終章
探偵協会から直結する駅のホームに、ルードヴィッヒは十二時きっかりに辿り着いた。トランクを片手に、切符をコートのポケットに滑らせると、ベンチへと悠然と歩いていく。駅上部の硝子ドームからは、今は青空が覗いていた。
ベンチに座ってトランクを横へ置くと、足を組んだ。
コツコツいう足音が自分の方へと近づいてきて、視線を向けると、青いロングスカートと、コルセットに身を包んだ女が立っていた。
「あなたの事務官が怒ってましたよ」
二人がいる駅は、探偵協会から直結する駅の中だった。外から来る人間はもとより、中から出ていく人間も大抵が此処を利用している。
「やあ、アリア」
女はベンチの隣に座りこむ。ルードヴィッヒと同じく、旅行用のトランクを手にしていた。
「きみだって、同じくらいこき使ってるんじゃないのか?」
「ご挨拶ですね。私は使ってません」
どうだか、と思いながらも、待ち時間をこうした世間話に費やす事に抵抗はなかった。
「それで、何を怒ってたって?」
「なるべく早く資料を出せというから調べたのに、次の手紙ではもう要らない、と一言書かれていたと」
「あっはっは!」
「何笑ってるんです?」
「面白いからだよ」
ルードヴィッヒは協会に帰ってきちんと事務官とまだ顔を合わせていなかった。あれから報告書を書くからという理由で人払いをしていたし、それはある種の探偵からすれば当然の事だった。ルードヴィッヒは顔を合わせるのが気まずいというような繊細さは持ち合わせていなかったし、事務官の方もそれを理解していただろう。
「そういうきみだって」
ルードヴィッヒは言い返すように切り出す。
「人狼狩りを成功させていたみたいじゃないか?」
「やだっ、どこで聞いたんですか」
アリアは本当に嫌そうだった。
「捜査の途中で」
「探偵業というのは嫌ですね、自分がやった事がすぐに同業者に知れ渡って」
アリアは見かけだけなら、通りを歩いている女と変わらない。何か特殊な技能があるようには見えないし、探偵と名乗らなければアリアは――ルードヴィッヒもそうだが――ただの人だ。
「ちゃんと撃ち殺して解決したんだろう」
「ええ、まあ」
「さすが鉄の女」
「やめてください」
バシンと音がして、ルードヴィッヒの髪型が痛みとともに崩れた。
「何も殴る事はないじゃないか」
「殴りたくもなります」
「……そうかい」
ルードヴィッヒは溜息をつくように黙った。
沈黙が続いたが、まだ時間には早い。
「ところで、そちらの人狼事件はどうなったのですか」
先に沈黙を破ったのは、アリアの方だった。
「なに、解決はしたよ」
「それは知っています。後始末の方ですよ」
「今日の新聞に載っていた。地方欄だがね」
ルードヴィッヒは持っていた新聞をアリアに渡す。
アリアはその新聞を受け取ると、開いて該当の記事を探して目を動かした。
「そこのページ――そう、それだ。殺された男――パーシィ・ピックマンは、公には狼に殺された事になってる――しかし、町の人間は人狼に殺されたともう知っているだろうね。とはいえ、まさか間違いで殺されたとは思うまいよ」
ルードヴィッヒは肩をすくめる。
「家はカーターが継ぐそうだが、実際は末弟のアーサーが取り仕切るそうだ。カーターの片目が残念な事になってしまったのでね。依頼人はカーターの方だというのに、とんだ手落ちだよ」
「でも、特に御咎めはなかったんでしょう」
「まぁね。それどころじゃなかったんだろう」
アリアは記事にもう一度目を通すと、丁寧に畳んでルードヴィッヒへと差し出した。
それを受け取り、膝の上に置く。
「ところで、事務補佐も見つけてきたとか」
「ああ。次の9月から、うちの部署で珈琲を淹れたり紅茶を淹れたり掃除したりしてくれるよ。この事件で知り合った」
「どんな人なんです?」
「今年の9月に義務教育を卒業する子供だよ。しかも人狼に一発お見舞いした」
さすがにアリアも目を丸くして、ルードヴィッヒを見た。
当のルードヴィッヒは視線を向ける事はなかったが、その反応に面白そうに笑った。
「上としても、魔法の世界に触れた者の保護と監視の意味もこめて、ちょうど良かったんだろうと思う。あと、給金が成人より安いし」
「それは本当に理由なんですか? 年齢や魔法事件に巻き込まれた事を考えても、少し奇妙な気がしますが」
アリアは溜息をついた。
「……手が増えるのはいい事だよ。どんな意味でも」
「あなた、何か隠してません?」
「別に何も。ただ、一つ問題があるだけさ」
「なんです?」
「最初、探偵助手になりたいと言ったんだよな」
「別にいいじゃないですか。事務を経て探偵になった者もいます」
「そういう事じゃなくて。僕らの所は中々個性派揃いじゃないか。僕以外」
「あなたも充分個性派ですよ」
アリアの声は冷ややかだ。
「……ともかく、個性派揃いじゃないか」
「はい」
「あの純粋そうな子が、きみみたいになるのはちょっと、と思って」
「どういう意味ですか」
またバシンと音がして、ルードヴィッヒの髪型が痛みとともにもっと崩れた。
「いちいち殴らないでくれるかな」
「殴りたくもなります」
「そういう所が似たらさすがに嫌だなぁ、と」
「大丈夫です。あなたと似る方が問題ですから」
つんとして答えられると、ルードヴィッヒはますます不安が募った。
「ところで、どこに向かうんだい?」
話題を変えるように尋ねる。
「私は仕事です――あなたは?」
「ちょうどその事務補佐予定の誕生日会に呼ばれたところだよ」
アリアの表情が僅かに動き、おや、というような顔になった。
「それはおめでとうございますと伝えてください」
ルードヴィッヒは意味ありげに笑ってから、立ち上がった。
「わかった」
到着した飛空艇は、船体の真横に生えた人工の翅を小刻みに揺らしながら駅に入ってきた。船の形がすべて構内に収納されると、翅が次第に停止していった。蒸気の音が響き渡り、白い煙が駅の中に充満していった。
扉に向けて駅のホームから鉄の橋が伸びていく。ホームの反対側の入口から、地上からやってきた船の乗客たちが降りるのを待ち、ようやく扉は開いた。他の乗客たちと一緒に、二人は悠然とコンパートメントへと歩いた。
きっかり三十分後、駅から――天空に造られた人工島の空港から飛空艇は飛び立った。
既に見慣れた森の中の一軒家を訪ねると、すぐに赤い瞳が飛び込んできた。
「探偵さん!」
「やぁ、ロビン」
コートを脱ぎ、コートハンガーにひっかける。
今日は野暮ったい眼鏡はせずに、綺麗に手直しされた赤いワンピースを着ている。その様子に軽く笑むと、せっつかれながら奥へ向かった。
元森番小屋だったという一軒家の中は、すでにその気配はない。ドライフラワーやジャムの瓶が陳列されていて、よくある簡素な場所ではなかった。
奥では老婆がロッキングチェアに腰かけて、柔らかな笑みを浮かべている。
今日はスカートにエプロン、毛糸のカーディガンといった、物語の中から飛び出てきたような恰好をしている。この間、狩人の服に身を包んでいたのと同じ人物とは思えない。
「こんにちは、マチルダさん。身体の具合はどうですか」
「だいぶ良くなったわよ。むしろかすり傷だっていうのに、ロビンが寝てろって」
ロビンがキッチンへ向かうのを見送ってから、マチルダは声を潜める。
「でも悪いわね、探偵さん。わざわざ来てもらっちゃって」
「ご招待されましたので」
ルードヴィッヒが簡潔に言うと、マチルダは少しだけ小さな目を見開いたあと、緩やかに笑った。
キッチンの方から音がして、ロビンが紅茶とケーキを運んでくる。
「ロビン。誕生日おめでとうございます」
ロビンは最初、言われてもその言葉の意味を理解するのに数秒かかったようだった。
「……あ、ありがとう」
頬を赤らめ、はずかしそうに言う。
あまり言われ慣れていないような反応だとルードヴィッヒは思った。
「そ、それよりお茶とケーキはどう? ホールじゃないけれど」
「そうですね。いただきます」
ルードヴィッヒはマチルダにすすめられた場所に座る。
ロビンがテーブルに置いた盆の上から、三人分の紅茶とケーキをそれぞれの座る椅子の前に配っていくのを眺め、ようやくそろった時に改めてロビンを祝った。
他の探偵からの祝福もまじえると、ロビンはくすぐったいような表情をしてから、ゆっくりと頷いた。
「それと、あたしはずっと――そう、なんていうのかしら。聞きたい事ではないけど、言いたい事というか――」
ロビンはケーキにフォークを入れて言った。
「なんです?」
「あの〈子豚ちゃん〉――パーシィ・ピックマンが殺されたっていうのにも驚いたし、人狼が町の中にいたっていうし――しばらく噂は絶え無さそう」
ロビンはそう言ったが、どこかそわそわしたように尋ねる。
「でも、事実を知ってるのはほんのちょっとなのよね?」
ロビン自身も真相を知っているのだが、口止めされているのだ。自分の知っている真相と町での噂、それと公にされた情報との違いに戸惑っているようだった。
「ロビン、それは言ってはダメよ」
マチルダは釘を刺す。
「それはちゃんとわかってるわ。ただ、その――少しびっくりしてるの。それに、どこから聞けばいいのかって」
「――まぁ、間違いで殺されたなどと、納得はしないでしょうが」
「うん、探偵さんがね、何を見て来たのかあたしは知りたい」
「そうですねぇ」
ルードヴィッヒはやや宙に視線を向けて、考えるように呻った。
「その話をするには、少し時間が必要ですね。後に回してしまいましょう」
「ええ……」
ロビンは不満そうな顔をしたが、マチルダはにこにこしながらそれを見ていた。
「じゃ、じゃあ、ガルもちょっとずつ回復してるの。会う?」
「ガル。確かあの狼でしたね。そうですね、会えるのであれば」
ルードヴィッヒはそう言った後で、マチルダを見る。
「結局、あの狼は――マチルダさんのお友達でしたか」
「ええ、そうよ」
マチルダは頷く。
「ひどいわよね」
ロビンはそれにも不服そうだった。
「もっと早く紹介してくれてもよかったのに」
「あなたが怖がるかと思ったのよ」
「それは――ええと――ガルなら大丈夫だったわよ」
「ほんとうかしら」
ころころと笑う自分の祖母に、もうっ、と声を荒げながら、肘でつつくような仕草をする。
「待ってて、今ガルを連れてくる。今はもう外にいるの」
紅茶を飲み干してから、ロビンは椅子から降りて外へと飛び出していった。
その様子を見送ってから、ルードヴィッヒは紅茶を一口飲んだ。口の中を湿らすようにじわりと味を確かめたのち、マチルダへと視線を送る。
「マチルダさん。少々宜しいですか」
「あら、何かしら?」
「あなたの旦那様は――人狼は自分に傷を負わせた者に必ず報復しに来ると知っていた。だから森番小屋に移り住み、いつ自分が襲われてもいいようにした。銀の弾丸を作り、町に余計な負担をかけないために」
「あら、答え合わせかしら。その通りよ」
「でもまさか、その血をひく者まで殺しに来るとは思わなかった」
ルードヴィッヒが続けた言葉に、老婆はうっすらと笑った。
「……ええ。あの人は言わなかったの。ずっと自分が片付けるつもりでいたみたい。結局間に合わなかったけれどね。あたしたちの息子が事故で死んだのが、少なからずショックだったの。それに、ずうっと森で気を張っていたから」
「……そうですか」
「でもあたしたちは、後悔してないわ」
老婆は意味ありげに笑った。
「それと、もう一つ」
「何かしら?」
「三十五年前、初めてこの村で人狼の被害が出た時。狼の本来の被害……つまり、羊などの家畜を襲う被害も一緒にやんでいます。これは何故でしょう?」
「……さあ。何故かしらね」
「僕は狼に詳しいわけではありませんし、この森の狼についてもそうです。ピックマン邸に飾られている大狼が、狼たちを束ねる頭のような立場だったとして、それが撃たれたから、という見方もできますが――正直、もっと混乱しそうな気はします。どう思われますか?」
ルードヴィッヒはマチルダを見たが、老婆はやんわりと笑うだけだった。
「……そうですか」
言葉の無い笑みを答えとして、ルードヴィッヒは頷いた。
「私たちはね。あなたのように、蒸気と魔法の間をうろうろしているような人たちとは違うのよ、探偵さん」
ルードヴィッヒはまっすぐに老婆を見つめたが、悪戯っぽい目で笑みを浮かべるだけだった。
「それとも、私たちみたいなのはお嫌い?」
「……いいえ。よく勘違いされますが、そうではありませんよ。実際は随分と助けられる事も多い」
「あら、そうなの。噂と事実は違うのねえ」
「今回の事件のようなものでしょう」
ルードヴィッヒはそっけなく言った。
「彼女の申し出を断らなかったのも、それがあったからです。魔法の力を行使できるものは、貴重なのです。例えば、狼と友人になれるとか」
「あの子の母親にねぇ。どうやって説明しようかしら」
「……そこはお任せします」
「そこはお任せしないでほしかったわね」
玄関が開く音がした。
ルードヴィッヒは、すっかり慣れた様子で狼を連れてきたロビンに――緩く笑った。
了
赤ずきん事件――または探偵ルードヴィッヒの憂鬱 冬野ゆな @unknown_winter
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