僕からの小さな真実
エイプリルフール。
午前中だけではあるけれど、嘘をつくことが許される日。
もう少し細かいルールとかもあった気がするが覚えていない。
だとしたら、彼女がバレンタインだと口にしなかったことも納得がいく。
あれはきっと、彼女なりの嘘だったのだ。
――いや、もしかしたら本当に余りものなのかもしれないけど。
だとするなら、僕が今、彼女に対してしたいことは?
残りのクッキーを一枚ずつ、しっかりと味わって食べる。
控えめな甘さ。少し硬めの生地。
お菓子作りが苦手だと言いながらも、驚くぐらい僕の好みにぴったりだった。
クッキーを食べきり、少し渇いた口を水筒の麦茶で潤した僕は、小さく息をはく。
そして、意を決してソファで携帯をいじる先輩に声をかけた。
「先輩、少しだけ空けてもいいですか?」
立ち上がってジャケットを羽織り、財布と携帯を手にする僕を見て、何かを悟ったのだろう。
先輩は愉快そうに頷いてくれた。
「あ、ついでに購買の桜コロネ買ってきてくれ。戻ってきたらお金払うから」
「わかりました」
桜コロネ。
去年、入学直後のお昼に買った期間限定のパンが、今年も売っているのか。
確か彼女も好きだと言っていたはずだ。
*
十一時、五十八分。
体育館や部室棟から少し離れた人気のない桜の木の下で、僕は携帯に指を滑らせた。
*
「渡瀬くん、どうしたの? 用事ならうちの部室でもよかったのに、みんな顔見知りだし」
部室棟の方から小走りにやってきた彼女の姿を見て、僕は頬を緩ませた。
十二時二分――予想通りの時間だ。
もう、僕は嘘をつけない。
僕は彼女から逃げない。
その決心を揺るがせないために選んだ時間だった。
「いや、部室は人多いからさ」
いざとなるとすごく恥ずかしい。
首をかしげる彼女に、ふう、と息をはいた僕は、手にした袋を差し出した。
「これ、だいぶ遅いけどホワイトデーってことで、どうぞ」
「え……?」
戸惑っているのがはっきりと分かる。
目を見開く彼女に、僕は精一杯の笑みを向けた。
「さっきのお礼。友達へ作ったものって話だったけど、すごく僕好みの味で美味しかったよ。安上がりで悪いけど、これ、好きでしょう?」
彼女に差し出した購買の袋の中には、先輩に買ったのと同じ桜コロネと、苺の生チョコ、そして鈴カステラが入っていた。
一つ一つは百円ちょっとの安物だが、三つまとめて袋に入れたのでパッと見はそれなりの量になっている。
どれも彼女の好物のはずだ。
中をのぞいた彼女の顔が、ぱっと明るくなるのがわかった。
それだけで、心の中が温かくなるような、不思議な感覚がする。
「ありがとう、嬉しい」
僕は安堵でそっと息をはいた。
ただ、袋から顔を上げた彼女は、今度は僅かに眉をハの字にしていた。
そして、おずおずといった調子で僕に尋ねてくる。
「……渡瀬くん、気づいたの?」
「ん、何が?」
彼女が求める答えはなんとなくわかっているが、あえて気づかないふりをする。
「いや、さっき、ホワイトデーって言ってたのがちょっと気になって……」
やっぱりそうか。
ああ、と僕は何事もなかったかのように答えた。
「ただのお返しって言っても綿貫さん受け取らないかなって思ってさ。それに、ホワイトデーってやったことなかったから、贈ってみたくなったというか」
この言葉に嘘はない。
嘘に気づいていたことを口にしないだけだ。
いや、気づいていたというか――今の彼女の言葉で嘘だったと確信した、のが正しいか。
そっか、とこぼして俯いた彼女が、どこかもごもごしているのに気づいた。
静かに、彼女の言葉を待つ。
ややあって、彼女はそっと顔を上げた。
「あの、渡瀬くん」
真っ直ぐに僕を見た彼女の顔は、確かに赤らんでいて。
そんな彼女もどこか可愛らしく感じた。
「もし、来年のバレンタインに、お菓子作ったら……その時は、もらってくれる? 今日みたいに、甘さ控えめに作るから」
そう言ってはにかむ彼女を見て、すっと心の奥に浮かんだ言葉。
この半年の思考が嘘みたいに、この言葉をなぜか僕は全く抵抗なく、受け入れることができた。
「もちろん、喜んで。その時はもっとちゃんとしたお返し用意するよ」
――『綿貫さんのことが好きだ』、と。
*
さあ、と暖かな風が吹き、僕たちの頭上からたくさんの花びらが舞い降りてくる。
そっと彼女が手を差し出すと、待っていたかのように一枚、彼女の手に乗った。
そして彼女はいつもの優しい微笑みを浮かべて、メゾソプラノの素敵な声で呟いた。
「ねえ、渡瀬くん。桜の花びらを掴むことができたら、っておまじない、聞いたことある?」
綿貫さんの小さな嘘 杠葉結夜 @y-Yuzliha24
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