蒼と赤の世界

緋色

蒼と赤の世界

 誰か、お願い――


 私はここにいるから――


 だから、ここをみつけて――


 私を見つけて――



◇◆◇



「……っ?!」


 突然、意識が現実へと引き戻された。恐らく夢をみていたのであろうが、ひどく疲れが残っている。先ほどまで聞こえていた声が、まだ耳元で木霊している感じがする。

 変な目覚め方をしてしまったせいで息が荒くなってしまった。暫くするとそれも整い、いくらか状況を確認する余裕もでてくる。

 お世辞にも広いとは言えない、暗く寂れた部屋。小さな小窓から仄かに差し込む月の光だけが、この世の光りとでもいえそうな場所だった。

 そこにいるのは、幼顔の少年。それは大きな蒼い瞳を持ち、少女にも見えるような中世的な顔立ち。その外見から判断すると齢十五歳ほど。しかし、実際の年齢はもう少し上で、十八歳ときている。同年代の少年たちからすると、その容姿は奇異なるものがあった。

 だが、それはただ顔貌からの判断ではない。少年の細くて長い銀の髪も、ほっそりとした体形も、全てを眺める上で歳相応にも見えない。少女と間違えてしまうのも無理がなさそうなものだった。


「……夢、だよな」


 ゆっくりとベッドから立ち上がり、部屋を見回す。ベッドと机と、他に自分の荷物が少しあるぐらいの殺風景な部屋だ。

 少年はゆっくりと深く息を吐いた。

 もう一度眠ってしまおうかと考えたが、生憎、すっかりとその目は覚めてしまっている。

 少年はその長い銀髪の頭を掻き毟りながら、椅子に深く座る。そして小窓から夜の町並みを暫く眺めていることに決めたのだ。



◇◆◇



 それはひどく哀しい夢だった気がする

 誰もいない、何もない世界に、ただ孤独のままでいて、彷徨い続けている

 見付けて欲しくて、その存在を

 気づいて欲しくて、誰かを呼びたくて

 誰かに呼んで欲しくて

 でも誰も呼べず、誰かの名前を声にすることもできない

 独りだから誰にも呼んでもらえない

 暗闇の静かな空間にただ独りだけで

 どうすることもできない虚しさと悲しさが混じり溶け合う


 ひどく、寂しい夢――



◇◆◇



 何時の間に眠っていたのだろうか。少年は机に突っ伏して、寝入っていた。小窓から差し込む朝日が、少年の髪を照らし、輝かせる。

 少年は身体を身じろぎさせて、ゆっくりとその身を起こす。顔にかかる光に眩しそうに目を細めた。


「……今、何時だ?」


 誰に言うわけでもなく、ただ呟いて時計を探す。しかしすぐにこの部屋には時計がないことを思い出し、ため息をついた。

 仕方がないので、少年は長い銀髪を後ろで一つに纏め、簡単な身支度をする。元より少ない荷物を纏めて、部屋を後にした。


 ここは名前も忘れ去られたような錆びた町、またその錆びた町の中にある、今にも潰れそうな小さな宿。そして狭くて何もない部屋の一室。


 昨日、少年は旅の途中にたまたまこの町に立ち寄った。立ち寄った理由は特にはないが、それ以前に旅をしている理由さえ特別といって何もなかった。

 ただ行く当てもなく、世界を放浪しているだけなのだ。


「すみません」


 ロビーと形容するにはなんとも嘘臭い感じがする、怪しい玄関口。受付係であるのか、一人の老婆が木製の大きな椅子に腰掛けており、ゆっくりとパイプを吹かせている。

 少年が声をかけると、老婆は一瞬、気がついたようにその皴だらけの顔を少年に向ける。しかしすぐに興味を失ったように目を閉じてしまった。


「今、何時かわかりますか?」


 しかし少年は老婆の様子も気にせず、尋ねた。老婆は少し間を空けて、低くてしわがれた声で唸るように、簡単な答えだけを返す。


「……十時五十八分」

「そうですか。あ、お金ここに置いておきますね」


 カウンターと思しきところに、一泊分のお金をおく。見た目からして繁盛してそうにないこの宿の宿泊料金はとても安かった。

 さようなら、と最後につけたして少年はそのままその宿から立ち去る。

 相変わらず老婆は椅子に座ったまま、パイプを吹かし続けている。少年が置いていったお金も、少年が出て行ったことにも興味を示すことはなかった。



◇◆◇



 少年の名前をカルスと言った。それが本名なのか、それとも偽名なのか、そんなことは誰も知らない。

 旅人は時に己の名を偽り、時に己の名を捨てることなど、しばしばある。少年もそんな旅人の一人に過ぎないのだから、気にすることもない。

 ただ少年の容姿はどこに行っても目を惹く傾向にある。特に美しい銀髪は珍しく、目立つことこの上ない。そこが少々頭の抱えどころでもあった。


「ここから少し行けば、もうちょい大きい町に着くかな」


 手に入れた近辺の地図を広げて、カルスは呟いた。

 現在いる町では特に何もすることがない。錆びた町の人々は、カルスを好奇というよりは、異様な目で見てくるので居心地が悪いことこの上ない。

 こんな町に旅人というもの自体が珍しいのだろう。治安も悪いようで、長く滞在するのは得策ではない。いつどこで襲われてもおかしくはないのだから。


「……そこのキレーな顔の兄ちゃん。どこへ行くんだい?」


 地図を眺めて思案顔をしているカルスに声を掛けてきたのは、酒を片手に持った薄黒い男だった。おそらく町の住人だろう。顔がすこし赤く、酒の匂いが漂ってくる。

 好奇心から声を掛けてきたのだろう男は、カルスの顔を改めてみるなり、驚いたように口ごもった。そして付け足すように言う。


「……ああ、ねーちゃんか」

「男です」


 即座に否定して、カルスは顔を顰める。毎度のこととはいえ、面白いものではない。


「まぁ、べっぴんさんには変わりないな。で、どこに行くんだい?」


 男はニヤニヤと下品な笑みを浮かべながら、先ほどと同じ質問をしてきた。

 正直、カルスとしてはこういう部類の人とはあまり関わりたくない。だが無視するのも些か気が引けたため、ため息混じりに答える。


「……この先の町に」

「ああ、ベッチェか。確かにあそこはまともな町だからな……こんな町なんざいたくねぇだろうなぁ」

「別にそういうつもりじゃ……」

「いや、いいって。俺だってそう思うからな」


 そう言って男はしゃっくりをあげ、酒を一気に飲み流した。

 カルスはそれを横目に眺め、そのまま無言で立ち去ることにした。これ以上この男と話す義理はない。


「……ああ、そういえば」


 ふいに、カルスが男の横を通りすぎたとき、男は呟いた。


「ベッチェに行く途中の森に泉があるが……そこには近づかない方がいいぞ」

「泉?」

「ああ。曰くつきの泉だ。これは、忠告だからな。俺はしたぞ?」


 くくっ、と笑った男の顔は愉快そうで、カルスは不快感から顔を背ける。

 男はそれ以上なにも言うことなく、ふらふらとその場を立ち去っていった。


「なんなんだ……?」


 カルスは呟き、肩を竦めた。

 そして再び旅立つ。この名もなき錆びた町を。

 もちろん未練なんてものは一切なく、男の忠告をどこかに残して立ち去った。



◇◆◇



 錆びた町からベッチェに行くには森を抜けなければならない。その森にはなんとかという名前が付いているらしいが、カルスはそれを知らない。それほど深い森ではないらしく、数時間も歩けば森を抜け、すぐそこにベッチェの町があるらしい。


「……あつい……」


 その森の中は木々のお陰で太陽の光りを所々遮ってくれる。涼しい風も吹くのだが、それでも気温はここ数日の中でも一番高いと思えるほどだった。

 カルスの額に汗が浮かび、それを袖で拭う。

 森自体がそれほど大きくないといっても、あと数時間は歩かなければならないかと思うと気が滅入ってくる。

 流石に歩き詰めというと疲れきってしまうので、どこか適当な所で休憩を何度かとった。


「……あ」


 ふと遠くを眺めると、木々が開けた先に光りが見えた。それは太陽の光りを鏡かなにかが反射したような光だ。

 なんとなく、そこに足を進める。まるで誰かに呼ばれているような感じがして、カルスは妙な心地のままゆっくりと、しかし確実に一歩を踏みだした。


「泉……?」


 そこには小さな泉があった。さっきの光りはこの水面が太陽の光りを受けて反射させたものなのだろう。

 この泉は恐らく、町を出る前に会った男が言っていた泉だろう。男はこの泉に気をつけろと言っていた。

 カルスはそのことを思い出して一瞬警戒をしたが、このなんの変哲もない小さな泉の何に気をつけろというのかわからない。

 カルスは拍子抜けした感じがして、泉の淵まで近づいた。

 そして中を覗いてみる。

 泉の水はどこまでも透き通っていて、底まで見通すことが出来た。

 不思議なことに、そこには何かの神殿跡のような廃墟が伺える。小さな魚が所々に泳いでいるのが目の端で捉えることができ、草木が優雅に揺れていた。

 地上とは別の、神秘的な世界が泉の中にどこまでも広がっている。


「まだ誰にも発見されてないのかな……」


 もしそうならこれは結構重大発見なのではないのだろうか。

 世界にはまだ数多の過去の遺物が残されているという。現在発見されているものは、ほんの一握りにすぎなくて、過去の時代はいまだに謎が多いのだ。

 だからそれらを追って旅をする者も、一生を捧げる者もいる。

 これにはどれほどの価値があるかは不明だが、そんな過去の遺物の一つではないのだろうか。


「……あれ?」


 水の中を覗き込んでいると、目の端に白い何かを捉えた気がした。

 何となく背筋が薄ら寒くなって、ゆっくりと視線を泳がせる。

 ゆらゆらと水の中に何かが浮いている。白い、何か。

 カルスは思わず凝視した。


 透き通る、神秘的ともいえる、この泉の中に――それがいた。


 そこには人の形をしたものが。

 長い金糸の髪と際立つ白い肌、純白の絹を身に纏い、閉じられた瞳にかかる長い睫毛、筋の通った鼻と色を失った小さな唇が、その小さな顔におさまっていた。

 その美しさに、カルスは息を呑んだ。そして時が止まった気がした。

 生きているのか、いや、おそらく生きてはいないだろうその人形のような少女。もしかしたら人間ではなくて、本当に人形なのかもしれない。どちらかと言えばその方が正しいように思える。

 ずっと目が離せないでいた。

 息をすることも忘れていたことに気づき、あわてて大きく深呼吸を繰り返す。

 そしてもう一度泉の中を覗き込んで、あの人形のような美しい少女を見て。


 ――今度こそ、背筋が本当に凍った。


 目が、あった。

 カルスの蒼い瞳と、少女の赤く宝石のような瞳が。

 そして少女は薄っすらと笑った気がした――



◇◆◇



 どれだけ待っても誰も私を見つけてくれなかった

 どれだけ誰かを呼んでも、だれも応えてはくれなかった


 ずっと待っていたのに……


 やっと、私を見つけてくれる人がいた


 やっと、誰かに会えた……


 私はゆっくりと手を伸ばす

 多分、私は今笑っている

 とても、嬉しいから


 寂しさが薄まって

 喜びが深まって


 水面がゆっくりと揺らめいて、彼は驚いた顔で私を見ている

 私を、見ている

 間違いなく、私は存在しているのだ

 彼の蒼い瞳に私の姿が映る

 その深い深い蒼い瞳に私の赤の光が映る


 彼は私を見つけた

 私は、見つけられた


 長い時間を超えて

 長い眠りから目覚める時がきた



◇◆◇



 少女の小さな唇が笑みを作っていた。とても、嬉しそうに。

 その赤い瞳は確かにカルス捉えていて、蒼い瞳もまた少女を確かに捉えている。

 目が、離せないでいる。

 少女がゆっくりと手を伸ばしていた。

 それにどうすることもできなくて、ただ少女をみつめていた。

 水面が揺らめいている。

 ゆっくりと、しかし少しずつ激しくなり。

 突然、水がカルスを襲った。

 抵抗する間もなく、泉に飲み込まれてしまう。そのまま少女のもとまで運ばれていくように、ゆっくりと沈んでいく。


 ――不思議なことに、恐怖心は全くなかった。


 少女の近くまで沈んだ所で、まったく息が苦しくないことに気がついた。

 間近でみた少女は、やはり美しかった。

 この世の何に表現したらよいのか、検討がつかないほどに。


「……みつけて、くれて……ありが、とう」


 息を詰めて少女を見つめていたカルスだが、突然小さな声が聞こえた。途切れて、決して滑らかな言葉ではなかったが、それでも透き通った感があった。

 その声に驚いて、少女を見直す。少女の白い手がすっと伸びて、カルスの頬に触れていた。


「ずっと……まって、たの」

「なに、を……?」


 声を振り絞って、カルスは訊ねる。

 水の中にいるはずなのに、言葉を発することが出来た。内心驚かなくもないが、ただそれ以上に少女のことが気に掛かり、どうしても目を離すことができない。


「だれ、かが……みつ、け、て、くれる、のを……」

「……どうして、君はここにいるの?」


 今度は幾分かはっきりと声を出すことができた。


「わ、わたし、は……また、な、ければ……いけな……い」


 少女の声は震えていて、その瞳には輝く涙が溜まっていた。

 涙が少しずつ瞳から溢れて、水に溶ける雫となる。


「み、つけて……くれる、まで……ひと、りで、……ここ、で」

「君は……ここでずっと、独りで待っていたんだね? 誰かが、見つけてくれるその時まで……」


 小さく頷いた少女は、そのまま顔を覆い泣いていた。

 声を殺すようにして、肩を震わせていた。ただその場で静かに泣いていた。


「どうして……君は、過去の人なの?」


 この過去の遺物の住人なのだろうか。

 今はもう滅んでしまった世界。この廃墟で人目につかず、泉の中で眠っていたこの少女はずっと過去からいたのだろうか。

 少女は顔をあげ、そして哀しそうに再び頷いた。


「わたし……ひとり……まも、られた……」

「守られた?」

「ときが、くる、まで……ねむ、り、について……」

「誰かが……いや……俺が、来るのを待っていたんだね。ずっと……」


 カルスは出来るだけ優しく、穏やかに微笑んだ。

 少女が落ち着くように。

 涙が止まるように。


「じゃあ、俺はどうすればいいの? 君のためになにをすればいい?」


 この少女は、たぶん、ずっと独りで寂しかったのだろうと思う。

 理由も原因も真意もわからない。

 もしかしたら今ここで、この少女に協力をしてはいけないかもしれない。話しかけてはいけなかったのかもしれない。


 だけどーー


 だけど、カルスの心はこの少女を助けたいと思っている。

 その孤独から救ってあげたいと、涙を止めてあげたいと、思っている。

 だから、何かを考えるよりもまず、行動に、口に出てしまう。

 この美しく儚い存在にカルスは何かをしてあげたいのだ。

 本能が、心が、そう訴えているのだ。


「あな、た……わた、し、みつけて……くれ、た……」

「うん」


 少女はゆっくりと、穏やかに微笑んだ。

 瞳に溜まった涙が水の中に散りばめられて、溶け合わさっては消えていく。

 少女の周囲が煌めいているように見えた。


「もう、ひと、りは……い、や、だか、ら……」

「……そうだよね。じゃあ、俺が君をここから連れ出してあげるよ」

「……ほん、と……?」

「うん。約束する」


 目を見開いた少女は、本当に、本当に、嬉しそうに笑った。

 それはとても綺麗な微笑みだった。


「どうすれば、君をここから出してあげられるの?」

「なま、え……よん、で……」

「君の名前?」


 頷いた少女はカルスの手をとった。少女の手は温かかった。確かに、生きている人の温もりだった。

 人形ではなく、人なのだとわかる。

 今を生きる人なのだと。


「じゃあ、君の名前を教えて?」

「……ゆ、さ、ら……」

「わかった」


 ゆっくりと少女の手を握り返した。決してこの手が離れないように。この繋いだ手のままで、外の世界へ連れ出せるように。

 少女が迷わないように。真っすぐこの泉の外に出られるように。

 寂しさも、悲しさも、不安も、孤独も、全てこの泉に置いて行こう。


「行こう、ユサラ。外の世界へ――」

「……はい」


 そして、光りと水が、二人を包んだ。

 そんな気がした――



◇◆◇



 どれぐらい気を失っていたのだろうか。カルスの目が覚めた頃、あたりは夕暮れ時だった。

 夕暮れの光が銀髪を紅く染め輝かせている。

 しばらく夢を見ていた心地で、実際夢を見ていたのではないのだろうかと一瞬思った。

 しかしどこまでも鮮明に残っているその記憶と、繋いだ手の温もりが、全てを物語っていた。

 あれは夢ではなくて、真実で、現実だったと。

 カルスは繋がれた手を見つめてゆっくりと微笑む。

 そして優しくその金糸に触れるのだ。


 カルスは、隣で眠っている少女を過去から連れ出すことができたのだ。

 少女を、ユサラを、見つけることができたのだ――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

蒼と赤の世界 緋色 @hinoiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ