第2話「君の知らない話をする」
ミリルートの視界がチカチカと明滅する。外側からの光源というより、内側で起きていることのようだ。変わらずミリルートをシェイドは抱きしめていたから。
ミリルートは体の奥底からふつふつと沸く感情を押さえるように唇を噛み締める。そして腕を突っ張り距離を取ろうとすると、呆気なく彼は離れた。慌てて海に飛び込もうと回転したミリルートの背に声がかかる。それは必死に。
「待ってくれないだろうか! 少しだけ話をしたい。日が沈み切るまででいい!」
それは例えるなら、サメに追われる小魚の悲痛な叫び声にも似て。
振り切るように、聞こえなかったように、海に飛び込んでから考えてしまった。
内側に燻っていた感情の高ぶりも今は鳴りを潜めている。
そっと海面に顔を出し長い髪を掻き上げてミリルートはシェイドがいるはずの方向へと向き直る。
「……迎えが来るまでなら」
人はあまり泳げないという。いざとなればすぐに海底を目指せばいい。
「ありがとう。君みたいな美しい人を見たのは初めてだったから」
「人じゃないわ」
「それは……でも本当に君は美しい。声もまるで小鳥が囀っているように可憐だ」
少し高めの声は彼が大人になる前なのか、それともそういう性質なのかはわからない。けれど並べられる美辞麗句にどこまで本気に思っていることなのか定かでないため、返す言葉がなかった。
「瞳も綺麗な空色だ。夕日に照らされている髪も黄金に輝いて神々しくさえあるよ。ああ、でも。華やかというよりは月のような美しさが君にはある」
どちらかといえば可愛いといわれることの多いミリルートにはシェイドの言葉が面映ゆく、背中からむずむずしてくる。あまり意味のないもののように思えて、やっぱり海の中でウォルおじさんを待とうと溜息を吐いた。
「少し憂鬱だったんだ――」
先程までの煌々しい声音とは打って変わり、それは低く波音に消されてしまうほどか細かった。聞き取れたのはミリルートだからこそで、思わずシェイドのいる辺りへ顔を向ける。
穏やかな波が流れていく音だけが支配する。けれどいつも岩場にいた頃とは違い、それほど近くにいないはずの彼の温度もその静かな世界に感じ取れた。一人なら自分の不甲斐無さや見えないことへの苛立ちに苛まれるけれど、今はただ彼の言葉の先が気になった。
「それでも君と出会えて元気が出た。また会えるかな?」
彼はミリルートの予想を裏切って明るい口調で尋ねてくる。きっと何かを聞いてほしかったのだとはわかったが、会ったばかりでしかも人でない者に聞かせるわけにはいかないのだろう。聞かせる意味もない。
次の約束もきっとただの別れの挨拶。本当に人魚であるミリルートを害するつもりはないらしい。
急に空気が冷えてきた。心なしか冷たくなってきた海水を掬い上げ、海中に潜る。少し遠くでウォルおじさんの声がして、再び浮上したミリルートはただ一言を告げる。
「さよなら」
体を翻し海中へ潜る刹那、同じ言葉を聞いたような気がしたが構わずミリルートは声の方向へと泳いでいく。
なぜかわからないけれど、彼の挨拶はどこか寂しげな色合いだったような気がした。
ゆめにねむるさかな 榛葉みのる @yuuki_t
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