精霊術師の子
結局、やはりロアはルーのふりをして王妃レニアに逢うこととなった。
入城すると城の主であるヴァレスタ伯に歓待を受け、すぐにヴェントスやフェイ達は話し合うために会議室へと行ってしまった。そして、残されたのはルーとオリヴィアのみ。
ヒスイ達は城下町の宿で待機している。
そもそも、ヒスイや一部の人々は夜明けの使者団に所属している傭兵ではない。彼等は道中で保護された民だ。ヴァレスタ伯は好意的で、彼等を受け入れると一行を歓迎した折に話している。彼等はこの町に避難民として残るか、どうかという今後について考える必要もあった。
メイドに案内されて、城の奥へと進む。
すると、小さな庭園に面した部屋に案内された。
優しく西日が射しこむその部屋には、茶髪の美しい女性が一人。三人分のティーセットが準備された机で座っていた。
が、ロアたちが入ってきた瞬間、立ちあがった女性は、ルー……ロアに微笑んだ。
「ルーサイト、会いたかったわ。オリヴィアも、お久しぶり」
ルーの記憶よりも、少しだけ痩せた彼女はそれでも変わらない笑顔を見せる。
もしも、ここにルーがいたのならば、彼女にどんな声をかけていたのか。記憶を手繰り寄せながら、ロアは偽りの仮面をかぶる。
「ルーが怪我をしたと聞いたのだけれど、元気そうでなによりだわ」
「えっと、大丈夫だよ。レニアさんは、少し痩せたんじゃ……」
「そんなことないわ」
『レニアさん』と呼ばれた彼女は、どこか寂しげに目を細める。
ルーは王妃レニアを普段はさんづけで呼んでいる。それに、彼女は何度か苦言を告げて入るのだが、ルーは直すつもりはないようだった。
席につくと、レニアはゆっくりと旅の話を聞いて来る。
あたりさわりない内容をオリヴィアと騙っていく。本当の事も交えて、しかし隠さなければならないことは隠して。
ふと、気を抜くとルーの記憶が自分の物であると錯覚してしまいそうになりながら話して行くと、時折なんとなくルーの普段の会話と違う様な違和感に襲われる。それが、自分がルーでないことの証拠のようで、ロアはほっとしていた。
「ところで、オリヴィアちゃん、ルーがなにか迷惑かけて居ないかしら?」
「迷惑だなんてそんなっ。むしろ、毎回迷惑をかけているのは私です……」
「そうかしら? この子は魔法が使えないから……なにかあったらお願いね、オリヴィアちゃん」
「はい」
「ちょっと、レニアさん! 簡単な魔法なら使えるから! むしろ、オリヴィアを守るのがおれの役目だから!!」
城にいた頃に戻ったかのような会話に、オリヴィアは懐かしさでいっぱいになる。ロアもまたルーとオリヴィアが以前の様な関係だった時の会話に内心は胸が苦しくなる。レニアが優しくほほ笑み、ロアとオリヴィアを見つめるほど、それは強くなっていった。
そのうちに日は落ち切り、お茶会はお開きとなる。
「また、夕食で逢いましょう」
別れ際、レニアは立ちあがるとオリヴィアとロアを抱擁する。
「本当に、元気そうで良かったわ」
ロアの耳許で、レニアはそう優しく呟いた。温かい腕の中、どこかくすぐったいようなその言葉に、ロアは頷く。
「また、後で」
そして離れたとたん、冷たさと胸の痛みが襲ってきた。
夜はヴァレスタ伯の歓待を受け、小さな宴が催された。そこでも、ロアはルーのふりをする。初めのころは妾腹の子と言えど一応は王子と言う肩書上、ルーの元にはひっきりなしに人々が訪れた。それが少し落ち着くと、招かれていたレニアとほぼ一緒に過ごす。
オリヴィアもまた聖女と言う肩書からルーと同じような状態で、さらにヴァレスタ伯のもとから離れられずロアの元には居ない。そのかわり、ラドクリファがいた。
ロアがボロを出してしまった時や餓えが起こってしまった時の為だ。さらに、すぐに止められるようにと周囲にはかならず数人が控えている。
元々ラドクリファはルーの師匠である。久しぶりにルーの事を聞きたいとレニアはラドクリファと昔話を交えながら話していた。
そうしている間に時間は過ぎていく。騒ぎになる様な事も起こらず、ただ平穏にその夜の宴はお開きになった。
ただ、別れ際に、ロアはレニアにそっと声を掛けられた。
「ルー、夜にまた、私の部屋に来てもらえないかしら」
「わかった。でも、ここじゃ言えない話なの?」
「もう、久しぶりに息子に逢えたのだから、もう少しぐらい一緒に居たいと思ってもいいでしょう? 今日は二人っきりで話す機会がほとんどなかったのだし。ひどいわ」
「ごめんって」
レニアはなぜルーをそこまで愛しているのだろう。顔は笑いながらもそんなことを考える。
本当に、ロアにはレニアがよく解らなかった。いや、自分の気持ちすら理解できていないのだから、仕方がないかもしれない。
「待っているわね」
優しくほほ笑む彼女になぜか逆らえず、頷いていた。
彼女の傍に居るのは、嫌ではなかった。ルーの記憶のせいだろうか、どこか彼女の傍は懐かしい気持ちになる。それは不愉快なことでは無かった。
約束の時間になると、ロアは何も言わずに部屋を出た。ロア、いやルーの為に個室が用意されていて、いつもいるラドクリファはいない。本来なら伝えたほうがいいのだろうが、話す機会もなく、この時間まで来てしまった。
ヴェントス達は話し合いがまだ終わっていない様子だ。宴の為に一時中断していたが、また部屋にこもりっきりになってラドクリファもそれに参加している。
オリヴィアも、いない。どこに行ったのかは知らないが、彼女も忙しい様子だった。
「失礼します」
部屋に入ると、廊下よりも薄暗いことに驚く。どうしたのだろうと部屋の中をのぞくと、ほとんどの灯りは消え、いくつかの蝋燭だけが揺らめいていた。そこで、レニアは肘掛椅子に座り休んでいる。
目を瞑っている様子に、少しだけ恐怖に襲われる。
「レニ……かあ、さん?」
一人っきりの時、ルーはレニアの事を義母さんとよぶ。本人いわく、恥ずかしいから人前ではレニアさんなどと他人行儀に呼んでいるらしい。
その声に、瞼が震え、ゆっくりと開く。
ルーとはあまり似ていない、海の様な深い青の瞳。それがロアを捕らえた。
「ごめんなさい、ちょっと眠ってしまったようだわ」
「元々身体が弱いんだから無理しないで」
起き上ろうとするレニアに、ロアは駆けよると近くにあった毛布をかけようとする。が、レニアはそれを受け取ってなぜか脇に置く。
そのまま、そっと腕を取られてレニアの膝に乗せられた。
えっ、と困惑の声を出すよりも早く、彼女は毛布をロアもいれてかける。
「この方が温かいわ」
「……」
思わず身体がこわばる。こんなこと、ルーの記憶にはなかった。いや、レニアは毎回ルーですら思いつかない様な事を平気で行う女性だ。ただ、この出来ごとにどう対処すればいいのか分からず、声も出ない。
「本当に、大きくなったわね、ルー」
抱きしめられた温もりは、とても懐かしく、温かい。
優しい声色は子守唄の様に耳によくなじむ。
「昔はもっと小さくて、この腕にすっぽり入るくらいだったのに」
どれ程昔の話をしているのだろう。ルーがレニアと出遭ったのは数年前。その時にはもっと大きかったはずだ。ロアの知らない記憶なのだろう。
「覚えてないわよね。赤ちゃんのころだもの」
どうして、赤子の時のルーをレニアが知っているのか、聞いてもいいのか聞かない方がいいのか、判断がつかずなにも言えずにいた。
「その次に会ったのは、五年前……その時も、膝に乗せたわね」
「まさか、小汚いガキを王妃様が汚れるのも気にしないで触ってくるとは思わなかったけど」
ルーの古い記憶を呼び起こしながらロアは応える。それだけで、自分の存在が揺らぎ、ロアという存在が保てなくなっていく様な感覚があった。それは気のせいかもしれない、気のせいじゃないかもしれない。
たまらず、身体が少し震えた。
「ふふっ。そうね。あの時の貴方はもっと猫のように警戒していたわね」
レニアはその震えは居心地悪いからだろうとロアを見て、苦笑しながら態勢を変える。肘掛椅子はレニアには大きく、横によればその横にロアが座れるほどだった。
横並びに座ると、ほっとするがそれ以上に温もりが離れてしまったのがどこか残念で、レニアの横になるべく近寄る。
「あの時は、本当にほっとしたのよ。あなたが生きていてくれて」
「……」
どうして、なのだろう。
彼女は、ルーを本当に愛している。
「ねぇ、辛くはない?」
「全然。ヴェントスさんたちは厳しいけど優しいし、ラドクリファもオリヴィアもいるから」
「……そう」
なぜか、悲しそうなその眼差しに、首をかしげる。
「そうそう、オリヴィアといえば、その後発展はあったのかしら?」
「え? ……え?」
「あら、隠さなくてもいいじゃない。城からルーくんとオリヴィアちゃんが居なくなってとってもさびしいのよ。どうなってるのか気になって気になって、夜も眠れないわ」
「な、べ、べつに、オリヴィアとは、いつも通りで、その、まだ、だし」
「告白はまだなのね。そろそろ周りがじれったくなってる時期じゃないのかしら」
確かに、ルーは最近オリヴィアのことで周りからいじられることが多くなった。実は周りでいつ告白するのか賭けがおこなわれていたりするのも知っている。でも、もうそれはない。
ロアが、ルーを殺したから。
それを再認識した途端、思わず、身体がこわばる。
もしも、彼女にそれがばれてしまったらどうなるのだろう。と。
自分は、ルーではない。彼女は、それをどう思うだろう。
こうして直接会って、ルーの記憶の中の彼女では無く、本物に出会い、触れ合って、彼女は本当にルーの事を思っていると実感してしまった。
この優しく温かな女性は、真実を知った時、ロアをどう見るだろう。
気付くと、震えていた。昔、同じようなことがあった気がした。
でも、ルーの記憶にはそんなことない。これは、誰の記憶だろうか。
「もう、ヴォル達は大きくなってあんまり相手にしてくれないから、やっぱりルーはいいわね」
「まさか、おもちゃ感覚っ?!」
ヴォルとはルーの兄たちのことだ。
長男ヴォルフラムと三男アレクはすでに結婚済み、次男フェルゼンはまだ結婚はしておらず、自由気ままにふらっと城から姿を消してしまう、四男のフェスカは婚約者がいて他国に留学中。いちばん年下でいじりやすいのがルーだった。
「ふふっ、そんなわけないじゃない」
そうは言っているが、明るい笑顔で言われてはなんとも言えない。
その後も、他愛無い話しを続ける。
ルーと別れた時間を埋める様に、会話をしていく。
そのうちに、話す事が無くなると、静かな沈黙が下りた。
隣の温もりを感じながら、ロアは思う。この時間が、ずっと続けばいい。そう思う。
けれど。
「それにしても……」
なにかをレニアが言いかけて、しかし口を閉ざした。
なにを言おうとしていたのだろうかと視線を向けるが、彼女はどこか遠くを見ている。
そして、どこか話しかけづらい。
「ルー……」
「なに、母さん?」
「なにか……隠し事をしていない?」
「隠し事?」
どきんと心臓が跳ねる。
すっと胸が重くなり、呼吸が苦しくなる。
しかし、それは顔には出さない。出せない。
出してしまえばばれてしまう。
「ないと思うけど……なんか話してないこととかあったっけ?」
「……そう」
そういって瞼を伏せる彼女の様子を、見ていられずに顔をそむけた。
「じゃあ……あなたは、誰?」
今度こそ、時が止まったように感じた。
「え? なに、言ってる、の?」
なぜ、ばれたのだろう。いや、まだばれていないはず。
混乱した頭でも顔はルーのふりをして答える。
でも、それでも、声は震えている。
先ほどの問いかけに、ルーならばなんと答えていただろうか。どんなに考えても、今の答しか出てこない。
秘密の暗号でも言ったのだろうか。
否。それもありえない。
ロアにはルーの記憶がある。
その記憶を全て見た訳ではないが、レニア関連の記憶はぼろが出ないようにと全て見た。そして、ロアのふりをしている。
それなのに、なぜ、彼女はこんな目で見て来るのか。
その瞳には、その表情には、覚えがある。
ルーとレニアが出逢った時。そして、ルーからルーの過去を聞いた時。その時も、彼女はこんな顔をしていた。
その時、ルーはなんと言っただろうか。
そんな、悲しい顔、しないで
彼女は、悲しんでいる?
なにに?
そんなの決まっている。
目の前のルーが、ルーではないことを確信しているから。
「……あなたは、本当にルーそっくり。でも……オリヴィアは演技が下手ね。彼女達は、知っているのでしょう? あなたがルーではないことを」
まさか、それでばれたと言うのだろうか。
確かに、オリヴィアとレニアとの三人での会話ではなにかがおかしかった。違和感があった。それは、オリヴィアがルーが本当はロアであることを 知っていたからだ。
ルーのふりをしたロア。それを複雑に思っていたオリヴィアの迷い、それが、会話の中で出てしまったのだ。
「それにね、聞いてしまったの。あの人がルーが殺されただなんてうそだと、話しているところを」
レニアが「あの人」と呼ぶのは決まっている。
あの人――この国の王、そう、ルーの父親である。
「だから、無理を言ってここに来た。最初は嘘だと思ったのよ。だって、ルーはこの通り目の前に居る。でも、オリヴィアは……うんうん、オリヴィアだけじゃない。ラドクリファたちの様子もおかしかった」
「……」
「ねぇ、貴方は誰で、ルーは本当に死んでしまったの?」
どうすればいい
ロアは混乱していた。
ばれてしまったのは仕方が無い。では、どうすればいいのか。
今まででロアが自分で選び自分で行動したこと、それはあまりにも少ない。
そして、レニアにばれてしまった時のことを誰とも相談していない、いや相談する暇さえもなくここに来てしまった。それが、さらなる混乱を助長していた。
「わた、しは……」
ルーのふりをするのも忘れて、ロアはそれ以上の言葉を失う。
「ねぇ、お願い。教えて。なんで、私には誰も教えてくれないの。ルーが死んだのならば、私は知るべきだわ。私の体調の事を気にしているのならば、そんな些細なことで息子の死を隠さないで!!」
レニアを見ることができず、ロアは顔をそむけた。
「……お願いよ」
濡れた頬と潤んだ瞳。
どこか、懐かしいその顔を、ロアは正視できなかった。
「ルーは……なんで、本当の息子でも、ないのに」
「……」
目を逸らしながら呟く。
レニアが息を飲む音が聞こえた。それが酷く苦しく感じる。
「そうね」
レニアの静かな声を、聞きたくなかった。
「でも、家族として過ごした時間は確かにあった。たとえ、ルーが私の子で無かったとしても、赤の他人だったとしても、その時間は本当に大切で、本当の家族だった」
そして、それ以上口を閉ざしていることは出来なかった。
「わたしが……」
ぽつり、ぽつりと、ロアは語る。
語り終える頃には、蝋燭は小さくなり、いつ火が消えてもおかしくないほどに時間が経っていた。
ロアは、出来うる限り本当の事を話した。
いや、告白した。自分の罪を。そして、ルーのことを。
今、夜明けの使者団が調べている魔術組織の詳細はぼかして。
そして、語り終えると、沈黙が下りた。
無言で、レニアは立ちあがる。
その動作に、ロアは反射的にびくりと身体を震わせる。
レニアは、ロアの様子に少しだけ驚いた顔をして、そして何事も無かったように新しい蝋燭を出した。それだけをすると、ロアの前にかがみこんだ。
「ありがとう、教えてくれて」
目をぎゅっとつぶっていたロアを、そっと頭を撫ぜる。
「あと一つだけ、お願いがあるの」
おそるおそる目を開くロアに、レニアは悲しそうに笑った。
「私の前で、ルーのふりをしないで」
「……わか、った」
かすれた声で返事をすると、レニアはまた立ちあがった。
「……私が、ルーの母親ではないことは、知っているわね」
他に何を言われるかと思っていたロアに、レニアは突如自らの事を語り始めた。
その顔には、後悔があったが、それをロアは気付かない。
ロアは、そこまで人の顔色を読み取れない。
「本当はね、義母ですらないの」
「……?」
何を言うのだろうとロアは首を傾げた。
ロアの知っている記憶では、ルーはレニアの夫……現ディスヴァンドの王と当時城に勤めていたルーの母親との子だ。そのはずだ。
「あの人には……二人の兄弟がいた。兄であるユーリウス様と……弟のエレック様」
その二人についてなら、ルーの記憶に在った。
数十年前に他国の訪問をして帰還中に土砂崩れに遭い死亡したユーリウス。
ただ、調査中の魔術組織に所属していると思われる同名の青年がユーリウス本人であり、生きていたのではないかと現在審議している。
そして、エレック……彼は、モルディヴァイドの精霊術師であったが為に暗殺された。
精霊達のなかでも特異な精霊モルディヴァイド。彼等は日と生を司る精霊で在り、多くの国で信仰されている精霊だ。
無論、ディスヴァンドでも信仰されている。エレック王子が存命中はモルディヴァイドと契約をしていたために、なおさら熱心な信者もいる。
ただの精霊使いなら、エレックは殺されなかっただろう。魔術師の多くは精霊術師でもあるから、珍しいモノではない。
だが、彼はモルディヴァイドと契約をしてしまった。それが故に、他国に危険視され暗殺されたと言われている。
モルディヴァイドの精霊術師は、貴重なのだ。
そもそもの問題、モルディヴァイドと呼ばれる精霊の数が少ない。世界に十数柱居るとされているが、実際に姿を確認されているのは片手で足りるほど。
精霊には種族がある、カーネリウス、マリーナ、ジェイド、ディアロ、ネリアタイト、その中でも、モルディヴァイドは特異な存在である。
彼等は、神とも同一視され、その存在は国の発展を左右する。
「本当は……ルーはエレック様の子なのよ」
レニアの言葉に、ルーは首をかしげる。
「能力は遺伝することが多い。ルーも……潜在的に魔力の保有量が多く、おそらく精霊術師としての素質もある。もしもルーがエレックの息子だと知れたら……モルディヴァイドの精霊術師になれる可能性があると知れたら……きっと命を狙う者たちが現れるでしょう。だから、ルーをあの人の子どもと言う事にしたの」
「……」
突然の告白に、ロアはなんと返したらよいのか戸惑い、沈黙を選ぶ。どうして、そんな重要なことを自分に話すのか、まったく理由がわからなかった。
「このことは、あの人と私と……当時を知る者しか知らないはずの秘密」
「なぜ、わたし、に?」
「あなたのことを、話してもらったから」
レニアや夜明けの使者団以外の人々に秘密だったロアのことを聞いたからだと彼女は言った。そして、一つだけ言い添える。
「……それにね、秘密と言うのはどこかで漏れてしまうもの。貴方とルーにこんなことをした者達がその事を知っていたとは思わないけれど、もしもこの事が知られたら……」
モルディヴァイドの精霊術師の息子を利用しようとする者が居るかもしれない。レニアは目を伏せる。
「ルーにはあえて魔術を教えなかった。初歩的な魔術以外を才能が無いと言って教えなかったのもそのためよ。……精霊術師になって、父親の事が知られたら……そう思って。この事は、誰にも知られてはならないの。……気をつけなさい」
こくりとロアは頷いた。
誰も居なくなった部屋で、レニアは静かに蝋燭の灯りを見ていた。
揺らめく炎に、視界も揺れる。
「……ルーサイト」
最愛の息子の名を呼ぶ。
彼は、夫の弟の息子だ。それでも、レニアにとっては大事な我が子の一人だった。
血のつながりはなくとも、彼は大切な家族だった。
それだけは、確かなことだった。
「どうして……」
きっと、幸せにしようと思っていた。
エレックが死んだ当時、ルーの母であるミーファを城の外に逃がしたのはレニアだ。
もしも彼女のことが、ルーサイトとまだお腹の中に居た子どもがエレックの子であることがばれたら、守りきれないと思ったからだ。
彼女は無事に脱出し、王都から遠くの村で平穏に暮らし始めた。
それなのに。
村は魔獣に襲われルーサイトだけが生き残り、孤児として彷徨う事になった。
彼を保護した時、レニアは誓ったのだ。
たった独り残ってしまったルーを、彼だけでも幸せにしようと。
それが、エレックへの罪滅ぼしになるから。
エレックとミーファが結局その関係を公にできず、結婚も出来なかった理由をつくったのは、レニアだ。
モルディヴァイドの精霊術師の結婚。
もう少し、国家間の情勢が落ち着いてからのほうがいい。
そんな余計なひと言を言ったがゆえに、彼等の婚姻は大幅に遅れてしまった。
「……それなのに、結局」
ルーはもういない。
もしも、レニアがルーサイトを見つけなければこんなことにならなかったのではないだろうか。
ルーを息子として城に迎え入れなければ良かったのではないだろうか。
なぜ、自分が行う事は最悪の方向へと導かれてしまうのか。
レニアは乾いた笑い声をたてた。
ルーを殺したことは許せない。しかし、ルーを殺させられた彼を責めてもそんな意味はない。その根本である元凶が、殺したいほど憎い。
だが、それ以上に……。
「本当に、卑怯者ね」
ロアと呼ばれる少年の話を聞いた時、思ったのだ。
あの少年は、きっとこの話しを誰にも言わないだろう。
ルーサイトを殺してしまったことに、そしてその身体を奪い生きていることに罪悪感を抱いている彼の生きている理由は少ない。復讐のためと、ルーのため。ルーが出来なかったことをするため。
だから、彼はルーに不利益なことをしない。ルーの秘密は絶対に口にしないだろう。
だから、レニアは話したのだ。
誰にも話せなかったことを。自分の罪の結果を。
かつて、レニアはエレックに恋をしていた。
それは初恋と言うもので、結局叶わなかった。
新たな恋をして、結ばれたにも関わらず、過去の好きだった人と結ばれた人に取り返しのつかない結果を招いてしまった。
その全てを告白する事は出来ずとも、その過去を誰かに話したかった。けれども、誰にも話す事は出来なかった。
そんな事をすれば、ルーの身に危険が及ぶ。
しかし、もうそんな心配はいらない。そして、ロアという少年を見つけてしまった。
「ほんと、酷い人……」
後悔するのならば話さなければ良かったのだ。それでも、レニアは話してしまった。
きっと、いつまでも悩み悔やみ続けるのだろう。
もはや、許しを乞えるエレックもミーファも、ローラもルーもいないのだから。
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