思い出せないと彼女は云った3

 ハンス・ハルトヴィッツが失踪してから四日が経過した。

 しかしそのことは決して記事になっていない。知っている者も彼の身近にいた者か、警察内部でも一部の人間に留まっている。もちろん失踪届も出ており本来ならば捜査をしなければならないのだが、上層部からそのような命令は一切下されていなかった。つまり現場の人間はその件に関し一切動くなと言われているようなものである。

 だが、事実としてハンス・ハルトヴィッツは失踪していた。彼の友人を名乗る生徒達からも毎日のようにどうなっているのかと連絡が来るだけではなく、記者のアンドレアフからも問い合わせが来ているのだ。スティーブではなくても、何かがおかしいと勘付く人間はいる。

 しかし何も打ち合わせはしないし、担当に付く人間もいない。命令がないのだから当たり前なのだが、さすがに異常事態だった。

 あり得ない事だと誰かが呟いているだろう。


(あり得ることだ)


 スティーブだけはそう思っていた。こうなることは十分承知済みだったのだ。ハンス・ハルトヴィッツの名前を聞いたときからこうなることなどわかっていた。自分では止められないことも。──自分の家の中で散乱している新聞を掻き集めながら、自分の無力感に打ち拉がれる。結局『あの時』は何も出来なかったというのに、今回もまた完全に後手へと回っている、いや、それ以前の問題だ。歯噛みしてもしたりないほどに何もできてなどいない。

 彼はどこかに連れ去られた。ほぼ間違いなく何者かによって攫われたのだろうとスティーブは考察している。彼がただ神官学校に通っているだけのそこらの生徒と同じならばこんな事態になっていなかったことだろう。だが彼は自ら動き、スティーブですら全貌が掴めていない事件に誰よりも深く関わったのだ。アンドレアフの報告によってハンス・ハルトヴィッツが同じ事件に関わっているのを知ったときはさすがに背筋が凍る思いがした。――スティーブにとって、その少年はそれほど特別だったからだ。


「全ては七年前か」


 自宅の中で資料をひっくり返し、もう一度七年前の事件を調べる。

 だが欲しい情報が何もない。スティーブの記憶している事件は全ての記録上から抹消、あるいは最初から記録などされていなかった。


「そこがおかしい」


 七年前、スティーブはどこか知らない別の場所に監禁されていた。今でも場所が思い出せないが、ある部屋に閉じ込められていたことははっきりと記憶している。一つの部屋に七人の子供が閉じ込められ、何かの実験を受けていたのだろうと予想されるが、一体何の実験だったのか、そこまでは今でもわからなかった。

 大人達は毎日一人の子供に目隠しをさせて部屋から連れ出した。しばらく歩いてから目隠しを外されると、そこには窓一つない小さな部屋があり、中央には机と椅子、そして数枚の用紙とペンが用意されていた。その用紙にはトンチを効かせた質問ばかりが載っており、それを解けとどこかから声が流れてくるのだ。一日かけて彼らの『勉強』を受け、また目隠しをされて部屋に戻された。

 それにどんな意味があったのか。どうして自分は七年前までそこにいたのか。部屋の中にいた子供は誰も疑問に思わなかったのか。

 彼らにはもちろん名前があったが、大人達は彼らを誰も名前で呼ばなかった。全て数字を表す単語で呼んでいた。その中でもっとも最年長であるスティーブはその時「アインズ」と呼ばれた。


 ──ハンスは『ゼックス』と呼ばれていた。


 その事を思い出し、今から一通りの数字と子供の顔を思い出そうと努めてみる。

 当時の名前こそ違うが、スティーブはアインズ。

 二人目の子供はイアン──ツヴァイ。

 三人目は名前を忘れてしまった。ドライ。

 四人目も覚えていない。フィーア。

 五人目は……駄目だ、思い出せない。フュンフ。

 六人目はハンス。ゼックス。

 そして、七人目は──


(七人目は……)


 妹のような存在だった。彼女だけが子供達の中で最も特別だった。

 六人の年上の子供達から妹のように可愛がられ、実際、スティーブも彼女を本当の妹だと思っていた。

 ズィーペンと呼ばれていた少女。本名はなんといったか。思い出せそうで、小骨が喉に引っかかったようなもどかしさのように記憶の底から流れ出してきてくれない。


「どちらにしろ、彼女は死んだんだ」


 一番下の子供はその施設の最終日に、何者かによって殺害されることとなる。その場面を目撃したスティーブだからこそ確信してそう言い切れるのだが、その犯人は今思い出してみてもおかしかった。喪服のような黒い服装に、大きな何かを持っており──

 ──死んでしまったから思い出せないのはおかしいだろう。死んでしまったからこそ、印象強く残っているのではないのか。

 しかし何年も一緒にいた三人が思い出せないのはどういうことだ。


(死んだから……思い出せない?)


 そんなことがあるのか?──あるはずない。人の記憶を操作出来るのならば、それは完全犯罪が可能になることを意味する。だからあり得ないのだ。

 そういえばと、ある事を思い出す。オカルト的な話になってしまうので、スティーブとしてはあまり考えたくないことだった。三人目と四人目と五人目は、妹が殺されたときに『死んだ』のではなかったか?


(なら、どうして俺は生きている……?)


 自分が生き残り、二番目が生き残り、ハンスが生き残ったのはおかしい。偶然あそこを逃げられたというのだろうか。あの監獄の中を?


(謎が多すぎる。そもそも、あの施設は一体なんだったんだ。どれだけ調べても見つからない……)


 近くまで来ているはずなのだ。

 彼が偽名を使ってまで警察という組織に身を置いたのは、その組織を追うためだ。そして一番下の妹を殺した人間を自分の手で逮捕するためでもある。復讐心からここまで駆け上ってきたが、どん詰まりになってしまったのは認めざる得ないだろう。自分達七人を一つの部屋に閉じ込めた組織だ。もしそれなりの規模の組織か、あるいはこの国そのものが関わっている実験だとしたら……その権力を以て警察へ介入してきてもおかしくはない。それらの組織がハンスを監視しており、彼を拉致したのだとするなら、警察上層部へハンス失踪の件から手を引くように呼びかけている可能性は否めない。


「その組織は近いはずなんだ。ここで」


 なんとなく警察手帳を睨む。

 あの施設からどうやってか逃げ出したとき、彼ら三人はこの町にいたのだ。

 ケープと呼ばれる町にいたのだ。

 数日狂いのミュラーの死、その男の妻、ショパンズ家、巡回神父に関する噂、ハンスの失踪。

 彼らに一体何があったのか。偶然か、必然か。人の手による作為的なものによって全て引き起こされたのか。


 ──何にしろ、全てはケープ市で起こっている。


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死神少女 平乃ひら @hiranohira

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