望まぬ邂逅



自室に戻ったロアは、ふと息を吐くと、そのままベッドに倒れ込んだ。

緊張の糸が切れ、立っていられなくなったのだ。

絶え間ない耳なりと頭痛、ふと気を抜けば意味のわからない幻影が視界をちらつく。

レニアと別れてから、どうやって戻ってきたのかすら分からない。

レニアの声がまだ耳に残っている。

先ほどの会話が何度も繰り返し再生される。

なぜ、レニアはルーもしらないルーの秘密を話したのか。そもそも、レニアはロアの事をどう思ったのだろうか。

考えることが恐ろしい。

レニアに、どう思われたのか恐ろしくて考えたくない。

突如、視界が歪む。地面が揺れているような気さえする。

急激な変化に耐えきれず、ロアは目を瞑った。

理由は、分からない。ただ、気付くとこんな状態に陥っていた。

心当たりがあるとすれば、ルーの記憶の閲覧だろうか。城に着いてから、ロアはずっとルーのふりをしてきた。その影響だろうか。

考えようとすると、他の事に気を取られてするりと指の先からこぼれていく。

幻聴が酷くなると共に、一つの衝動がわき上がる。


おなかすいた。


視線を漂わせるが、この部屋にはなにもいない。

人間は、その魂は、無い。

無意識に魂を求めている事に気づき、ぎゅっと目を瞑る。

これは、この飢餓は、魂喰らいの餓え。

近くに人も死した者の魂も無いと言うのに、酷く腹がすいている。初めてのことだ。

食べなければ餓えが少しずつ悪化して行く事は分かっていたが、食べてもさらに酷くなる悪循環だと知っている。

魂を喰らってはいけない。食べたら後戻りできなくなっていく。

そう言い聞かせてきたが、餓えが始まればそんな思いなど忘却の彼方に陥りそうになる。

この部屋こそ人はいないが、声をあげれば誰かしらが現れるだろう。そいつらを殺して喰らえばいい。いや、なにを考えているのか。

だんだんと思考回路が曖昧になっていく。

「ロア?」

顔をあげると、いつの間に居たのか人がいる。

「どうしたんですかっ?!」

誰なのかも認識できない。ただ、声で男であることだけ分かる。

「こな、いで……っ」

近づくほど、衝動は酷くなっていく。

このままでは、本当に喰らってしまう。いや、食べてしまいたい。

「っ、餓えかっ」

顔を歪ませ、青年は部屋を走ってでていく。

乱れた呼吸を整えながら、ロアはそれを見送る。

もう少し、もう少しだけ抑えられれば、餓えもおさまるはず。そう過去の衝動を思い出していた。

だが--頭痛は酷くなる。




ラドクリファは焦っていた。

広い城内を走り、フェイを探す。

「フェイっ!!」

たまたま廊下でヴェントスと話していたところを見つけ、叫んだ。

「来てくれっ!!」

「えっ」

無理やり手を引いてまた走りだす。

「ラドクリファ、いきなりなんなんだっ」

少しきつめな口調で叫ぶと、慌てた様子でラドクリファは応える。

「餓えが起きたら呼べと言っていただろう!!」

はっとフェイは気付く。まさか、また起こってしまったのかと。

引っ張られて走っていたフェイは、徐々に自分からも走りだす。

「どういう状況で餓えが」

「分かりません。先ほど会議が終わって様子を見に行ったらすでに始まっていたようです。周囲に人がいなかったのでとにかくあなたに伝えようと」

「それは本当かっ」

ラドのただならぬ様子に、後ろからヴェントスも走って来る。

「あそこかっ」

ロアの部屋のドアは誰にも入れないようにと先ほどラドが鍵を閉めたまま閉まっている。

乱暴にラドは鍵を回し扉を開けた。

「ロアっ」

「なっ」

「これは……一体……」

部屋の中は赤く染まっていた。

まさか、城内の人間を手にかけてしまったのか。

ラドはゆっくりと部屋に入る。と、奥にロアが倒れ込んでいた。

近くには血に染まった短剣がある。

「ロアっ、なにが……」

駆けよると、その身体に自ら作ったのであろう刀傷がいくつも刻まれていた。

誰も、まだ殺していない。その事にほっと息をつき、そしてその酷い自傷に痛々しい視線を向ける。

「大丈夫か?」

「……ラド、クリファ? だい、じょうぶ」

明らかに平気そうではないが、ロアはゆっくりと自分で身を起こした。

そして部屋に入ってきた他の二人に目を向ける。

どちらもロアを睨むように厳しい視線を向けている。

「……ヴェントス」

「あぁ、やはり仕方ないか」

ヴェントスとフェイは二人でぼそりとロアに聞こえないように話す。

ラドが怪訝な視線を送ると、あとで教えると口早に話した。

「ロア、これ以上自分の身体を傷つけない方がいい」

フェイはそう言ってロアの元に膝をつくと傷口に手を当てる。治癒術をかけていく。

研究を主にしているフェイだが、ちょっとした術なら扱える。

「まだ考察の段階だが、君の自己再生は魂喰らいの力を消耗させ餓えの衝動を早める可能性がある。すでに衝動が起こっているがそれでもしない方がいいだろう」

「……」

答えずにロアはこくりと頷く。

「なにがあったんですか?」

ラドが問いかけると、ゆっくりだがロアは口を開いた。

ラドクリファには少しだけだが態度が変わってきていたが、まだフェイたちには以前のままだ。

「……斬ると、少しだけ気がそがれる」

「だからって……こんな……」

「誰かを傷つけたくない」

「……」

言葉を失うラドクリファと、それをただ見つめるヴェントス、そしてフェイは無言で術を操るだけだった。

その日は、それ以上の事は起こらず、ただ日が落ちていった。




朝、ロアはいつもよりも身体が軽い事に気付いた。

最近はずっと不調だったのだ。そして、昨晩の餓えの暴走である。

おそらく、魂を食べていないせいだろうとフェイは言っていたが、真相は解らない。

オリヴィアたちと朝食を済ませると、ロアはヴェントスに呼び出された。

ヴェントスに呼び出された部屋に入ると、なぜかフェイまでいる。

そして、なぜか朝食時の服装からうって変わり、普段の私服となっている。

「ロア、来て早々悪いが、この服に着替えてくれ。今日は、城下に行く」

渡されたのは、そこらで売っている安価な服が一式。説明も少なく、ロアはヴェントスにせかされて着替える。

そして、城の裏口から静かに出ることとなった。


記憶を失い、初めて見る町は未知の世界だ。

ロアはきょろきょろとあたりを見回しながらヴェントスについていく。が、ふと気を抜くと見失いかけてしまう。

それに気づいたフェイがロアに合わせてゆっくりと歩いていた。

「そんなに、珍しいか?」

フェイからの問いに少し考えた後、首をかしげる。目の前の光景が珍しいモノではない事は知っていたが、周囲を見てみたかった。

「ルーは町を良く知っているはずだが……記憶に在るのと実際に見るのは別と言うことなんだろうな」

フェイが呟くように言う。ロアはなにも言わなかった。

城壁から出ると、すぐに住宅街、それも裕福な貴族層の住む地区となった。その近辺で馬車を拾うと、市場まで行く。そこから、さらに歩いていく。

たしかにルーの記憶はある。この様な町はよく知っている。

が、フェイの言うとおりに記憶の町と実際ではまったく違う。

市のあまりの騒がしさとごったまぜになった香り、漂う熱気に圧倒されていた。

ヴェントスはそんなロアなどお構いなしに雑踏を歩いて行く。

どんどん奥へ、人通りの少なく薄暗い路地へと向かって行く。

「どこに行くのかという疑問も無いんだな……」

フェイが、ぽつりと呟く。

ロアは首をかしげただけだった。



「ついたぞ」

ヴェントスがようやく止まる。そこはさびれた路地だった。

目の前には古びた酒場。まだまだ日が昇っている時間だと言うのにすでにそこは開いていた。

そこに躊躇いながらもヴェントスは入っていく。彼の後をフェイとロアは続いた。

ヴェントスがウェイターらしき青年に話しかけると、すぐに奥へと通された。

奥は意外なことにどこまでも続く薄暗い廊下が続いていた。

今さらながら、ロアは目的地は一体どこなのだろうと疑問を抱く。

酒場、ではなさそうである。では、一体ここは何なのか。

それを聞こうと口を開いた時だった。

「着いたぞ」

ヴェントスが小声で言う。

かなりあるいた先には、門番らしき二人の男と、厚い扉が待っていた。

門番にヴェントスはやはりなにかを話し、さらに小さな手形を見せる。すると、門番は重そうなその扉を開けた。


その途端、えもいえぬ熱気と歓声、生温かい風が辺りに広がった。


「賭博場だ」

ヴェントスが小声で教える。

カードをしている者がいる、ルーレットにコインを賭けている者もいる、さらに奥では、多くの人が集まり歓声が幾度もあがっていた。

ヴェントスは迷いもせずにその人々がもっとも集まる場所へと向かった。

「これは……」

そこは、闘技場の観客席だった。

中心では、共に仮面をかぶった者たちが死闘を繰り広げている。

斧を振り回す者と剣を構える者。

地面にまき散らされた黒と赤が不吉に映る。どうみても、一人や二人の血ではない。

「非合法の賭博場だ。ここは、人死が出る事も多い」

ヴェントスが説明するが、それをロアは聞いていなかった。

ただ、その試合を――いや、その闘技場に居る者たちを視ていた。

幾つもの、死した魂が留まっている。

新たな血が地面にまき散らされる。それに伴って人々がさらに声を上げる。

そんななか、ロアはただ、彼等を視ていた。

不思議と、餓えの衝動は起こらない。ただ、少しだけ空腹感があった。

「……死した者の魂は、いるのか?」

フェイが小声で問いかけて来る。

それに、ロアはゆっくりと頷いた。

「ここに、連れて来た理由、は」

視線をどうにか外して、ヴェントスに聞いた。

「魂があるのなら好都合だ」

フェイも、それに頷く。

「なにを」

理由を、彼等は言わない。


だが、なんとなく気付いてはいた。


「……私に、魂を食べさせるために、来たのか」


ヴェントスは、表情も変えずに、頷いた。

「これ以上は、危険だ」

ヴェントスに代わって、答えたのはフェイだった。

「なにが、だ」

「魂喰らいの研究は進んでいないんだ。長期にわたって魂喰らいが魂を食べなかった場合、餓え以外になにが起こるかわからない。そもそも、君はあまりにも特異すぎる……」

「……」

これ以上餓えが酷くなる前に。未知の領域が故に、想定外の事態が起こる前に。彼等は、ロアに魂を食べて欲しいのだ。

「君が魂を食べたくないのは分かっている。だが、これ以上餓えが酷くなった時、君は理性を保てるか? もしも、オリヴィアやヒスイが……」

「それは……分かっている……」

もしも、餓えによって暴走した時、誰かを襲う事になったら……それは、分かっている。が、それでも……。

「でも……」

なにかを言おうとして、止まる。それ以上、言葉にできなかった。

この気持ちを、オリヴィアならば分かってくれただろうか。自分ではなんと言ってらいいのか分からない感情に、ロアは歯を食いしばる。

「お前は自分が魂喰らいだと言う事を自覚しろ。餓えに襲われた時、最初に殺されるのはお前の近くに居る人間なんだ」

厳しくも、まっとうなその言葉に、ロアはなにも言いかえせなかった。

ヴェントスの言うとおりだ。

ヒスイ達が最初に殺されるのだ。

「それでもっ!!」

言いかえしたい。けれど、何を言いたいのか分からない。

「魂喰らい、お前は自分の立場をわかっていない」

ヴェントスの冷たい視線を見た時、なにかが脳裏をよぎる。

突如顔をこわばらせたロアに、ヴェントスは顔をしかめた。

「どうした」

「……」

ロアは何も言わない。いや、言葉が出なかった。


『自分の立場をわかってないんだな。なら、今理解しろ。お前は捨てられたんだよ』


冷たい視線。低い声。嘲笑。引っ張られる左手。枷。

これは、なんの記憶だろうか。ルーの記憶なのだろうか。

無意識のうちに体が震える。

違う。目の前にいるヴェントスは、記憶の者ではない。だと言うのに、ロアは逃げ出していた。

「ロア?!」

止まれ!と後ろから制止の声が聞こえてきたが、それでも、止まれなかった。

誰のモノか分からない記憶が世界を歪ませ、思考を邪魔する。

恐慌のロアに逃げ出した理由は分からない。

ただ、衝動のままにロアは賭博場を飛び出していた。



それからの事は、よく解らずただ走っていた。

そして、ふと正気に戻ったのは、女性にぶつかったからだった。

ふらりと倒れかける少女を慌てて支えて、一言謝るとまた歩きだす。

そのうちに人ごみから離れ、閑静な住宅街に迷い込んでいた。小さな公園を見つけてベンチに座りこむ。

誰もいない公園で、一人だった。

「あ、……」

いや、すぐに独りでは無くなる。

後ろから、見覚えのある女性が追ってきていたのだ。

つい先ほど、ぶつかった少女だ。

「フィリカっ。ずっと、探してたのよ」

「……?」

避ける暇も無く突然抱きつかれる。

あまりにも予測していなかった事態にロアは呆然と女性を見ていた。そして、はっと思いだす。

「いったい、いままでどこに……」

涙ぐみながら、彼女は抱きしめて来る。そこからロアはどうにか抜け出す。と、彼女は首を傾げた。

「フィリカ?」

「申し訳ないが……私は……」

フィリカ、などと言う名前ではない。だが、本当の名前は分からない。

かといって、この外見はルーの物。ルーに間違えられる事はあるだろうが、フィリカと呼ばれたことは無い。

「お嬢様!」

何と言えばいいのか、言いかけていたロアを遮り、年配の男性が声をかけてきた。

息を切らせ、少女を追って来たようだった。

「お嬢様、一体どうなされたのですか……?」

はあはあと膝に手を当てて肩で息をする彼は、一息つくと怪訝そうにロアを見ながらもすぐに少女の手をとる。

「ごめんなさい、リヒト。でも、フィリカが……」

ちらりとロアを見る少女に、リヒトと呼ばれた男性もつられてロアを見る。そして、眉をひそめた。

「フィリカ……? お嬢様、認めたくはないのは分かりますが、この方はあの方ではありませんよ」

「で、も……」

「あの方は死んだのです」

置いてけぼりになってしまったロアは、なにかをすることも無いので黙って二人の会話を聞いていた。

どうやら、お嬢様とやらはロアを誰かと勘違いしているらしい。

「申し訳ありません。お嬢様はほとんど視力がなく、色彩も認識できないのです」

話が終わったらしい。リヒトがロアに謝罪をする。

しかし、少女は納得していないのか下に顔を伏せていた。

「さぁ、行きましょう。みな心配しています」

「あっ……」

リヒトに手を引かれて少女は連れて行かれる。が、少し離れた所でリヒトに何事か言うと、なぜか独りでロアの元に戻ってきた。

「さっきは突然ごめんなさい。あなたが弟によく似ていたから……一つだけ聞いていいかしら」

「なんだ」

一体彼女は何なのだろうかと思いながらロアは先を促す。

「貴方は精霊術師?」

「?」

精霊術師は精霊と契約した魔術師が名乗るものだ。ロアは記憶に在る限り精霊と契約したことは無い。だから、首を振る。

「そう……」

「だが、魔術師ではある」

「そうなのね。じゃあ、これ……この杖を、使えるかしら」

彼女は胸元を探ると、小さな赤い宝玉のついたくびかざりを取りだした。

首から外すと、それを握りしめる。すると、淡く光り彼女の背丈ほどにもなる杖となった。

複雑に枝が絡み合った先端の間に赤い宝玉が煌めいている。

「あの子が使っていた物なの。私が持っていても仕方が無いから……」

一瞬にしてまた杖は首飾りへと戻る。

ロアの手をとると彼女はそっとそれを乗せた。

「ごめんなさいね、名前も聞かず。貴方の名前はなんて言うの」

「……ロア」

「そう、ロア。……ロア……どうかこの先の道に幸多からんことを」

そっと彼女はロアを抱きしめる。レニアとは違う、温かさが全身を覆う。

すぐに彼女は離れてしまう。そして、去ろうとした。

「まって。名前、は?」

行ってしまう少女を見て、自分もまた名前を聞いてなかったことを思い出す。

お嬢様と呼ばれた彼女は、こちらを振り返って微笑みながら言った。

「私は、リーネリア。リーネリア・アルテ・シルネリア」



また、独りになった。

ロアはぼんやりとベンチに座ったまま空を見上げていた。

少しずつ空は茜色に染まっていく。

リーネリアから渡されたくびかざりを片手で弄ぶ。

飛び出して来てしまったが、その後のことを考えていなかった。

冷静になってあの時のことを思い出す。

どうして逃げ出してしまったのか……あの場所に居たくなかったからだ。そして、ヴェントスが怖かったから。いや、正しくは違う。あの記憶から逃げ出したかったからだ。

あの記憶が誰の物なのか、ロアにはやはりわからない。だが、怖ろしかった。怖かった。

自分が自分で無くなりそうで……怖かったのだ。

そういえば、ヒスイたちはどこに居るのだろうと思いだす。

城に滞在しているのは数名で、他の者は違う場所にいる。そして、旅をしている中で保護した人々は移住の手続きと住む場所が決まるまで城下町の宿に寝泊まりしているという。

ヒスイは、保護された人々の中の一人だという。母親のルチルは保護された時の礼として夜明けの使者団に協力しているのだとか。

この先、ルチルがこのまま使者団について行くのか、この城下町に住むのか、まだロアは聞いていない。

暗くなる前に城に戻らなければオリヴィア達が心配するだろうと立ちあがると、周りを見渡した。

城は日が落ちる方角とは反対に見える。もしも独りで迷った時は、一番大きな建物である城を目指せばいいとオリヴィアに言われていたロアは、その方角へ歩きだそうとした。

その時、爆発音が町中を響いた。

周囲を見渡すと、どうやら西の町を囲む壁の辺りから煙が出ていた。

なにが起こったのか分からないが、緊急事態が起こったのは確かだ。至る所から鐘が鳴り響く。

「ロア!」

耳になじんだ声が聞こえた。

道の奥から金髪の少女が走って来るところだった。

「ロア、探しましたよっ」

オリヴィアは煙が立つ方角を気にしながら言う。

その後ろからラドクリファもついて来ていた。

どうやら、ロアの事を探していたらしい。

そういえばと思いだす。あれからかなり時間がたっている。

「あの爆発はいったい……」

ラドが心配そうに爆発した辺りを見ていた。

「とにかく、ヴェントスさん達と合流しましょう。近くに居るはずです……」

ヴェントスの名前を聞いて彼とフェイの前から逃げ出してしまったことを思い出す。

足がなぜか動かない。歩きはじめたラドは不思議そうにロアを見る。

「……ロア、逃げ出して後ろめたいのですね」

「うしろめたい……?」

「顔を見たくない。罰が悪い。だから足が動かないのでしょう?」

「……」

オリヴィアは、なんでそんなに簡単にこの気持ちを言葉にしてしまうのだろう。ロアは、うつむきながら思う。

と――オリヴィアが両手でロアの手を取った。そっと握りしめて、ロアの顔を覗き込む。

「大丈夫、ですよ」

「……?」

「ヴェントスさんたちとお話ししましょう? ロアの気持ちをちゃんと言葉にして」

「……」

こくりと頷く。

握られた手が、とても暖かかった。

「話は終わりましたか? さっきの爆発もある、さっさとヴェントスさんの所に戻りましょう」

辺りを警戒しながらラドクリファが言う。あれからまた爆発など起こっていないが、なにかあったのは確かだろう。オリヴィアが頷き、そのままロアの手を引こうとした。


「どこに、行くのですか?」


静かな住宅街の中で、そこまで大きな声ではないと言うのにはっきりと聞こえた。

その声に、ロアは足を止めた。いや、止めようと思った訳ではない。だと言うのに、体は動かない。勝手に、視線はその声の主を探す。

「ロア、どうしたのですか?」

オリヴィアの問いかけにも答えられない。

ロアの様子にオリヴィアは何があったのかと顔を覗き込む。顔をこわばらせたロアの様子に、オリヴィアはようやく異常な事態に気付いた。

「久しぶりですねぇ。まさか、ここで会えるとは思いませんでした」

恐い。

恐いけれども、逃げられない。

オリヴィアの手を強く握る。自分がここにいると言う証が欲しくて。

「……なんで、お前がっ」

ラドクリファがその声の主に気づいて、叫んだ。オリヴィアもまた、その姿を確認して手で口を隠す。顔を白くして、オリヴィアはロアを無理やり引っ張り少しでも彼から距離を離そうとした。そんなオリヴィアをラドは守る様に前に立つ。彼の狙いは分からない。だが、ロアをまた彼の手に渡したくは無かった。

「ユーリウスっ!!」

憎々しげに名前を呼ぶ。

あの日の事はラドクリファは忘れもしない。あの魔術師の工房で、ルーは殺されたのだ。彼らによって!

「きさま、なんでっ」

「なんでと言われても。こちらもいろいろ忙しいんですよ」

余裕の様子で彼は応える。

そして、ロアをユーリウスは見た。

ロアの記憶の中に、彼の姿は無い。けれど、その声は――記憶を失い目覚める前から知っている。

「久しぶりだね。聖女の暗殺に失敗して死んだと思っていたけれど、まさか生きているとは思っていなかった」

ロアは何も言わない。

「さて、クロード・・・・。命令だ――聖女を、殺せ」

思わず、オリヴィアはロアを見た。

オリヴィアを離さないようにと握りしめていたロアの手が、いつの間にか離れていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魂喰らいの魔女とモルディヴァイドの精霊術師 晴蘿 @Seira0

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ