伝えつづけていく

 ぺち、ぺち、ぺちん、ぺち、ぺちん。

 わたしの両手のあいだを、合いびき肉でできたハンバーグの種が行ったり来たり。

 今日のご飯はハンバーグ。わたしが自信を持って作れる得意料理のひとつで、さっくんにも大好評。

 カチャカチャカチャカチャカチャ、タン、カチャカチャ。

 となりの部屋からは、さっくんがキーボードを叩く不規則な音だけがずっと続いている。

 テレビもラジオもついてない、音楽も流れていない。

 ただ、生活音だけが流れてる空間。

 小説を書いている最中のさっくんは集中しているので、用事がなければ話しかけないのがルール。


 わたしはハンバーグの種を整えながら、さっくんのほうを見てみる。

 モニターに向かって真剣な表情をしているさっくんの姿を見るのは、わたしの密かな楽しみのひとつだった。

 出来上がる小説を楽しみに思いながら、わたしはつぎのハンバーグの種を両手のあいだでキャッチボールする。


 生物は遺伝子の乗り物、という考えかたがある。

 人類を含むすべての生き物は、ずっとずっと、命の情報を次の世代へ、次の世代へと渡し続けている。

 ミーム、ということばがある。人から人へ伝わっていく、文化、慣習、物語を指すことば。

 これも、人がずっとずっと、次の世代へ次の世代へと渡し続けてきたもの。

 このふたつはどちらも同じ、リチャード・ドーキンスという人が生み出した言葉。

 このふたつのことから考えられることは、わたしたちは、ずっとずっと、なにかを伝え続けている、ということ。

 わたしたちは、伝えるいきものだ。


 人類や生物全体でみれば、途方もないようなスケールの大きな話だけれど。

 たとえば、わたしとさっくんのあいだでも、たくさんのものを伝えてきた。

 小説で物語を伝え、ことばとからだで想いを伝え、贈り物を交わし、約束を交わし、たくさんのものを時間をかけてなんどもなんどもキャッチボールするみたいにやりとりして、そうして、いまのふたりがある。


 小説は、人がなにかを伝える手段のひとつ。

 伝える。

 想いを、感情を、人生を、思想を、歴史を、空想を、ありとあらゆるものをことばに乗せて、物語に乗せて、伝えていく。

 きっと最初は口伝えで、それから紙で、いまは電子で。未来にはきっと、未来の新しいメディアで。

 たくさんの人たちの手によって書かれた、この世に溢れている無数の小説ひとつひとつが、その作者たちの伝えたいこと。


 無数にある物語のひとつが、ある時代の誰かの手元に届くことは、きっとそれだけで一つの奇跡のようなものだし、それ自体が、人と人との出会いのひとつの形。

 この世に存在する全ての物語からみたら、ほんのちっぽけな、一人から一人へのやりとりだけれど。

 作者と読者のあいだはいつだって、一期一会、奇跡のような巡りあい。


 だから、わたしはさっくんからわたしに届けられた小説を、大事にした。本気で向き合った。

 さっくんも、わたしが届けた想いを、大事にしてくれた。本気で向き合ってくれた。

 あのとき、わたしがもしもさっくんの小説を読むことを断っていたら?

 あのとき、もしさっくんが、わたしの指南に堪えられず、小説を磨くことを辞めて筆を折ってしまっていたら?

 たったひとつ伝わらないだけで、未来は大きく変わってしまっていたかもしれない。

 ふたりがどちらも本気で向き合ったから、いまのさっくんとわたしがいて、いまのさっくんの小説がある。


 フライパンを火にかけて、ハンバーグを焼き始める。

 お肉の焼けるいい香りがキッチンにたちこめて、わたしは思わず鼻歌を歌う。

 今日は、大事な日。

 さっくんに、大切なことを伝える日。


 さっくん。これまでわたしたちはたくさんの情報を伝えあってきたけれど、こんどは、命の情報を、いっしょに伝えていくんだよ。


 焼きあがった大きな丸いハンバーグをお皿に乗せて、付け合わせのほかにライスとスープを用意して、ご飯は完成。

 我ながら、きょうのハンバーグは会心の出来。

 思わず笑みがこぼれた。

 

 食事ができたことを伝えようとさっくんのほうを見ると、さっくんはまだ、集中して小説と向き合っているみたいだった。

 わたしはそれを見て、愛おしさで、思わず少し涙ぐんでしまう。

 涙をぬぐって、名前を呼ぶ。

 愛おしいその人の、名前という情報を伝える言葉を、口にする。


「へへ……さっくん」


 さっくんの手がとまり、こちらを向く。


「ん?」

「ごはん、できたよ」

「うん、いま行くよ……いい匂い」

「ハンバーグだよー」

「わ、やった」

「今日のはすっごく自信あるよ!」

「うん、読子さんのハンバーグ、楽しみ」


 さっくんはそう言うと、二、三マウスで操作をして立ち上がった。

 さっくんが大きく伸びをすると、プリンターが動き出す音がする。

 わたしは小説の続きが読めることと、これからさっくんに伝えることを考えて、思わず笑顔になる。


「ん?」


 嬉しそうなわたしを見て、さっくんは不思議そうな顔をする。


「なんでもないよ、ぜんぜん、なんでもね?」


 わたしがそう言うと、さっくんも笑う。


「なんだか、思わせぶりだなぁ」

「ふふ、どうかなー。さ、食べよ?」

「そうだね」


 さっくんは、きょうもまっすぐに小説を執筆しつづけていて。

 わたしは、きょうもしあわせで、思わせぶりにほほえんでいて。

 わたしたちは、これまでも、これからも、ずっとずっと、伝えつづけていく。


<おわり>

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さっくんはまっすぐに小説執筆しつづける kenko_u @kenko_u

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