第3話 術者

 非番の日、月人は銀行に来ていた。口座が満期を迎えたので、継続手続きをしに来た。

 銀行は混雑していた。長い待ち時間を、スマートフォンをいじりながら過ごす。

 隣に、スーツケースを持った男が座った。ケースを開ける音がするが、月人はとくに気にせずメッセージを打っていた。

 右のこめかみに、固い感触。

「騒ぐなよ」

 見ると、拳銃が押し当てられていた。無精ひげの、40代半ばくらいの男だ。目だし帽などは被っていない。

「立て」

 男に後ろから肩を掴まれ、立たされる。

「動くな! 全員手を頭の上に置け!」

 男には他にも仲間がいて、二人の若者がそれぞれ客と銀行員に銃を向けていた。

 客と銀行員は怯えながらも素直に従った。

 そして、若者の一人がバッグに金を詰めるよう指示した。もう一人は客たちを威嚇している。

「……オッサン、ええ年こいて銀行強盗かいな。そんなに切羽詰まっとるんか?」

「喋るな。撃つぞ」

 客たちが震えあがる。

「人殺してまで金欲しいんやったら撃ったらええ」

「なんだと?」

 しかし男は、すぐに月人を撃ち殺そうとはしない。

「その銃、本物なん?」

 仲間の若者の一人が、天井に向けて一発撃ち、にやりとして見せた。客と銀行員が小さく悲鳴をあげる。

「ちゃうちゃう、俺が言うとんのは銃や。ちゃんと撃てるか? よう見ぃ」

「何を言ってる」

 男が不審がって銃を確認したそのとき、月人は右手で銃身を握り、親指で押し上げるようにして上へ曲げた。

「やっぱり柔らかすぎるんちゃうか」

 若者が二人ともこちらに銃を向けた。月人は無精ひげの男の首根っこを掴んで引き寄せ、盾にした。

「お前ら、どこのもんや? 銃は見たところ中国製やが、中国人か?」

 月人は後ろから男の喉を握る。

「このオッサンの命が惜しかったら答えろ。片手の握力だけで、首の骨ぐらい折れるで。どうでもええんやったらオッサンごと撃て」

 若者たちは何も言わなかった。いや、状況を把握できずに動揺していた。まさか最初の人質が、逆に仲間を人質にしてしまうなどという状況が想定できるはずもない。

 銀行中に警報のベルが鳴り響いた。注意が逸れた隙に銀行員の一人が通報ボタンを押したのだ。

 若者が窓口に振り返った瞬間、月人は男を投げつけた。二人はカウンターで頭をしたたかに打った。

 もう一人の若者はその光景を見て呆然としていた。

 反射的に月人を撃つことすらできないらしい。

「さあ、もうこうなったら無事に逃走できへんぞ。ここにはじきに警察が来る。まあ、人数少なすぎたんちゃう? 最低でもあと一人、金庫に案内させる役は必要やったな。そいつがおれば、別の出口から出られたかもしれへんのに」

 これはカマかけだ。他の仲間がいないことが前提のこの発言を聞いたときの反応によって、本当に仲間がいないかどうか確かめた。

 どうやら仲間はいないらしい。若者は顔を青ざめさせている。

 しかし銀行強盗にしては中途半端やな、と月人は思った。あまりに場当たり的だ。普通はもっと綿密に計画を練り、窓口で騒ぎを起こす役と金を盗む役に分かれて、騒ぎになるころには金を盗み終わっているというのが、スマートな銀行強盗というものだ。

 窓口で騒いで現金を持って逃げるだけなどという計画では、どのみち足がついてすぐに逮捕される。窓口でトラブルが起きればそれだけで計画は頓挫する。

 もっとも、人質に仲間を奪われるなどという事態は想定しようがないが。

「俺を撃ち殺してもええよ。何も盗れんで、ただの強盗殺人犯として捕まってもええんやったらな」

 男と衝突したほうの若者が立ち上がって月人に銃を向けた瞬間。

 銀行強盗三人の体が、宙に浮かんだ。



「何や!?」

 見回すと、身を縮こまらせて怯える客たちの中で一人だけ、立っている者がいた。

 髪を銀色に染めた、10代後半くらいの青年だった。色白で、背が低く、白い長袖シャツにオリーブグリーンのカーゴパンツ。首には軍用認識票がぶら下がっている。

 青年は右手を前に突き出し、ゆっくりと上に移動させていく。

 それに合わせて、強盗たちの体も天井近くまで持ち上がっていった。

「お兄さんは強いけど、丸腰で他の人もいるところでそんなに挑発しちゃダメですよ」

 青年は笑顔で言った。声が高い。

「お前……術者やな」

「はい。僕を捕まえますか? お兄さん」

「ぁん?」

 捕まえるという単語が出たということは、月人が警察官であると知っているということだ。

「降ろせ! どういうことだこのクソガキ!」

 無精ひげの男が空中でもがく。体が急速に持ち上がり、天井で頭を打った。

「痛っ! 痛っ! 何回も、ぶつけるな!」

 青年は三人の頭を何度も天井にぶつける。

「黙ってください。何もできないくせにうるさいんですよ。もう終わりなんです」

青年は、客たちのほうに笑顔で振り返った。

「みなさん、もう大丈夫です。全員逃げてください。さあ、お兄さんも」

客たちは、一斉に逃げはじめた。強盗の危機は去ったが、青年の魔術に怯えている。

三人の強盗は、天井近くでなす術なくその様子を眺めていた。

「俺は残る。お前には詳しく話を聞かなあかんからな」

こうなった以上、月人は仕事をせざるを得ない。

「僕は、あなたと長話をするわけにはいかないんですけどね」

青年が右に手を振り払うようにすると、強盗たちは右にあった大きなガラスをブラインドごとぶち破って外に放り出された。

青年もそこから外に出る。月人が追って出ると、そこにはすでに駆けつけた警官隊と強行係の面々が揃っていて、その後ろには報道カメラつきの取材班が数組いた。出てきた客たちに話を聞いている。

警官隊は おそらく、外で突入のタイミングを測っていたのだろうが、いきなりガラスを破って飛び出てきた強盗たちに騒然としている。

青年は正面入り口の前に立ち、また強盗たちを持ち上げ頭上に持ってきた。

「強盗はもうこの通り、完全に無力化しました。連れて行ってください」

人を持ち上げる銀髪の青年に注目が集まる。どよめき、カメラのフラッシュが焚かれた。テレビのキャスターたちが興奮ぎみにその様子を実況する。

「僕は術者です。こんなふうに、人々を救える術者になるために努力してきました。これからもそうします」

そう宣言すると、青年は走ってその場から去ろうとした。

「待てやコラ!」

月人は人ごみをかきわけ、正面に立つ人間を跳び越えて青年を追った。

「お兄さん、僕を捕まえるんですか? いったい何の罪で?」

月人の足が止まった。青年の言葉に戸惑ったからではない。

青年の右手が前に出され、後ろに引かれ、また前に勢いよく突き出された。すると、月人は後ろに10メートルほど飛ばされる。

月人は空中で後ろに大きく体を反らせ、地面に手をつき、バック転の要領で体勢を整えて着地した。

「罪なら今できたわ! 公務執行妨害じゃボケェ‼︎」

月人は警察手帳を見せながら叫んだ。

すでに青年はかなり遠くまで逃走している。月人は久しぶりに、全速力で走った。

青年の脚はそこまで速くなかった。脇道のT字路で、手を伸ばせば届く距離にまで迫った。

「諦めろ、悪いようにはせえへん」

青年は急に立ち止まり、月人に振り返った。月人が肩を掴むと、青年はポケットから手のひらに収まるほど小さな容器を取り出して月人に向けた。

シュッというスプレー音とともに、月人の目と顔に激痛が走った。

「がっ……ぁあ……!」

思わず、顔をおさえて膝をついた。

この痛みはおそらく、カプサイシンを主原料とした痴漢撃退用スプレーだ。

「ごめんなさいお兄さん。僕らはまだ、捕まるわけにはいかないんです。だって、僕らの魔術を必要とする人はきっとまだたくさんいるから」

青年は少し申し訳なさそうに言った。走る足音が遠ざかっていく。

「う……くそっ」

痛みで目を開けることもできない月人は、みすみす逃走を許すしかなかった。

「……なんでそこは魔術ちゃうねん!」

四つん這いで拳をアスファルトに打ち付けた。アスファルトがへこんだ。



なんとか立ち上がったが、目が開かないので走ることもできない。

ふらふらしながら、建物の壁に手を擦りつつT字路を脱出した。

電柱に正面衝突する。

「痛ぁ……」

泣いた。

カプサイシンが目に染みて、涙が止まらない。

「月人? 大丈夫か、なに泣いてんだ」

ふいに、男に声をかけられた。

「そのエエ声は、星陵せいりょうさん……」

月人を名前で呼ぶいい声の先輩、星陵せいりょうかのえだ。

月人より背が高く、声は低く柔らかだ。髪も、ゆるい癖毛。少し香水の匂いもする。

「ちょっと、肩か手ぇ貸してくれます?」

「おう、掴まれ。どうしたんだよお前は」

星稜は、力まかせの月人よりも術者の検挙率が高い。尊敬する先輩だ。

「いや、とんがらしスプレーかけられて……」

「ついに女の子に乱暴なことを……」

「なんでですか。ちゃんと仕事してたんですよ。取り逃がしてもたけど……。っていうか痛っ。どっか適当な、トイレにでも連れてってください」

歩きながら、月人は状況を聞いた。

銀行強盗と銀髪の青年の事件は生中継され、青年が月人を吹き飛ばすところもばっちり映っていた。

無線で、星稜は湊川に月人のことを報告した。

「また警察の失態やとか言われるんかな……。ホンマすいません」

「まあ、物議を醸してるよ、いろんな意味でな」

「いろんな意味?」

 二人はマクドナルドへ入り、トイレの洗面台で月人は顔と目を洗った。

「いろんな意味、て、どういうことなんですか」

 やっとまともに目を開けることができるようになった。星陵はシニカルな笑みをうかべている。

「お前が追いかけてた術者な、あいつ、ちょっとした英雄になっちまってるんだよ」



 課室には、湊川とヒカルがいた。

「主にインターネットで、あの生中継の反響が広がっています」

 ツイッターも巨大掲示板も、その話題で持ちきりだ。近くにいた目撃者がスマートフォンで撮った動画もネットに上がっている。

 そこには、強盗を捕まえた銀髪の青年と、乱暴な言葉を吐いて青年を追いかける月人の姿が映っていた。

「ど、どうしよう……。ネットじゃ、あの術者の子がヒーローで、東灘くんは完全に悪者だよ……。『ボケ』とか言うから……」

 ヒカルがいつにも増してオドオドしている。

 月人の柄の悪さについては湊川や星陵からもたびたび注意を受けていたが、動画に残ってしまったせいで兵庫県警のイメージもかなり下がった。

「月人の態度はともかく、今回は《あの術者は警察の敵たりうるか》というところで議論を呼んでいるらしい。あいつは、銀行強盗を捕まえた。そして、人々を救う術者であると宣言した。アメリカンコミックみたいなヒーローに見えるだろうな。そして、そんなあいつを捕まえようとする俺たち警察は悪役だ。ヒーローものにありがちな、唾棄すべき国家権力というわけさ」

 どう見ても、星陵の言うような見方しかできない。少なくとも外から見れば、そうだ。

「俺、中では結構頑張っとったんですよ。人質になって、銃押し付けられて。余裕ぶって喋りながら、反撃もした。それをあいつが全部掻っ攫っていったんです」

「それは知りませんでした。銀行内の監視カメラには細工がされていて、事件の時間帯には過去の通常業務の光景が映るようになっていました。東灘くんの言うことは嘘ではないでしょうが、それを証明することはできません。ちなみに強盗の三人は銀行に監視カメラを取り付けた、セキュリティ会社の人間だったそうです」

 湊川の手にはもう資料があった。自供はかなり早く取れたらしい。

 淡々と湊川は続ける。

「問題なのはあの銀髪の術者の身元です。彼が何者なのか、まだ特定できていません。前科マエもなし、指紋も採取していません。メディアに取り上げられてしまった今、一刻も早く身元を判明させよと、上からも命令が下っています」

「その一方で、犯罪者ではなく、しかも強盗の逮捕に協力した術者の検挙を疑問視する声も上がっている――魔術取締法自体のあり方が問われているんだ」

 確かに、魔術はまだ未確認の部分が多く、その種類はそれこそ術者の数だけある。そんな千差万別の魔術を十羽一絡げに取り締まるという方針は、横暴に思われても仕方のないところがあった。





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魔術禁止! 大槻亮 @rosso

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