Episode 4

星の漂う夜


暗い部屋。

揺れる明かり。

廊下の先にいるモノ。

手に入れなければ。

それを、手に入れなければ。

そうしなければ、殺されてしまう。

いや、そんなこと、どうでもいいのだ。

それよりも……見捨てられてしまうのが恐くて、辛いのだ。


おかあさま、僕を見て。見捨てないで。独りにしないで。

いいこにするから。いっぱい勉強して、おかあさまのお役に立つようにがんばるから。

いっぱい、がんばるから。

ねぇ、おかあさま……。


何度も繰り返される記憶。

なにをしたって、結局は捨てられてしまう。

けれど、捨てられたとしてもなお、すがり続ける。

それしか、できないのだ。

おかあさまが世界の全てで、生きる意味だったから。


そんな記憶を何度も繰り返す。

それを見るのは赤髪の少年と黒い影。

意味があるのか分からないまま、何度も記憶の再生を繰り返す。

暗い箱庭の中で、観客二人の上映会は続く。







魂喰らいの襲撃から二日。

ヴァレスタ伯の城のあるイエルカの街が近づいていた。

それよりも、目下の問題は捕まえた魂喰らいの処遇だった。

ロアが以前入れられていた魔法陣のしかれた檻。そこに入れられた彼は、ロアの脱走の件もあり四六時中数人に見張られている。

彼の説得をしようとオリヴィアは何度か足を運んだ。だが、無駄だった。

彼は……完全に壊れていたからだ。

まともに話せる時もある。だが、そのほとんどは自分が誰なのかすらわからぬ様子で破たんしたことを呟くだけだった。

まるで、自分が女の子の様な事を言う時もある、老人の昔話の様な事を呟く事もある。知らない女の名前を叫び、幾つもの故郷の名を呼ぶ。それはまるで……。

「彼も、記憶に、飲まれてる……」

ロアは正気を失った魂喰らいの前で、そう言った。

「ロアもそう思うのね」

その隣にはオリヴィア。そしてフェイがいる。

ロアは青年の姿をその目に焼きつけるように見つめる。忘れてはいけないのだ。

彼は、自分の未来であるかもしれない。

彼は化物の様な姿からもとの人の姿へとある程度戻っている。だが、外見人は普通の人間らしからぬ異形がそこかしこに残っていた。

この魂喰らいはあまりにも多くの魂を食べ、その記憶に狂ってしまっていた。

おそらく、ロアはこの魂喰らいよりも早くに魂の記憶に押しつぶされてしまうだろう。自らの記憶が無いから。

ふと、魂喰らいがこちらに気づく。まるで、正気に戻ったのかの様に。

「なぁ、あの人はどこだ?」

オリヴィアとロアに向かって、ぼんやりと話しかけて来る。

少なくとも、人を人と認識している。

「あの人は?」

「あの人とは、誰の事です?」

「さぁ? 名前なんて知らないから……いや、たしか、君たちがラドクリファって呼んでいた、ひと」

「……会って、どうするのですか?」

「ひみつ」

普通に、悪戯をする少年の様に微笑む。先ほどまでの狂気は見られない。

「あぁ、でも……いい事を教えてあげるよ。カルサイトに気をつけて。その魂喰らいを手放したくないのなら、カルサイトを殺す事を勧める」

カルサイト?

首をかしげるオリヴィアの横で、ロアはその顔には出さないが心のうちで動揺する。

その名は――この魂喰らいから以前も聞いた。彼はロアをカルサイトのコレクションだと言った。つまり、彼はロアの過去を知っていて、ロアと関係があったらしきカルサイトの事を知っている。

「カルサイト、とは誰です?」

オリヴィアが慎重に問いかける。

「オレ達の主人。魂喰らいの創造主。狂った魔術師。……言葉じゃ言い表せない……オレたち魂喰らい以上の化物」

「……」

フェイが一歩、後ろに下がった。

思わずロアはフェイを見ると、彼は顔を白くさせて震えていた。

「フェイ? どうしたのですか?」

オリヴィアの心配そうな問いかけにも応えず、彼は魂喰らいを見続ける。

「カルサイトは、どこに居るんだ?」

震える声で、フェイが言った。

「カラトリス」

「そう、か」

「カラトリス、ですか……」

それは、トールが戦っている相手国であった。




ラドクリファがそこに来た時、彼は正気だった。いや、何も言わずに天幕に入ってきたラドクリファを見つめていただけだから、本当は正気では無かったかもしれない。

しかし、その目に狂気に侵されたような様子はなく、ラドは静かに彼の前に来た。

「私に話があると聞いたが」

「……そうだね」

穏やかな声だった。

「頼みがあるんだ」

「なぜ、私に?」

最近、頼み事をされることが多いな。なんてラドは心の片隅で考える。

しかも、どちらも魂喰らいの頼み事。

この符号に、なにかあるのかと思いつつ、逆に問いかける。

「あの子に頼むのは可哀想だろう。他に、いい相手もいなかったしな」

「……あの子?」

「お前たちがロアと呼んでいる子さ」

「ロアに頼めないこと、ですか。残念ですが、私はここを裏切ったりしませんよ?」

元同朋であるロアに頼むこと、と言ったら同朋のよしみで逃がして欲しいとかだろうか。そんなことを考えつつラドは言った。

用心して少し彼から離れる。魂喰らいが何をしでかすか分からない。ロアの時だって、用心していたにもかかわらず逃げられた。

「そんなことじゃない。ただおれを……」

彼が告げた言葉に、ラドはただ目を見開いた。





誰かに呼ばれたような気がした。


いつの間にか時間は夜。ロアは、顔をあげると立ちあがった。

天幕から出ると、夜風が熱を奪っていく。

ラドはいない。

捕まえた魂喰らいの元に行ってからすでに数時間たっている。何があったのかしらないか、いまだに帰ってきていない。

剣を教えると言っても、昼間は移動がある。夜と朝の時間が開いた時にと話していたのだが、今晩はむりそうだ。

ヒスイもすでに自分の天幕に戻っている。

ふと、気付く。星空の元、世界が輝いているように見えた。

否。

輝いているのは――。

「たま、しい……」

いつの間にか幾つもの霊魂が、周囲に彷徨っている。

それを視認した途端に、衝動が胸を貫いた。

手を、少しだけ伸ばせばすぐそばに――魂がある。

無意識のうちにごくりと唾を飲み込む。

この彷徨っている魂たちを喰らってしまえ。そうすれば、ヒスイ達を餓えの衝動で襲う事も無い。

心のどこかで声がする。

今、ロアが畏れているもの……それは、餓えの衝動で誰かを傷つけることだ。

ヒスイを、襲いかけた。それは、重石になっている。

そして、今――目の前に彷徨う魂たちがいる。

肉体から離れた魂は、冥府の川を渡る。そして黄泉へと至る。ここに居るのは、未だ冥府の川へと至っていない、死した者達の魂だ。彼らならば。

近くの魂にそっと手を伸ばしかけ……その手を止めた。

うっすらと生前の姿が見えた。

伸ばした手の先の魂は、幼い少女の物だった。

ヒスイと何ら変わらない幼い少女。彼女のソレを喰らおうとしていた事に正気に戻る。

「……いや、だ」

食べたくない。

そう、強く思った。

なぜ、と聞かれても分からない。ただ、食べたくない。魂喰らいでありながらも、魂を食べることに忌避を抱いている。


だから、ルーは殺されたのだ。


ロアが魂を食べなかったから、ルーは殺されたのだ。それを忘れかけていた事に恐怖を抱く。

もしもロアが魂を食べて居たら、ルーは殺されなかった。

オリヴィアを殺す為にロアはここに送りこまれた。でもそれは、ロアがそれまで魂を食べることを拒んでいたからこその結果論だった。

「そう、だ……」

少しだけ、記憶がよみがえっていた。

「……魂を喰らう事は、できない」

してはならない。

過去の自分がどうしてそう思ったのか、そこまでは思い出せない。でも、確かにそう誓っていたのだ。

それに、もしここで魂を喰らってしまったら、ルーはどうなる? ロアが魂を食べなかったから死んだルーの死は、無駄になるのではないのか。

『それでいいよ』

幼い少女がロアを見て微笑んでいた。

『おれたちはだめだったけど』

近くの青年が言う。

『あんたなら……』

老女の声、男の声、まだ若い少年、子どもの声が耳をすませば、至る所から聞こえて来る。

『故郷に帰りたかった』

『終わったね……』

『……せめて、お前の名前ぐらい知ってればな……』

『ようやく、川を渡ることができる』

『絶対に、魂を喰らうな』

『ユーリウスとカルサイトに気をつけろ!』

『娘はどこに行ったのかしら。無事かしら……』

『逃げられなくなる』

『あんたは、人間だったよ。普通の、人だった』

『これで、もう苦しまなくていいんだね』

『あいつらを恨め! 俺たちを魂喰らいにして、命を弄んだ!』

『嫌だ、死にたくない。死にたくない!!』

『お前は、幸せになれ』

死者の声。幾つもの、幾百もの、魂の叫び。

それが、夜の空にこだまする。

ロアに向けての言葉もある。後悔の恨みに叫ぶ者もある。安堵の呟きもある。

それはいつまでも続くように思えた。

だが、ふっとその声が聞こえなくなる。

うっすらと見えていた生前の姿も霞んでいく。

残ったのは、星のように煌めく数多の魂だけだった。

そして――

「……魂を一つでも喰らっていたら……殺そうと思っていたのだが……つまらんな」

明るく光る蒼い石のついた長い杖をもった青年がいた。

どこにでもいるような旅人の服装をしている。フードをかぶっているために顔はよく見えない。

ただ、金色の目がこちらを見つめているのに奥からでもわかった。

彼は、幾つもの星を連れていた。

彼の後ろから、幾つもの星が煌めき連なっている。そして、今も増えていく。

何をばかなことを考えていたのだろうとふと気付く。彼の後ろについて来るのは星ではない。魂だ。

幾つもの魂をひきつれているのだ。

「誰」

「……唯の旅人だ」

「そう……」

そうか、旅人か。そう、頷く。

「……」

そして、無言。

旅人はロアに首をかしげながら見かえす。

「……」

「……」

「……なにか、聞かないのか?」

「なにか聞かなくてはいけないのか」

「いや、なにも疑問に思っていないのならば良い」

「そうか」

疑問。そういえば、旅人はどうしてこんな夜中にここを通っているのだろう。

もしや、敵なのか。

今さらながらに危機感を持ち始めたが、旅人は笑って歩きだす。その後ろには魂がふらふらゆらゆらと憑いて行く。

「ロア君。次は……戦場で合わないことを願うよ」

「……なぜ」

なぜ、名前を知っている。オリヴィアのつけた名前を。

そう問いかけようとしたが、目の前に幾千もの魂が通り過ぎていく。

押さえられていた衝動が再び襲いかかる。

それを必死に止めながら、彼は滲む視線の中、旅人の後ろ姿を目で追っていた。

追えない。追いかけられない。気を緩めれば、正気を保てない。

左手で右腕を押さえつける様に握りしめて立っていた。

彼の姿が、魂たちの光が、見えなくなるまで。


姿が見えなくなる。

光源があったことすらわからないほどの闇が辺りを包む。

ほっとした瞬間、がくりと膝をついた。

足も手も震えていた。

「……よかった」

あのまま彷徨う魂たちが居たら、きっと気が狂っていた。

ほっとしているロアの耳に、誰かの足音が聞こえて来る。慌てて立ちあがる。

「誰? なに……してんの」

女の声が聞こえて振り返ると、見知らぬ……しかし、良く知っている少女が可愛らしい寝間着の姿で立っていた。

まさか、声をかけた先に居たのがロアとは思っていなかったらしい。目を丸くしてしまったとばかりに口元に手を当てている。

今まで、ロアが会ったことはなかった。どうやら、避けられているらしいと知ったのは、つい先日。

毎度のことのようにロアが朝食をとりに行ったり移動したりした場所で彼女が席を立ってどこかに行ってしまったと言う話を聞くからだ。

ルーが良く知る少女。ロアは一度も会ったことのない彼女の名は。

「……ネルシア」

「っ!! ざけんな! あんたが、うちの名前を言うな!!」

気付いた時には、ぱちんと頬をはたかれていた。

「魂喰らいっ、うちはあんたを許さない!」

ロアの目を睨みつけ、彼女は怒りをあらわに宣言した。



「……あの魂喰らいを、殺したのですか」

オリヴィアは、朝早くのその話を聞くことになった。

ラドクリファとヴェントスによって語られるのは、昨夜の話。

あの魂喰らいが望んだこと、それは死だった。

ラドクリファに、彼は己が殺害を頼んだのだ。ラドクリファとヴェントスの話し合いの元、彼は殺された。

魂を喰らいすぎて、彼はもう人の形から剥離を始めていた。さらに言えば、彼はすでに自分を失っていた。ごちゃごちゃの記憶はどれが本人のものだったのかすでに解らなくなっていた。そして、彼は勝手に自分で死なないようにと自死を禁止されていた。

これ以上は、彼にとっても食べられた魂たちにとっても、苦痛でしかなかった。

『カルサイト』によって操られ、死を選ぶこともできず、苦しみながら生きていくことしか出来なかった彼等にとって、死は開放だったのだ。

「……」

それをオリヴィアのとなりでロアは聞いていた。

あの大量の魂は……あの魂喰らいの食べた魂たちだったのだろうか。ふと、思う。

ならば、自分が死ねばルーの魂は解放されるのだろうか。しかし、自分が死ぬと言う事はルーの身体が死ぬと言う事。それでは、ルーの魂が解放されたとしても意味が無い。

魂喰らいとは、いったい何なのだろうか。

首を傾げ、ただオリヴィアの後を追った。

「昨夜、ネルシアと会ったそうですね」

いつものように朝食をとっているとオリヴィアはそう話しかけて来る。いつの間に来たのか、その横にはにこにことなにやら嬉しそうなヒスイもいる。

「会ったが……?」

なにかまずかったのだろうかと首をかしげるロアに、オリヴィアは少しだけ目を伏せた。

「大丈夫でしたか?」

「別になにも」

彼女は一方的に叫ぶと、逃げるように去っていった。だから大丈夫もなにも、なにもなかった。

「そう、ですか……ネルシアは、あなたの事を……その……」

好意的に受け取っていないことは解っている。

それに、自分が魂喰らいということを知っていたと言う事は、ルーを殺したことを知っているのだ。

ルーの記憶から彼女がルーとよく一緒に居たことを知っている。あの激昂は、そこから来るモノだろう。

「ネルシアお姉ちゃん、いつもルーのことを見てるよね」

「えっ? そう、ですか?」

いつの間に居たのか、ちゃっかりと隣の席にヒスイが陣取っていた。服の端をちょんとつまんでおはようと笑いかけて来る。

「だって、ロアくんのことをさがしてたら、ネルシアお姉ちゃんが教えてくれたし、さっきもこっちのほう見てたし」

「まぁ……」

オリヴィアはそっと辺りを見回す。そして、ヒスイをもう一度見る。

小さな少女が、周りをとてもよく観察していることに驚きを隠せなかった。

「……ネルシアは、どうやらロアのことを許せないみたい……。あれから、私もほとんど話せず彼女が何を思っているのか解らないけれど……彼女はずっと悩んでいたようなの。自分があの扉を見つけなければと……」

あの扉とは……少し考えてロアは思い出す。

彼女が、地下へ続く扉を偶然見つけてしまったのだ。

あの時、何も見つからずに戻っていたら。もう一度体制を立て直してからあの館の探索に向かう事になったかもしれない。見習いのルーが探索に参加せずに待機となっていたかもしれない。そう、思っているのだろうとオリヴィアは思った。

ざわざわと移動の為の準備が始まる。ゆっくりしている時間は終わりのだようだ。

今日の夕方には街に着く予定だった。




道中、特にこれと言ったこともなく、予定よりも早めに、夕日が沈む前には平穏無事にイエルカの街までやってきた。

イエルカの街に入る手続きが終わるころには、すでに日は沈んで街には明かりが灯っている。

もう日は沈んでいると言うのに、門番から話が伝わったのかヴァレスタ伯の城から使者が来てオリヴィア一行を歓迎した。そのまま、城へ招かれることとなった。


町中を通り過ぎると、その賑やかさにオリヴィア達は息を飲んだ。

オリヴィアの姿を見止めた人々が聖女さまだと歓声を上げる。行く先々で歓迎の声が聞こえてきた。

ヴェントスたちの後ろのほうに居たロアはただただ周囲を見渡す。驚く訳でも感嘆する訳でもなくただ無表情で見渡していた。

記憶に在る限り、ロアの初めての町だった。

ルーの記憶からすると、この町のにぎわいは都に相当する勢いだ。まるでお祭り騒ぎだ。

「みな、聖女様がいらっしゃると聞いて、歓迎をしているのですよ」

オリヴィアに使者が告げる。

「しかし、これは……」

歓迎と言うよりもお祭り騒ぎだ。そこかしこから歓声やら怒号やらが聞こえてくる。

「実は、二日ほど前からシルネリアの第三王女が教会に滞在していらっしゃっていますので、みな浮かれているのです」

「なるほど、そうでしたか。シルネリアの……」

シルネリアと言えば、最も魔術の発達した精霊達の加護厚き国。その国の王女がいるだけでもお祭り騒ぎだと言うのに、そこに自国の聖女と言われる存在が現れたのだ。みな、浮かれもする。

だからだろうか。町には警備の兵隊が何人もいる。

「だからこんなに警戒しているのですね」

「ええ。これは一応内密ですが、王妃殿下もいらっしゃっていますしね」

「え?」

オリヴィアの驚いた声が響く。

会話をすべてオリヴィアに任せていたヴェントスは眉をひそめ、すぐそばにいたフェイやディストたちが顔を見合わせた。

ルーの死亡については国王に報告はしたが、まだ王妃には伝えて居なかったはずだ。身体の弱い彼女に伝えるのは、もう少し落ち着いてからにすると連絡が来ていた。

「御子息に逢いたいと、昨日王都からいらっしゃったんですよ」

「そうでしたか。ルーサイトも喜ぶでしょう」

すぐに取り繕い、動揺を隠したオリヴィアはロアをそっと見る。が、彼は聞いているのか聞いていないのか、反応しない。

「そういえば、ルーサイト王子はどちらに」

「先日魔獣の襲撃が在り、負傷したので馬車に乗っています」

とっさにオリヴィアはごまかし、フェイにいくつか言葉を伝える。

「ロアを馬車に入れて」

「どうするんだ」

「今はとにかくごまかすわ」

フェイは頷くと、なにも言わずにロアを伴って後ろに下がる。

「ルーサイトにはこちらからすぐに伝えますね」

にこやかに使者とオリヴィアは話す。どうするかと悩みながら。



馬車に押し込まれたロアは、不思議そうに首を傾げた。

「なぜ、隠れなければならない」

「王妃にはまだルーの事を伝えて居ないからだ」

「……?」

だから、どうして隠れなければならないのか、ロアには分からない。

それならば、伝えてしまえば早い事だろうと思うのだが、そうは問屋がおろさないのだ。

「ルーが死んだことを王妃には伝えてはならない。元々、彼女は身体が弱く、つい先日も倒れたばかり。そんなところに溺愛していたルーの死を報告なんてできないだろう」

「……?」

どうして、ルーを溺愛なんてしているのだろう。そう、ロアは首を傾げた。

不思議だった。


王妃は――ルーサイトの実の母親ではない。


ルーは国王の元メイドの子だ。

王位継承権こそあれど、最下位であり、権力も後ろ盾も無いに等しい。

母親も妹も喪い、孤児として彷徨っていたところを保護された王家の血をひく子ども。そんな彼を、どうして王妃は溺愛しているのか。

そんな疑問だったのだが、フェイは気付かない。

ただ、扉に手をかけて外の様子をうかがう。

「とにかく、王妃にはルーの死は伝えない」

「なら、私がルーのふりをすればいいだけだろう」

「え?」

思わずロアに視線を向けたフェイが見たのは、久しぶりに見たルーの笑顔だった。

「ん? どうしたんだ? オレ、なんか変なこと言った?」

不思議そうに問うてくる彼は、ありし日のルーだった。

「ル、ルー?」

その豹変ぶりにフェイは言葉を失う。

先ほどまでのロアと、完全に別人となっていた。その表情も、しぐさも、声色も、かつてのルーを完全に再現、いやそのままだ。

ロアがその気になれば、ルーに為り替わることなど簡単なのだ。

おそらく、彼をロアだと分かるのは心を視ることができるオリヴィアか魂を判別できるヒスイぐらいだろう。

「たしかに、ルーのふりをすればいけそう、だな……」

言葉をなんとか絞り出しながら、フェイは目をそらした。

「だが、記憶は……」

「ルーのここ半年の記憶は知っているよ。まあ、もうちょっと記憶を見ないとボロをだしちゃいそうだから引き出して見るけどさ」

本当は、したくないけれども。

そう、心の中で呟きながら、ロアはルーのふりを続ける。

元々、ロアはルーのふりをして夜明けの使者団にもぐりこみ、聖女オリヴィアを暗殺する事になっていたのだ。ルーのまねなど容易い。

だが、あのときとは違い、ルーのまねをしたくない。どうしてなのだろうかと思いつつも、必要なことだからと感情を整理する。

だが。

「恐ろしいな」

「おそろしい?」

「いや、気にしないでくれ」

さりげなく言った、フェイの恐ろしいという言葉が、なぜか耳に残った。



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