駿府

『胃が痛い』


 まだ木の香りが残る駿すん城大広間で、真田信幸にはそれと知れぬように、小さくため息を吐いた。綿服めんぷく綿服で包んだ六尺の体を折り曲げ、ちぢこまっている。

 とは、即ち徳川家康の家臣達だ。それも徳川家だいの家来達――気性が激しく、扱いが面倒だと評判の――かわ共である。


 上野こうずけぬまの領有争いをしていたさなまさゆきとくがわいえやすが、とよとみひでよしの仲介により和議を結んだのは、天正十四西暦一五八六年のことであった。

 この時、信濃の小豪族に過ぎなかった真田家は大名の扱いとなり、徳川のりきとして、名目上その勢力下に組み込まれた。

 といっても、実のところ昌幸――というか、真田家は、秀吉から妙に気に掛けられていて、もっぱら豊臣の直臣のように扱われ、働いている。

 当主昌幸は本領上田三万八千石と沼田領二万七千石を安堵されているし、次男の源二郎信繁には父兄とは別途に一万九千石が与えられて馬廻衆に取り立てられていた。とよとみ姓をされるに重要視されている彼らの身は、常に京・大阪にって、本領上田にも戻ることがほとんどなかった。


 さてそれはともかくも。


 争っていた武家の間で和議が成ったという場合、おおよそ証人、すなわち人質を取り交わすものだ。

 徳川から真田への証人ひとじちは、徳川家臣・ほんただかつが娘のいな姫であった。

 彼女は家康の養女・まつ殿として、真田昌幸の嫡男・源三郎信幸に嫁ぐことと決まった。

 そして真田から徳川への証人は、その信幸自身である。

 信幸は故郷と親の元を離れ、徳川家康の居城・駿府に出仕することに相成った、という訳である。



 居並ぶ徳川家臣団の内のいくつかの顔を、信幸はよく見知っている。

 ついこの間、上田城下で……後の世で「第一次上田合戦」であるとか「かんかわ合戦」などと呼ばれることとなる戦場で……見かけた顔だ。

 信幸自身がさんざんに翻弄し、さんざんににした、敵の武将たちである。

 逆から見れば、彼らにとって信幸は、悪く言えば元々敵将であり、良く言ったとしてもしんざんものの若造に過ぎない。その席次は末の末、一番の末席だ。


 信幸は広間の隅に座った。一番後ろの列のその又後ろ、人の背中と襖の間の狭い板間にちんまりと座っている、

 その末席に、居並ぶ者達の間を無理に通り、小身の者達を押し退けて割り込んで、信幸の隣にどすりと座った者がいた。

 背丈は信幸よりも幾分低いが、を束ねたような筋肉の付いた引き締まった体躯からだの上に、ごつごつしたいわおのような顔を乗せている。

 ほんへいはちただかつ――真田源三郎信幸の新妻の実父、である。

 三河以来の徳川譜代の家臣であり、重臣でもあるその彼が、信幸が座らねばならない末席に並んで座って良いはずがない。


婿殿、顔色がわりぃな」


 穏やかに微笑しつつ低く鋭い声音で言う殿に、信幸は小さく頭を下げた。


「お歴々の皆様を前に、己の小ささを感じ入り、なにやらもの悲しい心持ちにございまして」


 大柄な背丈を丸く縮こめて小さく折りたたむようにすぼめた信幸の両肩へ、忠勝の大きな掌が二つ、ドスンと落ちた。


「抜かせ。この六尺豊かな身の内に収まる肝っ玉が小さい筈がなかろう」


 雷が落ちたかと思うほどに大きな声音で言い、城が崩れるかと不安になるほど大きな声音で笑う。

 当然、人々の視線は集まる。左右の者とひそひそと言葉を交わす者あり、失笑する者あり、また忠勝同様に大笑する者もあった。

 笑い声が満ちる中、忠勝は小さく、


「それとも、その肝の小さき男に、散々な目を見させられた儂らは、なおの小心者と言いたいか?」


 言って、にたりと笑う。底意地の悪い、同時に楽しげで嬉しげな笑みだった。

 信幸は薄く微笑した首を横に振り、今一度小さく頭を下げた。


『胃が痛い』


 下に落としたまなこで床板の目を数えながら、信幸は忠勝の笑声が止むのを待った。



 さて、じょうの段となった。信幸の足取りは重い。

 いや、彼自身は一刻も早く城から下がることを願っている。足早に進みたいのだが、どうしても幾度となく足を止めざるを得なかったのだ。

 舅の本田忠勝ばかりではなく、上田合戦のおりに対陣したなおまさとりもとただといった諸将が、代わる代わる彼を呼び止め、あるいは呼びつけるからだ。


 中でも井伊直政はようだ。


 井伊家は、元を正せば徳川と敵対していたいまがわ家の家臣の家柄である。

 徳川家の旧来の家臣でないという点で、初期の直政の立場は今の信幸と近い部分があったと言える。

 体の大きさも良い勝負だ。直政の背丈は信幸よりも僅かに低い。おそらくは六尺およそ182cmにはほんの少し届かないといった所だろう。しかし、胴回りの肉付きは、全体的に肉の薄い信幸よりも遙かに良い。じょうだった。


 まだまんと名乗っていた頃、ほとんど身一つで家康のしょうとなった直政には、自分自身の家臣というものがいなかった。長じて今は、へいどんの後に下った武田の旧臣達を与力として従えている。

 その旧武田家家臣というのは、すなわち、


おんの同僚であった」


 そういった直政の声には、押し殺した静けさがあった。


 真田は元々武田の家臣だ。徳川と武田が戦い、徳川が敗走した「かたはらの戦い」には、信幸の父・昌幸がとうひょうの名で参陣している。信幸にしても、そのいみなの「信」の一字は、武田しんげんはるのぶからのへんたまわったものである。


「確かに、知らぬ訳ではない者が幾人もお世話になっておるようです」


 その顔見知り達は新しい主君に「古い同僚」のことをなんと評し告げたものであろうか――信幸は心中で苦く笑った。

 直政は、


どもおんとはえにしが深い」


 ぽつり、と言うと、後は無言で僅かに頭を下げ、去った。

 この二言三言の会話が、彼を良く知る者からすれば


「大分にご執心の様子」


 と映るらしい。


 井伊直政は平素はひどく無口だったのである。

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