第2話『放課後、茶道室にて』

 放課後。

 私、杏ちゃん、美咲ちゃんは茶道室にいる。

 私達3人は茶道部に入部した。茶道部と言っても本格的に作法を習って大会に参加する、というわけではなくて週に2度、お茶をして駄弁ろうという緩い部活。

 正式な活動日は毎週火曜日と木曜日だけど、放課後なら毎日茶道室は開いている。茶道部の生徒であれば、片付けをきちんとすることを条件に、中にあるお茶の道具を自由に使っていいことになっている。

 私は昼休みの出来事を今もなお引きずっており、誰か側にいてほしい気分だった。そして、教室でない他の場所でゆっくりとしたかった。となると、この茶道室はもってこいの場所。幸い、茶道室には私達3人しかいない。

 茶道室の中に抹茶の香りが漂い、気分が幾らか落ち着く。美咲ちゃんが抹茶を点てているからだろう。

 美咲ちゃんは小学生の頃、茶道教室に通っていた。そういえば、彼女の家には茶道室のような和室があって、私が遊びに行ったときに抹茶を何度か飲ませてもらったっけ。


「遥香ちゃん、もうすぐできますから。待っていてください」

「うん……ありがと」


 畳の上で仰向けになる私の横で、美咲ちゃんは正座をしてお茶を点てている。その手つきはもはやプロと言っても過言ではない。


「お茶の匂いがしてきたら、急にお腹空いてきた。あたし、売店で何かお菓子を買ってくるね!」


 と、杏ちゃんはバッグから赤い財布を取り出して、茶道室から出て行った。走って出て行くなんて元気があるなぁ。羨ましい。


「はぁ……」


 昼休みのことを思い出す度に、ため息をついてしまう。

 本当に原田さん……私のこと、どう思ったんだろう。変な女の子だって思っているのかな。でも、原田さんの周りにはたくさん女の子がいるし……一度も近くに行ったことのない私のことなんてすぐに忘れるかも。

 杏ちゃんが昼休みに言った通りだ。一度も原田さんの近くに行ってない私が彼女になるなんて言える資格なんてないんだ。なれるわけ、ないんだ。


「どうすればいいんだろう……」


 思わず、そう呟いてしまう。

 そんな私を見かねたのか、美咲ちゃんは自分の膝の上に私の頭を乗せた。いわゆる、膝枕だ。


「そういうときは私や杏ちゃんに相談していいんですよ。だって、私達は……親友同士じゃないですか」


 美咲ちゃんの笑顔に気持ちが少し軽くなる。その反動か、自然と涙が流れていく。


「……ごめんね。今まで元気なくて。それに、美咲ちゃんや杏ちゃんが私に励ましてくれているのに、何にも答えなくて」


 全ては私があんな風に叫ばなければ良かったことだった。杏ちゃんと美咲ちゃんは私のために協力してくれただけなのに。


「ダメだよ、私。こんなことで落ち込んで……親友のことも考えられない私なんて。原田さんと付き合おうだなんて言語道断なんだよ、きっと」


 ネガティブな思考になってる、完全に。元気になって、美咲ちゃんに笑顔を見せなきゃいけないのに。

 でも、今言ったことが正しいはず。私じゃ駄目だってことなんだ。

 きっと、入学式の日の出来事は神様が私にいい夢を見させてくれたんだと思う。

 手を握られたときの感触。

 そして、私に見せた優しい微笑み。

 こんな私にでも幸せな気分を少しでも与えようという神からのお情けだったんだ。


「……きっと、ダメだと思います」

「そうだよね……」

「自分が駄目だと思っている間は、原田さんと付き合うなんてできませんよ」


 美咲ちゃんが珍しく怒った表情を見せる。彼女がこんな表情をしたのって、小学生の時に喧嘩したとき以来じゃないかな。


「遥香ちゃんらしくないです。そんな消極的な考え方。私でも、今の遥香ちゃんを彼女にしたくないです。私が嫉妬してしまうような遥香ちゃんというのは、何時でも明るい笑顔を見せてくれるような遥香ちゃんです。私はそういう遥香ちゃんが……す、好きなんですから……」


 そう言うと、美咲ちゃんは私の頭を優しく撫でる。

 美咲ちゃんの言う通りだ。消極的な考えを抱いていたら、どんな人でもきっと……私のことを嫌な人間だと思い、いつかは必ず避けていくに決まっている。


「ごめんね、美咲ちゃん。おかげで目が覚めた」

「遥香ちゃん……」


 そうだよ、原田さんと付き合える可能性はゼロじゃない。今みたいに消極的にならない限り、絶対にゼロにはならない。

 私はゆっくりと体を起こし、


「ありがとう」


 と言って、美咲ちゃんの頬にキスをした。

 突然キスをしたからなのか、それとも頬にキスすること自体が衝撃的だったのか、美咲ちゃんの頬は一瞬にして朱色に染まった。

 私は再び美咲ちゃんの膝の上に頭を乗せて、


「私を元気にさせてくれたお礼。それに、私のこと……嫉妬しているくらいに好きなんでしょ。私も美咲ちゃんのこと大好きだよ」


 自分の気持ちを素直に伝えると、美咲ちゃんは目を潤ませながらも微笑んで、


「……もう、そんな風に言われると告白だって勘違いしちゃうじゃないですか。遥香ちゃんには原田さんという片想いの人がいるんでしょう?」


 震えた声でそう言った。

 確かに、2人きりの空間で今みたいなことを言われたら、告白だって思っちゃうかも。それに頬にキスするなんて、物凄く大胆なことをしてたんだ。


「ごめんね、勢いでつい……」

「いえいえ、いいんですよ。遥香ちゃんにキスされたかったので……」

「えっ? 最後らへんがよく聞こえなかったんだけど……」

「な、何でもありません!」


 美咲ちゃん、どうして照れているんだろう? もしかして、今のキスで……私のことを本当に好きになっちゃったとか? まさかね。


「そ、そういえば! あの時……みなさん、遥香ちゃんのことを可愛いって言っていましたよ。もちろん原田さんも」

「原田さんが?」

「ええ。すぐに普段の感じに戻りましたよ」

「そっか……」


 つまり、イメージダウンにはなっていないってことね。今の話を聞いて安心した。ほんと、私……勝手にネガティブになりすぎ。


「ていうか、それを最初に言ってくれれば……」

「だって、遥香ちゃん……全く話を聞こうとしなかったじゃないですか。ため息ばかりついて、一切顔も上げなくて」

「ご、ごもっともです……」


 さっき、美咲ちゃんが珍しく怒った理由が分かる。自分勝手すぎるな、私。

 でも、良かった。原田さんが可愛いって思ってくれているなら、後は私のアプローチ次第だ。杏ちゃんの言う通り、原田さんの彼女になるなら……まずは何かをきっかけにして原田さんに話しかけないと。

 でも、原田さんに話しかけるにはどうすればいいんだろう。昼休みにあの女子達の中へ入っていくことにはかなり勇気がいるし。放課後、陸上部の活動が終わった後に話しかけようとしても、きっとファンが更衣室から出待ちしているんだろうなぁ。


「はぁ……」

「またため息ですか。でも、今のため息の原因はすぐに解決できるでしょう」

「……そうなるといいけど」


 何か原田さんに印象づけられるような方法があればいいんだけど。やっぱり、原田さんの彼女を目指すなら、まずは原田さんから好感を持たれたい。わざとらしいような方法ではなくて、あくまでも私らしいやり方で。


「変わったお饅頭があったから買ってきたよ……って、あれ?」


 売店から帰ってきた杏ちゃんはきょとんとした表情で私達の方を見ている。


「……お、お邪魔だったかな?」

「いや、別に――」

「お邪魔じゃありませんからっ!」


 美咲ちゃんがそう叫んだ直後、彼女は勢いよく立ち上がった。その所為で私の後頭部が畳の上に落ちる。


「いたた……」

「ご、ごめんなさい! 遥香ちゃん!」

「別に大丈夫だよ。畳じゃなかったら気絶していたと思うけど」


 何だか今日の美咲ちゃん、普段と雰囲気が違う気がする。特に、杏ちゃんがお菓子を買いに売店へ行ってから。


「いやぁ、早とちりしちゃってごめんね。何か、サキがハルを膝枕していたから。ハルがサキに浮気したと思っちゃって」

「別に浮気なんてしてないし、私は原田さん一筋だよ!」

「顔を赤くして言うなんて可愛いね」

「うううっ」


 杏ちゃん、絶対に私の反応を楽しんでる。


「でも、原田さんは競争倍率が凄いと思うよ。早く告白しないと駄目かも。今もこうして誰かが告白して原田さんの彼女になっちゃてるかもしれないし」

「そんなに急かさなくていいよ。気持ちの整理をしてから告白したいから」


 杏ちゃんの言うことも正しいとは思うけど、心の準備ができていないのに告白しても原田さんの心に届かなそう。それに、振られたらショックが大きそうで怖い。


「……後悔しても知らないよ?」

「はいはい、忠告ありがとう」


 杏ちゃんって、他人は他人、自分は自分っていう考え方であまりこういうことには口出ししないかと思ったけど、意外と私の立場に立って考えるみたい。

 原田さんの人気はかなり凄いから、今も誰かから告白されているかも。早めに何か策を考えないと手遅れになっちゃう可能性は大いにある。


「お茶もできたので、さっそくいただきましょうか」


 3人でお茶をすることをすっかりと忘れていた。

 杏ちゃんは手に提げていたビニール袋から、プラスチックの容器を取り出す。


「変わったお饅頭があったんだ」


 中には柏の葉に包まれた白い餅が入っていた。ええと、何て言うんだっけ……。


「杏ちゃん、これはお饅頭じゃなくてお餅ですよ。柏餅って言うんです。子供の日に食べるんですよ」

「へえ、そうなんだ……」

「お餅は抹茶には合いますからね。餡子が入っていて甘いですし」

「それなら良かった。変な物だったらどうしようって思って。ハルはこのお餅のこと知ってた?」

「……し、知ってたよ。もちろん」


 見たことはあったけど、名前が思い出せなかった。美咲ちゃんの言う通り、柏餅は毎年ゴールデンウィーク中に食べている。

 私達はさっそく美咲ちゃんの点てた抹茶と杏ちゃんの買ってきた柏餅を楽しむ。


「美味しい!」

「柏餅って美味しいんだね。抹茶も美味しいよ、サキ」

「ありがとうございます。柏餅はこの季節にピッタリのお茶菓子ですね。とても美味しいですよ」


 柏餅の中には私の大好きなこしあんが入っていた。こしあんの上品な甘さが抹茶の渋みとよく合っている。

 抹茶と柏餅のおかげで気持ちも落ち着いた。それに、やっぱり美味しい物を食べていると自然と幸せな気持ちになれる。


「……そうか」


 こんなところにヒントがあったんだ。

 見つけた。あくまでも私らしい、原田さんにアプローチをする方法が。


「どうしたんだろう、ハル」

「……たぶん、お悩み解決の糸口を掴んだのだと思います。今の遥香ちゃんの顔はそんな表情をしていますからね」


 その通りだよ。さすがは美咲ちゃん。


「もう、大丈夫だよ。杏ちゃん、美咲ちゃん。さっきまで迷惑掛けて……本当にごめんなさい」


 杏ちゃんと美咲ちゃんに謝らないと原田さんのところには行けない気がして。私は二人に向かって頭を下げる。2人には心配させちゃったから。


「元気になったんだから別にいいよね? サキ」

「そうですね」


 そう言って、2人は笑っている。まるで、さっきまでの私のへこみなんてなかったかのように。

 2人が良い子すぎて、また泣きそうなんだけど。どうしよう、涙が零れそう。こんな姿を2人に見せられないよ。でも、何か2人に言わなきゃ。


「……私、頑張るから。頑張って原田さんに話しかけてみる!」


 それが、今言える精一杯の言葉だった。これ以上言ったら、絶対に泣いているのがばれちゃいそうで。


「頑張ってください。私達、応援していますから」

「原田さんの前では今みたいに泣くんじゃないよ、ハル」


 顔を上げない時点で2人には分かっちゃっていたんだ。

 私はいい親友を持ってとても恵まれていると思う。それだけでも贅沢なことなのかもしれないのに、彼女がほしいと言うのは我が儘が過ぎるのかもしれない。

 それでも、私は原田さんのことが好きなんだ。

 今や、天羽女子高校で一番の人気を誇る人の彼女になることは難しいことだと思う。

 でも、無理じゃない。彼女になっている未来だってあるんだ。

 そのためにも、まずは私から原田さんにアプローチしていかないと。そして、私の気持ちを自分の口で伝えることが目標。

 杏ちゃんと美咲ちゃんの応援を無駄にしないためにも頑張ろう。

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