杏ちゃんと美咲ちゃんの手をそっと掴み、そう言った。

「原田さんの周りにも行けないでそんなことを言うなんてね」

「だ、だって……好きなんだもん。彼女になりたい気持ちはあるよ」

「はいはい、分かったって。でも、嬉しいよ。あたしもハルとサキは大切な親友だって思ってるよ」

「私も同じです」


 高校に入学して友達ができるかどうか最初こそは不安だったけど、小学校から一緒の美咲ちゃんが心の支えになって、杏ちゃんという新しい親友ができた。好きな人もできたし私は恵まれていると思う。

 その好きな人……原田さんともっと近づけるように頑張らないと。


「じゃあ、ちょっとシミュレーションでもしてみよっか」


 杏ちゃんはちょっと意地悪そうな笑みを浮かべながら、そんなことを言ってくる。


「えっ? 何のシミュレーション?」

「原田さんと話すシミュレーションだって。少しでもやっておけば、実際に話すときに緊張しなくなると思うよ?」


 杏ちゃんがこんな提案をしてくるのは、彼女には七色の声を出す力があるから。自己紹介のときに、担任の先生の声をそっくりそのまま真似したときには驚いた。小さい頃から他の人の真似をするのが好きだったらしく、気づいたら全く同じ声が出せていたらしい。努力の賜物だ。

 その力は凄く、一度でも耳にした声は正確に再現できるらしい。だから、クラスメイトである原田さんの声はもちろん容易に出せるというのだ。


「いいですね。さっそくやってみましょう!」

「ど、どうして美咲ちゃんまで乗り気なの? でも、やるならちょっと待って! 私、まだ心の準備ができてないから!」


 原田さんの声が聞こえるだけで胸が高鳴るのに。杏ちゃんの能力は本当に凄いから、本物だと思って気を乱しそう。

 2人とも協力してくれるのは嬉しいけど、最初から本格的すぎるよ。


「ほらほら、目を瞑って。シミュレーションするから」

「う、うん……」


 私は杏ちゃんに指示されるままに、目を静かに閉じていく。

 杏ちゃんが言うんだって分かっているのに、凄くドキドキしてきた。どんな言葉をかけてくるんだろう?


「ひゃうっ」


 右手に温かくて柔らかい感触が伝わってくる。杏ちゃんが手を添えているのかな。


『遥香』


 原田さんの声で、私のことを呼んでくる。心臓の鼓動が一気に早くなった。そうなるのも杏ちゃんの手が触れているからだと思う。


「は、はい……」

『私、遥香のことが好きだよ。ずっと一緒にいたい。だから、結婚しよう』


単なるシミュレーションなのに。

 今の声の主が杏ちゃんだって分かっているのに。

 それでも、本能では原田さんの声だと認識して……だから、凄く興奮して。気分が有頂天になっちゃって。だって、原田さんの顔が浮かんじゃったんだもん。


「わ……私も同じことを思ってたの! だから、これからも末永くよろしくお願いしましゅうううっ!」


 気づけば、そんなことを言ってしまっていた。

 そして、目を開けると私の方に視線を向けたクラスメイト全員の顔が待っていた。もちろん、原田さんも私のことを見ていた。


「もしかして、今の私が言ったこと……」

「……うん、物凄く大きな声で叫んでた。噛んじゃった部分も」


 杏ちゃんは苦笑いをして、ただそう言う。

 あまりにも杏ちゃんの能力が凄すぎて、私は完全にシミュレーションに溺れていた。だからこそ、現実に戻った今……勢い良く叫んでしまったことが凄く恥ずかしい。全身が熱くなっていく。


「ふええっ!」


 恥ずかしすぎて。誰にも今のことで触れられたくなくて。私は机に突っ伏す。

 坂井さんって可愛いね、って声がたくさん聞こえるけど、そんなことで顔を上げる元気は取り戻せなかった。

 きっと、原田さんに……変な子だって思われた。凄く泣きたい。

 こんなことじゃ、原田さんに話しかける勇気を持つどころか、ますます自信がなくなっちゃったよ。今のことで笑われるんじゃないかって不安しかない。理由は絶対に言えないし。

 杏ちゃんや美咲ちゃんが悪くないことは分かっているのに、私は2人の謝罪や慰めに何も返事をすることができなかったのであった。

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